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危機管理意識の乏しい安田純平氏の「自己責任」
渡邉裕二 (記事) 2018年11月05日 08:36
シリアで武装組織に拘束され、3年4ヶ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平氏(44)。何はともあれ結果良ければ…ということである。無事に解放されて帰国したのだから、ここは「不幸中の幸い」と言うべきかもしれない。 
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1977年9月。日本赤軍が起こした航空機ハイジャック事件で「ダッカ日航機ハイジャック」があった。この時、日本政府は「超法規的措置」として身代金の支払いに応じたが、当時の福田赳夫総理は「一人の生命は地球よりも重い」と述べたことがあった。もちろん、シリアの武装集団に拘束された安田氏と、日本赤軍の起こした航空機ハイジャックとでは全く比較にはならないのだが、フッと思い出した。それにしてもこれは名言だった。 

しかし、安田氏についてはどうもスッキリした気分にならない部分が多い。 正直言って「解放されて良かった良かった」と手放しに喜べないところがある。 

「ジャーナリストとして勇気のある行動だった」 

確かに〝同業者〟筋からは安田氏の行動を称賛する声が多かった。中でも、テレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」では、コメンテーターの玉川徹氏が、戦場ジャーナリストの役割を力説した上で〝英雄〟扱いしていたが、果たして、そんな単純な出来事だったのか? 

拘束を甘く見ていた?常習者の安田氏
そもそも安田氏が武装集団に拘束されたのは今回だけではなかった。 

2003年にイラク軍やイラク警察などに拘束され、さらに翌04年にもバクダットで武装勢力に拘束されている。要するに拘束される〝常習者〟。ある意味で慣れっこだったようだ。 

「これまでの拘束は緩く、自由も許されていたようなので、緊張感もなく甘く見ていたところもあったんじゃないでしょうか」(週刊誌記者)。なんて言い方もされているほどだ。 

今回は15年6月にシリアで行方不明となっていたが、実際にはシリアでアルカイダ系テロリスト集団「ヌスラ戦線」(現在はタハリールアルシャーム機構)によって拘束されていた。そういった中で、安田氏の解放に向けてはトルコの治安当局と情報機関の活動があった。河野太郎外務相も「カタール、トルコをはじめとする関係国と緊密に連絡を取り合い、連携して安全のためには何がベストかを考えながら全力を尽くしてきた」とし、カタールやトルコ両政府に感謝していた。 

一部情報では、今回の解放劇にあたっては、カタール政府が身代金として3億4000万円を肩代わりしたという。が、ただ、これまで「テロには屈しない」と言い続けてきた安倍政権だっただけに、ここは人道的な観点もあったとは言え「実は裏で身代金が動いていた」なんて思われては都合が悪い。菅官房長官は会見で「そういったことはない」と否定してはいるものの、あるいは官房機密費の中から捻出したとは言わないまでも、今後、何らかの形で(カタールに対して)返済していくことは間違いなさそうである。 

「世界でもまれにみるチキン国家」
もっとも安田氏は、武装組織に拘束される前の15年4月3日のツイッターで、
「戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を『自己責任なのだから口や手を出すな』と徹底批判しないといかん」
と綴っていた。 

その他にも、
「いまだに危ない危ない言って取材妨害しようなんて恥曝しもいいところだ」
「世界でもまれにみるチキン国家」
などと言い放っていた。

もちろん、ジャーナリストとしての反骨精神、主義や主張は大切なことだ。しかし、今回の解放に際しても、NHKのインタビューの中で、 

「とにかく荷物がないことに腹が立って」
「3年、40ヶ月全く仕事ができなかった上に、全ての資産であるカメラであったり仕事のための道具まで奪われたというか、そこまでするかという。解放の瞬間はまずそれですね」 

と、解放されるや、この捨てゼリフ。さらに、
「トルコ政府側に引き渡されるとすぐに日本大使館に引き渡されると。そうなると、あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。それだけは避けたかったので、ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だったということがありまして…」 

これも「権力には屈しない」というジャーナリスト精神を見せたいのかもしれないが、安田氏の言葉からは「殺されるかもしれない」という恐怖感のようなものが感じられない。もちろん「我々は殺すことは絶対にない」と再三言われていたからかもしれないが…。 

それに、日本語で日記を書くことも、テレビを観ることも許されていたとも言う。武装集団ではあるが、とりあえずは「紳士的な組織だった」だろう。しかし、だからと言って「殺されない」「解放される」という保証はないはずだ。 

その一方では、拘束されていた時の様子について、
「地獄ですよ。身体的なものもありますが、精神的なものも、今日も帰されないと考えるだけで、日々だんだんと自分をコントロールできなくなってくる」 
とは言っていたが…。 

だが、一部からは「身代金狙いの拘束だった」とか「テロ支援に利用された」と言った疑惑の声も出ている。しかし、正直言って、そう疑われても仕方がないだろう。 

ちなみに、安田氏は解放の経緯について「身代金の支払いは望んでいなかった。解放された理由は分からない」などと話しているというから、身代金の受け渡しがあったことは少なからず認識していたのだろう。

安田氏は2日、日本記者クラブで帰国後、初めての記者会見をした。 

会見の冒頭では「解放に向けてご尽力いただいたみなさん、ご心配いただいたみなさんにおわびしますとともに、深く感謝申し上げたい」と深く頭を下げた。その上で「私自身の行動によって日本政府が当事者にされてしまったのは大変に申し訳ない」と、一応の反省は口にしていた。が、これは自身のこれまでの発言に対して各方面から批判が相次いだことから、ここは形式的にでも謝罪をした方がいいと周囲から言われたのだろう。 

ただ、事件が事件なだけに「全てを話す」と言っても、その真偽は分からない。解放されて1週間。話す内容を整理し、吟味したはずである。国際問題でもあるだけに根は深く語り尽くせない部分が多いはずである。 

それはともかく、太平洋戦争終結から28年。グアム島で発見された残留日本兵の横井庄一氏のように「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど…」とまでは言う必要はないが、突っ張ってばかりいては理解されない。 

取材活動が生む二次被害

以前にも、この欄で書いたことがあったが、91年に長崎・雲仙普賢岳で多数の報道関係者が火砕流にのまれ死亡したことを思い出す。この痛ましい事故は、火砕流の取材競争が加熱し、マスコミが「取材」と称して避難勧告地域内の「定点」に入り込んだことが要因となった。 

・「一億総カメラマン」で“想定外”に変貌するニュース・報道番組 

犠牲者は読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、NHK、日本テレビ、テレビ朝日、九州朝日放送、テレビ長崎、そして雑誌記者ら16人の他、火山学者、地元消防団、マスコミがチャーターしていたタクシーの運転手など合わせて43人だった。 

「危険な状態だったのでマスコミに対しては何度も制止した」というが、少しでも近くで取材したい、撮影したいというマスコミは「定点」を超えた。「自分の身は自分で守る」と言い放った記者もいたらしいが、結果的に身を守れなかったどころか、記者の無謀な取材を制止し、避難させようとしていた人たちまで巻き込む大惨事となった。 

今回、安田氏も「自己責任だった」としているが、戦場カメラマンの渡部陽一氏は「退く勇気も持って欲張らない取材をする」と言う。やはり、危険地帯での取材の基本は「危機管理」であろう。 

安田氏について、10月27日放送のTBS「新・情報7daysニュースキャスター」で、ビートたけしは「フリージャーナリストっていうのは、現地に行って記事を書いて、それを出版社に売って儲けるわけでしょ。戦場カメラマンと同じで、危険を冒してもいい写真を撮りたいわけじゃない。仕事のために危険を冒すのはリスクだから、それに政府がお金を出したのかどうかは分からないけど…」と疑問を投げかけ、 

