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クールベ、マネ 近代美術のはじまり
執筆者:橋本 誠All About
文章:橋本 誠(All About「アート・美術展」旧ガイド)
第4回、フランス革命、産業革命などの影響のもとに、独自の絵画を生み出したクールベとマネ。近代美術の始まりとされている2人を中心に紹介する「巨匠で見るアート」。

近代美術のはじまりの設定の仕方には様々な論説がありますが、新古典主義やロマン主義、写実主義が台頭する18~19世紀だとされています。特に1789年のフランス革命を受けて、ヨーロッパの各地で市民社会が成立、発展していったという時代背景の影響は大きく、芸術家は自分たちを取り囲む現実にも目を向けるようになりました。

画像 エドゥアール・マネÉdouard Manet ナダールによる肖像写真(1867-1870頃)

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そうしてクールベに代表されるような写実主義や、その流れに立ちながらさらに新しい感性をもって現実世界に目を向けたマネなどが登場します。

「巨匠で見るアート」シリーズ、第4回は「近代美術の始まり」をテーマに、ギュスターヴ・クールベとエドゥワール・マネを中心に取り上げたいと思います。
古典的形式から抜け出しきれなかった新古典主義とロマン主義
ヨーロッパにおける18世紀までの絵画は、主題を神話や宗教に求めた神話画・宗教画、王侯貴族をはじめとするパトロンを主な対象とした肖像画がほとんどでした。

一部17世紀オランダでは、カトリック教より分派したプロテスタントによる市民国家が成立し、近代的な性格を強くしていたために、写実を重視した風景画や静物画、風俗画などが多数制作されました。この動きは、後に近代絵画が成立する大きな基礎となります。

トルコ風呂
ドミニク・アングル《トルコ風呂》1862年
1738年にハルクラネウム、1748年にポンペイと立て続けにイタリアの古代遺跡が発掘されたことがひとつのきっかけとなり、18世紀後半のヨーロッパではギリシア・ローマ時代の古典への回帰が志向されるようになります。この動きはルネッサンス時代の「古典の復興」に対して「新古典主義」と区別されています。

新古典主義の代表的な画家には、時の権力者であったナポレオンの姿などを荘厳に描いたジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1822)や、きめ細かな美しい肌の表現をもって女性の裸体などを描いたドミニク・アングル(1780-1867)らが挙げられます。

民衆を導く自由の女神
ウジェーヌ・ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》1830年
一方で、新古典主義の運動を形式上の模倣や追従だとみなし、激しい構図や色使い、東洋趣味(オリエンタリスム)、現実から離れた幻想世界のテーマなどを取り入れて古典に対する反抗を試みたのがロマン主義です。

ロマン主義の代表的な画家には、ダヴィッドの弟子で、生き生きとした表情でナポレオンなどを描いたアントワーヌ・ジャン・グロ(1771-1835)や、革命の様子などをドラマチックに描いたウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)などが挙げられます。

新古典主義やロマン主義の絵画は、それぞれに18世紀までの絵画を新しい形で推し進めた表現でしたが、神話的、宗教的なものにテーマを求めたり、現実を美化した描写を行っていたという点では、古典的な形式から脱却することはありませんでした。そこからより大きく近代絵画への一歩を踏み出したのが、写実主義です。

次のページでは、クールベに代表される写実主義に迫ります!
身近な現実の世界に目を向けたクールベと写実主義
出会い(こんにちわ、クールベさん!)
ギュスターヴ・クールベ《出会い(こんにちわ、クールベさん!)》1854年
ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)は、身近な現実の世界を忠実に描写することが絵画の本質であると考え、それまでには描かれることのなかった貧民や労働者も積極的に描きました。

例えば《出会い(こんにちわ、クールベさん!)》では、道端でクールベがパトロンに出会った日常風景をありのままに描いています。パトロンに対してへりくだることのない様子も忠実に表現されています。

クールベは、現実には存在しないモチーフや、美化された「絵空事」を描くことは決して行わず、自分の目で見たものだけに題材を求めたのです。それをよく表す彼の言葉に「天使を描いてほしければ、目の前に天使を連れてこい」というものがあります。

こうした現実の世界のみに主題を求める写実主義(レアリスム)は、それまでの絵画とは大きく態度を異にするものでした。

当時のヨーロッパでは、新古典主義のアングルと、ロマン主義のドラクロワが絶大な人気を誇っており、1855年のパリ万博でも二大巨匠展が開催されましたが、クールベは私費を投じ、果敢にも個展を同時開催して自らの芸術観を示しました。このような形で個展が行われたのも、美術史上初めてだったと言われています。
自然や政治と向き合った写実主義の作家
落ち穂拾い
ジャン=フランソワ・ミレー《落ち穂拾い》1857年
三等列車
オノレ・ドーミエ《三等列車》1863-65年
クールベと共に活躍した写実主義の作家には、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)やオノレ・ドーミエ(1808-1879)らがいます。

ミレーは自然を好み、パリ郊外のバルビゾン村で活動したバルビゾン派のひとりです。バルビゾン派の多くの画家は人物を風景の一部として描いていましたが、ミレーは風景はあえて細かくは描きこまず、人物の様相を丁寧に描写しました。

ドーミエは雑誌『カリカチュール』などで版画による政治風刺漫画を描きました。自由平等思想が広がる中で、現実の生活に対する批判精神を持ちながら活動した画家だと言えるでしょう。

次のページでは、クールベに影響を受け、さらに絵画の可能性を広げたマネの表現に迫ります!
生身のヌードを描いたマネのスキャンダル
草上の昼食
エドゥワール・マネ《草上の昼食》1863年
オランピア
エドゥワール・マネ《オランピア》1863年
ウルビーノのヴィーナス
ティツィアーノ・ヴェチェリオ《ウルビーノのヴィーナス》1538年
パリ万博では、1839年に発明され、改良が重ねられていた写真技術(※)やそれらを利用した作品も紹介されていました。現実の世界をありのままに描写する写実主義に限らず、絵画には写真とは異なる表現が求められるようになっていきます。
※ダゲールにより発明され、1839年に発表されたダゲレオタイプが世界初の実用的写真技法だとされている。

そのような中で登場したのがエドゥワール・マネ(1832-1883)でした。マネは、写実主義のクールベに感化され、現実の世界を描く対象にしましたが、「如何に描くか」といったことを模索しました。

1863年、当時定期的に開催されていた公募展「サロン」の落選展にマネは《草上の昼食》を出品。大スキャンダルをまきおこします。川辺で昼食をとる紳士と裸婦の姿がモチーフですが、当時この様に現実の風景の中に裸婦を描くということは不謹慎だとされていたからです。

それまで絵画に描かれる裸婦というものは、あくまで人間の姿を借りた神であり、生身の女性ではありませんでした。よって描き方もアングルの描いた裸婦のように美しく理想化され、シチュエーションも現実離れをしたものだけが許されていたのです。

人の目に映る映像に限りなく近い、現実的な表現をもって描かれた裸婦の姿は当時の人々にとっては大きなショックだったのです。

また、《草上の昼食》が発表された2年後に「サロン」に出品された《オランピア》も大きな話題を呼びました。恥らうことなくこちらを見つめる女性は、身につけているものや一緒に描かれた黒人の召使いなどからも、娼婦であることがうかがい知れます。

作品の構図をティツィアーノ・ヴェチェリオ(1488-1576)の作品《ウルビーノのヴィーナス》に求めつつも、描かれる対象が俗的なものにすり換えられている大胆な作品です。

ちなみに、作品の構図については《草上の昼食》もティツィアーノの《田園の奏楽》などを参考にしたと言われており、マネは美術史に着想を求めることをした最初の画家だとも言われています。

最後のページは、まとめと次回の告知です!
近代美術のはじまり
18~19世紀のヨーロッパでは、自然科学の進歩、科学知識の実用化、資本主義の発達、産業の合理化などの動きがあり、人々の日常生活にも大きな影響を及ぼしました。絵画をはじめとする芸術もまた、これにより大きな変革が訪れたといってもよいでしょう。

