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「Winny事件」
Winny事件、逮捕と無罪判決
同じファイル共有ソフトであるWinMXを利用した公衆送信権(送信可能化権)の侵害が横行し、著作権法違反で逮捕者も続出していた中で、匿名性が強化されたWinnyへ移行する利用者が後を絶たず、2003年11月にはWinnyを利用して著作物を送信した人物が逮捕された。
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これに影響される形で2004年5月10日、金子は著作権法違反幇助の疑いにより京都府警察に逮捕、5月31日に起訴された。裁判所での事件名は「著作権法違反幇助被告事件」。

弁護士の壇俊光ら「ウィニー弁護団」が、2ちゃんねるやサイトなどのネット上で呼びかけをすることで裁判費用を有志で募り、わずか3週間で1600万円を集めることに成功する。今でいう「クラウドファンディング」の先駆けであり、本件の問題が「イノベイターの活動を萎縮させ将来的に支障をきたす可能性がある」ことを、ネットユーザーらが懸念し本件に注目していた事が伺える。

2006年12月13日、京都地方裁判所(氷室眞裁判長)において罰金150万円(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡された。金子側は同日、大阪高等裁判所に控訴し、検察側も刑が軽すぎるとして控訴した。2009年10月8日に大阪高裁での控訴審(小倉正三裁判長)判決にて逆転無罪判決となり、21日に大阪高等検察庁は判決を不服として最高裁判所に上告。

2011年12月20日 最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は検察側の上告を棄却。無罪が確定した。

Winnyは元東京大学大学院情報理工学系研究科助手の金子勇によって2002年に開発が始まった。当時は既にNapsterやファイルローグなどのP2P型ファイル共有ソフトが存在していたが、多くはハイブリッド型であり、ファイル情報やノード情報を管理する中央サーバーが必要であった。
そして、ファイル共有ソフトを用いて不正なファイルが多くやりとりされていたことから、中央サーバーがたびたび著作権法違反で摘発されるという事件が起きていた。一方で、完全なP2Pネットワークとしては既にFreenetが存在したが性能が低く、広く使われるまでには至っていなかった。WinnyはこのFreenetのアイデアを元に実用的で、かつ中央サーバーを必要としない完全なP2Pネットワークを作ることを目的としていた。

金子は掲示板サイト2ちゃんねるのダウンロードソフト板に匿名で書き込みを行い、ユーザーとやりとりしながら開発を進めた。彼は最初の書き込み番号である「47」を名前として使用していたことから利用者からは「47氏」と呼ばれていた。当時の日本ではWinMXがP2Pファイル共有ソフトとして広く使われており、新しい共有ソフトはその後継を目指すという意味合いを込めて、MXの2文字をアルファベット順にそれぞれ1文字ずつ進めたWinNY(後にWinny)がソフトの名前として決まった。

2002年5月6日にベータ版が公開。以後、金子が著作権侵害行為幇助の疑いで逮捕されるまで開発が続いた。不正なファイルのやりとりをした使用者ではなく、技術の開発者を逮捕するという事件は世間の耳目を集めたが、後に裁判の結果、無罪が確定している(詳細は違法性の節を参照)。
なお、金子による最後のバージョンは逮捕前に公開された「Winny 2.0 Beta7.1」だが、第三者によるクラック版が開発・配布されている。金子は無罪が確定後もWinnyの開発に戻ることはなく、2013年に急性心筋梗塞にて死去。開発は事実上終了した。

ACCSの実態調査では、2006年6月調査でWinMXを初めて凌駕して国内最多の利用者率(主に利用している人が33.3%)となり、ネットエージェントの報道によると、2006年4月現在のユーザー数は44万人から53万人程度であるという。
(資料ウイキペディア)

NHKスペシャル 平成史(8)情報革命
ふたりの軌跡~ネットは何を変えたか
2019年4月28日(日) 午後9時00分(50分) 
シリーズ「平成史スクープドキュメント」エピローグとなる第8回は、インターネットによって激変した日本社会の姿を2人の先駆者の足跡から描き出す。ヤフーを日本一のインターネットサービスに押し上げた井上雅博氏と画期的なファイル共有ソフト・ウィニーを開発した金子勇氏。これまで語られることが殆どなかった2人の夢と挫折を通して、情報空間がさらに拡大していく次の時代の姿を照射していく。

NHKスペシャル 平成史スクープドキュメント第8回「情報革命 
ふたりの軌跡~インターネットは何を変えたか~」
壇俊光2019年04月24日 11:46
https://blogos.com/article/373056/
NHKスペシャルでWinny事件が取り上げられるらしい。
ヤフーと対比というのは、私には、予想がつかないところであるが、私にも取材があり、金子さんやWinny事件を思い出す良い機会となった。

正直、当時の私の目には1人のプログラム馬鹿の為に闘うという小さなものしか写っていなかったので、平成という時代で振り返られるような大きな事件なんて思っていなかったし、NHKというと弁護妨害してくる人くらいの認識だったので、NHKスペシャルで取り上げられるのはとても意外である。
この番組を通じて、彼の名誉が幾ばくかでも回復することを願っている。
平成にはインターネットの出現とともにネットワークに対する無知や誤解から生じた悲しい事件がたくさんあった。
令和という時代に生まれた人達が、ネットワーク社会を明るいものに導いてくれることを願っている。

金子勇氏の死を悼む。
2013年07月09日 07:55
企業法務戦士(id:FJneo1994)
21世紀初頭に「Winny」開発者として一躍“時の人”となったプログラマー・金子勇氏が、急性心筋梗塞により42歳という短い生涯を終えた、ということが報じられている・・・。

