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「戦争と武力紛争の兵器」としての性暴力――ナディア・ムラド氏自伝『THE LAST GIRL』 - 末近浩太 / 中東地域研究
2018年12月06日 15:54
記事 SYNODOS https://synodos.jp/international/22340
今年度のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド氏の自伝、『THE LAST GIRL:イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語』(ジェナ・クラジェスキとの共著、吉井智津訳、東洋館出版社、2018年)が刊行された。イラク出身のムラド氏は、2014年8月、故郷のコーチョ村で過激派組織「イラクとシリアのイスラーム国(ISIS)」の戦闘員たちに捕えられ「奴隷」にされた。

ISISの戦闘員たちは、ムラド氏らヤズィディ教徒(後述)にイスラームへの改宗を強要した。それを拒否した男性や老人は虐殺され、若い女性たちは「奴隷」として売買された。改宗を拒んだ彼女は、その「奴隷」の1人として、ISISの実効支配地域のなかでわずかな金銭で繰り返し取引され、戦闘員たちによる壮絶な性暴力の被害を受けた。

同年11月、彼女は、監禁場所のあったイラクのモスルを脱出することに成功、ある家族の支援によってクルド人地域の難民キャンプにたどり着き、その後、ドイツで保護されることとなった。

それからのムラド氏は、人権活動家としての活動を開始する。自身の体験を語ることを通して、ISISによる凄惨な暴力の実態を全世界に伝え、また、自分と同じようにISISに捕えられた人びとの解放を訴えた。

最近、ジャーナリストの紛争地への渡航の是非が再び論議を呼んでいるが、いかなる立場をとるにせよ、確かなことは、「誰かが伝えなければ伝わることはない」という単純な事実であろう。

ムラド氏にとって、性暴力の被害者である自身の体験を語ることは、筆舌に尽くしがたい苦しみと困難をともなうものである。しかし、それでもなお、彼女は、文字通り自分の身を挺して、全世界に向けて紛争地における性暴力の根絶を訴え続けた。もし、彼女の訴えがなければ、国際社会によるイラクやシリアのISISへの対応はもっと鈍いものになったかもしれない。

こうした勇気ある活動が高く評価され、このたびのノーベル平和賞の受賞となったのである。受賞の理由は、「戦争と武力紛争の兵器として用いられる性暴力を終結させるための努力に対して」であり、性暴力被害に遭った人びとの治療に尽力してきたコンゴ民主共和国の医師デニ・ムクウェゲ氏との同時受賞となった。

なお、ムラド氏は、ノーベル平和賞に先駆けて、2016年にはヴァーツラフ・ハヴェル人権賞とサハロフ賞も受賞している。

ISISにとってのヤズィディ教徒
なぜ、ISISは、ヤズィディ教徒に対してかくも凄惨な暴力を振るったのだろうか。そこには、どのような論理があるのだろうか。

ISISは、過激派と呼ばれるが、思想的に見れば、イスラーム主義の一種である。イスラーム主義とは、イスラームの教えに基づく社会変革や国家建設を目標とする政治的イデオロギーである。ただし、ISISは、この目標を暴力でもって実現しようとしたこと、そして、その根拠となる「イスラームの教え」を恣意的かつ極端なかたちで解釈したことを特徴とする。言い換えれば、暴力と不寛容がISISの特徴であり、それこそが過激派たるゆえんであった。

ISISは、恣意的かつ極端なかたちで解釈した「イスラームの教え」を振りかざし、そこから逸脱するものを徹底的に否定した。ムラド氏が信仰するヤズィディ教も、その1つであった。

ヤズィディ教とは、イラク北部のクルド人地域を中心に奉じられている民族宗教(原則、他宗教の信者が入信することはできない)である。世界を司る孔雀天使の崇拝と輪廻転生の死生観を特徴としており、そのルーツはミトラ教やゾロアスター教にあると言われているが、実際には、キリスト教、ユダヤ教、イスラームといった一神教の影響も受けているとされる。教典を持たずその教義は口承によって伝えられてきており、信者は太陽に向かって礼拝する。

イスラーム教徒が人口の大半を占める今日のイラクにおいて、ヤズィディ教徒は紛れもなく宗教的なマイノリティであり、ムラド氏自身も、その信者の数は「世界全体でも100万人ほどしかいない」(p. 20)と述べている。

ISISは、ヤズィディ教徒を「不信仰者」や「悪魔崇拝者」として殲滅すべき者たちと考えていた。2014年10月にインターネット上で流布されたISISの機関誌『ダービク』第4号の特集「奴隷制の復活」では、ヤズィディ教徒を「奴隷」とすることがイスラーム法的に「合法」であるとの見解が示され、特に女性の「奴隷」の扱いについて詳細な「ルール」が設定された。そこでは、ヤズィディ教徒はイスラーム教徒ではないため、単なる所有物として(結婚することなしに)性行為が可能であること、複数人を所有することが可能であること、売買が自由であることなどが示された。

ムラド氏は、その「奴隷」の1人として、捕らえられてから脱出するまでの約3ヶ月のあいだにも何度も売買され、そのたびにISISの戦闘員たちによる凄惨な性暴力を受けた。彼女は、その「奴隷」を指す「サビーヤ」というアラビア語は「はじめて聞く言葉だった」と述べている(p. 169)。ISIS以前のイラクでは、少なくとも、彼女の暮らしていた地域では、「奴隷」など言葉としても存在していなかったのだろう。

「戦争と武力紛争の兵器」としての性暴力
こうしたISISによるヤズィディ教徒への暴力については、眉をひそめるイスラーム教徒が多い。いや、むしろ、世界中のほとんどすべてのイスラーム教徒がISISの振りかざす独自のイスラーム解釈を認めていない、というのが実情であろう。

しかし、それゆえに、ムラド氏が告発した凄惨な性暴力の実態が、ISISという狂信的で異常な集団による「特殊なもの」として見られがちとなる。あるいは、中東以外に暮らす人びとには、そもそもイラクやシリアで続く政治的混乱自体が「特殊なもの」に見える場合もあるだろう。

ムラド氏が人権活動家となった背景には、自身がISISによる性暴力の被害者であるという「当事者性」が横たわる(ただし、彼女が自ら望んでそうなったわけではないことは、繰り返し強調しておかなければならない)。そのため、彼女の活動に関する報道では、「ISISの性奴隷」といった表現がしばしば用いられてきた。

ここには、世界を震撼させた「ISIS」と世界には存在してはならない「性奴隷」という2つのセンセーショナルな言葉が含まれており、結果として、多くの人びとの関心を集めてきた半面、彼女の発するメッセージが持つ普遍性をスポイルしてきたように思う。

すなわち、「戦争と武力紛争の兵器として用いられる性暴力」がISIS実効支配下のイラクやシリアの地でしか起こりえない「特殊なもの」であるかのような印象を助長してしまうのである(その意味では、筆者のような中東を対象とする地域研究者がムラド氏を語ること自体に、ジレンマや葛藤がつきまとう)。

