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これを記事としてネットにアップする見識を疑う
便所の落書き記事と誹謗されても弁明できない。


父と入浴する23歳アイドル 中居正広は尊重「100個の家庭あれば100個のルールある」
スポニチアネックス 2019年2月12日 12時51分
 タレントの中居正広(46)が11日放送のTBS「中居くん決めて!」(月曜後11・56)に出演。23歳の今でも父や兄と一緒に入浴しているというアイドルに対して送った愛あるメッセージに、共演者がうなる場面があった。

 この日、相談者としてアイドルの北見直美が登場。23歳の現在も父や兄と一緒に入浴しているが「止めるべきか、続けるべきか」悩んでいるという。

 そもそも、なぜ一緒に風呂に入っているのか。「家族みんなが1時間近く風呂に入るので、時間がかかってしまう」といい、誰かが入浴していても、入っていくと説明。友人から「お父さんやお兄さんと何かあるんじゃないの?」と冷ややかな目を向けられているが、風呂場が一家団らんのための大事な空間であるとし「お父さんにとっても大事な場所。急にやめたら悲しむんじゃないかと思うし、お父さんの気持ちを考えたらやめない方がいいのかなとも思う」と、率直な思いを吐露した。

 当初は「あまり見たことがない」と驚きの声を上げていた中居だが、それでも最後は「今まで通り、一緒に入ってよろしいんじゃないでしょうか」と結論。続けて「100個の家庭があったら、100個のルールがあって、100個の掟(おきて)があるわけですから、その家族のルールを、他の家族と比べる必要はない。100個正解があると思うし、(入浴を続けても)いいんじゃないですか」と語りかけた。

 共演者でも意見が割れていたが、最後に中居が「うらやましいところもありますもん」と家族愛を尊重すると、共演者たちもうなずいていた。


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ttps://news.infoseek.co.jp/article/sponichin_20190212_0094/ 2019/2/12記録









暗号名「チューブ・アロイズ」~秘められたチャーチルの戦略
2019年1月27日(日)
▽BS1スペシャル 午後10時00分(110分)www.nhk.or.jp
NHKスタッフ
取材のきっかけは2014年のNHKスペシャル「知られざる衝撃波~長崎原爆・マッハステムの脅威~」を制作したことでした。日本のどの都市に原爆を投下するかを策定する「目標検討委員会」、その実態を調べていると一人のイギリス人科学者が「原爆被害の甚大さを世界に伝える」という任務を担っていたことに目がとまりました。
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「イギリスがなぜ原爆開発に関わっていたのか? この任務は何のために?」早速、英国立公文書館をリサーチしました。すると暗号名で「チューブ・アロイズ」と記された、イギリスの原爆開発の記録が公開されたばかりでした。(2012年公開)・・・しかし、資料は暗号や専門的な用語がずらり。研究者と解読や検証を続け、5年越しでようやく番組化することができました。

チャーチルがなぜ、原爆を必要としたのか?原爆投下にどのように関わったのか?
それを、第二次世界大戦の激変する戦局を追体験しながらお伝えできるよう、イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、デンマークでの長期取材を実行。各国の貴重な映像や最新研究を交えながら、「チューブ・アロイズ」計画の全容を紐解くことを目指しました。

なかでも、チャーチルとソ連を率いるスターリンとの原爆をめぐる攻防にご注目ください。

チャーチルは、ソ連の急速な台頭を恐れ、原爆を手にすることが戦後のパワーバランスを左右すると見据えていました。当時のイギリスの原爆開発の状況を語ってくれるのは、アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」に関わった科学者です。撮影の2ヶ月後の去年12月、93歳で亡くなられ最後の証言となりました。
一方、ソ連はイギリスへとスパイ網を広げ、原爆情報を盗み取る諜報戦を行っていましたが、その詳細は謎に包まれてきました。しかし今回、その内幕を知る元KGB将校と接触ができました。彼がソ連崩壊後、国外に持ち出した機密資料に書かれていたこととは?
米英ソという大国の駆け引きや思惑が、日本への原爆投下と深く結びついているーー複雑な国際政治と外交の舞台裏を映像化できるよう努めました。
(番組ディレクター 夫馬直実)
NHKスペシャル 知られざる衝撃波~長崎原爆・マッハステムの脅威~

(記事引用)

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ウイキペディア~
チューブ・アロイズ(英:Tube Alloys)は、第二次世界大戦中のイギリスの核兵器開発計画のコードネームである。英米の高官の間で核兵器開発の可能性を高レベルの秘密として管理していた際に、このコードネームが使用された。チューブ・アロイズは最初の核兵器開発プロジェクトで、その後アメリカのマンハッタン計画に引き継がれた。この計画の元はフランスとドイツにあった。