自分が、金子氏のお名前を聞いて思い出すもの、と言えば、2004年5月に逮捕されて以降、被疑者・被告人として法廷で闘ってこられたお姿のみ。それも、あくまで報道や壇弁護士のブログ等を通じて、間接的に伝え聞いたものでしかない。
「47氏」として某巨大掲示板上で活躍されていた姿を、自分がリアルタイムで目撃することはなかったし、今まさにあちこちのサイトで称えられている金子氏のプログラマーとしての才能だとか、“天才”たるゆえん、といったことについては、筆者の浅学無知さゆえ、どれだけ説明されても、本当の意味で理解することはできないだろう、と思う。
ただ、一つだけ言えることは、金子氏が文字通り「当事者」となったあの著作権法違反幇助事件は、日本の刑事訴訟の歴史に刻まれるものである、ということ。

そして、一審の京都地裁で「罰金刑」のみ、という判断が下されてもなお、金子氏があくまで「無罪」を求めて戦われたことが、最終的には、ソフトウェア開発者にも一定程度配慮した、あの最高裁判決を導くことにつながった、ということ。
金子氏ご自身は、2004年から2011年まで、技術者として脂の乗り切った7年間という歳月の多くを、法廷での戦いに費やすことになり、無罪確定後も、それと同じ時間を新たな開発に捧げることができないまま、この世を去らなければならなくなってしまったわけで、これはある種の“悲劇”とすら言えるのかもしれない。
ただ、あの最高裁判決が、近い将来、世の中のコンテンツ流通の在り方を劇的に変えるようなソフトウェアや画期的なサービスが世に現れた時に、“坊主憎けりゃ袈裟まで・・・”的な風潮で、安易に開発者に刑事責任追及の矛先を向けるような事態に歯止めをかけるための一つの材料になりうるものであることは間違いないわけで、そういった観点からも、金子氏の技術開発の世界に向けられた功績は、長く語り続けられていくべきもの、だと思うのである。
<過去の主な関連エントリー>

□最高裁判決後 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20111222/1324751384

□高裁判決 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20091010/1255263662

□地裁判決前 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20061013/1160675462
今は、心よりご冥福をお祈りしたい。
(記事引用)














スペインの左派ポピュリズム政党PODEMOS、チャベスからの資金提供が発覚して炎上。総選挙でも議席を失う
HARBOR BUSINESS Online 2019年4月29日 15時31分
 4月28日に行われたスペインの総選挙で、ポピュリズム左派政党ポデーモス(Podemos)は29議席を失い、第4位となった。 

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 その背景には、選挙に先立ち。同党がベネズエラのウーゴ・チャベス前大統領から同党の設立資金として7,168,090ユーロ(9億3200万円)が提供されていたことを証明する録音の内容が明るみになって現在スペインのメディアで話題になっていたことが少なからず影響していたと思われる。(参照:「El Confidencial」) 

 チャベスが資金提供した目的は、スペインでボリバル革命を喧伝し推進するための政党づくりであった。 

◆2016年から囁かれていた噂 

 チャベスが大統領の時に財務相を務めたラファエル・イセアがこの資金を提供したことを証明する書類に記載されているチャベス大統領と彼の署名が正真正銘であることを明らかにしたのである。が、その過程が彼と会見したスペイン国家警察官によって盗聴され、その録音内容が4月3日に電子紙『Moncloa.com』が他紙に先駆けて報じたのである。それは同時に電子紙『El Confidencial』の手にも渡っていた。 

 政党ポデーモスは2014年3月に設立されたが、その資金がベネズエラから出ていたという噂は2016年からあった。2017年11月のスペインの上院調査委員会に同党創設者のひとりファン・カルロス・モネデロが召喚されて、その時与党だった国民党のルイス・アズナール上院議員からこの事実を証明する核心をついた質問をモネデロは受けた。モネデロは勿論それを全面否定した。 

 ところが、今月になってその事実を明らかにする録音内容が冒頭で触れたように公にされたのである。その録音内容によると、2016年4月と5月にスペインから3人の国家警察官がニューヨークのスペイン領事館でチャベスが大統領の時にベネズエラの財務相だったラファエル・イセアと会見して冒頭で触れた資金が2008年にCEPS基金に支払われていたことがイセアによって確認されたのである。 

 イセア元財務相はチャベスから最も信頼された人物のひとりであったが、マドゥロ大統領の政権になると彼への信頼は崩れ、遂に彼は米国に亡命して米国麻薬取締局(DEA)の証人としてマドゥロ政権が麻薬の密売を行っていることを摘発するためにDEAに協力していた。だから、スペインの3人の国家警察官は亡命したイセアが在住しているニューヨークで会見したというわけである。(参照:「OK Diario」) 

◆法改正前なので外国からの献金も違法ではないが…… 

 イセアがCEPS基金に支払った理由は、この基金がラテンアメリカの左派政権に政治、経済、法律などについてアドバイスするコンサルタント組織として存在し、ポデーモスの創設者であるパブロ・イグレシアス(ポデーモス党首)、ファン・カルロス・モネデロ、イニィゴ・エレホンらがこの基金を介してチャベス政権のアドバイザーとして活動していたからであった。チャベスよりCEPS基金が受け取った資金をイグレシアスらがポデーモスの設立資金に充てたということなのである。 

 2015年6月までスペインの政党は外国の政府や企業からの献金を受け取ることは禁止されていた。しかし、仮に献金を受けても犯罪として問われることはなかった。しかし、同年7月から刑法の改正があり、政党の幹部が外国の政党や企業から10万ユーロ(1300万円)以上の献金を受けると懲役最高4年の刑が科せられることになったのである。ポデーモスの幹部のこの716万ユーロの献金はこの刑法改正前だったので犯罪にはならない。 