だが、ムラド氏が訴えているのは、イラクやISISに限定されない、紛争地一般で発生し続けている性暴力の撲滅である。自伝のタイトルである『THE LAST GIRL』 には、彼女自身こそがこうした性暴力の最後の被害者となる、つまり、これ以上の性暴力の拡大を許さない、という強い意思が込められている。

ムラド氏は、上述のISISの機関誌『ダービク』における「奴隷」に関する記述について、「ISISはその構成員らが思っているほど独創的なわけではない。レイプが戦争の武器として使われるのは、歴史上これがはじめてのことではないのだから」と述べている(p. 192)。

2016年9月、彼女は、人身売買の被害者らの尊厳を訴える国連親善大使に就いた。そして、世界各地の紛争で起こっている性暴力が「戦争と武力紛争の兵器」として用いられていることをあらためて強く非難し、その根絶を訴えた。

ムラド氏のメッセージが持つ普遍性
私たちは、ムラド氏のメッセージを「特殊なもの」に矮小化せず、その普遍性を持つものとして受け止めなければならない。「ISISの性奴隷」といったセンセーショナルな話題として消費され尽くすことを避けるためだけではない。米国や欧州をはじめとする世界各国で伸張しつつある反イスラーム感情や移民・難民を敵視する排外主義に簡単に利用されてしまうことを防ぐことにもつながるからである。

2014年に同じくノーベル平和賞を受賞したパキスタン出身の人権活動家マララ・ユースフザイ氏(中学校からの下校途中にパキスタン・ターリバーン運動による銃撃を受け瀕死の重傷を負った)がそうであったように、過激派による暴力の被害者は、イスラームを嫌悪・敵視する人びとによって利用されてしまうことがある。

そうした人びとは、イスラームという宗教の「残虐性」や「野蛮さ」を示すために、過激派による暴力の被害者を「証拠」として利用する。特に、ムラド氏は(ユースフザイ氏の場合とは異なり)イスラーム教徒ではなかったため、「イスラームが他宗教に対して敵意を抱いている」「イスラームは他宗教と共存不可能である」といった言説やヘイトスピーチに利用されかねない。

ムラド氏のメッセージは(そして、マララ氏のそれも同様に)、特定の宗教や国に限定されるものではない。仮にそれを特定の宗教や国を貶めるためや、自分と他者を峻別するためだけに利用してしまえば、それはもはやISISによるヤズィディ教徒への差別と暴力の論理と変わらないものとなってしまう。そして、新たな差別と暴力の被害者が生まれることになる。

ムラド氏が親善大使を務めている国連による報告書(2018年4月)を見てみると、「確認できる(verifiable)情報がある」ケースに限ってみても、「紛争地における性暴力」が問題となっている国の数は19にも上っている。そして、その行為主体のほとんどすべてが非政府主体であり、その内訳を見ても、ISISのような過激派やイスラーム主義を掲げる組織・団体に限られているわけではなく、宗教もイデオロギーも多種多様である。

2018年10月5日、ノーベル平和賞の受賞が決まった日、彼女はロイター通信のインタビューに対して、次のように述べている。

「この賞を、すべてのヤズィディ教徒、イラク人、クルド人、すべてのマイノリティ、そして、世界中のすべての性暴力に遭った人びとと共有する。」


ムラド氏の自伝は、彼女自身の個人的な体験に紙幅のほとんどがさかれている。そして、読者は、その過酷な体験に胸が潰れるような思いを抱くだろう。しかし、どれだけ感情を揺さぶられても、苦しみと困難をともなう語りを通して発せられる彼女のメッセージが持つ普遍性をしっかりと受け止める必要がある。

末近浩太(すえちか・こうた)
中東地域研究 / イスラーム政治思想・運動研究
中東地域研究、イスラーム政治思想・運動研究。1973年名古屋市生まれ。横浜市立大学文理学部、英国ダーラム大学中東・イスラーム研究センター修士課程修了、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫制博士課程修了。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在立命館大学国際関係学部教授。この間に、英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジ研究員、京都大学地域研究統合情報センター客員准教授、、英国ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(SOAS)ロンドン中東研究所研究員を歴任。著作に、『現代シリアの国家変容とイスラーム』(ナカニシヤ出版、2005年)、『現代シリア・レバノンの政治構造』(岩波書店、2009年、青山弘之との共著)、『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』(名古屋大学出版会、2013年)、『比較政治学の考え方』(有斐閣、2016年、久保慶一・高橋百合子との共著)、『イスラーム主義:もう一つの近代を構想する』(岩波新書、2018年)がある。
(記事引用)

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読み書き、そろばんはすでに「死語」か
それはおどしのようにも取れるしまた、それは実際ホンとなんだろうと疑心暗鬼になるが。

そこではたと考えたが、「読み書き」の必須とは何か、を考えるとまず少し前のリテラシーとして「新聞」を読むこと、じゃなかったか。

いま新聞は読まない。

ソロバンで計算はしない、電卓だ。

ニュースは何から取得する、スマホ端末で、暇があればゲームして音楽聴いたり、とか。

会話とか人とのコミニケーションはsnsで「いいね」してもっぱらで会話しない。面倒だし相手が誰だかわからないし。

恋人??? それが同姓だった場合社会的に排他的に除外される。

普通の結婚でもセックスがしたくないし子供もそだてられないし、生活に余裕ないし国もあてにならないから。

若者からそんな返事が帰ってきたら、読み書き電卓も必要ないし、そのうちAIが全部請け負ってくれるので心配ない。

それを誰がしたって、戦後の世界経済を作った人たちが全部やってくれたし、私たち、何もしてない。

これを訳して自己責任、自業自得という。

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言ってはいけない!「日本人の3分の1は日本語が読めない」
2019年2月16日 11時0分 文春オンライン
OECDによる国際調査で「先進国の成人の半分が簡単な文章を読めない」という衝撃の結果が明らかになった。人間社会のタブーを暴いた『もっと言ってはいけない』の著者が知能格差が経済格差に直結する知識社会が、いま直面しつつある危機に警鐘を鳴らす。

以下削除 ◆◆◆



これを記事としてネットにアップする見識を疑う
便所の落書き記事と誹謗されても弁明できない。


父と入浴する23歳アイドル 中居正広は尊重「100個の家庭あれば100個のルールある」
スポニチアネックス 2019年2月12日 12時51分
 タレントの中居正広(46)が11日放送のTBS「中居くん決めて!」(月曜後11・56)に出演。23歳の今でも父や兄と一緒に入浴しているというアイドルに対して送った愛あるメッセージに、共演者がうなる場面があった。