ドイツのオットー・ハーンとスウェーデンに亡命していたリーゼ・マイトナーは1938年にウラニウムにおける核分裂を報告した。
1939年パリのコレージュ・ド・フランスの科学者のグループ、フレデリック・ジョリオ=キュリー、ハンス・フォン・ハルバン、レフ・コワルスキー、フランシス・ペランはウランの原子核で発生する核分裂を発表し、2つか3つの中性子が必要であることを示した。この重要な発見は自然と維持される連鎖反応が可能であると言うことを示していた。これは即座に多数の科学者に、非常に強力な爆弾「原子爆弾」が理論的に作成可能であることを想像させた。しかし、ほとんどの科学者はその様な原理的な爆弾は不可能であると考えていた。

パリのグループのフランシス・ペランは連鎖反応を維持するために必要な最小限度のウランの量である「臨界量」(critical mass)を定義した。しかし、自然のウランは核分裂により生じた高速中性子を減速するための減速材なしでは連鎖反応を維持することができないことも発見した。

1940年初め、パリのグループは重水が理想的な減速材であるという理論的背景を固めた。彼らは、フランス軍需相にノルウェーのヴェモークにある大きな水力発電所からどれだけの重水を得ることが可能か問い合わせた。フランスはノルウェーの重水の全在庫をドイツが購入する注文を行っていたことを発見した。これは、ドイツも原爆の開発を行っていることを示していた。

フランスはノルウェーの政府に重水の潜在的な軍事的重要性を説明し、ノルウェー政府は全ての在庫をフランスの秘密任務組織(French Secret Service agent)に渡し、その組織はそれをイギリス経由でフランスに密輸された。これは、ドイツがノルウェーに侵攻する直前の1940年4月のことであった。しかし、ドイツは1940年5月に侵攻を行い、165クォートの重水とパリのグループはイギリスのケンブリッジに渡った。(Joliotはフランスに残り、レジスタンス運動の熱心な活動家となった。)

フリッシュとパイエルス
最初イギリスの研究は、自然のウランを使用した高速中性子による原爆は不可能であると正しく結論づけていた。この理由は、ウラン238がたくさんの中性子を捕獲し失われてしまうためである。しかし、1940年2月、イギリスに亡命していたオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスの2人のドイツ人の科学者は、原爆は製造可能であり、ウランの同位体の質量の軽いものであるウラン235を数kgと高速中性子のみを使用して爆発させることが可能であると気がついた。フリッシュとパイエルスは、ウラン235がウラン238と完全に分離できた場合、遅い中性子は不要であり、減速材が必要ないという有名なフリッシュ&パイエルス覚書の報告を行なった。

フリッシュとパイエルスは自分たちの教授であるマーク・オリファントに報告を行い、オリファントは、ヘンリー・ティザードにその情報を連絡した。彼は1940年4月に原爆の実現可能性を調査する有識者による最高秘密委員会(後にMAUD委員会として知られる)を作った人物である。報告書はMAUDレポートと記載され、その報告書は更にチューブアロイズ計画を推し進めた。

ティザードの使節
重水のチームは遅い中性子研究をケンブリッジ大学で続けるために招かれたが、その計画は爆弾を作り出すという期待がされていなかったため、優先度を低く設定された。

技術者の集団(ティザードの使節)は1940年9月に北アメリカに送られ、その代わりに、レーダー、ジェットエンジン、核研究などの全領域の技術を手に入れた。 彼らは同様にイギリスの軍事研究施設を、ドイツの爆撃範囲外の北アメリカに移動させる可能性に関して検討を行った。

ティザードの使節は帰還した際に、彼らは、遅い中性子の研究がケンブリッジのパリのグループや、コロンビア大学のエンリコ・フェルミや、カナダのジョージ・ローレンスにより継続されていたことを報告した。彼らは戦争遂行とは関係ないと結論付けていた。

ウランの同位体分離
MAUD委員会が直面した最も大きな問題は99.3%を占めるウラン238から0.7%のウラン235を分離する方法を探すことであった。2つのウランは化学的には区別できないため、これは非常に難しい問題であった。しかし、フランシス・シモンがMAUDにより解決策を見つけるように依頼された。シモンは1940年12月に、気体拡散法は、必要な工業プラントの大きさと価格を計算して、実現可能であると報告した。MAUDの委員会は、原爆は、「実現可能性のものではなく、必ずできるものである」ことに気がついた。

ウランのガス化合物と純粋なウラン金属を作る科学的な問題はバーミンガム大学とインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)で研究された。ICIのフィリップ・バクスター博士は1940年にジェームズ・チャドウィック教授のために六フッ化ウランの気体の少量を製造した。ICIは将来の開発のためにこの重要な材料を3kg作成するという正式の契約を1940年の終わりに受けた。