 しかし、スペインの財政経済犯罪班(UDEF)が動いたのは彼ら幹部がそれを受領した年度の所得申告に加えていたかどうかという疑いについて調査を始めたのである。(参照:「El Confidencial」) 

◆「炎上」の背後にポデーモス潰しの策略 

 では、なぜスペインからわざわざ警察官をニューヨークにまで派遣してポデーモスの設立資金の出どころを調査する必要があったのかという疑問が湧く。彼らを派遣することを決めたのは当時のスペイン内務相フォルヘ・フェルナンデス・ディアスであった。派遣の理由は、当時の政治情勢から2016年6月の総選挙でポデーモスが社会労働党を抜いて野党第一党になる可能性が出て来ていたからであった。ベネズエラのボリバル革命を推進しようとするポピュリズム政党が野党第一党になると国民党の選挙後の政権運営が非常に難しくなると同内務相は判断したようである。 

 そこで国家警察が掴んでいた716万ユーロを送金したと証明する書類にある署名がチャベスとイセアの正真正銘のものあるかを確かめにニューヨークに赴いたのであった。そうであれば、それを裏からマスコミにその情報を流してポデーモスへの国民からの支持を減少させようと図ったのである。 

 録音された内容からイセアは、当初その証拠書類の署名を彼本人のものか2016年4月の最初の会見では避けた。しかし、彼の家族がカラカスに在住してマドゥロ政権から抑圧されていることを懸念しているイセアに、警官は家族をアルゼンチン経由でスペインに亡命させてそれ以後偽名にして身元を分からないようにするということをイセアに提案するのであった。フェルナンデス・ディアス内務相もそれを了解しており、彼からラホイ首相にもそれが伝えられていると言及したのであった。 

 最初の会見からひと月経過した5月の2回目の会見でイセアは証拠書類にある彼の署名とチャベスの署名が正真正銘のものであると実証したのであった。また、今年4月4日のテレビ番組『Al Rojo Vivo』でのインタビューでもイセアはそれを実証したのであった。(参照:「El Confidencial」、「Moncloa.com」) 

◆ポデーモスの今後に立ち込める暗雲 

 当の2016年の選挙結果は国民党の勝利であったが、野党の社会労働党の540万票(85議席)に対し、ポデーモスは連携政党を加えて500万票(71議席)を獲得するという僅差となったのであった。(参照:「El Pais」) 

 国民党は137議席で過半数の176議席からは程遠い議席数となったが政権を維持することができた。しかし、そのあとこの選挙結果が昨年の内閣不信任案を可決させて社会労働党のサンチェス党首が首相になる要因を作った。勿論、この内閣不信任案にポデーモスは賛成したのが政権交代の主因となった。 

 しかし、4月28日の総選挙でポデーモスは71あった議席を29失い、42議席となった。逆に、極右のVOXが初の議席獲得となり大きく躍進するという結果になった。 

 この背景には、本記事で報じた事実と、反体制主義で社会で恵まれない人たちの味方を政策を掲げて躍進したにもかかわらず、創設者の一人で委員長のパブロ・イグレシアスは1年程前に富裕者が住んでいる別荘地に高級住宅を購入したことが明らかになったことなども少なからず影を落としているだろう。(参照:「The Guardian」) 

 彼が高級住宅を購入した時に離党した議員も僅かだがいた。しかし、このとき、多くの議員は彼の行為に内心反対しながらも議席欲しさに黙っているという方を選んだようだ。しかし、議席を減らし閣外協力をしていた社会労働党との連立も過半数を切る結果となった今、同党の行方に暗雲が立ち込めていることは想像に難くない。 

<文/白石和幸> 

しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身
(記事引用)

佐久間正英からの提言(前編)~日本人が海外のバンドに勝てない理由、これからの戦い方
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2013年11月19日 07:24
音楽プロデューサー、佐久間正英さんがブログで書かれた文章で、ショックを受けたのが2012年6月自身のブログにつづった『音楽家が音楽を諦める時』だ。その投稿は、名プロデューサーの本音の告白として、内外で大きな反響と賛否両論を呼んだ。
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実際作品の制作予算が非常に少なくなり、かつて1500万の予算が普通だったのが、500万を切ってしまっている。「より良い音楽制作に挑めないのなら僕が音楽を続ける必然はあまり見あたらない」警鐘を鳴らした、あの時から1年半が経過した。
昨今はご自身の体調問題が大きく取り上げられた。今年同じく自身のブログで末期がんを公表。肝臓や脾臓にも転移している状況も発表し、9月には脳腫瘍の手術を受けたことも明らかにし、闘病生活を続けつつも、日常どおりプロデュースやライヴ活動なども精力的にこなしている。
そんな佐久間さんに改めてご自身の現状や、日本の音楽シーンの現状、そして自ら長きに渡る活動の中で感じとった海外の音楽との壁、そして日本の音楽シーンが今後進むべき道を伺った。

BOOWYの登場で日本のロックは海外と全く別物になってしまった
鈴木:僕らの世代からすると、今のバンドが殆ど海外の音楽からの影響を受けなくなっている。そこらへんの起因はどのようなものがあると思いますか?