 この日、相談者としてアイドルの北見直美が登場。23歳の現在も父や兄と一緒に入浴しているが「止めるべきか、続けるべきか」悩んでいるという。

 そもそも、なぜ一緒に風呂に入っているのか。「家族みんなが1時間近く風呂に入るので、時間がかかってしまう」といい、誰かが入浴していても、入っていくと説明。友人から「お父さんやお兄さんと何かあるんじゃないの?」と冷ややかな目を向けられているが、風呂場が一家団らんのための大事な空間であるとし「お父さんにとっても大事な場所。急にやめたら悲しむんじゃないかと思うし、お父さんの気持ちを考えたらやめない方がいいのかなとも思う」と、率直な思いを吐露した。

 当初は「あまり見たことがない」と驚きの声を上げていた中居だが、それでも最後は「今まで通り、一緒に入ってよろしいんじゃないでしょうか」と結論。続けて「100個の家庭があったら、100個のルールがあって、100個の掟(おきて)があるわけですから、その家族のルールを、他の家族と比べる必要はない。100個正解があると思うし、(入浴を続けても)いいんじゃないですか」と語りかけた。

 共演者でも意見が割れていたが、最後に中居が「うらやましいところもありますもん」と家族愛を尊重すると、共演者たちもうなずいていた。


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ttps://news.infoseek.co.jp/article/sponichin_20190212_0094/ 2019/2/12記録









暗号名「チューブ・アロイズ」~秘められたチャーチルの戦略
2019年1月27日(日)
▽BS1スペシャル 午後10時00分(110分)www.nhk.or.jp
NHKスタッフ
取材のきっかけは2014年のNHKスペシャル「知られざる衝撃波~長崎原爆・マッハステムの脅威~」を制作したことでした。日本のどの都市に原爆を投下するかを策定する「目標検討委員会」、その実態を調べていると一人のイギリス人科学者が「原爆被害の甚大さを世界に伝える」という任務を担っていたことに目がとまりました。
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「イギリスがなぜ原爆開発に関わっていたのか? この任務は何のために?」早速、英国立公文書館をリサーチしました。すると暗号名で「チューブ・アロイズ」と記された、イギリスの原爆開発の記録が公開されたばかりでした。(2012年公開)・・・しかし、資料は暗号や専門的な用語がずらり。研究者と解読や検証を続け、5年越しでようやく番組化することができました。

チャーチルがなぜ、原爆を必要としたのか?原爆投下にどのように関わったのか?
それを、第二次世界大戦の激変する戦局を追体験しながらお伝えできるよう、イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、デンマークでの長期取材を実行。各国の貴重な映像や最新研究を交えながら、「チューブ・アロイズ」計画の全容を紐解くことを目指しました。

なかでも、チャーチルとソ連を率いるスターリンとの原爆をめぐる攻防にご注目ください。

チャーチルは、ソ連の急速な台頭を恐れ、原爆を手にすることが戦後のパワーバランスを左右すると見据えていました。当時のイギリスの原爆開発の状況を語ってくれるのは、アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」に関わった科学者です。撮影の2ヶ月後の去年12月、93歳で亡くなられ最後の証言となりました。
一方、ソ連はイギリスへとスパイ網を広げ、原爆情報を盗み取る諜報戦を行っていましたが、その詳細は謎に包まれてきました。しかし今回、その内幕を知る元KGB将校と接触ができました。彼がソ連崩壊後、国外に持ち出した機密資料に書かれていたこととは?
米英ソという大国の駆け引きや思惑が、日本への原爆投下と深く結びついているーー複雑な国際政治と外交の舞台裏を映像化できるよう努めました。
(番組ディレクター 夫馬直実)
NHKスペシャル 知られざる衝撃波~長崎原爆・マッハステムの脅威~

(記事引用)

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ウイキペディア~
チューブ・アロイズ(英:Tube Alloys)は、第二次世界大戦中のイギリスの核兵器開発計画のコードネームである。英米の高官の間で核兵器開発の可能性を高レベルの秘密として管理していた際に、このコードネームが使用された。チューブ・アロイズは最初の核兵器開発プロジェクトで、その後アメリカのマンハッタン計画に引き継がれた。この計画の元はフランスとドイツにあった。

ドイツのオットー・ハーンとスウェーデンに亡命していたリーゼ・マイトナーは1938年にウラニウムにおける核分裂を報告した。
1939年パリのコレージュ・ド・フランスの科学者のグループ、フレデリック・ジョリオ=キュリー、ハンス・フォン・ハルバン、レフ・コワルスキー、フランシス・ペランはウランの原子核で発生する核分裂を発表し、2つか3つの中性子が必要であることを示した。この重要な発見は自然と維持される連鎖反応が可能であると言うことを示していた。これは即座に多数の科学者に、非常に強力な爆弾「原子爆弾」が理論的に作成可能であることを想像させた。しかし、ほとんどの科学者はその様な原理的な爆弾は不可能であると考えていた。

パリのグループのフランシス・ペランは連鎖反応を維持するために必要な最小限度のウランの量である「臨界量」(critical mass)を定義した。しかし、自然のウランは核分裂により生じた高速中性子を減速するための減速材なしでは連鎖反応を維持することができないことも発見した。

1940年初め、パリのグループは重水が理想的な減速材であるという理論的背景を固めた。彼らは、フランス軍需相にノルウェーのヴェモークにある大きな水力発電所からどれだけの重水を得ることが可能か問い合わせた。フランスはノルウェーの重水の全在庫をドイツが購入する注文を行っていたことを発見した。これは、ドイツも原爆の開発を行っていることを示していた。

フランスはノルウェーの政府に重水の潜在的な軍事的重要性を説明し、ノルウェー政府は全ての在庫をフランスの秘密任務組織(French Secret Service agent)に渡し、その組織はそれをイギリス経由でフランスに密輸された。これは、ドイツがノルウェーに侵攻する直前の1940年4月のことであった。しかし、ドイツは1940年5月に侵攻を行い、165クォートの重水とパリのグループはイギリスのケンブリッジに渡った。(Joliotはフランスに残り、レジスタンス運動の熱心な活動家となった。)

フリッシュとパイエルス
最初イギリスの研究は、自然のウランを使用した高速中性子による原爆は不可能であると正しく結論づけていた。この理由は、ウラン238がたくさんの中性子を捕獲し失われてしまうためである。しかし、1940年2月、イギリスに亡命していたオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスの2人のドイツ人の科学者は、原爆は製造可能であり、ウランの同位体の質量の軽いものであるウラン235を数kgと高速中性子のみを使用して爆発させることが可能であると気がついた。フリッシュとパイエルスは、ウラン235がウラン238と完全に分離できた場合、遅い中性子は不要であり、減速材が必要ないという有名なフリッシュ&パイエルス覚書の報告を行なった。

フリッシュとパイエルスは自分たちの教授であるマーク・オリファントに報告を行い、オリファントは、ヘンリー・ティザードにその情報を連絡した。彼は1940年4月に原爆の実現可能性を調査する有識者による最高秘密委員会(後にMAUD委員会として知られる)を作った人物である。報告書はMAUDレポートと記載され、その報告書は更にチューブアロイズ計画を推し進めた。