プルトニウム
プルトニウムによるブレークスルーは、エゴン・ブレッチャー(1901-1973)とノーマン・フェザー(1904-1978)によりキャヴェンディッシュ研究所で実現した。彼らは、ウランを燃料として低速中性子(熱中性子)を用いるタイプの原子炉が理論的にかなりの量のプルトニウム239を副産物として作り出すことに気がついた。これは以下の様な過程による。ウラン238が低速中性子を吸収し、新たな同位体であるウラン239を作る。この新しい同位体はすぐにベータ崩壊して、原子番号が93で質量数239の新しい元素となる。この元素の原子核は、同じく電子を放出して原子番号が94で質量239の大きな半減期をもった新しい元素となる。ブレッチャーとフェザーはこの原子番号94の元素が低速中性子と高速中性子の両方で核反応を起こし、ウランと化学的に異なった利点があり、簡単に分離ができる、と言う理論的な実現可能性を示した。

これらの新しい発見は1940年バークレー放射線研究所のエドウィン・マクミランとフィリップ・アベルソンによる研究でも検証された。ケンブリッジのチームのケンマー博士は、新しい元素たちに太陽系の天王星(Uranus、原子番号92のウランに対応)より遠い惑星である海王星(Neptune)と冥王星(Pluto)から、93番目の元素をネプツニウム(neptunium)、94番目の元素をプルトニウム(plutonium)と名づけた。偶然にもアメリカ人たちも同じ名前を提案した。その後、1941年に最初のプルトニウムの最初のサンプルの作成と検証がグレン・シーボーグにより行われた。彼は原子炉でなくサイクロトロンを使用した。

オリファントの合衆国訪問
MAUD委員会の報告書に対して何の反応もなかったので、マーク・オリファントは、1941年8月に爆撃機で大西洋を渡った。彼は、ライマン・ブリッグスがウラニウム委員会に報告書を回さず、報告書が金庫の中に保存されていたことに気がついた。オリファントはアーネスト・ローレンス、ジェイムス・コナント、エンリコ・フェルミ、アーサー・コンプトンに連絡を取り、アメリカの研究プログラムの緊急性を増加させた。MAUDの報告書は最終的に大きな衝撃を与えた。一夜にして、アメリカ人は原爆の実現可能性に関して考えを変え、イギリスと協力して努力する提案を行った。ハロルド・ユーリーとジョージ・ブラクストン・ペグラムは1941年11月に協議のためイギリスに送られた。しかし、イギリスは協力の提案を受け入れなかった。対案は何の対応も行われることなく失効した。

1942年の進展
アメリカの努力は急速であり、すぐにイギリスを追い越した。しかし、別々の研究はそれぞれの国で継続され、時々情報の交換が行われていた。何人かのキーとなるイギリスの科学者が1942年初めにアメリカ合衆国を訪問し、利用可能な全ての情報にアクセスした。彼らはアメリカの原爆計画が進んでいると言うことに仰天した。

ケンブリッジ大学での遅い中性子の研究は、イギリスでは爆弾作成に関係ないと考えていたものであったが、突然軍事的な重要性が増加した。なぜなら、それはプルトニウムへの近道であったからである。イギリス政府はケンブリッジのチームを、シカゴに移動させたいと考えた。その地は、アメリカの研究が行われている場所であったが、アメリカは安全を非常に心配した。元はパリからやってきた、ケンブリッジのグループの6人の代表の科学者の1人のみがイギリス人であった。彼らは、カナダのモントリオールに送られた。

1942年6月アメリカ陸軍は全ての開発、設計、物資調達、試験工場の場所の選定に関して権限を得た。その結果、イギリスへの情報の流れは減少した。アメリカは重水の製造、六フッ化ウランの製造、電磁的な分離方法、プルトニウムの物理的化学的特性、爆弾の設計の詳細、高速中性子炉に関する、情報の共有を停止した。これは、重水の製造や研究プログラムの他の面において協力を行っているイギリス人やカナダ人にとって悪い知らせであった。

カナダのモントリオールのチームは、プルトニウムの技術情報と同様に重水の供給をブリティッシュコロンビアのトレイルの重水工場からの供給に頼っていた。アメリカは、デュポンによる提案に限定された制限に沿って、その研究を指揮することに同意するなら、モントリオールのグループに重水を供給すると提案した。良い結果を出していたにもかかわらず、モントリオールの研究グループの研究は1943年6月に完全に行き詰まってしまった。士気は低下し、カナダ政府は計画を注視することを提案した。

ウィンストン・チャーチルはイギリス独自の拡散炉や重水工場や、原子炉のイギリス国内への建設に対する情報を探していた。しかし、1943年7月、ロンドンで、アメリカの政府関係者がイギリスの動きに対する大きな誤解を払拭することができ、何ヶ月かの交渉の後、ケベック協定が最終的に、チャーチルとフランクリン・ルーズベルトの間で1943年8月19日に結ばれた。イギリスは全ての資源をアメリカに提供し、アメリカはその見返りに大統領へのアメリカの研究成果の報告のコピーを提供した。イギリスの研究は残りの戦争期間、マンハッタン計画に合流することになった。