クールベやマネは、激動の時代の中で絵画のあるべき姿を見つめ直し、独自の手法を確立していった画家です。後に様々な主義が短期間のうちに興隆し、それぞれが個性的に新しい芸術を目指していくという近代美術の出発点に位置づけることができると思います。

【関連記事】
アンディ・ウォーホルとポップ・アート(巨匠で見るアート:近・現代編)
【関連サイト】
19世紀絵画教室……19世紀の絵画を紹介するサイト。クールベやマネの作品紹介もあり。
アート at ドリアン……西洋美術史の運動様式に沿って説明と画像を掲載しているサイト。

いかがでしたでしょうか。近代美術のはじまりを語るのにはかかせないクールベとマネの作品。もしも今後見る機会があった時には、この記事のことを思い出していただければと思います。

「巨匠で見るアート:近・現代編」の次回は、マネの作品を受け入れた印象派の画家、モネとセザンヌを取り上げます。お楽しみに!
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
更新日:2006年07月19日
(記事引用)












 



F22とF35の「ハイブリッド戦闘機」の日米共同開発はファンタジーに過ぎないのか
木村正人 blogos.com 2018年05月04日 19:45 

「ハイブリッド戦闘機」の共同開発案をロイター通信がスクープ
[ロンドン発]ロイター通信のスクープを発端に航空業界が喧騒に包まれている。
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航空自衛隊の戦闘機F2の後継機(F3)として、アメリカが誇る世界最強のステルス戦闘機F22と多用途性ステルス戦闘機F35を組み合わせた「ハイブリッド戦闘機」を開発する案を米ロッキード・マーチンが日本政府に非公式に打診したとロイター通信が特ダネで報じた。


航空自衛隊が42機を調達する予定の多用途性ステルス戦闘機F35A(アメリカ空軍HPより)
ロッキードは米政府と議会の認可を得て夏までに正式提案するという。

もしF22とF35のハイブリッドという夢の戦闘機が日米の最先端技術で実現したら中国やロシアの脅威を封じ込め、アジアだけでなく世界の制空権を確保できる。

しかし、いったいどんな戦闘機ができるのか想像もつかない。米サンフランシスコに住む国防・安全保障専門のジャーナリスト、カイル・ミズカミ氏は技術誌ポピュラーメカニクス(電子版)にこう書く。

https://www.popularmechanics.com/military/weapons/a19987214/what-japans-f-22f-35-hybrid-fighter-might-look-like/

「F22のステルス性とツイン(双発)エンジン、素晴らしい運動性能、大き目の兵器庫と、そしてF35の最先端コンピューター、近代的なアビオニクス(電子機器)、ネットワーク能力を組み合わせたデザインになる」

「もし完璧に統合できたらハイブリッド戦闘機はF22とF35の弱点を克服し、双方の強さを併せ持つ。日本はエンジンと機首に搭載されるレーダーを含む自国製機器を統合することを求めるだろう」

ロイター通信によると、三菱重工が共同開発のまとめ役になり、IHIのエンジン、三菱電機の高性能半導体を使ったレーダーを活かしたい考えという。

対中国、ロシアの最前線に立つ日本
F22は「ラプター(猛禽類)」という愛称を持つ世界最初のステルス戦闘機だ。レーダーや赤外線探知装置に悟られず、隠密性が極めて高い。


世界最強のステルス戦闘機F22(アメリカ空軍HPより)
2006年にアラスカで行われた演習で既存の戦闘機に対して144機を撃墜し、F22は1機の被害も出さないという完璧なまでの撃墜比を記録した。任務遂行能力率は97%という文字通り世界最強の戦闘機である。

しかし高いステルス性は「門外不出(輸出禁止)」の軍事機密とされ、同盟国にも売却されないまま、アフガニスタンやイラクでの戦費が膨れ上がったため、F22は生産停止に追い込まれた。

緊急発進(スクランブル)の回数で比べると、16年で日本は北大西洋条約機構(NATO)29カ国を合わせた870回より多い1168回。頻繁に中国機やロシア機が日本の空を脅かしている。


領空侵犯した敵を撃破する任務を担う航空自衛隊の戦闘機は17年版防衛白書によると、通常離着陸型のF35A(4機、F4の後継機として計42機を調達予定)、F15J/DJ(201機)、F2A/B(92機、F16をベースに日米共同で改造開発したもので00年に導入)、F4EJ(52機)。

中国人民解放軍は第5世代のステルス戦闘機J20(殲撃20型)やFC31の開発を進め、ロシア軍もF22に匹敵する性能を持つとされるSu(スホイ)57をシリアに展開している。

先のエントリーでも紹介したように、イギリスの有力シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)は世界の軍事情勢を分析した報告書「ミリタリー・バランス2018」で次のように警鐘を鳴らしている。

「中国が独自開発したJ20は20年までに前線への実戦配備が開始される。アメリカだけがステルス戦闘機を作戦で運用できた独占状態は失われるだろう」

「過去30年間にわたってアメリカと同盟国のキー・アドバンテージになってきた制空権はもはや保証されているわけではない」

有力な選択肢としての国際共同開発
そんな中、防衛省は30年ごろから退役するF2の後継機について(1)国産開発(2)国際共同開発(3)F2改良による延命(4)外国機種購入という選択肢の中から検討してきた。

日本単独の国産開発はコストがかかり過ぎる。F2改良による延命では、近代化する中国機やロシア機に対抗できず、制空権の確保が危うい。外国機種を購入すれば戦闘機の生産技術基盤が失われる。有力な選択肢はやはり国際共同開発となった。

昨年3月、防衛装備庁は「将来戦闘機の日英共同スタディに関する取決めの締結」を発表。日英両国がそれぞれ検討を進める将来戦闘機と将来戦闘航空システム(FCAS)に関する情報交換を行い、将来の協同事業の可能性について意見交換する方針を明らかにした。

F2後継機の国際共同開発を念頭に置いた取り決めだった。防衛省は今年3月、ロッキード、英BAEシステムズ、米ボーイングに国際共同開発に必要な情報提供を行うよう呼びかけており、BAEやボーイングも夏までに日本に提案する予定だ。

読売新聞によると、米英両政府に伝達されたF2後継機の「要求性能」は(1)小型無人機を「子機」として搭載(2)F35A の倍の空対空ミサイル8発を内装(3)F2と同等の最大速度(マッハ2)(3)F35Aと同等以上の航続距離・ステルス性・レーダー探知距離など。空対艦ミサイルは、運用に応じて機外装備を想定しているという。

F4後継選定で最優先された日米同盟
筆者は航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX、F4の後継機)をめぐり、F35Aのロッキード、F/A-18E/F のボーイング、欧州製戦闘機ユーロファイター(通称・タイフーン)のBAEが争い、F35Aが採用された経過を長期にわたって取材したことがある。

戦闘機の機種選定は政治や外交によって大きく左右されるため、日米同盟が最優先される。BAEは最初から最後まで完全な「当て馬」だった。


ドナルド・トランプ米大統領が国内の雇用回復のため、貿易赤字の解消を声高に主張している。

「バイ・アメリカン(アメリカ製品を買え)」と強く迫られた安倍晋三首相はF35Aや無人偵察機グローバル・ホーク、垂直離着陸機V22オスプレイの調達を進めているほか、F35B(STOVLタイプ=短距離離陸・垂直着陸型)の調達も検討していると報じられた。

トランプ大統領はアメリカ製兵器の輸出を緩和する方針を打ち出しており、ひょっとするとF22の技術移転が今度は認められる可能性があるとの楽観論も流れる。しかし、いろいろな疑問が頭をもたげてくる。