ティザードの使節
重水のチームは遅い中性子研究をケンブリッジ大学で続けるために招かれたが、その計画は爆弾を作り出すという期待がされていなかったため、優先度を低く設定された。

技術者の集団(ティザードの使節)は1940年9月に北アメリカに送られ、その代わりに、レーダー、ジェットエンジン、核研究などの全領域の技術を手に入れた。 彼らは同様にイギリスの軍事研究施設を、ドイツの爆撃範囲外の北アメリカに移動させる可能性に関して検討を行った。

ティザードの使節は帰還した際に、彼らは、遅い中性子の研究がケンブリッジのパリのグループや、コロンビア大学のエンリコ・フェルミや、カナダのジョージ・ローレンスにより継続されていたことを報告した。彼らは戦争遂行とは関係ないと結論付けていた。

ウランの同位体分離
MAUD委員会が直面した最も大きな問題は99.3%を占めるウラン238から0.7%のウラン235を分離する方法を探すことであった。2つのウランは化学的には区別できないため、これは非常に難しい問題であった。しかし、フランシス・シモンがMAUDにより解決策を見つけるように依頼された。シモンは1940年12月に、気体拡散法は、必要な工業プラントの大きさと価格を計算して、実現可能であると報告した。MAUDの委員会は、原爆は、「実現可能性のものではなく、必ずできるものである」ことに気がついた。

ウランのガス化合物と純粋なウラン金属を作る科学的な問題はバーミンガム大学とインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)で研究された。ICIのフィリップ・バクスター博士は1940年にジェームズ・チャドウィック教授のために六フッ化ウランの気体の少量を製造した。ICIは将来の開発のためにこの重要な材料を3kg作成するという正式の契約を1940年の終わりに受けた。

プルトニウム
プルトニウムによるブレークスルーは、エゴン・ブレッチャー(1901-1973)とノーマン・フェザー(1904-1978)によりキャヴェンディッシュ研究所で実現した。彼らは、ウランを燃料として低速中性子(熱中性子)を用いるタイプの原子炉が理論的にかなりの量のプルトニウム239を副産物として作り出すことに気がついた。これは以下の様な過程による。ウラン238が低速中性子を吸収し、新たな同位体であるウラン239を作る。この新しい同位体はすぐにベータ崩壊して、原子番号が93で質量数239の新しい元素となる。この元素の原子核は、同じく電子を放出して原子番号が94で質量239の大きな半減期をもった新しい元素となる。ブレッチャーとフェザーはこの原子番号94の元素が低速中性子と高速中性子の両方で核反応を起こし、ウランと化学的に異なった利点があり、簡単に分離ができる、と言う理論的な実現可能性を示した。

これらの新しい発見は1940年バークレー放射線研究所のエドウィン・マクミランとフィリップ・アベルソンによる研究でも検証された。ケンブリッジのチームのケンマー博士は、新しい元素たちに太陽系の天王星(Uranus、原子番号92のウランに対応)より遠い惑星である海王星(Neptune)と冥王星(Pluto)から、93番目の元素をネプツニウム(neptunium)、94番目の元素をプルトニウム(plutonium)と名づけた。偶然にもアメリカ人たちも同じ名前を提案した。その後、1941年に最初のプルトニウムの最初のサンプルの作成と検証がグレン・シーボーグにより行われた。彼は原子炉でなくサイクロトロンを使用した。

オリファントの合衆国訪問
MAUD委員会の報告書に対して何の反応もなかったので、マーク・オリファントは、1941年8月に爆撃機で大西洋を渡った。彼は、ライマン・ブリッグスがウラニウム委員会に報告書を回さず、報告書が金庫の中に保存されていたことに気がついた。オリファントはアーネスト・ローレンス、ジェイムス・コナント、エンリコ・フェルミ、アーサー・コンプトンに連絡を取り、アメリカの研究プログラムの緊急性を増加させた。MAUDの報告書は最終的に大きな衝撃を与えた。一夜にして、アメリカ人は原爆の実現可能性に関して考えを変え、イギリスと協力して努力する提案を行った。ハロルド・ユーリーとジョージ・ブラクストン・ペグラムは1941年11月に協議のためイギリスに送られた。しかし、イギリスは協力の提案を受け入れなかった。対案は何の対応も行われることなく失効した。

1942年の進展
アメリカの努力は急速であり、すぐにイギリスを追い越した。しかし、別々の研究はそれぞれの国で継続され、時々情報の交換が行われていた。何人かのキーとなるイギリスの科学者が1942年初めにアメリカ合衆国を訪問し、利用可能な全ての情報にアクセスした。彼らはアメリカの原爆計画が進んでいると言うことに仰天した。

ケンブリッジ大学での遅い中性子の研究は、イギリスでは爆弾作成に関係ないと考えていたものであったが、突然軍事的な重要性が増加した。なぜなら、それはプルトニウムへの近道であったからである。イギリス政府はケンブリッジのチームを、シカゴに移動させたいと考えた。その地は、アメリカの研究が行われている場所であったが、アメリカは安全を非常に心配した。元はパリからやってきた、ケンブリッジのグループの6人の代表の科学者の1人のみがイギリス人であった。彼らは、カナダのモントリオールに送られた。

1942年6月アメリカ陸軍は全ての開発、設計、物資調達、試験工場の場所の選定に関して権限を得た。その結果、イギリスへの情報の流れは減少した。アメリカは重水の製造、六フッ化ウランの製造、電磁的な分離方法、プルトニウムの物理的化学的特性、爆弾の設計の詳細、高速中性子炉に関する、情報の共有を停止した。これは、重水の製造や研究プログラムの他の面において協力を行っているイギリス人やカナダ人にとって悪い知らせであった。

カナダのモントリオールのチームは、プルトニウムの技術情報と同様に重水の供給をブリティッシュコロンビアのトレイルの重水工場からの供給に頼っていた。アメリカは、デュポンによる提案に限定された制限に沿って、その研究を指揮することに同意するなら、モントリオールのグループに重水を供給すると提案した。良い結果を出していたにもかかわらず、モントリオールの研究グループの研究は1943年6月に完全に行き詰まってしまった。士気は低下し、カナダ政府は計画を注視することを提案した。

ウィンストン・チャーチルはイギリス独自の拡散炉や重水工場や、原子炉のイギリス国内への建設に対する情報を探していた。しかし、1943年7月、ロンドンで、アメリカの政府関係者がイギリスの動きに対する大きな誤解を払拭することができ、何ヶ月かの交渉の後、ケベック協定が最終的に、チャーチルとフランクリン・ルーズベルトの間で1943年8月19日に結ばれた。イギリスは全ての資源をアメリカに提供し、アメリカはその見返りに大統領へのアメリカの研究成果の報告のコピーを提供した。イギリスの研究は残りの戦争期間、マンハッタン計画に合流することになった。