チューブ・アロイズに関するアメリカとイギリスの政府間の共同管理に関する協定文章("Articles of Agreement governing collaboration between the authorities of the U.S.A. and UK in the matter of Tube Alloys")のタイトルが付けられたケベック協定の章には、イギリスとアメリカは、「チューブ・アロイ(原爆)を早期に実現するための計画」のためにリソースを共有することに同意している。

指導者たちは以下の内容に同意

我々はこの兵器をお互いに対して決して使用しない。

我々はこの兵器を、第三の勢力に対して、お互いの同意なく使用しない。

我々はチューブ・アロイズに関する情報を第三者に対して、お互いの同意なく公表することはない。

これは、「戦後の工業的もしくは商業的なアドバンテージ」をアメリカ合衆国の大統領の裁量により決定されることに同意したことである。

戦争の後期、チューブ・アロイは作り出された元素プルトニウムを指すようになった。この存在は、長崎への原爆投下まで存在は秘密にされた。

1945年8月11日、アメリカ合衆国旧陸軍省によりまとめられた文章はいくつかの参考文献と共にイギリスの原爆への貢献を記載している。また、「原爆に関連した声明(Statements Relating to the Atomic Bomb)」の白書は、マイケル・ペリンによりあわただしく作成された。この報告書は、首相がチャーチルがアトリーに変わった後発行され、これがイギリスの15年間の貢献に対する唯一の公式の書類である。

戦後
チューブアロイズに関係した仕事を行なった人々の1人に、ウィリアム・ペニー(英語版)がいた。彼は衝撃波のエキスパートであった。1944年6月、彼は、マンハッタン計画にイギリスの代表者の一人として参加するために、アメリカのロスアラモスへ向かった。彼の指導力と彼の集団での仕事を行なう能力は、彼自身を、計画の方向付けにおいて全てのキーを握る科学者の中心グループに加えることになった。

戦争終了時、イギリス政府はアメリカが技術を共有すると信じていた。それらの技術は、イギリスは一緒に発明を行なったものであると見ていた。しかし、1946年8月のトルーマン政権による入力:マク・マホン法(英語版)(原子力エネルギー法)の通過は、イギリスがもはやアメリカの原子力研究にアクセスすることを許さないことを明確にしていた。

クレメント・アトリーの政府は世界的な外交関係の中で、イギリスの地位を維持するためにはイギリスは原爆が必要であると結論つけた。外務大臣のアーネスト・ベヴィンの言葉を借りると、「我々は原爆を持たねばならない。原爆の下で、血に染まったユニオンジャックを持たねばならない。」
そのため、ペニー博士はアメリカ合衆国を離れ、イギリスに戻り、原爆局(Atomic Weapons Section)に対する計画を開始した。
計画は「高性能爆薬研究」(High Explosive ResearchもしくはHER)のコードネームで1947年5月、ペニー博士が計画を率いる様に任命された。
1950年4月、バークシャー州オルダーマストンの放棄された第二次大戦中の英国空軍飛行場がイギリスの核兵器開発計画の永久的な本拠地となった。これは、核兵器研究機関(Atomic Weapons Research Establishment, AWRE)となった。1952年10月3日、ハリケーン作戦のコードネームの元、最初のイギリスの核兵器がオーストラリアの西海岸のモンテベロ島で爆発に成功した。
(資料ウイキペディア)


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永遠のエンドレス「ロシア北方領土問題」

敗戦国がゆえに北方四島を取られても何も言えない日本???

日ソ中立条約を破って、北方四島を奪ったここで択捉島、国後島、歯舞群島、色丹島の北方四島の歴史を簡単に振り返っておこう。
第二次世界大戦で日本は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶとともに、ソ連とは中立条約を結んで、米国や英国と戦争を始めた。ところが1945年2月にソ連(スターリン首相)が、ヤルタ会談で米英両国の首脳と協定を結んだ。ソ連の対日参戦の見返りとして千島列島をソ連の領土とするという密約だった。すでに日本の敗戦が目に見えていただけに、ソ連にとっては棚から牡丹餅だった。ソ連は中立条約を無視して8月9日に対日参戦した。ソ連は日本がポツダム宣言を受諾して降伏した14日以降も侵攻を続け、さらに日本が降伏文書に署名した9月2日以降も攻撃を止めなかった。そして北方四島を占領した。
これが歴史的な事実だ。ソ連が弱り切った日本に対し、日ソ中立条約を破って攻撃し、その結果、日本固有の領土だった北方四島を奪ったのである。四島返還こそが、本筋なのである。それなのにどうしてロシアは北方四島を日本に返そうとしないのか。返還すれば日ソ中立条約を破った事実を認めることになるからだ。
(記事部分抜粋引用)

この例題話しを何百回何千回聴いたまた聴かされたことやら、枚挙にいとまない。だから、今回の交渉に際してもおそらく誰も期待していないだろうし、その期待を真に裏切らなかった。