「成功すればいい写真や名誉を得られるけど、失敗したら救助隊に金払うでしょ? この人は失敗したんじゃないの?」 

と指摘していた。

(記事引用)


自動運転車の開発で「非ものづくり」企業も気炎を上げる群雄割拠ぶり
CAR and DRIVER:総合自動車情報誌 2018.10.15
4極が入り乱れて自動運転車の開発競争が激しく
 自動運転車の開発競争が激しくなってきた。注目されているのは米・グーグルのような“もの作り”をしないIT企業だが、開発の最前線は自動運転のためのAI(人工知能)開発、AIの頭脳である高度集積チップの開発、それと実際の自動運転動作を制御・実施するアクチュエーター(機械動作機構)技術である。米国、中国、欧州、そして日本。この4極が入り乱れての開発競争になってきた。
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 中国のIT大手である百度(バイドゥ)はこのほど、自動運転技術の開発を加速させるため15億ドル(約1670億円)を投入し、投資ファンドを設立、中国国内のスタートアップ企業に対する支援を開始した。自動運転AIを早期に実用化するため、百度は今年3月に提携先企業との間でAI情報を共有するオープンソースキット、アポロスケープを導入、人海戦術が必要になるAI開発を分担し合う方法を選んだ。この取り組みに参加する中国企業の中には百度出身者が立ち上げたスタートアップ企業もあり、この投資ファンドはそうした有望な企業に融資を行う。

米国では、並列演算に有利なGPU(グラフィック・プロセッシング・ユニット)を得意とするシリコンバレー企業、NVIDIA(エヌヴィディア)が自動運転AIと車載AIプラットホームの試作を進めている。パートナー企業は370社に達しており、自動車メーカーはトヨタ、VW(フォルクスワーゲン)、ダイムラー、ボルボ・カーズ、大手部品メーカーではボッシュ、ZF、コンチネンタルなどと協業を展開している。ウーバーと百度もNVIDIAと提携関係にある。

 NVIDIAが実用化を進めている自動運転用のシステムは、地上の基地局とデータセンター用の大型プラットホーム、AI開発用プロセッサー、小型省電力設計の車載AIユニットと3段階になっている。トヨタとの共同開発契約は昨年5月に結ばれ、NVIDIAのドライブ・ペガサスと呼ばれるシステムをトヨタの完全自動運転のロボットカーに提供することが決まった。同様の契約はVWグループやダイムラーなどとも締結している。

無人で完全自動運転を行う
レベル5の開発が早い!?
 自動運転AIは、全周スキャナーやカメラなどの画像から安全に走行できるエリア、いわゆるフリースペースを判断する。中国企業は百度がこの分野をリードし、米国企業はウーバーやNVIDIAが先行している。競争が激しい分野である一方、提携先を増やせばより完成度の高いAIが実現するため、協業や提携が次々と生まれているのが現状だ。

 もうひとつ、自動運転はAIの指示を確実に実行するためのステアリングやブレーキなどアクチュエーターの高精度・高応答化が必須である。この分野は欧州のボッシュやZFがリードしていたが、トヨタ・グループのデンソー、アイシン精機、ジェイテクト、アドヴィックスの4社が8月、「自動運転の制御ソフトと機械システムの共同開発で合意し、来年3月末に共同出資会社を立ち上げる」と発表した。出資比率はデンソー65%、アイシン精機25%、ジェイテクト5%、アドヴィックス5%で、アクチュエーター類を統合制御するECUとソフトウエアを開発する。

 自動運転については、AIが対応しきれない状況でドライバーが運転操作を行うレベル3および4、無人で完全自動運転を行うレベル5の両方が研究されているが、昨年あたりから「レベル5のほうが先に実用化される」との見通しが関係企業の間に出はじめた。開発競争はますます激しくなりつつある。

(報告/牧野茂雄、まとめ/CAR and DRIVER編集部)




【CAR and DRIVER(カー・アンド・ドライバー)】
美しく、見やすい自動車誌の代名詞として、独自のジャンルを築いた総合自動車情報誌。国産・輸入車の新車解説、試乗記をはじめ、カーAV・ナビやアクセサリー紹介まで、クルマ生活を応援する幅広い情報を掲載。最新号は全国の書店やネット書店にてお求めください。
https://www.diamond.co.jp/magazine/123771118.html

(記事引用)







海底ケーブルから情報が盗まれる?  サイバー空間の権力論
2014年11月6日  WEDGE Infinity          
 国家戦略としての重要性 塚越健司 (拓殖大学非常勤講師
前回の連載は無人飛行機「ドローン」。その技術発展は軍事にもビジネスにも用いられ、空の交通革命を感じさせるものだった(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4306)。一方で空という空間を拡張し、新たなフロンティアを獲得するドローンやビッグデータは、我々をどのような未来へと導くのか。議論が分かれるところである。

 ところで、インターネットは何もサイバー空間だけに限定されない。その技術の根本には、100年以上前からある「海底ケーブル」が必要不可欠だった。海底ケーブルとはどのようなものであり、またケーブルからの「盗聴」をめぐる各国の思惑はどのようなものか。海底ケーブルは通信インフラだけでなく、膨大な情報をめぐる「サイバー戦争」を誘発する。目に見えないサイバー空間だけでなく、海底奥深くに横たわるもう一つの情報戦争に着目したい。

地政学上も重要となる海底ケーブル
 世界をつなぐ通信ネットワークのはじまりは1850年に遡る。この年イギリス―フランスの海峡間の海底に、電信や電報のためのケーブルが接続された。その翌年の1851年に運用が開始されて以降、大西洋や太平洋を横断した海底ケーブル等、世界中を結ぶケーブル網が20世紀初頭までに完成し、現在でもケーブルが新設され続けている。またケーブルの種類も電話回線用や光ファイバー回線用と進化を続け、電話やインターネット等の大容量通信ネットワークを支えている。

 ケーブル敷設には専用の特殊船が用いられており、海底深くにケーブルを敷くという、進化はしつつも作業それ自体は19世紀から変わらない手法が用いられている。ケーブルが海底に置かれているのは、敷設当初は漁船の網にケーブルが引っかかってしまう被害が続出したからである。とはいえ、海底深くケーブルが敷かれた現在でも、地震等の地殻変動やサメが食い破ってしまう等の被害が後を絶たず、ケーブルの補修工事は必須となっている。

 日本にとって海底ケーブルはアメリカとアジアを結ぶ最初の地点であり、その意味で地政学上非常に重要な位置を占めている。またKDDI等の通信事業者や、NECをはじめとするケーブル敷設事業も盛んであり、NECは2014年10月にもタイ―香港までの海底ケーブル延伸を受注している。
現在の主流となっているケーブルは光ファイバーである。1989年に日米間で初めて敷設された光ファイバーケーブルだが、当時通信料が電話にして7500回線分だったものが、現在ではその量を遥かに超えている。最新の光ファイバーケーブルは1秒間に4.8テラビット、電話回線にして7500万回線分もの通信量を扱うことが可能だ。無論これはケーブル一本の通信量であるから、最大8対までケーブルに入れられる光ファイバーや、その他の海底ケーブルの量を考慮すれば、どれほど海底ケーブルが通信事業にとって重要かがわかる。

 また、通信衛星であれば地球からの距離が遠いため会話がワンテンポ遅れがちであるが、光ファイバーの海底ケーブルであれば、遅延は通信衛生の5分の1程度で済むという。このように、通信衛星と比較して遅延も少なく速度も早いことから、インターネット等の国際通信の9割以上は海底ケーブルが用いられている。