チューブ・アロイズに関するアメリカとイギリスの政府間の共同管理に関する協定文章("Articles of Agreement governing collaboration between the authorities of the U.S.A. and UK in the matter of Tube Alloys")のタイトルが付けられたケベック協定の章には、イギリスとアメリカは、「チューブ・アロイ(原爆)を早期に実現するための計画」のためにリソースを共有することに同意している。

指導者たちは以下の内容に同意

我々はこの兵器をお互いに対して決して使用しない。

我々はこの兵器を、第三の勢力に対して、お互いの同意なく使用しない。

我々はチューブ・アロイズに関する情報を第三者に対して、お互いの同意なく公表することはない。

これは、「戦後の工業的もしくは商業的なアドバンテージ」をアメリカ合衆国の大統領の裁量により決定されることに同意したことである。

戦争の後期、チューブ・アロイは作り出された元素プルトニウムを指すようになった。この存在は、長崎への原爆投下まで存在は秘密にされた。

1945年8月11日、アメリカ合衆国旧陸軍省によりまとめられた文章はいくつかの参考文献と共にイギリスの原爆への貢献を記載している。また、「原爆に関連した声明(Statements Relating to the Atomic Bomb)」の白書は、マイケル・ペリンによりあわただしく作成された。この報告書は、首相がチャーチルがアトリーに変わった後発行され、これがイギリスの15年間の貢献に対する唯一の公式の書類である。

戦後
チューブアロイズに関係した仕事を行なった人々の1人に、ウィリアム・ペニー(英語版)がいた。彼は衝撃波のエキスパートであった。1944年6月、彼は、マンハッタン計画にイギリスの代表者の一人として参加するために、アメリカのロスアラモスへ向かった。彼の指導力と彼の集団での仕事を行なう能力は、彼自身を、計画の方向付けにおいて全てのキーを握る科学者の中心グループに加えることになった。

戦争終了時、イギリス政府はアメリカが技術を共有すると信じていた。それらの技術は、イギリスは一緒に発明を行なったものであると見ていた。しかし、1946年8月のトルーマン政権による入力:マク・マホン法(英語版)(原子力エネルギー法)の通過は、イギリスがもはやアメリカの原子力研究にアクセスすることを許さないことを明確にしていた。

クレメント・アトリーの政府は世界的な外交関係の中で、イギリスの地位を維持するためにはイギリスは原爆が必要であると結論つけた。外務大臣のアーネスト・ベヴィンの言葉を借りると、「我々は原爆を持たねばならない。原爆の下で、血に染まったユニオンジャックを持たねばならない。」
そのため、ペニー博士はアメリカ合衆国を離れ、イギリスに戻り、原爆局(Atomic Weapons Section)に対する計画を開始した。
計画は「高性能爆薬研究」(High Explosive ResearchもしくはHER)のコードネームで1947年5月、ペニー博士が計画を率いる様に任命された。
1950年4月、バークシャー州オルダーマストンの放棄された第二次大戦中の英国空軍飛行場がイギリスの核兵器開発計画の永久的な本拠地となった。これは、核兵器研究機関(Atomic Weapons Research Establishment, AWRE)となった。1952年10月3日、ハリケーン作戦のコードネームの元、最初のイギリスの核兵器がオーストラリアの西海岸のモンテベロ島で爆発に成功した。
(資料ウイキペディア)


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永遠のエンドレス「ロシア北方領土問題」

敗戦国がゆえに北方四島を取られても何も言えない日本???

日ソ中立条約を破って、北方四島を奪ったここで択捉島、国後島、歯舞群島、色丹島の北方四島の歴史を簡単に振り返っておこう。
第二次世界大戦で日本は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶとともに、ソ連とは中立条約を結んで、米国や英国と戦争を始めた。ところが1945年2月にソ連(スターリン首相)が、ヤルタ会談で米英両国の首脳と協定を結んだ。ソ連の対日参戦の見返りとして千島列島をソ連の領土とするという密約だった。すでに日本の敗戦が目に見えていただけに、ソ連にとっては棚から牡丹餅だった。ソ連は中立条約を無視して8月9日に対日参戦した。ソ連は日本がポツダム宣言を受諾して降伏した14日以降も侵攻を続け、さらに日本が降伏文書に署名した9月2日以降も攻撃を止めなかった。そして北方四島を占領した。
これが歴史的な事実だ。ソ連が弱り切った日本に対し、日ソ中立条約を破って攻撃し、その結果、日本固有の領土だった北方四島を奪ったのである。四島返還こそが、本筋なのである。それなのにどうしてロシアは北方四島を日本に返そうとしないのか。返還すれば日ソ中立条約を破った事実を認めることになるからだ。
(記事部分抜粋引用)

この例題話しを何百回何千回聴いたまた聴かされたことやら、枚挙にいとまない。だから、今回の交渉に際してもおそらく誰も期待していないだろうし、その期待を真に裏切らなかった。

もはやこれはお題目念仏のたぐいであり、やっていさえすれは気がすむ程度のショーでありパフォーマンスとしか思えない。

このステージで誰と誰が話し合ったのかという二人の役者を選んだのは、ほかでもない民主国家の社会であり、その点では誰に対しても文句を云えた義理ではないが。

この「忸怩たる思い」を早急に解決したいと願うのは皆おなじだが、こうした報道によって民衆が喚起することも大事だが、同レベルの報道発信を数万回流したとしても、やはり事実は微動だにしないだろう。

まだ「新聞報道」が健全だったころの話しだったら判らないでもないが、いまのネット時代にそれと同じことをしていてもラチは空かないと思うし、またそれを読んだ読者(ネット比率)がになを思い、それによってなにを動機させるかというアクションを想定したとき、ほとんど無意味な結果に至ると穿ってしまうのは不謹慎か。

記事では日本敗戦国を力説しているが、そんなことは敢えて断るまでもなく、これまで70年の足跡をたどれば、良いも悪いもそのことによってこの国があり、それが歴然の事実であることは否定しようもない。
いま世界が保守化し、リベラル色が右に傾き始めているのは止めようもない傾向で、そこにはそれなりの訳がある。
そんな時にこうしたカテゴリー枠の話しが持ち上がり、それが一向に進捗しないといのには、何かがどこかで間違った選択肢をしているという提起が必要だ。

そうしたことへの報道メディアのあるべき姿、という毅然とした態度があるのかないのか、という問いをここで断じるのではなく、報道を職とする人々に問いかけたい。

どう なんだい???