(1)緊急発進に使う制空戦闘機にF35AよりハイスペックなF22とF35のハイブリッド戦闘機が果たして必要なのか。使い減りしない戦闘機の方が適当ではないのか


(2)日本の政府債務残高は国際通貨基金(IMF)のデータで国内総生産(GDP)の235%を超えている。F22やF35でも開発・製造・維持管理に莫大なカネがかかるのに、未知数のハイブリッド戦闘機にかかわったが最後、債務拡大のアリ地獄にはまらないか

(3)F16をベースにF2を日米で共同開発した時にはF16のソース・コードの供与は制約される一方、アメリカ国内の雇用は最大限確保された。今回も国内の生産技術基盤が十分に維持されるのか、技術移転が期待できるのか、何の保証もない

米誌ナショナル・インタレストのデイブ・マジュムダ氏は「F22とF35のハイブリッド戦闘機なんて起こりっこない」と容赦ない記事を執筆した。

http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/lockheed-martin-wants-merge-f-22-f-35-1-fighter-japan-it-25509

「米航空戦闘軍団は制空権を確保する次世代戦闘機として航続距離、兵器の搭載量、ステルス性、電子攻撃の大幅な向上を求めており、F22やF35の派生機では要求を満たせない」

「垂直尾翼や水平尾翼のない構造になる可能性がある(F22とF35には垂直尾翼、水平尾翼がある)。エネルギー効率の高いアダプテイブ・サイクル・エンジン技術が採用されるだろう」「F22とF35のハイブリッド戦闘機は日本の基準を満たせても、アメリカ空軍の要求を満たせないだろう」

「日本は開発・試験・製造の費用をすべて負担しなければならないばかりか、アメリカに逆輸出してコストを軽減することもできそうにない。最もあり得るシナリオは、F22とF35のハイブリッド戦闘機はファンタジーの領域にとどまるだろうということだ」

F2後継機選定は国内の生産技術基盤維持、財政の制約という観点から考えると、使い減りのしない外国機種をライセンス生産するか、日米英3カ国の共同開発を模索してコストをできる限り軽減するのが妥当な選択肢のように思えるのだが。

(記事引用)













内田樹が語る貧困問題――貧困解決には「持ちだし覚悟」の中間共同体が必要だ ~「人口減少社会」を内田樹と考える#2~文春オンライン2018年05月02日 11:00
人口減少問題は、社会の貧困や格差を加速化させるのだろうか。思想家・内田樹氏は「持ち出し覚悟で、リターンなし」のマインドから立ち上がる相互支援の共同体こそが解決の鍵になるという。共同保育から合同墓まで、内田氏のまわりで実際に行われている相互扶助の実践から「人口減少社会」への処方箋を示すインタビュー第2弾。

前回「内田樹が語る高齢者問題」より続く

◆◆◆

分配がフェアであれば、貧困にも耐えられる
――内閣府の発表によると、日本の子どもの相対的貧困率はOECD加盟国34か国中10番目に高く、別の調査では、高齢者単独世帯における男性の相対的貧困率が29.3%、女性は44.6パーセントにも及びます。人口減少は貧困をより深刻化させるのでしょうか。
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内田 経済が右肩下がりになる中でこうした数字を聞くと、たしかに悲観的な気持ちになるのかも知れません。でも、経済指標の数値と人の幸不幸というのは完全な相関関係にあるわけじゃありません。問題は「分配方法」なんです。分配がフェアであれば、貧困にも耐えられる。分配がアンフェアだと、わずかな格差でも気に病むし、それによって傷つけられもする。そういうものです。

 僕たちの子どもの頃の日本の貧しさは、いまの若い世代には想像もつかないと思います。僕が小学校に入った年の夏休み前の校長先生の訓示は「いくらお腹が減っても、買い食い、拾い食いをしてはいけません」でしたからね(笑)。僕が子どもの頃、何か欲しいものがあって「買ってよ」というとほぼシステマティックに親に拒絶されました。「うちは貧乏だから」というのが母親の決まり文句でした。

「どうしてうちは貧乏なの?」と訊くと、ぴしゃりと「戦争に負けたから」で話が終わった。そう言われたら、それ以上ごねようがない。それでも何とかなっていた。それは1950年代の日本人の貧しさは、関川夏央さんが言うところの「共和的な貧しさ」だったからです。乏しい資源を地域共同体で均等に分かち合い、助け合って生きてくという心遣いがありました。

――『ALWAYS 三丁目の夕日』のような世界ですね(笑)。

共同体は簡単に成立し、簡単に消滅する
内田 僕が育ったのは東京の大田区の多摩川沿いの工場街です。僕の住んでいた町にはもともと地域共同体らしきものはなかった。川岸に軍需工場がたくさんあったので、その下請け孫請けの町工場がひしめき、そこで働く人たちが集住していたエリアです。空襲で工場はあらかた焼けてしまった。その廃墟に雑草が生い茂り、遠目に見ると野原のように見えるんだけれど、近くに行って見ると、焼け焦げた鉄骨や崩れたコンクリートの土台や、ガラス片が飛び散っていた。

そんなところにまともな地域共同体なんかあるはずがない。戦後、日本各地から仕事を求めて上京してきた人たちが、そこに安普請の家を建てて、肩寄せ合うように暮らしていた。だから、隣人たちと言っても、出身地が全員違います。方言も食文化も生活文化も違う。そういう隣人たちが、貧しいもの同士、互いに食べものを融通したり、質屋通いの仕方を教えあったり、子どもを預けたり、預かったりして、暮らしていた。

 でも、1964年の東京オリンピックの頃から、地域からそんな「共和的な貧しさ」が失われてゆきました。貧富の差が出てきたからです。ほんとうにあっという間に親しみに満ちた地域共同体が崩れていった。そのスピードには子どもながら驚きました。まず小金を手にした家がブロック塀を建てるんです(笑)。

他の家よりも早くテレビや電気冷蔵庫が入ったのだけれど、近隣からの嫉妬のまなざしを防ぐために、塀を立てて扉を閉ざした。別にたいした格差じゃないんですよ。いずれ、どの家にもテレビも電気冷蔵庫も入ったわけですから。でも、電化製品の導入のわずかな遅速だけで、そこに生じたわずかな嫉妬心の兆しだけで、地域社会の相互扶助的なマインドは簡単に無くなってしまった。共同体というのはずいぶん簡単に崩れるものだなということをその時に痛感しました。

 でも、それが残した教訓は悲観的なものだけではありません。なるほど、共同体というのはけっこう簡単に成立し、けっこう簡単に消滅するのだということを子どもの時に学んだ。僕はこの経験から「出自も違う、職種も違う、学歴も違うという見知らぬ人たちでも、肩寄せ合って生きなければならないという事情があれば、ちゃんとそれなりの共同体を形成できる」ということを学びました。ものごとはダークサイドもあれば、サニーサイドもある。

 これから先、日本はゆるやかに定常経済に移行してゆくと僕は予測していますけれど、もう一度人々が「共和的な貧しさ」のうちに置かれるようになれば、相互扶助的な共同体はまた必ず再生すると思います。現に、僕が主宰する凱風館まわりでは、すでに数百人規模の相互支援共同体ができています。

凱風館まわりの共同体がうまく回っている理由とは
――どのような相互支援が行われているのですか。

内田 凱風館の活動は武道の稽古と寺子屋ゼミがメインですけれど、スピンオフで寄席をやったり、聖地巡礼したり、餅つき大会をやったり、BBQやったり、海の家をやったり、スキー旅行に行ったり、いろいろな「部活」を展開しています。それが楽しいので、そういう楽しい活動にフルエントリーしようとする門人たちが次々と凱風館の周りに部屋を借りて住み出した。

そしたら、いつの間にか地域共同体ができてしまった。門人たちは出身も性別も年齢も職業もばらばらですけれど、とりあえず全員が凱風館という道場共同体に属している。条件はそれだけです。僕の子ども時代の町内共同体とそれほど変わりません。