もはやこれはお題目念仏のたぐいであり、やっていさえすれは気がすむ程度のショーでありパフォーマンスとしか思えない。

このステージで誰と誰が話し合ったのかという二人の役者を選んだのは、ほかでもない民主国家の社会であり、その点では誰に対しても文句を云えた義理ではないが。

この「忸怩たる思い」を早急に解決したいと願うのは皆おなじだが、こうした報道によって民衆が喚起することも大事だが、同レベルの報道発信を数万回流したとしても、やはり事実は微動だにしないだろう。

まだ「新聞報道」が健全だったころの話しだったら判らないでもないが、いまのネット時代にそれと同じことをしていてもラチは空かないと思うし、またそれを読んだ読者(ネット比率)がになを思い、それによってなにを動機させるかというアクションを想定したとき、ほとんど無意味な結果に至ると穿ってしまうのは不謹慎か。

記事では日本敗戦国を力説しているが、そんなことは敢えて断るまでもなく、これまで70年の足跡をたどれば、良いも悪いもそのことによってこの国があり、それが歴然の事実であることは否定しようもない。
いま世界が保守化し、リベラル色が右に傾き始めているのは止めようもない傾向で、そこにはそれなりの訳がある。
そんな時にこうしたカテゴリー枠の話しが持ち上がり、それが一向に進捗しないといのには、何かがどこかで間違った選択肢をしているという提起が必要だ。

そうしたことへの報道メディアのあるべき姿、という毅然とした態度があるのかないのか、という問いをここで断じるのではなく、報道を職とする人々に問いかけたい。

どう なんだい???






「敗戦国」のままなら北方領土は戻らない
プレジデントオンライン 2019年1月24日 9時15分
■本当に北方領土は日本に戻ってくるのか
「開けて口惜しき玉手箱」とは、期待が外れてがっかりすることのたとえに使われることわざである。竜宮城から帰ってきた浦島太郎が、乙姫さまからもらった玉手箱を開けると、中から白い煙が出てきただけだったというあの昔話をなぞっている。蛇足だが、煙を浴びた浦島はあっという間に年を取ってしまう。竜宮城の時間とこの世の時間の流れの速さが大きく違っていたのだ。
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1月22日夜(日本時間)、ロシア・モスクワのクレムリン(大統領府)で行われた安倍晋三首相とプーチン大統領の会談は、まさに「開けて口惜しき玉手箱」だった。

今度こそ、北方領土問題の解決に大きな進展があるはずだと、日本の国民に期待させながら、ふたを開けてみると、白い煙どころか、安倍首相とプーチン氏が日露の平和条約交渉を本格化させることを再確認し合っただけ。北方領土問題の解決には何ら進展がなかった。本当に北方領土は日本に戻ってくるのだろうか。

■交渉進展に必要な「プーチン氏の弱点」とは何か
昨年11月20日付のプレジデントオンラインの「北方領土2島先行で崩れる安倍首相の足下」との見出しを付けた記事の中で、沙鴎一歩は次のように指摘した。

「プーチン氏は一筋縄ではいかない。かなり手ごわい相手だ。このままでは得意技の払い腰をかけられ、1本取られるかもしれない。払い腰とは、相手を自分の腰に乗せて脚で払い上げる技だ」

会談終了後に行われた安倍首相とプーチン氏の共同記者会見では、会談の具体的内容は明らかにされなかった。安倍首相はプーチン氏から1本取ることができたのか。それとも逆に払い腰で1本取られたのか。

北方領土交渉の先は長い。交渉中に手の内をさらけ出すようなことは許されないだろうが、安倍首相がどんな技をプーチン氏にかけたかぐらいは国民の一人として知りたい。

外交交渉では相手国の弱点を突いて揺さぶることが重要である。それではプーチン氏の弱点とは何か。

■ロシアは日本から大きな経済協力を引き出したい
ロシアは5年前のクリミア半島の併合を欧米各国から強く批判され、現在も経済制裁を受けている。ロシアは孤立状態にある。そこがプーチン氏の最大の弱点だ。時折見せるプーチン氏の物寂しげな表情が、それを物語っている。

22日の日露首脳会談後の共同記者会見で、プーチン氏は経済効果を強く口にしていた。あの口ぶりなどから判断すると、プーチン氏の狙いは北方領土問題を先送りにして平和条約を優先的に締結し、その結果、日本から大きな経済協力を求めようというところにあるようだ。

もうひとつの弱点が、北方領土への在日米軍の駐留である。ロシアは北方領土を返還した場合、在日米軍の駐留が実施されると懸念している。プーチン氏は昨年12月の記者会見で沖縄の在日米軍基地について「日本にどこまで主権があるのか分からない」と牽制している。ロシアは米国が怖いのである。そこでロシアは日本との平和条約交渉で日本とアメリカの関係にくさびを打とうとしている。この辺りがロシアの本音だろう。

日本はそんなロシアの思惑を逆手にとってこれからも続く交渉に生かしていきたい。

■日ソ中立条約を破って、北方四島を奪った
ここで択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島の北方四島の歴史を簡単に振り返っておこう。