「敗戦国」のままなら北方領土は戻らない
プレジデントオンライン 2019年1月24日 9時15分
■本当に北方領土は日本に戻ってくるのか
「開けて口惜しき玉手箱」とは、期待が外れてがっかりすることのたとえに使われることわざである。竜宮城から帰ってきた浦島太郎が、乙姫さまからもらった玉手箱を開けると、中から白い煙が出てきただけだったというあの昔話をなぞっている。蛇足だが、煙を浴びた浦島はあっという間に年を取ってしまう。竜宮城の時間とこの世の時間の流れの速さが大きく違っていたのだ。
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1月22日夜(日本時間)、ロシア・モスクワのクレムリン(大統領府)で行われた安倍晋三首相とプーチン大統領の会談は、まさに「開けて口惜しき玉手箱」だった。

今度こそ、北方領土問題の解決に大きな進展があるはずだと、日本の国民に期待させながら、ふたを開けてみると、白い煙どころか、安倍首相とプーチン氏が日露の平和条約交渉を本格化させることを再確認し合っただけ。北方領土問題の解決には何ら進展がなかった。本当に北方領土は日本に戻ってくるのだろうか。

■交渉進展に必要な「プーチン氏の弱点」とは何か
昨年11月20日付のプレジデントオンラインの「北方領土2島先行で崩れる安倍首相の足下」との見出しを付けた記事の中で、沙鴎一歩は次のように指摘した。

「プーチン氏は一筋縄ではいかない。かなり手ごわい相手だ。このままでは得意技の払い腰をかけられ、1本取られるかもしれない。払い腰とは、相手を自分の腰に乗せて脚で払い上げる技だ」

会談終了後に行われた安倍首相とプーチン氏の共同記者会見では、会談の具体的内容は明らかにされなかった。安倍首相はプーチン氏から1本取ることができたのか。それとも逆に払い腰で1本取られたのか。

北方領土交渉の先は長い。交渉中に手の内をさらけ出すようなことは許されないだろうが、安倍首相がどんな技をプーチン氏にかけたかぐらいは国民の一人として知りたい。

外交交渉では相手国の弱点を突いて揺さぶることが重要である。それではプーチン氏の弱点とは何か。

■ロシアは日本から大きな経済協力を引き出したい
ロシアは5年前のクリミア半島の併合を欧米各国から強く批判され、現在も経済制裁を受けている。ロシアは孤立状態にある。そこがプーチン氏の最大の弱点だ。時折見せるプーチン氏の物寂しげな表情が、それを物語っている。

22日の日露首脳会談後の共同記者会見で、プーチン氏は経済効果を強く口にしていた。あの口ぶりなどから判断すると、プーチン氏の狙いは北方領土問題を先送りにして平和条約を優先的に締結し、その結果、日本から大きな経済協力を求めようというところにあるようだ。

もうひとつの弱点が、北方領土への在日米軍の駐留である。ロシアは北方領土を返還した場合、在日米軍の駐留が実施されると懸念している。プーチン氏は昨年12月の記者会見で沖縄の在日米軍基地について「日本にどこまで主権があるのか分からない」と牽制している。ロシアは米国が怖いのである。そこでロシアは日本との平和条約交渉で日本とアメリカの関係にくさびを打とうとしている。この辺りがロシアの本音だろう。

日本はそんなロシアの思惑を逆手にとってこれからも続く交渉に生かしていきたい。

■日ソ中立条約を破って、北方四島を奪った
ここで択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島の北方四島の歴史を簡単に振り返っておこう。

第二次世界大戦で日本は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶとともに、ソ連とは中立条約を結んで、米国や英国と戦争を始めた。ところが1945年2月にソ連(スターリン首相)が、ヤルタ会談で米英両国の首脳と協定を結んだ。ソ連の対日参戦の見返りとして千島列島をソ連の領土とするという密約だった。すでに日本の敗戦が目に見えていただけに、ソ連にとっては棚から牡丹餅だった。

ソ連は中立条約を無視して8月9日に対日参戦した。ソ連は日本がポツダム宣言を受諾して降伏した14日以降も侵攻を続け、さらに日本が降伏文書に署名した9月2日以降も攻撃を止めなかった。そして北方四島を占領した。

これが歴史的な事実だ。ソ連が弱り切った日本に対し、日ソ中立条約を破って攻撃し、その結果、日本固有の領土だった北方四島を奪ったのである。四島返還こそが、本筋なのである。

それなのにどうしてロシアは北方四島を日本に返そうとしないのか。返還すれば日ソ中立条約を破った事実を認めることになるからだ。

■敗戦したがゆえに北方四島を取られても何も言えない
ロシアはヤルタ会談を持ち出して「大戦の結果だ」と主張してやまない。言い換えれば、日本が敗戦したがゆえに北方四島を取られても何も言えないのである。敗戦という事実は、いまだに日本の外交に暗い影を落としている。日本が国際連合(国連)の主要機関である安全保障理事会(安保理)の常任理事国になれない現状を考えればよく分かるだろう。

ちなみに国連安保理は、戦勝国の5カ国(米国、ソ連、英国、フランス、中国)の常任理事国と、2年ごとに国連総会で選出される10カ国の非常任理事国で構成されている。日本は2017年12月に任期が切れて11回目の非常任理事国を退いた。日本に対してはここ数年前から常任理事国に入れるべきではないかとの議論が国連にはある。

日本が北方四島を常任理事国のロシアから取り戻すことができれば、敗戦国という負い目を克服したことになる。日本の外交において大きな追い風である。

それゆえ安倍首相は焦ることなく、北方領土交渉を続けてほしい。自分の任期中に何とか形にしようとすればするほど、間違いなくしたたかなプーチン氏に足下を見られる。

繰り返すが、北方領土交渉に成功すれば、日本の外交力は増す。世界が敗戦国と見なさなくなるからだ。国連安保理の常任理事国という立場を得る可能性も強くなる。日本はまずロシアとの北方領土交渉を、目先のことにとらわれずに長い目で続けていくことが大切である。

■「(日本は)大戦の結果を世界で認めていない唯一の国だ」
1月21日付の毎日新聞が「露外相の北方領土発言 交渉の基盤を危うくする」という見出しの社説を書いている。書き出しはこうだ。

「ロシアのラブロフ外相が年頭の記者会見で、日本が北方四島の領有権を主張するのは『国連憲章の義務に明白に違反している』と述べた」
「日本の国内法で『北方領土』という呼称を使っていることを批判し、『第二次大戦の結果を世界で認めていない唯一の国だ』とまで言った」

国連憲章に違反していると言い、北方領土の呼称も許さない。揚げ句の果てが敗戦を認めない国だと批判する。勝手な言い分である。これが大国ロシアの主張なのかと思うと、開いた口もふさがらなくなる。

さすがの毎日社説も強く反論する。まず国連憲章の義務違反かどうか。

「ラブロフ氏が例示したのが国連憲章107条だ。しかし、これは国際法上、ロシアに北方領土の領有権を認めたものではなく、日本に従うべき義務を定めたものでもない」
「大戦の結果として『敵国』に対してとった行動は『無効』となるものではないという趣旨で、個別の降伏条件について国連は責任を負わないことを目的にした条文とされる」