佐久間:そうですね。僕もそのことがずっと不思議で、時代的にBOOWYの時代、日本のロックが主流になって以降ずっとそうで、確かに日本のロックと海外のロックは全く別物になってしまいました。

鈴木:BOOWYやミスチルの功罪というか、今若いバンドが影響を受けるのが大体この2バンドとかGLAY 、彼らはこれらのバンドのルーツを掘ることをしない。「どうして氷室さんが影響を受けたアーティストまでいかないのか?」広義でいうルーツミュージックに辿りつかなくなっている。

佐久間:情報が無かった故に見えた部分と、情報が多いから偏ってしまう、この両方があると思います。パンクならTHE BLUE HEARTSにしても、本人たちはブルーズの影響が根底にあって、たまたま日本語で歌ったらああいう歌になっただけで、後から影響を受けた世代が過剰に神様に祀り上げてしまっている部分もあるんじゃないでしょうかね。
日本のロックが海外の音と別になった背景について、知り合いには佐久間さんがA級戦犯だと言われまして(笑)。あともう一つ最近、北関東の田舎に住み始めて気づいたことなのですけど、日本特有のヤンキー文化の影響というのが大きい。ドメスティックなものになった理由や海外のものを取り入れない風土、あの独特の強さを強調する部分が、海外の感覚からずれちゃっている。こんなこと全然考えたことが無かったんですけど、最近になってよくよく考えると整合性がとれるんです。

鈴木:EXILEとかもその系譜に入りますよね。確かに海外のR&Bとはかなり違った形になっている。よく言われる「日本のヒップホップが上の世代にはちっともかっこよく聴こえない」というのも、僕らの世代的に70年代の日本語のロックはかっこよくないと言われた葛藤と全く同じ状況にあるような気もしますね。
ボブ・ディランが出て来て、1969年のウッドストックの時点で日本語がロックに合う、合わないという議論があって、実際はその頃から、日本のロックと海外の音は明らかに違って
いた。

四人囃子がピンク・フロイド、プラスチックスがトーキング・ヘッズになれなかった理由がある
佐久間:そういう意味では例えば自分がやっていた四人囃子がピンク・フロイドになれなかった理由、プラスチックスがB52’sやトーキング・へッズになれなかった明確な理由があるんじゃないかなと思っていて、最近になって、その乗り越えられない何かが「日本と向こうのモノを大きく隔てていた原因」じゃないかと考えるようになりました。

鈴木:それって何なのでしょうか?

佐久間:当事者としても実に難しいのですよ。プラスチックスの後期に、僕がB52sに入る、トーキングヘッズに入るということは出来たかもしれないけど、でもプラスチックスが彼らのようになれたか?というと絶対になれなかったと思うんです。実際、アメリカや欧州のニューウェーヴシーンで、プラスチックスはそれなりに人気もあったし成功もできたと思うけど、やり続けてもああはなれなかった筈です。彼らに比べると非常に脆弱というか、B52’sはメンバーが60歳を越えている今でも全米ツアーをやっているけど、プラスチックスがそこまで長くやる基本体力とか、悪い言い方をすると、そこまでバカになれないだろうと(笑)そんな差があると思うんです。四人囃子にしてもある時期はピンク・フロイドに引けをとらない演奏能力があったと思うけど、しかしあそこまで行けない弱さみたいなのがやはり抜けない。

鈴木:その反面YMOが世界的に成功した前例もある訳ですけど

佐久間:ただ、YMOに関しては、あくまで商業的なやり方であって、リアルタイムで見ていた立場だと、日本のレコード会社のお金を投資して、ライヴを成功させて名前出して、最終的に日本で成功してという。あくまで方法なのですけど、広義で世界的な成功というのとは少し違っていて、クラフトワーク級になれたか?といえばそうではない。
プラスチックスは本当に自力でアメリカに渡って、向こうのマネージメントとやっていてライヴも地元のファンで埋まって、その時期は日本で一切力を入れることが出来なかった、そこは違いではあると思います。

鈴木:それでも昔より遥かに日本の文化として理解されるようにはなったと思いますけど、
これからのバンドが海外で成功するには?術というのはありますか?

佐久間:文化といえば難しくなってしまうけど、今、結構向こうで成功している日本のバンドもいて、彼らはもの凄くインディペンデントな動きをして成功している気がするんですよね。逆に今、何らかのお金をかけ、売ろうと裏でやると無理な感じがする。本人達だけで自力で頑張ってアメリカツアーをこなしてやっていくと、可能性はあると思う
やはりレコード会社に頼ったら難しい、未だに無駄な制約みたいなことが多すぎて、ミュージシャンが自由に動けない点などは構造的な問題のような気がする。

海外デビューする日本のバンドが世界で成功するには? 日本のメーカーは国内だけやるべき
鈴木:あとレコード契約という意味では日本のメーカーは日本の国内だけでやって、海外は海外に任せた方がいいということですね。
構造的な問題といえば、今全世界でアナログ盤の売上げが30%以上上がっている、この現状も含めて「レコード・ストア・デイ・ジャパン」(*注)を昨年本格的にスタートしているのですが、この現象を新たな音楽文化として見据えるメーカーが殆どない。海外でアナログレコードが売れていることすら知らない人が現場に多いのが現状です。実際は日本でもレコード針の注文が年々、増えているという現実もあるのですが。多くのレコード会社は定額制=サブスクリプションの議論を未だにしている状態。ただ、聴き放題サービスもまだ海外の売上げ増収になるような成功が無いまま今日に至っている訳で、日本の場合、聴き側としても5000万曲用意したとしても、何を聴いていいか判らなくなるみたいな状況ですよね。

佐久間:普段、本を読まない人が大きな本屋に行って呆然とするみたいな感じですね。

鈴木:売れなくなってきた理由は聴き手が音楽文化から離れている、聴くべき音楽が無いという意見もあるし、ミュージックソムリエとしてはそれを断ち切りたいとは思っています。

エレキギターを超える革新は未だに生まれていない
佐久間:新しい音楽形態というのが生まれなくなってしまったのもあるでしょう。ロックも半世紀、大きな流れが変わったのだけど、その後がなくて、聴くべき音楽はビートルズ、ストーンズを聴いてれば全て済んじゃう。その延長を聴く必要もないので、新しい音楽の必然は薄れていく。それに昔と違ってネットで幾らでも古いものが自由に聴けるので、新しいものを聴く必然性が無く、新しいミュージシャンが例え育っていても、目の行きようがなく埋もれてしまうってこともあるかと思う。

鈴木:その意味ではボカロっていうのは新たな意味を見出す可能性はあると思うのですが?