 ただし、海底ケーブルは自然災害とも関係が深いことも指摘しなければならない。東日本大震災の際、地震にともない幾つかのケーブルが破損し、日本の通信ネットワークに障害をもたらした。当然のことながら、自然災害によってケーブルが破損すれば通信に支障をきたすのであり、インターネットのようなサイバー空間も、物理的な自然環境と無関係では済まされないことを痛感させられる。とりわけ日本周辺の海底は世界的にみても地理的に地震の多い地域であることから、海底ケーブルの補修や保全は必要不可欠なのである。

情報が抜き取られる?
 海底ケーブルをめぐる大きな問題は盗聴である。米NSA(国家安全保障局)の元職員であったエドワード・スノーデン氏が2013年に暴露した内容に従えば、アメリカとイギリスの諜報機関は200本以上の海底ケーブルに盗聴器を仕掛けているという。すでに世界中に張り巡らされた海底ケーブルであるが、アメリカとイギリスを経由するケーブルの数は多く、またGmailやFacebook等のSNSに関する通信情報をケーブルから根こそぎ傍受していたという報道は世界に大きな衝撃を与えた。

 実際、スノーデン氏の暴露により自身の会話が盗聴されていたことを知ったブラジルのルセフ大統領はアメリカに猛抗議したことは以前の記事(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3892)でも伝えた。そうした影響もあってか、計画そのものは2012年から存在していたものの、2014年2月、ブラジル政府はブラジル―ポルトガル間を結ぶ海底ケーブル敷設に関してEUとの合意を得た。それにより、アメリカを経由せずアメリカに情報を盗まれることのない海底ケーブル網が2015年に運用開始する予定である(ちなみにブラジルとスペインの通信事業者が共同で建設する予定で、総額費用は1億8500万ドルとのことである)。またルセフ大統領は2014年10月に記者会見において、国際海底ケーブルは盗聴のターゲットであると述べている(http://www.bloomberg.com/news/2014-10-30/brazil-to-portugal-cable-shapes-up-as-anti-nsa-case-study.html)。

  無論、海底ケーブルをめぐる情報戦はスノーデンの暴露前にも存在する。米ソ冷戦時代の1970年代には、アメリカが実際にソ連が利用している海底ケーブルに盗聴器を仕掛けた事件が発生している。この盗聴器は1980年代にNSAの職員が報酬と引き換えにソ連に情報を売ったことで発覚したが、同様の盗聴例は歴史の表に現れないだけで、実際には数多の盗聴が実行されていると予想される。

 情報が海底ケーブルから根こそぎ盗まれているとすれば、我々の生活にどのような影響が及ぼされるか。現在のデータ解析技術では膨大な情報量のすべてを捌ききることは不可能であろうが、解析技術の向上にともない、今以上に容易に特定の個人の情報だけをピックアップして傍受することが可能になるだろう。現にそのような技術はすでに開発されているが、それがより容易になり、通信履歴から個人の周辺情報まで予測可能になる時代においては、情報は今以上に重要なものとなる。その際、膨大な情報源となる海底ケーブルの価値は現在のそれとは異なる様相を帯びる。

海底ケーブル敷設は、国家戦略である
 海底ケーブルから直接情報を盗もうとあなたが思うなら、当然自国の領域内にケーブルを多く敷設しようと考えるだろう。盗聴が容易になるからだ。海底ケーブル敷設はひとつのビジネスでもあるが、同時にケーブル敷設は一種の情報獲得のための戦場としても成立する。あらゆる政府がケーブルから盗聴しているわけではなかろうが、少なくとも戦争をはじめとする争いが生じた時に、各国政府はケーブルから情報を盗んだり、あるいはケーブルを切断することで敵国の情報通信ネットワークに障害をもたらすだろう。

 このようにインターネット上でしばしば論じられる「サイバー戦争」なる言葉には、物理性を帯びた海底ケーブルが包含されていることがおわかりだろうか。物理的なモノであるからこそ、海底ケーブルは各国政府が競って敷設を争い易い構造をもったインフラなのである。したがって我々もまた、ますます増加するであろう海底ケーブルの敷設をめぐる問題に敏感であるべきなのだ。
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 地震大国である日本周辺のケーブルは確かに破損しやすい。だが、自国周辺に多くの海底ケーブルを持つことは、自国の通信ネットワーク網を守る意味でも、あるいは他国との外交に関しても重要な位置を占めている(とはいえ、海底ケーブルを盗聴することを筆者は望んでいるわけではない。あくまで情報通信ネットワークの維持が重要なのだ)。今後も増加する海底ケーブルを、これまで以上に注目してその動向をみる必要があるだろう。

*関連記事:中国がインターネットから降りる日が来る?

(記事引用)





「アメリカ」重工業の経済史
アメリカ合衆国の経済史(アメリカ)では、主に17世紀にヨーロッパ人が現在のアメリカ合衆国となった地域に入ってきてからの経済の歴史を概説する。
1776年、イギリスの13植民地が合同してアメリカ合衆国となった。19世紀の間に、アメリカ合衆国の経済は外資へ依存しながら工業化された。第一次世界大戦後にアメリカは世界経済の債権国へ伸し上がった。資源国としても世界中から移民を惹きつけて、技術と産業を国際的に発展させた。20世紀後半には、成長しつづける機関投資家が多様な市場に変革をもたらしたので、合法的であれ19世紀に劣らないような経済格差が広まった。
USドルは基軸通貨として国際需要が絶えず、国内では証券を主要な交換手段とするようになった。やがて証券は国際流動性にまで昇華したが、とりわけ労働市場における格差を是正しないまま大衆の債務を証券化していたので、危険は世界金融危機として顕在化することになった。

植民前史
アメリカ州の先住民族は、ヨーロッパ人が到着するまでアメリカ州以外との接触がほとんど無く、種族の間で交易がある程度だった。その経済の仕組みは、イロコイ連邦の場合など狩猟採集と農業の様々な組合せだった。農産物としては既にトウモロコシが広く栽培されていた先住民族の経済はヨーロッパ人の到来とその結果として疫病が入り、ヨーロッパ製品の流入、毛皮貿易に関連したヨーロッパ人との交易関係、武器の獲得と戦争への関与、土地の喪失および居留地での拘束というように大きく変えられていった。

1492年、クリストファー・コロンブスがスペイン国旗の下でアジア発見のために出航して、たまたま「新世界」に到着した。続く100年間、イギリス人、スペイン人、ポルトガル人、オランダ人およびフランス人探検家がヨーロッパから新世界に航海し、金、富、宗教的利益、名誉および栄光を探った。しかし、北アメリカの荒野は初期探検家達にほとんど栄光をもたらさず、金もあまり見つからなかったので、大半はここに居住することが無かった。北アメリカに定着するための人々がやって来たのはだいぶ遅くなった。1565年に現在のアメリカ合衆国内となるフロリダ州セントオーガスティンにスペインの植民地が造られ、その後の1607年、バージニア州ジェームズタウンに、小さな一団の開拓者がイギリスの恒久的開拓地を建設した。

植民時代

マサチューセッツ州セイラムにおける船積み風景、1770年代

独立戦争時の漫画。アメリカ人が困惑した表情のイギリス人の前で牛の角を切っている(イギリス商圏からの分離を象徴)。他のヨーロッパ列強はミルクを集めようと待っている。

初期の開拓地は簡単には自立できなかった。ジェームズタウンの場合、最初に到着した者の半数は病気と飢えのために最初の冬を越せなかった。その後も少なくとも3年間は本国からの補給に頼る状態が続き、放棄寸前までいった。1520年にニューイングランドに作られたプリマス植民地にしても、最初の冬を越すことが大変だったのは同様であり、その中で先住民族との関係を築き、トウモロコシの栽培方法などを習って飢えを凌ぐ途を探った。どちらの植民地もイギリス本国には植民地から上がる収益を期待して投資した者達の存在があり、その見返りになるものはなかなか見つからなかった。そうした中でジェームズタウンでは、ジョン・ロルフが西インド諸島から持ち込んだタバコの栽培に成功した。これがイギリスにむけて出荷されて評判を呼び、換金作物の目処が着いた。