 相互扶助がうまく行っているように見えるのは育児ですね。子育てをお互いに支援している。子どもたちを集めて、共同保育をやりたいといってきた夫婦がいたので、僕が少し資金を出して、近くに三階建ての一軒家を借りて、「海運堂」という多目的スペースを立ち上げました。そこに4人家族が暮らしつつ、自宅をさまざまな活動のために開放している。そこで共同育児やこども食堂、子どもたちが粘土で陶器を作る教室や、着付け教室や囲碁教室を開いています。最近になって「憲法カフェ」という活動も始めました。いろいろなゲストを呼んできて、主婦たちが集まって憲法の勉強をしています。

 小さい子をもつ母親たちが集まって育児を共同的にやるというのは、ほんとうに良質な実践だと思います。子育てが終わった主婦たちも、今度は自分たちの手が空いたからと言って、そういう場に参加して、若い母親たちをサポートしてくれる。若い門人たちも、そういうところに行くと赤ちゃんと遊ぶことができるし、おしめ替えたりする手伝いもできる。

――それはすごくいい体験ですね。

若い人たちが赤ちゃんと接する機会がない
内田 今の若い女性って、子どもの頃に育児経験がない人が多いでしょう。ですから、生まれて初めて抱いた赤ちゃんが自分の子だったというようなことさえある。赤ちゃんがどういうものかぜんぜん知らないで、いきなり育児を始めるというのは大変ですよ。

うちの門人に小児科の先生もいるんですけれど、生後2カ月の検診の時にすでに乳児は身体が歪み出し、母親は赤ちゃんの抱き方が分からず、腱鞘炎になっているというようなケースが珍しくないそうです。でも、それは母親たちの責任じゃないんですよ。今の日本では、若い人たちが身近に赤ちゃんを見て、抱いたりあやしたりする機会そのものがなくなっているからです。

 凱風館まわりには、幸い子どもがたくさんいます。育児を共同的にできるという環境があるから、子どもを作ることに対するハードルは低い。凱風館は稽古もゼミも「子連れオッケー」ですから、乳飲み子を連れて稽古にくるお母さんたちもいます。そういう赤ちゃんたちは文字通り凱風館の畳をなめて育っているんです(笑)。

子どもを育てるのは共同体の仕事
――いま核家族の家庭で、育児ノイローゼとかも多いですよね。共同保育のコミュニティが身近にあったらずいぶんと気が楽になると思います。

内田 基本的に育児は個人でできるものじゃないし、すべきでもないと思います。子どもを育てるのは共同体の仕事です。次世代を支える子どもたちを育てるのは集団全体の義務です。当たり前のことですよ。子育ては親だけに責任があるわけじゃない。その子どもをメンバーに迎え入れることになる集団全体が育児の責任を分かち合うべきなんです。

そういう認識があまりに欠けていると思う。電車でベビーカーが乗ってくると舌打ちする人とか、ベビーカーを蹴る人までいるそうですけれど、本当に共同体とは何かということが全く分かっていないと思う。そういうことをするから子どもの数が減るんじゃないですか。

「少子化は困ったことだ」と言っている人たちは山のようにいますけれど、そういう有識者たちの中で、「だから、とりあえず町中で妊婦や子連れの人を見たら、最大限の気遣いをしましょう」というような具体的提言をしている人を見たことがない。子どもが出来たら報奨金を配れとか、保育園を増やせとか税金の使い方についてはあれこれ提言していますけれど、たしかにそういうことも大事ですけれど、まず自分自身が身近にいる若い夫婦や小さな子どもたちのために何ができるのか、そこから考えるべきじゃないんですか。

「少子化を何とかせねばならない」というなら、集団で子育てを支援する仕組みを自分の周りに手作りするくらいのことをしても罰は当たらないと思いますよ。妊婦や子育て中の母親に対して冷たい社会になったのは、単に想像力が欠けているからだと思います。自分が育児をしたことがないから、わからないんですよ。少子化のペースを少しでも緩和したいと思うなら、まず地域共同体の再構築と育児支援から始めればいい。

「墓の心配を解決する」構想とは
――凱風館まわりで、この先の超高齢化社会のヒントになりそうなものはありますか。

内田 凱風館で計画している中で、僕が今一番関心を持っているのは「合同墓」構想です。数年前に独身の女性門人から、「墓のことが心配だ」という話を聞いたんです。自分は今家の墓を守っているけれど、自分が死んだ後、誰が両親や自分の墓を管理してくれるのか。それを考え出すと不安になるという。その話を聞いた時に、「じゃあ、お墓を作ろう」と(笑)。

凱風館門人なら誰でも入れる合同墓を作ることにしました。如来寺の釈徹宗先生に相談したら「実はうちも、お墓の守り手がいない人たちのために合同墓を建てようという話をしていたんです。ご一緒にやりましょう」と二つ返事で引き受けて頂いた。如来寺の近くの土地にお墓を建てて、ご住職に永代供養をして頂くというプランです。凱風館を設計した建築家の光嶋裕介くんには合同墓のデザインを依頼しました。

 人間が死期を考えるようになった時に気になるのは、自分が死んだ後にも人々は自分のことを思い出してくれるだろうか、供養の一つもしてくれるだろうか……ということだと思うんです。合同墓なら、結婚していない人も、子どもがいない人も、自分のお葬式のことも年忌のことももう心配しなくていい。年に一度、凱風館門人一同でぞろぞろと如来寺に出かけて法要を営むことになるから。法事の席で、そのつど、そのお墓に入っている人たちについて「この人はこれこれこんな人だったんだよ。この人たちのおかげでわれわれは凱風館道場で今も稽古ができているんだよ」と話してあげられる。道場が続く限り、供養できる。

――それはすごい仕組みですね。

相互扶助共同体とは弱者ベースで制度設計をするもの
内田 子育て支援と合同墓ですから、文字通り「ゆりかごから墓場まで」(笑)。凱風館では結婚式も2組やりました。釈先生に司式をしてもらって、仏前結婚式。結婚式もできるし、子育てもできるし、結婚式もできるし、墓も用意した。認知症になった時は「むつみ庵」という釈先生が(大阪府)池田でやっているグループホームがあるので、その時はお願いしますと予約してあります。

 人間は、始めと終わりが一番生き物として弱い時期なわけです。赤ちゃんの時と、老人になった時。その時についての備えをするのが相互支援の仕組みだと思うんです。それ以外でも、「共同体に属していてよかった」と思うのは、病気になった時とか、失業した時とか、要するに弱っている時ですよね。

相互扶助共同体というのは、そのためのものなんですよ。弱者ベースで制度設計をする。共同体は強者が集まって、効率よく何か価値ある仕事をするためのものじゃないんです。孤立した弱い人でも、ここにいれば穏やかな気持ちで生きていける。そういう仕組みしか共同体にならない。

 門人たちの中からも、これから失業する人とか、病気になる人とか、介護を必要とする人も出てくると思います。その人たちをどう集団的に支えてゆくか、それはそのつど手立てを考えるしかない。そういう仕組みはこれからみんなで知恵を出し合って、手作りするつもりです。

ネットワークのあるなしで格差が広がる
――先生は以前から「貨幣を介さない経済のなかで生きるネットワークを持っている人と、そうでない人は、貧困社会においてすごく差が出てくる」とおっしゃっていました。

内田 相互扶助的なネットワークに繋がってる人と孤立している人の生活の質の差はこれから大きく出てくると思います。確かに、家事でも育児でも介護でも、すべてのサービスは市場で商品として売り買いされている。だから、お金さえあれば、どんなサービスでも手に入れることができます。でも、そういうサービスを市場で買うとなると、かなり高額なんですよね。たとえば幼児を数時間預かってもらうサービスを市場で買おうとすると少なからぬ出費になる。

でも、子育てのネットワークに繋がっていれば、「今日はうちが見るから明日はあなたが預かって……」というようなことができる。ベビー服やベビーカーだってどんどん使い回せる。孤立した人は生きるために必要なものをすべて貨幣で調達するしかないけれど、相互支援ネットワークに属していれば、多くの場合にお金を出さなくても良質のサービスや商品を手に入れることができる。