第二次世界大戦で日本は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶとともに、ソ連とは中立条約を結んで、米国や英国と戦争を始めた。ところが1945年2月にソ連(スターリン首相)が、ヤルタ会談で米英両国の首脳と協定を結んだ。ソ連の対日参戦の見返りとして千島列島をソ連の領土とするという密約だった。すでに日本の敗戦が目に見えていただけに、ソ連にとっては棚から牡丹餅だった。

ソ連は中立条約を無視して8月9日に対日参戦した。ソ連は日本がポツダム宣言を受諾して降伏した14日以降も侵攻を続け、さらに日本が降伏文書に署名した9月2日以降も攻撃を止めなかった。そして北方四島を占領した。

これが歴史的な事実だ。ソ連が弱り切った日本に対し、日ソ中立条約を破って攻撃し、その結果、日本固有の領土だった北方四島を奪ったのである。四島返還こそが、本筋なのである。

それなのにどうしてロシアは北方四島を日本に返そうとしないのか。返還すれば日ソ中立条約を破った事実を認めることになるからだ。

■敗戦したがゆえに北方四島を取られても何も言えない
ロシアはヤルタ会談を持ち出して「大戦の結果だ」と主張してやまない。言い換えれば、日本が敗戦したがゆえに北方四島を取られても何も言えないのである。敗戦という事実は、いまだに日本の外交に暗い影を落としている。日本が国際連合(国連)の主要機関である安全保障理事会(安保理)の常任理事国になれない現状を考えればよく分かるだろう。

ちなみに国連安保理は、戦勝国の5カ国(米国、ソ連、英国、フランス、中国)の常任理事国と、2年ごとに国連総会で選出される10カ国の非常任理事国で構成されている。日本は2017年12月に任期が切れて11回目の非常任理事国を退いた。日本に対してはここ数年前から常任理事国に入れるべきではないかとの議論が国連にはある。

日本が北方四島を常任理事国のロシアから取り戻すことができれば、敗戦国という負い目を克服したことになる。日本の外交において大きな追い風である。

それゆえ安倍首相は焦ることなく、北方領土交渉を続けてほしい。自分の任期中に何とか形にしようとすればするほど、間違いなくしたたかなプーチン氏に足下を見られる。

繰り返すが、北方領土交渉に成功すれば、日本の外交力は増す。世界が敗戦国と見なさなくなるからだ。国連安保理の常任理事国という立場を得る可能性も強くなる。日本はまずロシアとの北方領土交渉を、目先のことにとらわれずに長い目で続けていくことが大切である。

■「(日本は)大戦の結果を世界で認めていない唯一の国だ」
1月21日付の毎日新聞が「露外相の北方領土発言 交渉の基盤を危うくする」という見出しの社説を書いている。書き出しはこうだ。

「ロシアのラブロフ外相が年頭の記者会見で、日本が北方四島の領有権を主張するのは『国連憲章の義務に明白に違反している』と述べた」
「日本の国内法で『北方領土』という呼称を使っていることを批判し、『第二次大戦の結果を世界で認めていない唯一の国だ』とまで言った」

国連憲章に違反していると言い、北方領土の呼称も許さない。揚げ句の果てが敗戦を認めない国だと批判する。勝手な言い分である。これが大国ロシアの主張なのかと思うと、開いた口もふさがらなくなる。

さすがの毎日社説も強く反論する。まず国連憲章の義務違反かどうか。

「ラブロフ氏が例示したのが国連憲章107条だ。しかし、これは国際法上、ロシアに北方領土の領有権を認めたものではなく、日本に従うべき義務を定めたものでもない」
「大戦の結果として『敵国』に対してとった行動は『無効』となるものではないという趣旨で、個別の降伏条件について国連は責任を負わないことを目的にした条文とされる」

次に第二次大戦の結果について。

「ロシアは『大戦の結果』として北方四島がロシア領になったと主張する。その根拠とするのが1945年の米英ソ首脳によるヤルタ協定だ」
「だが、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦と千島列島引き渡しを示し合わせた密約に過ぎず、国際法としての拘束力はない。日本は当事国ではなく拘束される義務はない。米国も後に密約を『無効』と宣言している」

■北方四島を奪ったロシアこそ国際規範違反
毎日社説は理不尽なロシアの主張にさらに反論する。

「ソ連は終戦間際に日ソ中立条約を破って北方四島に侵攻し占拠して領土拡大を試みた。これこそ国際規範に反する行動だ」
「日露の平和条約交渉は互いに『法と正義』を重視してきた。ロシアが法的な裏付けを欠く主張を続けるのなら、交渉の基盤が根底から覆る」