初期開拓者は様々な理由でアメリカに来ていた。マサチューセッツ湾植民地のピューリタンはニューイングランドで浄化された宗教を生み出そうと望んだ。バージニア植民地のような他の植民地は主に事業創造として植民地を建設した。アメリカ合衆国となった地域にイギリスが植民地化して成功したことには、特許会社を使ったことが大きく寄与した。
特許会社は一群の株主(通常は商人と裕福な土地所有者)が個人的経済利益を追求し、恐らくはイギリスの国としての目標にも適うことを欲して作ったものだった。民間部門が会社の財政を担い、国王がそれぞれの計画に経済的な権利と政治・司法の権限を与える特許あるいは認可を発行した。
しかし、植民地は概して直ぐには利益を生まなかったので、イギリス人投資家達はしばしばその植民地特許を開拓者達に渡した。当時は認識されていなかったものの、この政治的意味合いは大きなものだった。植民地の者達は自分達で生計を立て、自分達の社会を作り、つまりは自分達の経済の仕組みを作っていくままに任された。

初期植民地で成功したのは毛皮用動物の捕獲と交易から得られたものだった。しかし植民地全体では主に小さな農園で自給自足で暮らす者が多かった。数少ない都市やサウスカロライナおよびバージニアの大規模プランテーションの中では、幾つかの生活必需品や事実上贅沢品の全てがタバコ、米およびアイのような輸出品との見返りに輸入された。交換手段は絶対的に不足していた。

このような中で後のニューヨークが発展を始めた。当初、オランダ人がマンハッタン島に交易所を作り、1625年にニューアムステルダムと呼び始めた貿易の中継点だったが、イギリスが1664年に占領して、ニューヨークと改名した。天然の良港とハドソン川水系を抱えたこの地域は、内陸でビーバーの毛皮とヨーロッパ製品を交換して運び出し、大西洋貿易に船積みすることで発展して、1660年頃の人口1,000人が1690年には6,000人、独立後の1790年には3万人を越えるまでになっていった。

開拓地を開いていくためには、労働力が必要だった。初期にはかなりの数のヨーロッパ人が年季奉公として連れてこられた。年季奉公から人種を区別した奴隷制への移行は徐々に進んだ。アフリカからの奴隷輸入は18世紀に入って急増し、1720年のサウスカロライナ植民地では人口の65%が奴隷だった[5]。ロードアイランド植民地のニューポートは奴隷貿易(三角貿易)の上で重要な港となった。

新国家図1.経済成長の推移、1700年-1850年

1787年にアメリカ合衆国憲法が採択され、国全体が一つになり、共通の市場、すなわち州間の交易には国内の関税や税金が無くなった。それでも1790年に行われた第1回国勢調査では、総人口はわずか393万人、ニューヨーク市の33,000人が最大で、1万人以上の都市は5つしかなかった。広大な土地にこの人口では経済的にヨーロッパ列強に太刀打ちできる状態ではなかった。アレクサンダー・ハミルトンは初代財務長官としてたいへん広い見解を持っており、連邦政府の権限がおよぶ範囲が大いに議論された。ハミルトンは富裕で政治に関心のある階級(政府を健全な状態に保つことに関心があった)に保有される国債を元に強い国の信用を造り上げ、また輸入品にかける関税で資金を集めた。ハミルトンは、アメリカ合衆国が多角的な船舶運用、製造および金融を通じて経済の成長を追求すべきと考えた。政府の支出に資するために保護関税のような手段を提案したが、ウィスキーに掛かる税金には西部(この時代は現在の東海岸の西部山岳地)の農夫達が強く反発した(ウィスキー税反乱)。1791年には議会に働きかけて第一合衆国銀行(現シティグループ)を創設する認証を得た。その公認期間は1811年まで続いた。

トーマス・ジェファーソンとジェームズ・マディソンは強い中央政府に反対した(その結果ハミルトンの経済政策の大半に反対した)が、ワシントン政権で広大な権限と強い政治力を発揮するハミルトンを止めることはできなかった。しかし、1801年ジェファーソンが大統領になり、ジェファーソン流民主主義と呼ばれるより分散的で農本的な民主主義を推進するように変わった。この考え方は危機感に裏打ちされていた。
1803年末に外国が連邦債務の約56%(4870万ドル)を保有していたのである。アメリカは英仏の対立に乗じて、戦争をしている両大国に食料や原材料を輸出し、国内市場とカリブ海の植民地の間で商品を輸送することから利益を生み出そうとした。マディソンはジェファーソンの後を受けて大統領となり、合衆国銀行の公認が1811年に消滅するままにさせた。しかし、アメリカの海運に対するイギリスの干渉が続いていたことなどに端を発した米英戦争が国定銀行の必要性を証明することになった(連邦負債総額1億1960万ドル)。ここでマディソンは立場を変えた。第二合衆国銀行は1816年に、20年間の公認期間で創設された。1818年、外国は連邦政府債務9900万ドルの約26%を保有したが、およそ半分がイギリス投資家に保有されていた。

拡張と成長

"最初のコットン・ジン"、1869年の想像図。最初のコットン・・ジンは1826年ギブソン郡につくられた。
1803年のルイジアナ買収により、西部の農夫達はミシシッピ川を重要な水路として使うことが可能となり、合衆国の西部辺境からフランス人を追い出すことで開拓者は広大な農地の拡張が可能となった。グレートプレーンズをふくむ同地域は世界の大穀倉地帯に成長していった。一方、綿花は当初南部での小規模作物だったが、イーライ・ホイットニーが1793年に綿花原料から種とその他の廃棄物を分ける機械であるコットン・ジンを発明した事によって盛況となった。間もなく奴隷労働に基づく大規模プランテーションが両カロライナ州からテキサス州にかけての肥沃な土地に拡がった。

毛皮貿易で一大資産を築いたアメリカ毛皮会社の所有者ジョン・ジェイコブ・アスターは、その事業から撤退した後に、ニューヨーク市のマンハッタン地区を買占めて開発し、アメリカ合衆国では最初の大富豪になった。

フルトンの外輪蒸気船クラーモント号


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1807年、ロバート・フルトンがハドソン川で外輪蒸気船クラーモント号を試運転して、オールバニまで遡った。これが蒸気船の実用化に拍車を駆けて、水上交通に急速に普及していった。1818年には帆船によるニューヨーク・リヴァプール間の大西洋定期航路が開かれ、1838年からは蒸気船も加わり、1848年から蒸気船による定期航路も開かれて、ヨーロッパへの往来が速くなり、安全性も増した。は

多くの者がアメリカ合衆国中西部のより肥沃な農地に移って行った。カンバーランド道路(1818年)やエリー運河(1825年)など政府が創設した道路や水路によって新しい開拓者の西部への移住を促し、西部農場の産品を市場に送ることが可能になった。ヘンリー・クレイのアメリカ・システムを支持したホイッグ党は内陸の改良(道路、運河、港)、産業の保護、および強い国定銀行の創設を提案した。しかし、ホイッグ党の法制化計画は民主党に遮られた。

この時代のアメリカは保護貿易政策を強化し、国内産業の育成を進めた。1824年関税法は商品の価格に応じて35%という高い関税率を定めた。1828年関税法では鉄などの原材料の課税額を重くした。しかし、農業産品の輸出に頼っていたサウスカロライナ州など南部は、輸出ができなくなると反発し、1832年関税法でもその状況が改善されなかったために、サウスカロライナ州ではこれらの関税が州内では無効となることを宣言した。無効化の危機と呼ばれるこの紛争は、後の南北戦争の伏線となった。