 それに、どんなネットワークにも、それなりに手元に余裕のある人は必ずいるものです。そういう人がお金を出せばいい。凱風館のような設備をきちんと管理運営するには確かにそれなりの費用が要りますけれど、それはここでは僕が負担する。他の人には負担を求めない。手元に不要不急のお金があるなら、どんどん有効利用した方がいいんです。僕自身は別に欲しいものなんか特にないし。スピンオフの「部活」でみんなとスキーに行ったり、旅をしたり、温泉に入ったりしていれば、それだけで僕はほぼ満足なんです。

生きるために必要なものは「買うしかない」という思い込み
 昔は、立志伝中の人物というのがいたじゃないですか。故郷の村を出て、東京に行ってそれなりに功成り名遂げた人たちは必ず故郷の村に「錦を飾る」ということをした。故郷の村に橋を架けたり、学校を建てたりした。

それほどの資産家でなくても、前途有為の貧しい青年を「書生」として引き取り、学問をさせて世に送り出した。若い娘は「行儀見習い」として家で家事や作法を仕込んで、家から嫁がせた。そのくらいの弱者支援は、昭和30年代ぐらいまでは「自分はそこそこ暮らし向きのいい方だ」と思えた人は誰だってやっていたんです。

 お金がないなら、お金がなくても気分よく暮らせるシステムを作ればいい。あらゆるサービスを金で買うという仕組みに慣れ過ぎた人たちは、「とにかく金が要る」ということを言いますけれど、ほとんどの問題は金さえあれば解決するという信憑にいつまでもしがみついているのはあまりに芸がないですよ。実際には、金でなんとかなる問題のほとんどは共同体に属していればなんとかなるんです。

 生きるために必要なものはすべて市場で貨幣で買うしかないというのは間違った思い込みです。生きるためにほんとうに必要なものは、本来無償で手に入る仕組みでなければならないはずなんです。必要最低限の衣食住も、防災も防犯も公衆衛生も教育も医療も育児も介護も、そういう行政サービスは「税金を払っていない人間には利用させない」というようなことはないでしょう。人が生きてゆく上で必要不可欠のものは「金を出せば手に入るが、金がない人間には与えられない」ということであってはならないんです。

行政が地縁ネットワークをうまく作れない理由
――ここでお尋ねしたいのが、行政が主導して地域の地縁ネットワーク的なものを作ろうとしても苦戦する例が多いように思います。この点についてはどう思われますか。

内田 行政がやるとどうしても共同体の目的が「目に見える利便性の提供」ということに限定されてしまいます。行政が関与する場合、それなりの予算を投じた以上、外形的・数値的に表示できる「成果」を示さないといけない。予算を使った事業は、橋を作るでも、トンネルを掘るでも、かたちあるものがそこに残りますよね。

でも、相互支援の共同体を通じて弱者を支援し、その生活の質を保持するという事業は、数値的に「これが成果です」とお示しできるものが可視化できない。育児とか介護とか医療とか教育とか、そういう弱者支援事業は、長期にわたるし、その成果を単年度ごとに数値的に示すということができない。

例えば、教育の成果は「市民的成熟の達成」ですから、予算を投じてから結果が目に見えるまでほんとうは30年も50年もかかります。でも、そんな長いタイムスパンでしか成果を計測できない事業には税金を投じることを嫌がる人が多い。必ず「税金を投じる以上、目に見える成果を出せ。そうでないと議会に説明できない。納税者に申し開きが立たない」と言ってくる。それはわかるんです。

だから、行政から金を引き出すのがうまい人というのがいますけれど、そういう人は「これが税金を投じたことの眼に見える成果です」と言って、もっともらしい数値的なデータをどこからかひねり出してきて、役人を説得する技術に長けているんです。それはそれでたいせつなことだし、すばらしい才能だと思うけれど、僕はそういう面倒なことはできないんです。

 相互支援の中間共同体を立ち上げるというのは、基本的には行政の支援を当てにするのではなくて、私人が身銭を切って、自分で手作りする事業だと僕は思っています。「持ち出し」なんです。そうじゃなければできません。「これだけの価値あるものを自分は提供したのだから、それと等価のものを返して欲しい」というような消費者マインドでは無理なんです。贈与なんです。

――「持ち出し」覚悟の私人から共同体は立ち上がるというのは、目からウロコの視点です。

「公共の解体」を止めるためにできること
内田 メンバーが認知症になったり、失業したり、変な宗教に凝ったりという時にこそ、支援が必要なわけで、これこれこういう条件を満たした人であればこれこれのサービスを受けられますといった「等価交換」的な市場モデルでは共同体を立ち上げることはできません。パブリック・ドメインを作り出すのは実は政府や自治体のような「パブリック」ではなく、「私人」であるというのが僕の経験的確信です。

ロックやホッブズが説いた近代市民社会の成立と原理は一緒なんです。私利の追求を抑制し、私有財産の一部を差し出すことで、はじめてそこに「みんなで使えるもの」が生まれる。私人たちが持ち寄った「持ち出し」の総和から「公共」が立ち上がる。はじめから「公的なもの」が自存するわけではありません。公的なものは私人が作り出すのです。

 いまはそういう常識が逆転して、市民たちはどうやって「公的なもの」から私権・私物を取り出すことができるかを競っています。総理大臣自身が公共財と私有物の区別がつかなくなっている例を見ても、それは明らかです。政府が国民に対しては「私権を抑制しろ、私有財産を差し出せ」とうるさく命令している。

逆ですよ。国民が自発的に私権を抑制し、私有財産を贈与するときに、そこに公共が立ち上がる。私人の贈与によって成立した公共が、まるで自分が世界を創り出したかのような大きな顔をしている。公人に「公僕」という意識がまったくなくなりましたけれど、それが「公共の解体」ということなんです。この事態を根本的に批判するためには、「市民とはこういうものだ」ということを身を以て実践してみせるしかない。そういう人たちが一人でも多く登場してくれることを期待しています。

「内田樹が語る雇用問題」に続く
http://bunshun.jp/articles/-/7167


(記事引用)





南北首脳会談 金正恩委員長の仕草を臨床心理士が分析
「本音は別のところにある」
はてなブックマーク 4月30日(月)17時0分 AbemaTIMES 
 27日に行われた南北首脳会談で、歴史的な対面を果たした北朝鮮の金正恩委員長と韓国の文在寅大統領。韓国大統領府担当者は29日、「南北首脳会談で、金委員長は北部の核実験場の閉鎖を5月中に実行し、透明性を確保するため韓国とアメリカの専門化やメディアを近いうちに北朝鮮に招待する意向を明らかにした」とコメント。米朝首脳会談が行われる前の5月中にも、豊渓里(プンゲリ)の核実験場を閉鎖させることを明らかにした。

 さらに、夕食会前での歓談で金委員長が「控え室に時計が2つ掛かっていた。これを見ると非常に胸が痛かったので、北と南の時間から統一しよう」と発言したとし、北朝鮮が3年前に採用したソウルより30分遅い“平壌時間”を韓国側に合わせるという。

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南北首脳会談ではこうした“融和ムード”が終始演出されたが、不可解なのは板門店宣言で目標に掲げられた「朝鮮半島の完全な非核化」が宣言文の最後に書かれ、具体策もなかったこと。金委員長は共同会見の場でも「非核化」に一言も触れなかった。また、文大統領の北朝鮮訪問が話題に上った際には、インフラ整備が進まない苦しい経済事情を暗に認めつつ、2007年の南北首脳会談で合意した経済協力が滞ってきたことを持ち出し、韓国をけん制する場面もあった。

 はたして、金委員長は本当に核を放棄するつもりなのか、融和ムードを演出した狙いとは。『けやきヒルズ』(AbemaTV)では、会談中の仕草から読み取れる金委員長の心理状態について明星大学准教授で臨床心理士の藤井靖氏に見解を聞いた。