佐久間:ボカロは自分でもやっていますけど、僕はまだ大きな可能性は感じてなくて、あくまで遊びの延長戦上なのかなと。ボカロがどんどん技術的に進んで行くと可能性はありますけど、今のように一社でやっている状態ではまだ駄目で、競合があって研ぎ澄まされて始めて技術として成功していくものだと思うし。やはりキャラクターを前面に出した形でやっている状況では、あくまでも遊び範疇で捉えられ、本当の音楽ツールとして使えるところまではまだまだ行かない。もっと人間の体をシュミュレートしてこういう体形でこういうサイズの女の人とかと、モデリングをして声を出しリアルタイムで動かせる、ここまで来ると使い道は変わってくるでしょう。あと別の道としては、医療分野というか、声を出せない人が歌えるようになるとか、そういう部分で期待しているのですが、まだ発展途上の状態から抜けられていない。ただ作家や音楽を楽しむ人たちにとっては「歌ってくれる娘が出来た」という意味では意味がありますが、あくまでその段階でしかないかなと思います。

鈴木:音的には2000年代のデジタルロック以降はほぼ音楽の進化は止まったと考えてもいいでしょうかね。

佐久間:私個人としてはエレキギター以降、新しいものは出ていないと思っています。シンセサイザーの登場もエポックメイキングではなくてギターのエフェクターが進化した位のレベルの話で、エレキギターの登場でバックボーンになったことのような変化に比べると小さい事。ポストエレキみたいなものがどうなっていくか?これは非常に難しくてマンマシン・インターフェイスという意味ではシンセはギターほど成功できてない。キーボードの形態から抜けられず、色々なものは試作されているけど現状の開発の歴史上は上手くいってない。僕も色々考えてみたけど、肉体的な衝動をどう具現化するか?というところでシンセはギターに適わないんですよ。画期的なやり方で音をコントロールするものが出てくれば、ひょっとしたら新しいものが生まれる切っ掛けになるかもしれないですけどね。

歌を修正することに抵抗はない ただそもそもの目的を忘れないで使えばいいと思う
鈴木:いい作品が出なくなっている現状を考えると、レコーディングに緊張感が無くなったというのは個人的に感じているところです。今はデータを飛ばしてスカイプで会話しながらレコーディングしたり、レコーディングスタジオで生まれるコミュニケーションが無くなったのも大きいかなと。

佐久間:僕は、その点についてはやりかた次第で道具が便利な方がいいと思う派ですね。ただ道具であるからちゃんと使えるものをちゃんと使う。便利になるとちゃんと追求する人が減ってしまう、たぶん先ほど話しに出たボカロとかもどこまでも追求すれば面白いだろうけど、そこまでやらなくても出来ちゃうんで、中々深いところまで行けない。

鈴木:逆にピッチとかはピッタシにならないと駄目みたいな風潮もあって、例えば今のK-popの制作現場だと、バラバラのサウンドを日本のエンジニアがタイミングやらピッチやらを細部まで丁寧に直して、それをアメリカでトラックダウンして製品化するという工程で、僕はこれはとても音楽を作る作業とは思えないんですが。

佐久間:僕は余り抵抗ないんですよ。それも一つのやり方でいいし、逆に直さない音楽もいいと思うし。僕の場合、70年代からアイドルの歌を直すのもやっている部分もあるからかもしれないけど。ピッチを直すのは、音楽的な矛盾を排除する作業で、やり方によっては、詰まらない音に聞こえることもあるし、凄くいい音になることもある。
そもそも何で直すかというと、歌い手のエモーションを残したいというのもあり、たまたまその録音で部分的に音程が外れたから直せばいいじゃんという発想で、そもそもの目的を皆が忘れないで使えばいいと思うんです。

リンク先を見る佐久間正英 (さくま まさひで)

1952年3月:東京都文京区生まれ。
都立西高に在学中のキーボード奏者茂木由多加(後に四人囃子等)と知り合う。和光大学在学中にフォーク・グループ「ノアの箱船」を茂木由多加、下幸子と結成。その後メンバーの変遷を経て1971年「万華鏡」結成。1973年:Kb.茂木由多加、Dr.宇都宮カズ(後に高橋直人が参加)とキーボード・トリオ「MythTouch」結成。ギターからベースへ転向。四人囃子、安全バンド等と共に”浦和ロックンロール・センター”を拠点として活動。1975年:和光大学卒業後、「四人囃子」にベーシストとして参加。以後作・編曲家、スタジオ・ミュージシャンとしてのインディペンデントな活動を開始。1978年:「Plastics」に参加。「P-Model」の1st Album「In A Model Room」をプロデュース。「The Plastics」イギリス、ラフトレードよりデビュー。1980年:「Plastics」ワールド・ツァー開始。同時期よりCM音楽作曲、アイドル・ポップスの作・編曲、映画音楽等を手掛け始める。1984年:初Solo Album「Lisa」(果樹園のリサ)リリース。1985年:「Boowy」「The Street Sliders」のプロデュース。同時期よりプロデューサーとしての活動が多数増え現在に至る。