アンドリュー・ジャクソン大統領(在位1829年-1837年)は、政敵の固定化した利益のためになると信じた第二合衆国銀行に反対した。ジャクソンは2期目に選ばれたときに合衆国銀行公認期間の延長に反対し、議会もこれを支持した。ジャクソンは紙幣の流通にも反対し、政府の得るべき金は金貨と銀貨で支払われるべきであると要求した。

1837年恐慌が3年間経済の成長を止めた。期間延長を働きかけたヘンリー・クレイは1824年にギリシャ独立戦争でギリシャ側を支援した。延長問題は国際問題であった。1838年までに各州債務残高は1億7200万ドルにのぼった。ルイジアナには外資が集中投下されていた。州債はマーチャント・バンクが引受けることにより発行されていた(私募債)。
公債市場の役者は、たとえばロスチャイルド、ベアリングス銀行(米英戦争から第二合衆国銀行と親密化)、ホープ商会、オーバレンド・ガーニー(現バークレイズ)、サミュエル・ロイド(Samuel Jones-Loyd, 1st Baron Overstone)であった。恐慌ではシティ・オブ・ロンドンが資金を供給しきれず、欧州へ資金を頼った州も続出したので、1848年革命まで国際的な不況が続いた。

鉄道は財務と進歩した管理技術を持つ都市工業国家への転換を可能にすることで、アメリカ経済に決定的な影響を与えた。鉄道が「不可欠な」ものであるかどうかを問われたとき、全ての人は事実上大変重要であることに同意したが、それではそれが無かったときどうだったろうか? ロバート・フォーゲルは代案は存在した、実現されることの無かった運河の仮想のネットワークであるとしている。存在しなかった運河と比較して、鉄道は合衆国の国内総生産 (GDP) に5%を追加しただけだと、フォーゲルは主張している(1820年代と1830年代に多くの運河が建設されたが、エリー運河は別として大半が破産した)。
プラス面を見ると、鉄道は大規模な事業を運営する現代的手法を発明させ、全ての大企業が基本的に従う青写真を創出した。鉄道は最初に、管理の複雑さ、労働組合問題および競合の問題に遭遇した。これら急激な革新のために鉄道は最初の大企業となった。

何度か恐慌や不況を経験しながらも、19世紀中の急速なアメリカ経済の成長は留まらなかった。長期にわたる人口の増大、新しい農地への拡張および新しい工場の建設が続いた。新しい発明や資本の投入によって新しい製造業を創出し経済成長をもたらした。
輸送力が改善されると常に新しい市場が開けた。蒸気船は川の交通を速く安くしたが、鉄道の発展はもっと大きな効果があり、広大な新しい領土を開発することを可能にした。運河や道路のように鉄道は初期の建設段階で土地の払い下げという形で政府の大きな援助を受けた。しかし、他の輸送形態とは異なり、鉄道は国内やヨーロッパの民間資本も大量に受け入れた。

それでも成長の展望と海外投資が組み合わさり、金鉱の発見やアメリカの公的および民間の富が大きく関与したこともあって、大規模な鉄道システムを発展させることが可能になり、国全体の工業化の基礎となった。

「アメリカ合衆国の鉄道」
表1: 州群ごとの鉄道営業キロの増加
          1850年 1860年 1870年 1880年 1890年
ニューイングランド 4,011  5,856  7,190  9,571 10,930
大西洋岸中部    5,123 10,728  17,542 25,395 34,458
南部州       3,258 14,141  17,907 23,645 46,734
西部州と準州    2,042 18,240  39,339 84,142 99,830
太平洋岸州と準州       37   2,683 6,528 15,686
合衆国合計     14,434 49,002 84,662 149,282 207,638
SOURCE: Chauncey M. Depew (ed.), One Hundred Years of American Commerce 1795–1895 p 111

資料ウイキペディア

■□兎にも角にも世界はアメリカ抜きでは語れない
換言すれば、すなわち「トランプを抜きに語れない」となる。
ガソリンが高騰し、その大もと原油価格が一気に暴騰している理由はなんだろうか。そう首を傾げる人は多いだろう。
そんなパターンを繰返して久しい年数が経つが、そのメカニズムを解き明かしたものがいない。それほど分析が難しい。

前述ブログ記載では「原油100ドル超えはあるか?先高観に覆われる相場の正体ガソリン、灯油も軒並み高騰、原油価格はどこまで上がるか」と題して記事を書いたが、シェールオイル相場も含めて、その予測が困難を極めている。いったいどこがとうしたというのか。

その一因に「トランプ」発信(Twitter)が理由の一つとして上げられるだろうが、それでも決定打とはいえない。もっともっと本質的な「なにか」が潜んでいるような気もする。

ここでは飽くまで「気もする」と封じておいて発言する。
抜粋記事~
トランプファーストの政策運営
現在、米国の潜在成長率は1%台半ばから後半と考えられる。潜在成長率とは、一国内の資本と労働力、テクノロジーの要素を動員した場合に達成可能と推計される成長率のレベルをいう。言い換えれば、景気循環などの影響を取り除いた経済の実力だ。足許、米国の実質GDP成長率は年率ベース2.5%であり、実力以上に良い。
トランプ氏はこの成長率を自らの手腕で引き上げようとしている。同氏の経済運営はステロイドを使って、無理やり筋力を増強しようとする考えに似ている。

しかも、トランプの財政政策は財政赤字を拡大させるものである。財政赤字と言えばそれは国債であり、大量発行すれば値崩れ=金利がさらに上昇させるものである。それは、リスクの根源の金利差=“傾斜”がさらにきつくなるのである。
トランプの政策が、金融危機=バブル崩壊のリスクを高めるというわけである。トランプ政権が北朝鮮を爆撃した場合も市場に冷や水を浴びせることになるのは、いうまでもない。
FRBでも新議長になると、市場の洗礼ともいわれる試練が良くあるものである。それは市場が新しい議長の能力を試すようなものである。グリーンスパンの時のブラックマンデー、イエレンは自信の演説による混乱などがあった。まさに、パウエルのその能力を、トランプ以下、米国議会は承認したはずである。
(記事複数引用)

このように「トランプ評」は未だに定まっていない。そうしてる間にも電光石火の火花がトランプから放たれる。

トランプ米大統領の元側近2人が脱税などの罪で有罪になったことで、大統領自身の「弾劾」つまりは罷免されることの可能性が浮上してきたと報じられるが、果たしてそうなのだろうか?
まず、「弾劾」は合衆国憲法第2条⒋項には次のように規定されている。
「大統領、副大統領及び合衆国のすべての文官は、反逆罪、収賄罪またはその他の重罪及び軽犯罪につき弾劾され、かつ有罪の判決を受けた場合はその職を免ぜられる」
手続き的には、まず下院で過半数の賛成があれば訴追でき、上院で裁判が行われ有罪の判決には出席議員の三分の二の賛成が必要。
木村太郎
[ニューヨーク 9日 ロイター BREAKINGVIEWS] - トランプ米大統領による最高裁判所判事の指名は、規制緩和面でビジネス界への贈り物となりそうだ。指名されたブレット・カバノー氏。
(記事引用)

IQの数化
政治中枢をこれほど物議とスキャンダルに巻き込み、そして延命している人物もないし仮にもそれは「ノーベル」フェイクものだ。
また北の金正恩(キム・ジョンウン)、と再度交渉も画策していて、世界と「ホワイトハウス」が右往左往し翻弄されている。

果たして氏は頭がいいのか悪いのか、と判定すれば「いい」の部にはいると私は見ている。そのわけを書くために、この枠外ページを割いて記述した。

氏が一貫して主張しているのはアメリカ国益であり、世界は対等に戦うべきだと述べている。その旗印が貿易高関税だった。これで各国貿易享受国は一瞬にしてフリーズした(といっても実施されるかどう疑問で得意のTwitter発言の脅しもある)。