 藤井氏がまず注目したのは、軍事境界線上で握手を交わした際の金委員長の目線。文大統領と目線が合わなかったり下を向いたりしていたが、「緊張もあるだろうし、周りのカメラを意識していて、首脳会談に慣れていないということがあると思う。机を挟んで向かい合っている時もあまり目線がはっきりしていない。覚えてきたことを喋る、記憶を呼びだしている仕草に見える」と見解を述べる。

 続けて、会談全体を通じて口の開け方が小さい「笑い方」が通常公表される写真とは異なると指摘。「ミサイル発射時の写真は前歯の間を見せて笑っていることの方が多い。(今回)口をあまり開けないで笑うというのは、ひとつには本音を見せたくない、警戒感を示しているということがある。また、平壌冷麺についてジョークを話す時も話すよりも前に笑っていて、話が面白い→笑うという順序とは逆。これは話の意図が伝わっているか、受け止めてくれているかという金委員長の不安感の表れだと思うし、この場を和ませようという彼なりの迎合の仕方にも見えた」と述べた。

 また、3つ目として「身体の動き」に言及。共同宣言の際、金委員長に体を左右に揺らす動きが見られたが、藤井氏は「頻繁に姿勢を変える人は、自分が言っていることや見せている姿とは別のことを内心では抱えている場合がある」と説明し、「(宣言文で)読み上げていることと内心が一致していないひとつの“非言語的な行動”の表れではないか。本音は別のところにあるということが会談の随所に見えて、南北首脳会談をひとつのセレモニーというか戦略として使っていた」と推測した。

 なお、日本時間29日にアメリカ・ミシシッピ州で演説を行ったトランプ大統領は、「我々は3〜4週間後に重要な(米朝首脳)会談を控えている」と米朝首脳会談を5月中に行うことを示唆している。

(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)











過度の期待はしないほうがいいと思いつつ
僅かなかすかな望み、というのがあり、人間はむしろ、こちらに賭けてしまう場合がある。

その失敗例は枚挙に暇ないが、アメリカの北対策にしろ日本のコンビニ競争にしろ不確かな情報が先行して、実態が不明になってしまうことがよくある。

コンビニに限って云えば、それホントといいたくなるケースがある。業者入り乱れて、という現況、生き残りが大変なことは素人目でもわかる。

<コンビニの売り場面積は平均30坪ほどで、スーパーの10分の1にも満たない。さらにスーパーは安売りセールを連発するのに、コンビニは定価商売だから、誰だってスーパーに行くのではないか>

セブン-イレブン最年少取締役、ファミリーマート商品本部長を歴任した本多利範氏が分析。

実際現場を熟知している当人がいうのだから説得性があって疑う余地はない。
でも競馬勝負でガチガチ本命であっても勝率100はありえないので、万に一つのリスクはだでも想定する。それがない、という言い分がこれに拠る箇所か。

<生花店だから花だけを売っている、というのは考えればおかしな話です。花を買いに来る人は、自然や美、癒やしを求めてくる人が多いはずです。ならば花を売っている店の片隅に、花の画集や写真集、フラワーアレンジメントの書籍を置いてもいいだろうし、それらを眺めながらコーヒーを飲めるカフェを併設していてもいいはずです。花と一緒に贈り物にできる雑貨を置くのでもいいし、ラッピング講座などのワークショップを開くのもいい。アイデアは無限に湧いてくるはず>
(〆)

そりゃそうだ、という論法だ。その実、閉店する各社系店舗(ブランド名無関係)が頻発しているのはなぜなんだろうと、これも素人が考えそうな理由だ。

たぶんこれも一口には云えない理由だろうけれども、しかし理由もないのにバタバタと閉店する意味はなんだろうか。
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花屋はさておいて、最近ブランドコーヒーが店頭を覆っている。だとしても飽和すれば客は、そそくさと離れていく。

ヒントとして100均の大盛況に秘密が隠されている。ブランド無視、安い、高品質、だったら誰でも買う。
まさか100円の車は売らないし、客だって100円の車は買わない。当然走らないと判っているからだ。そこに常識の中の人の概念を程よく刺激する。
そしてなによりブランド無視、というのは自らそれを「ブランド」にした、その信用力ではなかろうか。

とここまで書いたとしてもコンビニ隆盛飽和の解決問題に答えていない。

引用記事は「スーパー隣のコンビニが全然潰れない理由」としているが、いまスーパーが潰れないという根拠が明かされない。ではスパーが健在ならコンビニはコバンザメのように共存するか、という話しでもない。それはわからない、に尽きる。

このところ33年前の経済バブル崩壊による景気低迷説を説いているが、それと連動してものごとが動いている。

私はもとも小売業をしていた。丁度バブルがこれから作られるといった時代だった。田中角栄による列島改造論が世に流布し、字の如し、列島改造がブルトーザーによって怒涛のごとく改造された。連動した「リゾート法」によって無価値な土地が一夜にして値千金の値がつき、にわか不動産屋があちこちに乱立し、それでも全部が生き残って「土地神話」を確固たるものにした。いまのコンビニ乱立と近似している。
そのコンビニ乱立によって私の「業」は廃業に追いやられた。それを是認したのが法律で「大店法売り場面積改正」によって地元商店街はものの見事に壊滅しギンザ通りは「シッャター通り」に名称変更を余儀なくされた。
その変わり様はレコード→CD→MP3→ストリーミング→動画、の極端な変態仕様とまったく変わらない。
いまどき経済隆盛はamazon商法だが、明日の未来保障はだれも担保しない。

すこし遅れて、ゴルフ場建設ラッシュがはじまった。田畑成金者にとってこれほど旨い話はない。前人未到の田舎里山を買いあさり、これも金ピカ御殿乱造に加担した。

世はバブルに向かって一斉に走り出した。もうどうにもやめられないとまらない状態で、世の中全部が億万長寿になれると歓喜し、角栄さまさまだった。
わざわざ渡米までしてアメリカ「ロックフェラービル」を買収して有頂天になっていた。(まったく田舎モンのすることだって!)
※1989年10月、三菱地所がロックフェラーセンターを約2,200億円で買収した。これはバブル景気期の成金的な「ジャパンマネー」による海外資産買いあさりの象徴的な例であり、アメリカ国民とニューヨーク市民の大きな反感を買い、ジャパン・バッシングの火に油を注いだ。 しかし、後に不動産不況(バブル崩壊)で莫大な赤字を出すことになり、1995年5月に連邦倒産法第11章を申請し、運営会社は破産。三菱地所が買収した14棟のうち12棟は売却された。
(ウイキペディア)

そして業を煮やしたアメリカが奥の院から起き上がってきた。ことは簡単に決済された。
1985年9月22日、プラザ合意によって先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された。為替レート安定化に関する合意の通称として呼ばれ、その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市の「プラザホテル」にちなむ。

傀儡政権とは云いたくはないが、昔からアメリカがクシャミをすると3日後に日本が風邪を引く、といわれた揶揄形容は、そのことをよく表現していた。それは今でも有効だ。

この先の世界経済予測、
「最終的な結果については様子を見るつもりだ。良いことが起きるかもしれないし、あるいは多くの時間がすべて無駄になるかもしれない」と話した。

とのトランプ談話を分析すれば成功50、不成功50の比率で僅か1グラムが左右に触れただけで天地が決まる。
それはまったく恐ろしい話しだ。そのスイッチを握るのは私でもなく貴方でもなくアメリカ共和党党首トランプ大統領である。

米朝会談に向け「順調」、過度の期待は禁物=トランプ大統領

ロイター    2018年04月25日 08:07
米国は北朝鮮に対し「最大限の圧力」をかけ続けるとの姿勢を強調。また「同国の完全な非核化を望む」との発言の真意を問われ「北朝鮮自身が自国の核を除去するという意味だ。私が単純に事を起こして勝利宣言するのはたやすいことだが、そんなことはしたくない」と語った。
さらに「最終的な結果については様子を見るつもりだ。良いことが起きるかもしれないし、あるいは多くの時間がすべて無駄になるかもしれない」と話した。
(記事部分引用)