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鈴木健士 (すずきけんじ)
1961年東京都出身。マネージャーや国内海外での制作を経験。退職後、CM音楽制作会社へ。20代で社長になり社名をミュータントとして新規スタート。CM音楽制作のほかアーティストプロデュースやアーティストマネージメントも行う。扱った音楽制作は3000作品以上。任天堂ピクミン「愛のうた」エースコックスーパーカップのザ・タイマーズ「デイドリームビリーバー」など様々なCMタイアップなど手がける。林明日香プロデューサーとして、デビュー曲「ake-kaze」の作詞など多くの作詞作品も提供。2007年、NPO法人ミュージックソムリエ協会を設立。理事長に就任。「CDショップ大賞」の立ち上げから運営、RECORD STORE DAY JAPANの事務局運営、Music Sommelier at CAYのイベント運営、ミュージックソムリエの育成講座を実施している。
(記事引用)







埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年(明治42年)12月19日 - 1997年(平成9年)2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名般若 豊(はんにゃ ゆたか)
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来歴・人物
台湾の新竹に生まれる。子供の頃から身体が弱く、常に死を身近に感じていたという。子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えていた。

青年期に思想家マックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体「全農全会派」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりのため1932年に逮捕された。検挙後埴谷は未決囚として豊多摩刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放された。

獄中ではカント、ドストエフスキーから圧倒的な影響を受けたという(ロシア文学については早くから影響を受け思索を強めていたものの、この時期を経てドストエフスキーを第一に挙げるようになり、実際に多くのドストエフスキー論を著している)。出獄後は経済雑誌の編集に携わり、敗戦を迎えた。元マルクス主義者、主義からの転向者と呼ばれることが多いが、シュティルナーの「創造的虚無」を自己の思考の根底に据えることは、終生変わることがなかった。

代表作は、存在の秘密や大宇宙について語りつくさんとし、第一章が『近代文学』創刊号(昭和20年12月30日付)に掲載された大長篇小説『死靈(しれい)』。全12章予定で未完作となったが幾度かの空白を挟み書き続け、死の直前まで第9章までを書き継いだ。ほぼ全編を、物語でなく観念的議論によって進行する世界文学史においても未曾有の形而上学的思弁小説であり、この一作で比類ない評価を受けた。他に埴谷自身が決定的な影響を受けたドストエフスキー論が著名。

埴谷の没した日には、有志によって「アンドロメダ忌」という記念会が催されている。

経歴

評価・批判
埴谷雄高研究者としては、立石伯、柘植光彦、白川正芳、川西政明、鹿島徹らが一般的に著名。

埴谷を尊敬する支持者には、立花隆や北杜夫がいた。立花は著書の中で、60年安保世代の大学生にとって埴谷は神様のような存在だったと述懐している。そのため初めて埴谷に会う際には、ひじょうに緊張したとのことである。また、埴谷は、新人作家の発見や紹介推薦に優れた力を発揮したことで知られる。無名時代の安部公房の才能を、石川淳とともに見出して文壇に推したのは埴谷である。それ以外にも、高橋和巳、辻邦生、倉橋由美子、北杜夫、加賀乙彦などの新人作家の才能を発見して育成している。

一般的には批評や創作自体の評価よりも(そもそも創作自体が非常に寡作であるが)「『死靈』の作者」との認識が強く、また実際に『死靈』自体の評価は非常に高いのだが、それ以外は今日あまり顧みられていないのが現状である。しかし往時は新左翼系の読者までも多く抱え、独自の視点から(例えば鶴見俊輔は埴谷を「国家の形と見あう一定の型」からはずれている、と評した)の提言に対する評価は高かった。

三島由紀夫は「埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した」として埴谷の文学を絶賛している。また吉本隆明は、埴谷の文学作品と政治理論の双方を非常に高く評価し、「死霊」第五章を、「死というものを瞬間的にでなく、段階的・思索的にとらえた日本近代文学史上はじめての作品」とし、またその政治理論についても「革命家は行動を起こさなければいけないという観念論ではなく、未来のビジョンを示せばよいということを示したコペルニクス的回転である」とした。なお吉本・埴谷の両者は、後述のように1980年代に関係が断絶してしまうが、両者ともに相手を本質的に評価しつづける姿勢は関係断絶後も不変で、埴谷の死後の『群像』の追悼特集で、吉本は埴谷を、日本史上稀有の文学者であり思想家であったと追悼している。文学者以外からの評価も高く、たとえば池田晶子は埴谷の作品の哲学的センスを哲学専門家の立場から大きく認めている。

これに対し蓮實重彦は、「学生運動ほか」をめぐる座談で、埴谷について結局のところ人間関係しか残らない程度の作業しかしておらず、「なにが偉いのかまったくわからない」と埴谷を断じた。なおこの座談の参加者であった上野昂志・スガ秀実もおおむね蓮實の批判に同意している[5]。これに対して立花隆は、埴谷に対する評価のヒドさを批判するとともに、蓮實が鶴見俊輔をバカ扱いしていることも、同時に批判した。埴谷を否定する人間には右派が多いが、その右派の江藤淳は、埴谷の「死霊」を、「読んでいてところどころ眠くなる作品」として、埴谷の存在を「昭和10年代左翼の延長」としてとらえるべきだ、と否定的見解を示している。柄谷行人も、埴谷の思考の徹底性を認めつつも、全体的には埴谷の存在に批判的な論考を多く記している。