次に第二次大戦の結果について。

「ロシアは『大戦の結果』として北方四島がロシア領になったと主張する。その根拠とするのが1945年の米英ソ首脳によるヤルタ協定だ」
「だが、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦と千島列島引き渡しを示し合わせた密約に過ぎず、国際法としての拘束力はない。日本は当事国ではなく拘束される義務はない。米国も後に密約を『無効』と宣言している」

■北方四島を奪ったロシアこそ国際規範違反
毎日社説は理不尽なロシアの主張にさらに反論する。

「ソ連は終戦間際に日ソ中立条約を破って北方四島に侵攻し占拠して領土拡大を試みた。これこそ国際規範に反する行動だ」
「日露の平和条約交渉は互いに『法と正義』を重視してきた。ロシアが法的な裏付けを欠く主張を続けるのなら、交渉の基盤が根底から覆る」

毎日社説の指摘を待つまでもなく、ロシアのかつての行動は国際規範違反であり、根拠のない主張を繰り返しているだけなのである。

「ラブロフ氏は先の河野太郎外相との会談でも、北方領土への『ロシアの主権』を認めるよう迫った。一方的な態度では交渉は前に進まない」

かたくななロシアにどう立ち向かったらいいのか。日本の国益を最優先にして一歩も譲らない態度を強く示すべきである。

今後の交渉で心配なのは、ロシア国内の世論である。四島を引き渡すことに反対する抗議デモまで起きている。ロシアのアンケート調査だと、8割近いロシア国民が返還に反対している。世界最大の領土を保有する国だけに、領土問題には国民が強く反応するのかもしれない。

■「結果は惨憺たるもので、ロシアの増長ぶりが目に余る」
次に1月14日の日露外相会談を受けて書かれた産経新聞の1本社説(「主張」、1月16日付)を読んでみよう。産経社説は四島返還を強行に主張している。沙鴎一歩は四島返還には賛成である。

「河野太郎外相とロシアのラブロフ外相がモスクワで平和条約交渉を行った。日露首脳が昨年12月、両外相を交渉の責任者に指名して以降で初の会談だった」
「結果は惨憺たるもので、ロシアの増長ぶりが目に余る」
「日露首脳は昨年11月、日ソ共同宣言(1956年)を基礎に交渉を加速させることで合意した」
「しかし、共同宣言に基づく『2島返還』戦術の破綻は鮮明だ」
「北方四島の返還を要求するという原則に立ち返り、根本的に対露方針を立て直すべきである」

日露外相会談の結果を「惨憺たるもの」と手厳しく批判し、2島返還戦術を「破綻」と指摘する。そのうえで四島返還を求める「原則に立ち返れ」と主張する。

北方領土交渉に関し、産経社説は傾倒する安倍政権をも批判する。その姿勢はぶれない。そこが産経社説らしさだ。

しかし外交交渉は相手が一方的な主張を繰り返せば繰り返すほど、先が読みにくくなる。仮に四島返還が現実離れしてきたときに産経社説はどう対応するのだろうか。四島返還の姿勢を崩さずにいられるか。そこまで考えておくべきである。

■「『2島返還』への方針転換だと受け取られた」
産経社説は「ロシアがかくも強気に出ているのは、安倍晋三首相が四島返還の原則から離れ、日ソ共同宣言重視を打ち出したためだ。これは『2島返還』への方針転換だと受け取られた」と指摘する。

見出しも「『2島』戦術破綻は鮮明だ」「日本の立場毅然と表明せよ」である。

さらに産経社説は指摘する。

「日ソ共同宣言は、平和条約の締結後に色丹、歯舞を引き渡すとしている」
「だが、共同宣言は、シベリアに不当に抑留されていた日本人の帰還や国連への加盟、漁業問題の解決という難題を抱えていた日本が、領土交渉の継続を約束させた上で署名したものだ」

■「国民に対する説明責任もきちんと果たしてほしい」
安倍首相は昨年11月のプーチン氏との会談で、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意している。同宣言には歯舞と色丹の二島しか明記されていない。四島返還の原則を放棄したものとロシアに受け取られかねない。だが、産経社説によれば、同宣言は領土交渉の継続を約束させたものだ。沙鴎一歩は四島返還の原則に戻るのは賛成である。

最後に産経社説はこう主張して筆を置いている。

「法と正義に基づく日本の立場を、毅然と表明するのが筋だ。安倍政権には、焦ることなくロシアと交渉し、国民に対する説明責任もきちんと果たしてほしい」

安倍首相は焦ることなく、四島返還を目指すべきである。相手は竜宮城に住む異邦人である。時間の流れも大きく違う。そんな相手だからこそ、初心と原則を忘れず、しっかり交渉を進めてほしい。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=AFP/時事通信フォト)
(記事引用)


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YouTubeで数十億再生 神秘に包まれた童謡「Baby Shark」の謎
 神秘に包まれた童謡「Baby Shark」
2019年1月29日 12時0分 Rolling Stone Japan
童謡「Baby Shark(サメのかぞく)」は、インターネットを含む音楽チャートを席巻しながらも、誰一人として著作権を主張できないという。最初に作曲したのは誰なのか?

ある歌が音楽チャートを席巻し、YouTubeで何十億もの再生やダウンロード回数を記録し、さらにはカーディ・Bが今週末Instagramに投稿したようにセレブたちまでも虜にし、インターネット中に拡散しているとしよう。さぞかし作曲者は儲けているに違いない、と誰もが思うだろう。実のところ、2019年に旋風を巻き起こしている童謡「Baby Shark(サメのかぞく)」は誰にも儲けをもたらしていないのだ。なぜなら、この歌の所有権を主張できる作曲者がいないから。

「Baby Shark」がYouTubeを通してアメリカの音楽ファンを騒がせはじめたのは数年前のこと。子ども向けの教育コンテンツを手がける韓国の会社がPinkfongというキャラクターの動画を2015年にYouTubeに投稿し、2016年には驚くほどキャッチーな新しいビートとメロディーをのせてリミックス版を投稿したのがきっかけだ。しかし複数の情報源によれば、両方のバージョンの中核となる歌は、何十年も前からある、古い合唱用のチャントから派生しているようだ。リミックス版はK-popの人気歌手やアメリカのSNSの影響もあって瞬く間に人気を博し、Pinkfongを運営するスマートスタディ社によれば、今では11言語による100以上のバージョンが存在している。