スーパー隣のコンビニが全然潰れない理由
プレジデントオンライン 2018年4月24日 9時15分
どうしてスーパーの横に立地するコンビニは潰れないのだろうか。コンビニの売り場面積は平均30坪ほどで、スーパーの10分の1にも満たない。さらにスーパーは安売りセールを連発するのに、コンビニは定価商売だから、誰だってスーパーに行くのではないか……。セブン-イレブン最年少取締役、ファミリーマート商品本部長を歴任した本多利範氏は、その謎こそが「コンビニの強さの秘密だ」という――。
※本稿は、本多利範『売れる化』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■品揃えも、価格も、負けているのに……
先日、ある人からこのような質問をされました。

「うちの近所のコンビニの真横に、大きなスーパーが新しくできたんです。品揃えが多くて商品も安くて、これはあのコンビニは潰れるなと思っていたら、潰れないんですよ。以前と同じようにコンビニにもお客さんが入っていて、それでいて新しいスーパーも繁盛しているんです。これはどうしてなんでしょう」

実はこのような質問は、これまでも何度も受けてきました。たしかにこのような疑問を抱くのも理解できます。

コンビニとスーパーでは重なる品物が多いのも事実ですから。例えば牛乳やジュース、パン、お菓子、日用品、弁当、サンドイッチ、酒類など、同じカテゴリーの商品で、しかも同じメーカーの商品もたくさんあります。

しかもスーパーのほうが品数は豊富で、たいていの場合は価格も安く設定されています。ナショナルブランド(NB)商品も、大量のロットで仕入れるスーパーでは比較的低価格で提供することができますし、独自のプライベートブランド(PB)商品で安価なシリーズを展開しているところもあります。

しかし、それでもコンビニとスーパーは共存できます。それはなぜでしょうか?

スーパーとコンビニの共存を不思議に感じる人は、おそらく、「品揃えが豊富、商品が安い=客が喜ぶ」という発想にとらわれているからでしょう。

たしかにそのコンセプトで店づくりをして成功しているブランドもたくさんあります。

多くのスーパーやディスカウントショップなどは、商品の豊富さや価格の安さで勝負をかけて成功していますし、衣服のユニクロやH&M、インテリア用品のニトリなども基本的に同様のコンセプトと言えるでしょう。

高級服や高級インテリア用品だけでない選択肢を用意することで、喜んでいる消費者はたくさんいます。ただ、いつでもどこでも、商品の豊富さと安さを消費者は求めているのかというと、それは少し違います。商品の豊富さや安さに代わる価値を提供することで、十分それらに対抗できる商売をすることは可能なのです。

■実はスーパーとコンビニで迷う人はいない
どうしてスーパーとコンビニが共存できるのか。

答えは、両者に対して人々が求める役割が異なるからです。

人は買い物に行こうとして、「今日はスーパーに行こうか、それともコンビニに行こうか」とは迷いません。おそらく最初から「今日はスーパーに行く」「コンビニに行く」と決めているはずなのです。

例えば、ある人がいて、夕食にみそ汁と魚、野菜料理を食べたいと思ったとします。もしその人が料理好きで、自分で調理したいと思えば、スーパーに行き、野菜コーナーで野菜を選び、鮮魚コーナーで魚を買い、レジに向かうでしょう。

けれども、もしその人が仕事で疲れていたり、時間がなかったりした場合はどうでしょう。一から調理をする時間も気力もない。そういう日はコンビニでサバの味噌煮やきんぴら、サラダなどを買って、自宅で盛り付けるかもしれません。

同様に、朝寝坊して朝食を食べる時間がなければ、前日にスーパーで買ったパンとハム、レタスで朝食をつくるのではなく、近所のコンビニでサンドイッチとコーヒーを買うでしょう。

■コンビニはタクシーに似ている
弁当をつくる時間がなければ、コンビニでさまざまな弁当を選べます。

そう、コンビニは時間のない人のために、自分たちでそれをつくる手間をかけさせず、すでに完成した品々を提供する役割を果たしているのです。

そう考えてみると、コンビニはタクシーと似ているのかもしれません。

自分の足で歩けば目的地にたどり着くことはわかっていても人はタクシーを使います。疲れていて荷物がいっぱいだ、雨が降っている、待ち合わせに遅れそうだ、などとさまざまな理由で人はタクシーを利用します。

タクシーに乗れば当然料金も発生しますが、それでも支払った金額に相当する利便性を重視するからこそ、私たちはタクシーを利用するのです。

素材を多く扱うスーパーに比べ、コンビニは弁当や惣菜、中華まんやチキンなど、調理済みフードのカテゴリーに特に力を入れています。それは時間の足りない現代人に、気軽においしいものを食べていただきたいからです。「家庭のキッチン」として利用していただくことが、コンビニの一つの存在意義と言えるでしょう。

■「タイム・コンビニエンス」という価値
時間の節約という意味では、食べ物だけに限りません。

例えば家のトイレットペーパーや洗剤が切れていれば、駅前のドラッグストアまで行かなくても、家の近所のコンビニで買うことができます。銀行に行く時間がない人は、コンビニのATMで用を済ませられます。役所が開いている時間に行けなければ、公的書類をコンビニで受け取ることもできます。自宅で宅配便を受け取れない人には、コンビニが代理で荷物を受け取っておくし、急遽証明写真などが必要な場合は、複合機で写真をプリントアウトすることもできるのです。

その用を済ますことに本来かかる時間や手間を、コンビニが代わりに提供することで、空いた時間を人々はほかのことに使うことができます。

それが、コンビニが提供している一つの価値、「タイム・コンビニエンス」なのです。

コンビニが近所に一軒ある。それはつまり、食料品店、弁当店、コーヒーショップ、酒店、たばこ店、日用品店、文具店、書店、銀行、郵便局、宅配会社、役所、写真店が、そこに存在しているのと同じことなのです。

わずか平均30坪足らずの小さな店で、このすべてを賄うことができる店など、世界広しといえども日本のコンビニ以外には存在しないでしょう。

■自分の商売の定義を厳密にするな
さきほど、商売をしたいならまずコンセプトを明確にしろというお話をしました。

私たちコンビニにとって言えば、コンセプトの一つは「時間の節約」であり、その観点から見れば、フードもドリンクも、デザートもATMも宅配便も郵便も、すべて一つのコンセプトの上に並ぶわけです。

私は常々「コンビニだからやる」「コンビニだからできない」という発想を捨てろと話しています。

自分たちは「○○」を売る商売だからと、自分たちを厳密に定義づけてしまうと、その枠からはみ出ることはすべて削除してしまう発想になります。

例えば、生花店だから花だけを売っている、というのは考えればおかしな話です。花を買いに来る人は、自然や美、癒やしを求めてくる人が多いはずです。ならば花を売っている店の片隅に、花の画集や写真集、フラワーアレンジメントの書籍を置いてもいいだろうし、それらを眺めながらコーヒーを飲めるカフェを併設していてもいいはずです。花と一緒に贈り物にできる雑貨を置くのでもいいし、ラッピング講座などのワークショップを開くのもいい。アイデアは無限に湧いてくるはずです。

コンセプトが明確になれば、新たなサービスや新たな商品開発のアイデアも出てくるのではないでしょうか。「自分たちは○○屋だから」という枠を出ることで、まだあるニーズを掘り起こすことは十分可能なのです。

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本多 利範 (ほんだ・としのり)
本多コンサルティング代表
1949年生まれ。大和証券を経て、1977年セブン-イレブン・ジャパン入社。同社の最年少取締役に就任。後に渡韓し、ロッテグループ専務として韓国セブン-イレブンの再建に従事。帰国後、スギ薬局専務、ラオックス社長、エーエム・ピーエム・ジャパン社長を経て、2010年よりファミリーマート常務。2015年より取締役専務執行役員・商品本部長として、おにぎりや弁当など多くの商品の全面改革に取り組む。