その施策にしてみても、アメリカの昔に戻す、というのであり特別論外な政策を押し付けているわけでもない。しかし長年やってきたその貿易黒字で潤ってきた国は、ドル箱を失うことになる。

サラリーマンがマイホームを買うのに銀行からローン30年.6000万円借りて、やっと三分の一を返済したころ、いきなり全額返せ、と迫られたようなものだった。それだって違法ではない、契約約款にはそう書いてある。自分がそれを確認もしないのに、一方的に悪徳高利貸し金融呼ばわりし、おれは犠牲者(大アクションクレーマー)だと言いふらす様に似る。

どちらが正しいか~世間的、世相的にみれば犠牲者が同情を買い、悪徳金融が炎上するのが当世流だ。だから理論的にはアメリカトランプは理不尽なことを他人様に吹っかけているわけではないことになる。

この話題で思い出したのが江戸の盗賊悪党「ねずみ小僧・鼠小僧次郎吉」だった。

ドラマ定番、桜吹雪の「遠山の金さん」こと「遠山金四郎景元」と同様、日本を代表する二者は、実在の人物で後に本に脚色されベストセラーとなる。
遠山金四郎景元、官位従五位下左衛門少尉文化6年(1809年)、父の通称であった金四郎に改める。

鼠小僧(ねずみこぞう、寛政9年(1797年) - 天保3年8月19日(1832年9月13日))は、江戸時代後期(化政期)に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。本名は次郎吉(じろきち)。鼠小僧次郎吉として知られる。本業は鳶職であったといわれ、義賊の伝承で知られる。 
生い立ち - 盗人稼業へ・1度目の捕縛
歌舞伎小屋・中村座の便利屋稼業を勤める貞次郎(定吉・定七とも)の息子として元吉原(現在の日本橋人形町)に生まれる。10歳前後で木具職人の家へ奉公に上がり、16歳で親元へ帰った。その後は鳶人足となったが、不行跡のため父親から25歳の時に勘当される。その後は賭博で身を持ち崩し、その資金稼ぎのために盗人稼業に手を染めるようになったと伝わる。

文政6年(1823年)以降、武家屋敷の奥向に忍び込むこと28箇所32回に及んだが、文政8年(1825年)に土浦藩上屋敷(現:日本橋蛎殻町二丁目。当時の藩主は奏者番の土屋彦直)に忍び込んだ所を捕縛された。南町奉行所の尋問を受けるが、「初めて盗みに入った」と嘘をついて切り抜け、入墨を入れられた上での中追放の刑を受ける。
なおも続く盗人稼業 - 2度目の捕縛・処刑
一時は上方へ姿を消し、江戸に密かに舞い戻ってからは父親の住んでいる長屋に身を寄せる。しかし、賭博の資金欲しさにまたもや盗人稼業に舞い戻る。
その後7年にもわたって武家屋敷71箇所、90回にわたって忍び込みついに天保3年5月5日(1832年6月3日)(日付については8日(6日)などの諸説あり)、日本橋浜町の上野国小幡藩屋敷(当時の藩主は松平忠恵)で捕縛された。

北町奉行・榊原忠之の尋問に対し、10年間に荒らした屋敷95箇所、839回、盗んだ金三千両余り。と鼠小僧は供述したが、本人が記憶していない部分もあり、諸書によっても違うので正確な金額は未だに不明である。

3ヵ月後の8月19日(9月13日)に市中引き回しの上での獄門の判決が下される。この刑は本来なら凶悪犯(放火や殺人)に適用される刑であり、この判決は面子を潰された武家の恨みの産物という見方もできる。なお、引き回しの際には牢屋敷のある伝馬町から日本橋、京橋のあたりまで有名人の鼠小僧を一目見ようと野次馬が大挙して押し寄せた。市中引き回しは当時一種の見世物となっており、みずぼらしい外見だと見物人の反感を買いかねなかった為、特に有名な罪人であった鼠小僧には美しい着物を身に付けさせ、薄化粧をして口紅まで注していたという。五尺に満たぬ小男で、動作敏捷といい、捕まったときは碌な家財道具もなく金もなかった。

処刑は小塚原刑場にて行われた。
鼠小僧墓(両国回向院)
当時の重罪には連座制が適用されていたが、鼠小僧は勘当されているために肉親とは縁が切れており、数人いたという妻や妾にも捕縛直前に離縁状(離婚証明)を渡していたため、天涯孤独の身として刑を受けた。この自らの行いに対しあらゆる人間を巻き込まずに済ませたという点も、鼠小僧が義賊扱いされる要因のひとつとなっている。
墓は両国の回向院にある。参拝客は長年捕まらなかった幸運にあやかろうと、墓のお前立ちを削って持ち帰り、お守りにしている[2]。また愛知県蒲郡市の委空寺にも母親の手によるとされる墓を移設したものがある。その他、南千住の小塚原回向院、愛媛県松山市、岐阜県各務原市等にも義賊に恩義を受けた人々が建てた等と伝えられる墓がある。
鼠小僧について「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与えた」という伝説がある。この噂は彼が捕縛される9年も前から流れていた。事実、彼が捕縛された後に役人による家宅捜索が行われたが、盗まれた金銭はほとんど発見されなかった。傍目から見ると彼の生活が分をわきまえた慎ましやかなものであったことから盗んだ金の行方について噂になり、このような伝説が生まれたものと考えられる。しかし現実の鼠小僧の記録を見るとこのような事実はどこにも記されておらず、現在の研究家の間では「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」という説が定着している。

鼠小僧は武士階級が絶対であった江戸時代に於いて、大名屋敷を専門に徒党を組むことなく一人で盗みに入ったことから、江戸時代における反権力の具現者のように扱われたり、そういったものの題材して使われることが多い。しかし、これについて資料が残されていない中で鼠小僧自身にその様な意図が無かったという推測もある。彼が大名屋敷を専門に狙った理由については、敷地面積が非常に広く一旦中に入れば警備が手薄であったことや、男性が住んでいる表と女性が住んでいる奥がはっきりと区別されており金がある奥で発見されても女性ばかりで逃亡しやすいという理由が挙げられている。また町人長屋に大金は無く、商家は逆に金にあかせて警備を厳重にしていた。大名屋敷は参勤交代等に代表される江戸幕府の経済的な締め付けや謀反の疑いを幕府に抱かせるおそれがあるという理由で警備を厳重に出来なかったものと考えられ、また面子と体面を守るために被害が発覚しても公にしにくいという事情もあった。
※資料ウィキペディア

解説が長くなったが、実在人物として詳細が必要だと思った。大方、二者架空の人物と認識している方々のために参考にした。

これはまったくアメリカ大統領トランプとはなんの関連性もないが、昨今、アメリカで「忍者」ブームが流行っていて、それに併せて書きたした。
しかしこの年代のアメリカは蒸気船による定期航路が開通した年代であり、その差が歴然である。

話題が飛んでしまったが、そうした時代の比較でアメリカの本質が見え、また欧米経済スタートラインの線が、どこにあったのかがよくわかる。

遠山の金さん、鼠小僧次郎吉にこの話しを持ち出して設問したところで、解答は出ないだろうが、デジタル通貨また世界の1パーセント富裕者の富が、世界を覆っている現在、それら1%からおすそ分けをいただいたとしてもバチは当たらないだろうが、法律的には窃盗であり処罰される。
方法論として仮想通貨の巨額窃盗ハッキングがその「鼠小僧」に似ているだろうが、いまのところそれを礼賛するものは誰も居ない。
もし、と仮定してそのおこぼれが一般市民になんらかのカタチで還元されたとしたら、また違った展開がおこると思慕しているが、所詮かなわぬ願いだろう。
しかしこのまま1%富裕層がさらに貯め込んだとすると世界経済の将来はダークサイト化していくことが必至だ。それは実際の戦争よりもっとおそろしい修羅図が描かれるにちがいない。