毎日社説の指摘を待つまでもなく、ロシアのかつての行動は国際規範違反であり、根拠のない主張を繰り返しているだけなのである。

「ラブロフ氏は先の河野太郎外相との会談でも、北方領土への『ロシアの主権』を認めるよう迫った。一方的な態度では交渉は前に進まない」

かたくななロシアにどう立ち向かったらいいのか。日本の国益を最優先にして一歩も譲らない態度を強く示すべきである。

今後の交渉で心配なのは、ロシア国内の世論である。四島を引き渡すことに反対する抗議デモまで起きている。ロシアのアンケート調査だと、8割近いロシア国民が返還に反対している。世界最大の領土を保有する国だけに、領土問題には国民が強く反応するのかもしれない。

■「結果は惨憺たるもので、ロシアの増長ぶりが目に余る」
次に1月14日の日露外相会談を受けて書かれた産経新聞の1本社説(「主張」、1月16日付)を読んでみよう。産経社説は四島返還を強行に主張している。沙鴎一歩は四島返還には賛成である。

「河野太郎外相とロシアのラブロフ外相がモスクワで平和条約交渉を行った。日露首脳が昨年12月、両外相を交渉の責任者に指名して以降で初の会談だった」
「結果は惨憺たるもので、ロシアの増長ぶりが目に余る」
「日露首脳は昨年11月、日ソ共同宣言(1956年)を基礎に交渉を加速させることで合意した」
「しかし、共同宣言に基づく『2島返還』戦術の破綻は鮮明だ」
「北方四島の返還を要求するという原則に立ち返り、根本的に対露方針を立て直すべきである」

日露外相会談の結果を「惨憺たるもの」と手厳しく批判し、2島返還戦術を「破綻」と指摘する。そのうえで四島返還を求める「原則に立ち返れ」と主張する。

北方領土交渉に関し、産経社説は傾倒する安倍政権をも批判する。その姿勢はぶれない。そこが産経社説らしさだ。

しかし外交交渉は相手が一方的な主張を繰り返せば繰り返すほど、先が読みにくくなる。仮に四島返還が現実離れしてきたときに産経社説はどう対応するのだろうか。四島返還の姿勢を崩さずにいられるか。そこまで考えておくべきである。

■「『2島返還』への方針転換だと受け取られた」
産経社説は「ロシアがかくも強気に出ているのは、安倍晋三首相が四島返還の原則から離れ、日ソ共同宣言重視を打ち出したためだ。これは『2島返還』への方針転換だと受け取られた」と指摘する。

見出しも「『2島』戦術破綻は鮮明だ」「日本の立場毅然と表明せよ」である。

さらに産経社説は指摘する。

「日ソ共同宣言は、平和条約の締結後に色丹、歯舞を引き渡すとしている」
「だが、共同宣言は、シベリアに不当に抑留されていた日本人の帰還や国連への加盟、漁業問題の解決という難題を抱えていた日本が、領土交渉の継続を約束させた上で署名したものだ」

■「国民に対する説明責任もきちんと果たしてほしい」
安倍首相は昨年11月のプーチン氏との会談で、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意している。同宣言には歯舞と色丹の二島しか明記されていない。四島返還の原則を放棄したものとロシアに受け取られかねない。だが、産経社説によれば、同宣言は領土交渉の継続を約束させたものだ。沙鴎一歩は四島返還の原則に戻るのは賛成である。

最後に産経社説はこう主張して筆を置いている。

「法と正義に基づく日本の立場を、毅然と表明するのが筋だ。安倍政権には、焦ることなくロシアと交渉し、国民に対する説明責任もきちんと果たしてほしい」

安倍首相は焦ることなく、四島返還を目指すべきである。相手は竜宮城に住む異邦人である。時間の流れも大きく違う。そんな相手だからこそ、初心と原則を忘れず、しっかり交渉を進めてほしい。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=AFP/時事通信フォト)
(記事引用)


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YouTubeで数十億再生 神秘に包まれた童謡「Baby Shark」の謎
 神秘に包まれた童謡「Baby Shark」
2019年1月29日 12時0分 Rolling Stone Japan
童謡「Baby Shark(サメのかぞく)」は、インターネットを含む音楽チャートを席巻しながらも、誰一人として著作権を主張できないという。最初に作曲したのは誰なのか?

ある歌が音楽チャートを席巻し、YouTubeで何十億もの再生やダウンロード回数を記録し、さらにはカーディ・Bが今週末Instagramに投稿したようにセレブたちまでも虜にし、インターネット中に拡散しているとしよう。さぞかし作曲者は儲けているに違いない、と誰もが思うだろう。実のところ、2019年に旋風を巻き起こしている童謡「Baby Shark(サメのかぞく)」は誰にも儲けをもたらしていないのだ。なぜなら、この歌の所有権を主張できる作曲者がいないから。

「Baby Shark」がYouTubeを通してアメリカの音楽ファンを騒がせはじめたのは数年前のこと。子ども向けの教育コンテンツを手がける韓国の会社がPinkfongというキャラクターの動画を2015年にYouTubeに投稿し、2016年には驚くほどキャッチーな新しいビートとメロディーをのせてリミックス版を投稿したのがきっかけだ。しかし複数の情報源によれば、両方のバージョンの中核となる歌は、何十年も前からある、古い合唱用のチャントから派生しているようだ。リミックス版はK-popの人気歌手やアメリカのSNSの影響もあって瞬く間に人気を博し、Pinkfongを運営するスマートスタディ社によれば、今では11言語による100以上のバージョンが存在している。