2018年、株式会社本多コンサルティングを設立。著書に『おにぎりの本多さん とってもおいしい「市場創造」物語』(プレジデント社)がある。
----------(本多コンサルティング代表 本多 利範 写真=iStock.com)

(記事引用)

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画像.1 近代美術館工芸館(文化財)

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画像.2 オーストラリア観光客と通訳  美術館外通路


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画像.3 美術館前の芝生で遊ぶ外人家族
    (むかしだったら芝生に絶対入れなかった)




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画像.4 オーストラリア観光客通訳者に撮ってもらった記念写真IMG_02681



























タカタ製エアバッグの理不尽な余波、車検パニックは誰の責任か
● 当分、車に乗ることができない? タカタ製エアバッグの意外な余波
 タカタ製エアバッグ不祥事の意外な余波が、今ごろ起きることになった。国土交通省は、タカタ製の欠陥エアバッグを搭載しているリコール対象車両のうち、年式が古いものを中心に約94万台の車検を未改修のままでは通さないことを決定した。

 タカタ製エアバッグのリコールは国内最大規模で、範囲はトヨタ、日産、ホンダなど大半の自動車メーカーに及び、届け出台数は過去最多の1981万台。わが国の乗用車保有台数が約6000万台だから、リコール対象はおおよそ3台に1台であった。

 それでもすでに1700万台超の車については改修が終わり、残る246万台のうち、年式が古い94万台を5月以降このままでは車検に通さないと、国土交通省が決めたというのが今回のニュースである。

 このことで、一部の車の所有者に「車検パニック」が起きることが予想されている。おおむね次のような事態だ。

 中古車の持ち主が5月に入って、整備工場などに車検を依頼する。すると、そこで自分の車がリコールの対象になっていて、このままでは車検に通らないと知らされる。

 本来であれば、無償回収修理が行なわれるリコールだが、古い車種の対応部品がメーカー欠品で手に入らない。だから最悪の場合、オーナーが「当分の間、車に乗ることができない」と突然知らされることになる。車がないと通勤ができない環境の持ち主であれば、生活が成り立たずパニックに陥る可能性もあるというわけだ。

 そもそも、メーカー系のディーラーや中古車販売会社から車を購入した人たち、つまりメーカーから連絡が届く人たちは、その大半がすでに改修を終えている。これが「1700万人が対応済み」という数字の意味だ。

 逆に言えば、今回の車検にひっかかるであろう、まだ修理に応じていない車のオーナーは、(メーカー系列ではない)独立系の中古車屋さんで古い年式の車を購入したり、個人間売買で中古車を購入したり、ないしは引っ越して販売当初のディーラーがその行方を把握できていなかったりする人たち、ということになる。
 前回の車検もガソリンスタンドや近所の整備会社に頼んだという場合は、自動車の持ち主本人も、場合によっては車検を通したサービスマンも、そのリスクに気づいていないわけだ。そして車検パニックに直面するのは、最終的に情報弱者という構図になる。これがこの問題の深刻なところだ。

 思えば家電製品でも、似た構図の問題は起きてきた。老朽化すると一酸化炭素中毒を引き起こしたり、発火したりする恐れがあることがわかった暖房器具などが、全面回収となった事例がある。それでも100%の回収は無理である。

 そして、そのリコール問題も世間が忘れた頃になって、老人たちが住むグループホームが火災事故を起こす。原因がその暖房器具であり、そんなものがまだ残っていたということを、事件が起きて関係者が初めて気づくことになる。

● タカタ、国交省、オーナー… 「車検パニック」は誰の責任か

 自動車の場合は、車検というルールがあるがゆえに、こうした不幸を事前に防ぐことができる可能性がある一方で、強制的に車検で発見された未修理車が、一時的に使えなくなる危惧はある。ではいったいこの問題、誰の責任なのだろうか。

 そう、大問題を提起しておいて申し訳ないのだが、今回、もし車検パニックが起きるとすれば、それは残念ながら「自己責任」ということになる。それで仕事に出勤できなくなる、買い物に行けなくなり不便な状況になる、病院に通えなくなり病状が悪化する、といった状況になっても、それは自己責任だ。

 メーカーは販売した自動車に対して、製品面での責任を持つ。しかしその責任は、あくまで製品の不具合を無償で回収して修理するところまでだ。結果的に起きる二次的な経済損失まで負担するような責任はない。

 エアバッグをつくったタカタには本来、大いに責任があるのだが、すでに戦後最大と言われる倒産劇を起こしたことから、関係者にこれ以上の法的責任を問うことは難しい。

 また国の責任は、安全が保証できる車だけを街中で走らせることにある。むしろ今回のように強権を発動しながら強制的に未修理の車を炙り出すことで、中古車市場の安全が保証できるようになることはいいことだ。全ての車が車検を通過するにはそれでも2年かかるが、中古車を買うとロシアンルーレットのように不具合を持つ車が混ざっていて、消費者がそれを知らずに買っているという今のような状況は、いずれ消える。
 部品が手に入らない車のオーナーのための車検時の救済措置は、本当は考えたほうがいいのだが、むしろ国土交通省がこれまで踏み込まなかった、4月以前に車検を通してしまった車の安全性についての方が、その責任が問われるはずだ。

 とはいえ、日本を代表する大手自動車メーカーの、誰もが知っている有名車種の車を購入したにもかかわらず、それが車検に通らない上に自己責任を問われるという事態は、一般消費者にとってどのように割り切るべき問題なのだろうか。

● 「喫煙の是非」と似ている 車に乗ることの社会的責任

 この一件は、「自動車は便利だが、それを使うには社会責任が伴う」ということを、世の中が再認識するための教訓ではないかと私は思っている。

 経済学の逸話にこんな話がある。たばこをなくすべきかどうかという議論のときに使われる話だ。禁煙論者に対して、経済学者が次のような質問をするとしよう。

 「ある商品が存在する。この商品は使っている本人にとってはいいのだが、統計的に見れば、実は本人の寿命を短くしている。それだけでなく、家族の寿命や見ず知らずの人の寿命にもマイナスの影響を与えている。そういった商品は禁止すべきか?」

 たいていの禁煙論者は、この経済学者の質問に「即座に禁止すべきだ」と答えるだろう。そこで経済学者は「実はこの商品は自動車なのだが、それでも禁止すべきか?」と念のために確認する。それがこの話のオチになる。

 欠陥車が2000万台近く売られてしまったというのも不幸な話だが、その87%まで改修が済んでいることは、関係者の努力の成果とも言える。一方、まだ残っている246万台については、オーナーは万一の事故の際、本人だけではなく家族や知人などの周囲を巻き込む可能性がある。

 こうした状況を考えれば、今回の問題で起きる損失に対して責任を持つのは本人であると、言わざるを得ないのではないか。「割り切れない」と感じる人もいるかもしれないが、車の使用には社会責任が伴うのだから――。

(百年コンサルティング代表 鈴木貴博)
(記事引用)

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タカタ、高田社長退任 創業家からの社名も消滅
2018年4月12日13時14分 朝日新聞
 欠陥エアバッグ問題で経営破綻(はたん)し、民事再生手続き中の自動車部品大手タカタは12日、高田重久会長兼社長が退任し、後任の社長に野村洋一郎取締役が就いたと発表した。11日付。中国資本傘下の米自動車部品メーカー、キー・セイフティー・システムズ(KSS)への事業譲渡が完了したことに伴う。

特集:タカタ製エアバッグ問題
 野村氏は民事再生手続きの完了をめざす。

 本業の自動車部品を手がける会社は分離し、社名をジョイソン・セイフティ・システムズに変更。本社も東京から米ミシガン州に移した。創業家の名前を冠した社名は実質的に消滅することになる。

 KSSとは、リコールの原因となったエアバッグ部品を除くほぼすべての事業を15億8800万ドル(約1700億円)で売却することで合意していた。

(記事引用)












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