それを警告してこの仮想サイトを閉める。








クルト・シューマッハー (Kurt Schumacher, 1895年10月13日 - 1952年8月20日)は、ドイツの政治家。

第二次世界大戦後の西ドイツで、ドイツ社会民主党 (SPD) の再建を指導した。ドイツ民主共和国(東ドイツ)の支配政党であるドイツ社会主義統一党 (SED) との協調を峻拒して、強烈なカリスマ性で SPD を率い、コンラート・アデナウアー首相と共に戦後西ドイツ政治の方向性を決定付けた立役者と評価されている。
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小企業家の息子として、西プロイセンのクルム(現在のポーランド領ヘウムノ)で出生。父は事業には成功していなかったが政治活動に熱心で、リベラル政党の市議会議員も務めており、シューマッハーに影響を与えた。クルムの住民はポーランド人が過半数を占め、シューマッハーの級友の多くもポーランド人であったが、学校でポーランド語を使用することは禁じられていた。こうした環境がシューマッハーの世界観形成に影響し、少年時代にはエドゥアルト・ベルンシュタインの論文を読み、教条主義的共産主義の危険性を認識していた。

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、開戦の翌日に学校を仮卒業し軍に志願して従軍。これは故郷が敵国ロシアとの国境から30 kmしか離れていないことも関係していた。この年12月にポーランドのウォヴィチ付近の戦闘で負傷、右腕を切断した。さらに赤痢に罹り、身長185 cmの彼の体重は72 kgから45 kgにまで減少した。戦後、故郷クルムは独立した新生ポーランド国家に編入されたが、彼の一族はドイツに移住する者と町に残る者に別れ、そのときクルムの行政裁判所に勤めていたシューマッハーはそのありさまを目の当たりにすることになった。

政治への道・投獄

ベルリンにあるシューマッハーのレリーフ
除隊して恩給を受ける身になったシューマッハーは1915年にハレ大学、ついでライプツィヒ大学、ベルリン大学で学業を再開。1919年に学業を終えて労働省に就職したが、その傍ら学業を続けて1926年にはミュンスター大学に学位論文を提出して法学博士号を取得した。ハレ在学中に彼はその地で勢力の強かった独立社会民主党 (USPD) が組織したストライキを何度も目の当たりにしたが、その政治手法には疑問を持ち、政党とは距離を置いていた。しかし1916年に SPD 系の帰還兵団体に入会し、1918年には SPD に入党した。労働者政党であった SPD の中で、彼のような高学歴の人間はむしろ少数派だった。

1918年11月にドイツ革命が起きたときはベルリンにいたため、オットー・ブラウンらと共に労兵レーテ(評議会)の委員となった。その後 SPD 系新聞の編集者としてシュトゥットガルトに移住。1924年にヴュルテンベルク州議会議員に当選し、1928年からは党議員団長になった。その頃から既にナチスやドイツ共産党に対する舌鋒鋭い批判者になった。ナチスはともかくドイツ共産党を批判したのは、その党運営が民主的性格を欠くことやソビエト連邦の指導を受けていたためだった。

1930年には国会議員に初当選し、党勢を伸ばしていたナチスに激しく抵抗した。1933年についにナチスが政権を獲得すると、ナチスが提出し可決された全権委任法によってナチス以外の全政党が非合法化された。SPD 党首オットー・ヴェルスと共にこの法案に対する抵抗の急先鋒であったシューマッハーは、7月に逮捕された。「転向」の誓約書を書くことで釈放すると言われたものの峻拒したため強制収容所に送られ、9年9か月9日に及ぶ収容所生活でダッハウ強制収容所など数か所を転々とした。1943年に重病を理由にいったん釈放されたが、翌年末に再度捕えられ、第二次世界大戦終戦時にイギリス軍によって解放された。

資料ウイキペディア








"ネット報道が"トランプ批判ばかりなワケ
 2018年9月26日 9時15分 プレジデントオンライン
大手メディアとの対決姿勢を強めるトランプ米大統領が、今後は検索大手のグーグルをやり玉に挙げた。「トランプ」+「ニュース」というキーワードで検索すると、トランプに批判的な大手メディアの記事ばかりが上位に表示されるのは「偏向」だというのだ。グーグルは「検索結果に政治的な思想の偏りはない」と真っ向から反論するが、トランプ政権側はネットの言論の自由を保証する法律にも手を付けかねない勢いだ――。
■「グーグルはわれわれが見るニュースを操作している!」
「メディアは国民の敵だ」と公言するドナルド・トランプ米大統領と、米主要メディアとの対立は、今に始まったことではない。しかもその対立の度合いは今年夏からさらに強まり、「全面戦争」状態に入っている。

トランプ大統領にとって、「敵」はニューヨーク・タイムズやCNNだけではなくなってきた。8月28日には大手IT企業グーグルをやり玉に挙げ、1996年に制定された「通信品位法(Communications decency act=CDA)」(※注1)230条の免責条項(プロバイダーやサーチエンジンは、媒介した他者の情報について発信者としての責任を問われない)の適用除外をちらつかせた。大統領に言わせれば、グーグルもニューヨーク・タイムズと同じように「左翼偏向操作」をしているという。検索すると、出てくるのは反トランプの主要メディアの記事ばかりだというわけだ。

トランプ大統領はツイッターにこう書きこんだ。「グーグルで『トランプ ニュース』と検索すると、フェイクニュースを流すメディアの見方や報道だけが表示される。言い換えれば、やつらは私や他の(保守的な)人々に関するニュースを不正操作しているので、(検索で出た)ほとんどの記事やニュースは悪い内容だ。フェイクなCNNは特に目立つ。共和党や保守派、公平なメディアを隠している。違法じゃないのか?」

「『トランプ ニュース』の検索結果の96%は全国規模の左翼メディアのもので、非常に危険だ。グーグルや他の企業は保守派の声を抑えつけ、よい情報やニュースを隠している。グーグルなどは、われわれが見られるものと見られないものを操作している。これは注目されるべき非常に深刻な問題だ。対処する!」

これを受けて、大統領の側近で経済政策を取り仕切る国家経済会議(NEC)のラリー・クドロー委員長(※注2)は、グーグルに対する規制措置をとるかどうか、対応を検討すると言明した。「同委員長の周辺では、通信品位法第230条による保護の剥奪をすでに検討し始めている」(米主要紙ベテラン記者)とされる。

■グーグルは「検索結果に政治色はない」と反論
むろんグーグルは直ちに声明を出し、「政治アジェンダを設定するために検索が使われることはなく、検索結果に政治的な思想の偏りはない」と真っ向から反論している。

トランプ大統領がグーグルなどのネット企業に目をつけたのは、これが初めてではない。トランプ政権は昨年12月、ネット接続事業を公共インフラと位置づけ、すべてのユーザーに公平なサービスを義務付けた「ネット中立性規制」(※注3)の撤廃を決め、すでに実施に移している。これに対し、グーグルの親会社アルファベットなどが加盟する業界団体(マイクロソフト、ツイッター、ネットフリックスなども加盟している)は8月28日、ワシントンの連邦控訴裁判所に「ネット中立性規制」の復活を求めて提訴している。

トランプ大統領が主張する「グーグルの『トランプ ニュース』の96%は『左翼メディア』による情報ばかりだ」というのは本当なのか。実際に検索してみると、確かにニューヨーク・タイムズやCNNなどの記事が検索結果の上位に出てくる。一方で、保守系のウォールストリート・ジャーナルやフォックス・ニュースの記事も出ている。さすがに極右のブライトバート・ニュースはすぐには出てこない。

専門家によると、トランプ大統領の主張は、保守系ブログ・ネットワークであるPJメディアの調査結果に基づくものだという。
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■原因は「アルゴリズミック・フィルタリング」?