全共闘から右派リバタリアンに転向した笠井潔は、埴谷についてカントの影響を受けたと自称しているが実際は埴谷は獄中で徹底したヘーゲル主義者に転じたと考えられるとしている。埴谷の思考スタイルは、20世紀的現実の制約を受けていないぶん、「マルクス主義よりさらに危険なもの」であると笠井はいう。 

吉本隆明は、大江健三郎・中野孝次・晩年の埴谷雄高など左翼はずっと「戦争はダメ」「自分たちは平和主義者」と主張してきたが、それは「戦争自体がダメ」という観点とはまるで違い、そのことでいえば大江・中野・埴谷は全て落第と評価している。大江・中野・埴谷がやった反核運動で主張したことは、アメリカの核はダメだが、ソ連の核はオーケーだという考え方だという。大江・中野・埴谷は「戦争はダメ」「平和を守れ」と主張するが、戦争になれば、それまでの主張は忘れて、戦争を革命の絶好の好機と考え方を変えるに決まっている、と評している。

(資料ウイキペディア)












「地球平面説」を信じる人が急増している その要因は......
2019年2月26日 17時30分 ニューズウィーク日本版

<近年、急に「地球平面説」の主張やメッセージが広く拡散し、より多くの関心を集めている......>

「地球は球体ではなく平面である」とする地球平面説は、16世紀にマゼランが世界で初めて地球を周航し、地球が球体であることを証明した後も一部の人々に支持されてきた。とりわけ近年、ソーシャルメディアネットワークなどを介して地球平面説の主張やメッセージが広く拡散し、より多くの関心を集めているようだ。

特定のキーワードでの検索回数をグラフ化するグーグルの無料ツール「グーグルトレンド」を使って「Flat Earth(地球平面)」の検索回数の推移を調べてみると、2015年以降、急激に増加していることがわかる。

matuoka0226b.pngGoogle Trendsから

「2年前まで地球が平面だとは考えていなかったが......」
米テキサス工科大学のアシュリー・ランドラム准教授は、2017年11月に米ノースカロライナ州で開催された「第一回地球平面国際会議」と2018年11月に米コロラド州で開催された「第二回地球平面国際会議」で参加者30名にインタビュー調査を実施し、2019年2月17日、アメリカ科学振興協会(AAAS)の年次総会でその調査結果を発表した。

英紙ガーディアンの報道によると、インタビュー対象者のうち29名は「2年前まで地球が平面だとは考えていなかったが、ユーチューブで地球平面説を唱える動画を閲覧して考えが変わった」と回答。残りの1名はユーチューブで動画を見た娘夫婦の話に影響を受けたという。

推奨対象から除外していくというユーチューブの方針
ユーチューブ上で公開されている動画には有益な情報も数多くあるが、誤報や流言も少なくない。ランドラム准教授は、ユーチューブが明らかに誤ったことをしているとは考えていないものの、既存のアルゴリズムには改善の余地があるとの見方を示している。

また、玉石混淆の様々な情報が大量に溢れる現代社会において「人々は、与えられる情報に対して厳しい目を持つべきだが、これにはバランスも必要だ」と説いている。

ユーチューブでは、2019年1月25日、公式ブログにおいて、地球平面説を主張する動画など、ユーザーに誤った情報を与えかねないコンテンツを推奨対象から除外していく方針を明らかにしている。

米国の専門家や審査員の協力を得て機械学習をベースとするレコメンドシステムを改善し、まずは米国の動画の一部に実装した後、精度が高まった段階で他の国々にも展開していく計画だ。



The Guardian-Flat Earth rising: meet the people casting aside 2,500 years of science
(
Guardian-Flat Earth上昇:2500年の科学を捨てて人々と出会う)
松岡由希子


(記事引用)






 世界を救うキャンペーン
 2019年02月21日 10:31 日本財団
まだ見ぬ社会課題を見つけるために 日本財団がTwitterで世界を救うアイデアを求めた理由

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インターネットテレビ局・AbemaTVで、社会課題を解決するための番組『10億円会議 supported by 日本財団』が1月15日より放送されている。番組では、応募されたアイデアに対し出演者が合否を判定、合格した場合、日本財団から資金提供の機会を得ることができる。番組を通じて日本財団が拠出する可能性がある総予算はタイトルにもとづき10億円。ここから応募者が資金を獲得していくという。
これにあわせ、同番組をサポートする日本財団は2月1日から『10億円会議キャンペーン』をスタート、Twitterで社会課題を解決するアイデアの投稿を促している。投稿時にハッシュタグ「#にっぽんざいだん」をつけることで、キャンペーンアカウントからリアクションも受けられることも。
「多くの人に社会課題について考えて欲しい」と語る日本財団経営企画部の花岡隼人氏に、本キャンペーンの狙いを聞いた。