現時点では、この歌の書作権をめぐり、最初に作曲したのは誰か? と複数の当事者が法廷、あるいはその他の場所での争いに巻き込まれている。2011年に自らのYouTubeチャンネルにこの歌をアップロードした子ども向けミュージシャンのジョニー・オンリーは、Pinkfongの最新バージョンは自分の楽曲とあまりにも似過ぎている、と韓国の裁判所に苦情を申し立てた。それに対するPinkfongは、「Baby Shark」が昔の童謡をもとに作曲されたものであり、いかなるアーティストの楽曲も使用していないと主張している。さらには、「Baby Shark」のドイツ語のダンスバージョンとも言える「Kleiner Hai」の存在もある。「Kleiner Hai」の作曲者であるアレクサンドラ・ミュラーは、米エンターテイメントメディアVultureに20年ほど前から「Kleiner Hai」を歌ってきたと述べた。「ドイツでは人気の子どもの歌なんです。それがどこからきているのかは、誰にもわかりません。著作権も調べましたが、クリスマスの歌のように、公法の管轄下であることがわかりました。要するに、印税が発生しないのです」とミュラー氏は言った。特定の楽曲のレコーディング権利もそうだが、著作権に限っていえば、「Baby Shark」の出どころは「ハッピーバースデートゥーユー」よりも神秘に包まれているようだ。

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アルタミラとは - コトバンク コトバンクスペイン北部、サンタンデールの西方にある洞窟(どうくつ)。1879年に発見された旧石器時代の壁画で知られる。
1985年、世界遺産(文化遺産)に登録された。

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テスラのソフトウェアバージョン9.0と愛すべきB級映画チャッピー
2018-12-03 / CWh 
渡辺千賀テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし
テスラ。子供達が大好きなテスラ。さすがに最近では幼稚園児が後をついて走るほどの熱狂ぶりはなくなったが、とにかく子供たちはみんなテスラが大好きである。

一体何が子供たちをそそるのか。他のEVも結構出てきているし、ガソリン車だったらポルシェもフェラーリもマクラーレンもあるのにテスラ一強。

もしかしたら、普通に学校の送迎ができる車の中で唯一ガルウィングがあるからかも。

(テスラオーナーではない)当地の知人が
model3

「幼稚園に通う息子を学校でドロップオフする時、前で他の子をドロップオフしている車がテスラのモデルXだと、ガルウィングの開閉を見ながら後ろの席で息子がハァーとちいさくため息をつく。」

と言っていたが。

そんなことはさておき、テスラのソフトウェアは、OTA(無線)アップデートで夜寝ている間に新しくなる。大体2〜3週間に一回バージョンアップするのだが、一番最近のものがバージョン9.0。これはテスラ自身もこれまでで最もすごいアップデートとしているが、実際、特に自動運転の向上ぶりはすごい(この辺の話はフォーブスでも話してみたのでこちらもどうぞ。)

「自動運転カーナビ」という機能も(ベータで)加わった。それだけ聞くとすごい未来がやってきたようだが、要はカーナビで高速運転中に降りるべき出口が近づいてくると「車線変更しろ」という指示が出る、というだけなんですけどね。

Tesla_autodrive

さらに設定の奥の方で「車線変更の強気度合い」を変えられるようになっていて、一番強気なのがMad Maxモード。最初はAverage設定にしていたのだが、最近Mad Maxにしたら、普段の自分の車線変更の仕方に近いのでストレスが減った。高速での車線変更というのは最も危険な運転行為の一つなのだが、Averageモードだと「なんでモタモタしてるんだ」と感じる瞬間が結構あって、そのモタモタぶりを危険に感じていた。人間は「普段の自分に近い運転」を一番安全に感じるようだ。そして「普段の私」はMad Maxだったのだ。

Tesla_MadMax

イーロンマスクは「来年には完全に自動運転ができるようになる」と言っているが、彼の話はかなり大風呂敷なのでそこを差し引くとしても、カリフォルニアの大雑把な高速道路だったらほぼおまかせ運転モードが実現しそうな雰囲気がこのバージョン9.0では感じられる。もちろん、死亡事故も出ているテスラの自動運転機能を信じるかどうかという問題はあるが、どう考えても不注意な私よりは安全なのでお任せしたい。

そして今回加わった新機能で画期的なのがドライブレコーダー。元々ダッシュカムはついていたのだが、それをソフトウェアが利用できるようになった。基本的にどんどん上書きされてしまうのだが、何かあった時にこの画面のカメラアイコンにタッチするとUSBで直前の記録がダウンロードできる。これで走行中、目の前に UFO が降りてきても安心だ。

Tesla_dashcam

ちなみにテスラ素晴らしい!という私のコメントに対し、Facebookで「テスラはパーツがなくて修理に時間がかかる」ということを複数の人が問題としてあげていたのだが、みなさんのテスラはそんなに故障しているのでしょうか?ちょっと不思議。

これはガソリン車とEVの違いで、テスラ独自のメリットなわけではないのだが、エンジンという爆発を内包した機関で動くガソリン車に比べると、EVは可動部品の数が桁違いに少ない。ガソリン車の1万点に対し、テスラではせいぜい数百くらいでは、と言われている。

動く部品が少なければ壊れる部品も少なくなるわけで、そうそう部品交換が必要な修理はないというのがオンライン・フォーラムの総意でもあるイメージなんですが。

(事故などで部品が必要になった場合にものすごく時間がかかった、という問題に関しては、著しく改善したというテスラ側のコメントもあった。世界中の部品注文を翌日配送にしたので修理に必要な時間はせいぜい数日、パロアルトのディーラーだったら修理の2割はコーヒー飲んでる間に終わる、とのこと。日本でどうなっているかは知りませんが)。

私がテスラ素晴らしい!と思う最大のポイントは、冒頭でもあげた頻繁なソフトウェア・アップデートである。マイナーなバグ・フィックスなどもあるが、「バックで駐車ができるようになった」、「モバイルアプリで車の外からリモコン的に車を前後に動かせるようになった」など、新しい機能が加わることもあるのは前述の通り。

大体の工業製品というのは買った瞬間から劣化が始まるのが普通なわけで、「だんだん賢くなる」というのは非常に新鮮なユーザー体験である。

「スマートテレビの売れ行き軟調。特に、従来のハードウェアメーカーが作ったものはエンターテイメントをめぐる世のソフトウェア環境の進化に付いて行けず、結局新しいスティックを買ったりいろいろしないと新サービスが使えないことも問題」

と先日のNPRのニュースで言っていたが、それを避けるには頻繁で大幅なソフトウェアアップデートが必須なわけです。(ちなみにテスラには、「すぐには必要のないセンサーやらカメラ」が最初からたくさん付いている)。

あまり流行らなかった映画でチャッピーというのがあって、学習するAIを搭載したロボット、チャッピーがどんどん賢くなっていく。そういう感じですな。

なお、ソフトウェア・アップデートで継続的に性能を向上させるには、ハードウェアに依存する部分はなるべく減らした方がいい。テスラもモデル3では限りなくボタンやスイッチが減っていて、空調やオーディオなども画面からコントロール(冒頭の写真参照)。この辺り、従来異なる機能ごとに別の下請け会社が開発を担ってきた自動車産業にはなかなか難しい課題かもしれませんね。
チャッピー、B級だけど割と好き。エクス・マキナと続けてみると感慨深い。

(記事引用)

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