なぜ『トランプ ニュース』の検索結果が主要メディア主体になるのか。専門家たちは、それは「アルゴリズミック・フィルタリング(Algorithmic Filtering)」のなせる業だと指摘している。

コロンビア大学ジャーナリズム大学院が編集発行する『コロンビア・ジャーナリズム・レビュー』などに寄稿しているメディアウォッチャー、マシュー・イングラム氏もその一人だ。

イングラム氏によれば、グーグルなどのインターネットの検索サイトは、ユーザーを識別する仕組みを用いて、そのユーザーが見たいだろうと思われる情報を選択的に推定し、ユーザーが見たくないだろうと思われる情報を遮断している(これをアルゴリズミック・フィルタリングと呼ぶ)。つまり、『トランプ ニュース』というキーワードを入力して検索すると、システムはそのユーザーの過去の検索履歴などから、主要メディアの情報を検索上位に表示する仕組みが出来上がってしまっている。(※注4)

アクセス数を増やすために多数派のユーザーの嗜好に合わせるという商業的目的とも相まって、「人間」ではなく「ネット」自体が、「主要メディア」の情報を半ば優先的に選択しているというわけだ(裏を返せば、主要メディアの多くがトランプ大統領の政策に厳しい批判の目を向けているということでもある)。その点では、トランプ大統領の憤りもわからないわけではない。

■攻撃的なのはトランプの苦境の裏返し?
とはいえ、もしトランプ大統領がグーグルを提訴すればどうなるのか。前述のイングラム氏は、トランプの思うようにことを進めるのは難しいだろうと予測する。「まず、通信品位法第230条の改正または撤廃が必要になる。たとえそこを突破しても、今度は憲法修正第1条(言論の自由)がある」。すべてのアメリカ国民と同様、グーグルなどのサーチエンジンやインターネット接続業者も、憲法修正第1条によってその言論の自由を守られているのだ。

負けを承知でグーグルにけんかを売るトランプ大統領の言動は、大統領を取り巻く今の環境がいかに厳しいかを物語っているともいえる。ロシア疑惑も、もちろんその一因であろう。

人気政治評論ブログのアナリスト、マイク・アレン氏は、トランプ大統領が置かれている苦境を以下のように列挙している。(※注5)

・ワシントン・ポストとABCニュースの最新の合同世論調査によれば、大統領不支持率は60%、逆にロシア疑惑を捜査するロバート・モラー特別検察官の支持率は63%。
・法律顧問だったドン・マクガーン氏、次席法律顧問のアーニー・ドナルドソン氏が相次いで辞任。ホワイトハウスの顧問弁護士は従来の35人から25人に激減。
・「懐刀」だった個人弁護士のマイケル・コーエン氏が、トランプ氏の指示でポルノ女優らへの口止め料を支払ったことを連邦地裁で証言。元側近の裏切りが始まった。
・今や大統領とホワイトハウスのスタッフの間には完全な溝ができてしまった。側近の1人は「大統領は進退窮まったかのような言動を続けている」と漏らしている。
■目覚めつつある「もう一つのアメリカ」
11月6日の中間選挙を控え、トランプ政権下で眠っていた「もう一つのアメリカ」が覚醒しつつあるように見える。まず、引退後沈黙を守ってきたバラク・オバマ前大統領が動き出した。トランプ共和党打倒を目指し、民主党の結束を図るという。

死の間際までトランプ大統領に猛省を促していた共和党の重鎮、ジョン・マケイン上院議員が8月25日に死亡したとき、全米メディアの「鎮魂報道」ぶりは異様といるレベルまで高まった。まるで大統領経験者が死んだような扱いだった。オバマ、ブッシュ(子)、クリントンと、直近の歴代大統領が党派を超えて葬儀に参列したが、トランプ大統領の姿はなかった。(※注6)

4000人が参列した「ソウルの女王」アレサ・フランクリンさんの葬儀も、全米のメディアで大きく取り上げられた。ソウル・ミュージックを通して公民権運動の促進と女性の権利向上に生涯をささげた偉大な歌手が訴え続けたのは「他者への愛と尊敬の心」。ネットで上位に表示されるニュースも、「マケイン」「アレサ」一色に染まった。

ウォーターゲート事件の報道で知られる伝説的ジャーナリスト、ボブ・ウッドワード記者の暴露本『Fear; Trump at the White House(恐怖:ホワイトハウスのトランプ)』や、現職政府高官がニューヨーク・タイムズに寄稿した匿名の「内部告発文」は、大きな話題を呼んでいる。さらに、全米小売業協会や全米民生技術協会をはじめとするアメリカの主要業界団体は、トランプの保護主義的な通商政策に反旗を掲げ、「Americans for Free Trade(自由貿易を指示するアメリカ人)」という業界横断的ロビイング組織を立ち上げた。

いずれも、このままではアメリカはダメになると憂う「もう一つのアメリカ」が動き出した証しだ。間近に迫った中間選挙で、アメリカ国民はどんな審判を下すのか。

(※注1)1934年に初めて制定され、インターネット時代に対応するために1996年に改訂された電気通信法の一部。「みだらな(obscene)」あるいは「下品な(indecent)」内容を18歳未満の者に伝達・展示することを禁じる一方、第230条ではユーザーがアップロードした内容について、インターネット接続業者やサーチエンジン、SNS事業者などは法的責任を負わないと定めており、オンライン・コンテンツの規制論議の一つの焦点となっている。
(※注2)クドロー委員長は、レーガン政権で大統領のアドバイザーを務めたエコノミストで、トランプ大統領とも長年の知己。3月に同委員長を辞任したゲリー・コーン氏の後任として就任している。
(※注3)インターネット接続をはじめとするネット関連のサービスを公共インフラの一つと位置づけ、すべてのデータやユーザーを平等に取り扱うことをネット事業者に義務付ける規制。オバマ前政権が2015年に策定したが、トランプ政権は「過剰な規制」として撤廃した。規制撤廃で多様なサービスの可能性が広がる一方、支払う料金によって個人や小規模事業者のネットへのアクセス権が阻害される懸念も指摘されている。
(※注4)“The media today: Should Google, Twitter and Facebook be worried about Trump's threats?” Mathew Ingram, Columbia Journalism Review, 8/29/2018
https://www.cjr.org/the_media_today/trump-google-tweet.php
(※注5)“Axios AM,”1 big thing: Trump's tight, lonely corner Mike Allen, AXIOS, 9/1/2018
https://www.axios.com/newsletters/axios-am-8c89c8c1-7cbd-4260-8476-037db9344ad1.html
(※注6)“In McCain Memorial Service, Two Presidents Offer Tribute, and a Contrast to Trump,” Peter Baker, New York Times, 9/1/2018
https://www.nytimes.com/2018/09/01/us/politics/john-mccain-funeral.html

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高濱 賛(たかはま・たとう)
在米ジャーナリスト
米パシフィック・リサーチ・インスティチュート所長。1941年生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業後、読売新聞入社。ワシントン特派員、総理大臣官邸、外務省、防衛庁(現防衛省)各キャップ、政治部デスク、調査研究本部主任研究員を経て、母校ジャーナリズム大学院で「日米報道比較論」を教える。『アメリカの教科書が教える日本の戦争』(アスコム)、『結局、トランプのアメリカとは何なのか』(海竜社)『アメリカの女の子はなぜ入れ墨をしたがるのか:Do We Know about Real America?』(近刊仮題、海竜社)など、著書多数。
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(在米ジャーナリスト 高濱 賛 写真=EPA/時事通信フォト)
(記事引用)









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