日本財団経営企画部の花岡隼人氏 今回の番組を担当する
予算「10億円」の番組で、日本財団の審査を疑似体験
—— 「10億円」という莫大な資金を投入した番組となりましたが、きっかけはなんだったのでしょうか
花岡隼人氏(以下、花岡):日本財団とAbemaTVさんで話をしていくなかで、「日本財団の資金を提供してもらえるのは限られた人なんじゃないか」という話があったんです。もちろん、そんなことはないのですが、一般の方には日本財団という存在が社会課題を解決していることすら知られていないのも事実です。
そこで、日本財団を知っていただき、社会課題を解決するアイデアを募集する新たな取り組みとして、社会の課題を解決する番組をAbemaTVさんと企画しました。
——番組でおこなわれる審査の内容は実際のものに近いのでしょうか
花岡:当財団ではご提案いただいた事業に対し、様々な角度からヒアリングをおこなっていきます。今回の番組中でもMCのデーモン閣下をはじめ、5名の審査員の方から鋭い質問が次々と投げかけられており、日本財団の審査を疑似体験してもらうことはできると考えています。
AbemaTV『10億円会議 supported by 日本財団』出演者はデーモン小暮閣下をはじめ、個性的な面々が揃う ©AbemaTV
Twitterキャンペーンを社会課題について多くの人が発信するきっかけに
——今回は番組と同時にTwitterで「#にっぽんざいだん」というハッシュタグを付けての投稿を促していますね
花岡:我々に事業をご提案いただくNPOや社会福祉法人の方は、社会課題に近い場所にいるので、専門的な知見や独自のアイデアを持っています。しかし、そうではない一般の方たちも日頃感じられている問題や、それを解決するためのアイデアが一つや二つあるはずです。そういった方たちにも、まず何かひとつアイデアを発言してほしいと思っています。
普段、「社会課題を解決しよう」なんてランチをしながら話したりはしないですよね。でも、Twitterのこのキャンペーンに乗っかることで、普段話さないようなことも言えるかもしれない。実際に日本財団に申請しようと思うと、申請書や事業計画書を整えるなど、手続きだけでもなかなか大変ですが、その1歩、2歩手前の行動としてTwitterで発信してもらいたいと思っています。
——例えば日本財団では、どのような分野に注力されているのでしょうか
花岡:ひとつは、子どもに関する分野です。日本財団は子どもの貧困問題や難病児支援、社会的養護出身者の支援など、子どもに関するさまざまな支援を実施しています。ご存じのとおり、日本は超高齢社会に近づいており、若年層や子どもを取り巻く課題に予算を振り向ける議論が後回しになりがちです。我々はそういう課題を政策アジェンダにしていくために、活動を続けています。
し子どもの貧困について気になっていて、何か解決したいと思っていても、親同士でそういった会話をするのは難しいと思います。そんな方にTwitterでつぶやいていただいて、何か反応があって、という経験をしてもらいたいですね。
社会課題について「まずは発信すること」が重要だという
「お金が団体を潰してしまう」ことも 一筋縄ではいかない助成の現実
——日本財団はこれまでも多くの団体に支援をしてきたと思いますが、与えられた資金をうまく使うことも難しいように思います
花岡:よくあるケースとして、大きな金額を助成すると、それを使うのにいっぱいいっぱいになってしまうということがあります。やはり、ポンと渡されたお金をどう使うかというのは難しいんですね。団体の中でお金の分配についての議論ばかりが行われてしまうこともあり、結果として「お金が団体を潰してしまう」という事例もあります。
一方で、成長過程にある団体が、お金を上手く使うことで伸びていくケースもあります。子どもの貧困や教育格差の解消に取り組むLearning for Allという団体には日本財団からも大きな助成をさせていただきましたが、最近、別の企業からも資金を獲得したそうです。
Learning for Allのように、日本財団からの資金を踏み台にして次のステージに進み、団体自身が新たな寄付を集められるようになれば、助成に成功したケースと言えるのではないでしょうか。
——日本財団からの支援を、NPO等が自立に繋げていくことが重要ですね
花岡:普段活動されている団体からの目線だと、どうしても足りないものは「資金」に見えがちですが、本当に必要なのは資金ではなく事業戦略だったということが多々あります。
こうした視点がないと、社会活動に対して支援しても、やりっぱなしになってしまう。確かに目の前の人は救われているんですが、その人達がどう救われたのか、その人達が次にどうしていくのか、それがないゆえに砂場に水を撒くような支援になってしまいます。
そうすると結局、日本財団の助成金が終わったときに活動が途切れてしまうんですね。こうしたケースに鑑みて、資金以外の面でも支援が必要だと我々も感じています。
花岡氏によると、近年、社会課題の解決に乗り出す私企業も多いそうだ
設立から56年 「相談するなら日本財団」と思ってもらえる団体を目指す
——今回番組やキャンペーンで、そういった部分の改善に期待していることは
花岡:結果的に変わるかもしれないと感じているのは「世間の目にさらされる」という点です。日本財団の助成事業は、日本財団と助成先のコミュニケーションに留まりがちで、一般の方に個別に関心を持っていただきづらいという性質があります
もちろん、公金を扱っているので、説明責任を果たすための情報発信はお願いしていますが、団体独自の発信力の域を出ることはありません。今回は「10億円会議」という番組で合格になった方が資金提供を受けるので、その後も「そういえばあの人はどうなった?」と世間に追いかけられる可能性があります。そういった外からの視線があることで、襟を正すことにつながりますし、さらに新たな資金を得られるかもしれない、その点は期待を持っています。
——日本財団として、支援する側の課題はありますか
花岡:やはり、日本財団自体が社会課題の解決を目指しているということをご存じない方が多いので、その点を多くの方にご理解いただいて、新たな人たちと一緒にやっていきたいと思っています。
1962年に前身の日本船舶振興会が発足してから56年間、海洋分野から福祉分野まで、日本財団はさまざまな分野の支援をおこなっています。ボートレースの収益金という公金を使いながら、社会において誰もまだ手を付けてない分野にスピード感を持って資金を提供していくというのが、我々の強みです。
今回のTwitterキャンペーンを通じて、忘れられている課題や、世間で課題とされているものの別の側面にスポットライトを当てることのできる方に出てきてほしいですし、そういう方に「相談するなら日本財団」と思ってもらいたいですね。
関連リンク BLOGOS編集部PR企画 
(記事引用)











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