現時点では、この歌の書作権をめぐり、最初に作曲したのは誰か? と複数の当事者が法廷、あるいはその他の場所での争いに巻き込まれている。2011年に自らのYouTubeチャンネルにこの歌をアップロードした子ども向けミュージシャンのジョニー・オンリーは、Pinkfongの最新バージョンは自分の楽曲とあまりにも似過ぎている、と韓国の裁判所に苦情を申し立てた。それに対するPinkfongは、「Baby Shark」が昔の童謡をもとに作曲されたものであり、いかなるアーティストの楽曲も使用していないと主張している。さらには、「Baby Shark」のドイツ語のダンスバージョンとも言える「Kleiner Hai」の存在もある。「Kleiner Hai」の作曲者であるアレクサンドラ・ミュラーは、米エンターテイメントメディアVultureに20年ほど前から「Kleiner Hai」を歌ってきたと述べた。「ドイツでは人気の子どもの歌なんです。それがどこからきているのかは、誰にもわかりません。著作権も調べましたが、クリスマスの歌のように、公法の管轄下であることがわかりました。要するに、印税が発生しないのです」とミュラー氏は言った。特定の楽曲のレコーディング権利もそうだが、著作権に限っていえば、「Baby Shark」の出どころは「ハッピーバースデートゥーユー」よりも神秘に包まれているようだ。

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アルタミラとは - コトバンク コトバンクスペイン北部、サンタンデールの西方にある洞窟(どうくつ)。1879年に発見された旧石器時代の壁画で知られる。
1985年、世界遺産(文化遺産)に登録された。

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テスラのソフトウェアバージョン9.0と愛すべきB級映画チャッピー
2018-12-03 / CWh 
渡辺千賀テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし
テスラ。子供達が大好きなテスラ。さすがに最近では幼稚園児が後をついて走るほどの熱狂ぶりはなくなったが、とにかく子供たちはみんなテスラが大好きである。

一体何が子供たちをそそるのか。他のEVも結構出てきているし、ガソリン車だったらポルシェもフェラーリもマクラーレンもあるのにテスラ一強。

もしかしたら、普通に学校の送迎ができる車の中で唯一ガルウィングがあるからかも。

(テスラオーナーではない)当地の知人が
model3

「幼稚園に通う息子を学校でドロップオフする時、前で他の子をドロップオフしている車がテスラのモデルXだと、ガルウィングの開閉を見ながら後ろの席で息子がハァーとちいさくため息をつく。」

と言っていたが。

そんなことはさておき、テスラのソフトウェアは、OTA(無線)アップデートで夜寝ている間に新しくなる。大体2〜3週間に一回バージョンアップするのだが、一番最近のものがバージョン9.0。これはテスラ自身もこれまでで最もすごいアップデートとしているが、実際、特に自動運転の向上ぶりはすごい(この辺の話はフォーブスでも話してみたのでこちらもどうぞ。)

「自動運転カーナビ」という機能も(ベータで)加わった。それだけ聞くとすごい未来がやってきたようだが、要はカーナビで高速運転中に降りるべき出口が近づいてくると「車線変更しろ」という指示が出る、というだけなんですけどね。

Tesla_autodrive

さらに設定の奥の方で「車線変更の強気度合い」を変えられるようになっていて、一番強気なのがMad Maxモード。最初はAverage設定にしていたのだが、最近Mad Maxにしたら、普段の自分の車線変更の仕方に近いのでストレスが減った。高速での車線変更というのは最も危険な運転行為の一つなのだが、Averageモードだと「なんでモタモタしてるんだ」と感じる瞬間が結構あって、そのモタモタぶりを危険に感じていた。人間は「普段の自分に近い運転」を一番安全に感じるようだ。そして「普段の私」はMad Maxだったのだ。

Tesla_MadMax

イーロンマスクは「来年には完全に自動運転ができるようになる」と言っているが、彼の話はかなり大風呂敷なのでそこを差し引くとしても、カリフォルニアの大雑把な高速道路だったらほぼおまかせ運転モードが実現しそうな雰囲気がこのバージョン9.0では感じられる。もちろん、死亡事故も出ているテスラの自動運転機能を信じるかどうかという問題はあるが、どう考えても不注意な私よりは安全なのでお任せしたい。

そして今回加わった新機能で画期的なのがドライブレコーダー。元々ダッシュカムはついていたのだが、それをソフトウェアが利用できるようになった。基本的にどんどん上書きされてしまうのだが、何かあった時にこの画面のカメラアイコンにタッチするとUSBで直前の記録がダウンロードできる。これで走行中、目の前に UFO が降りてきても安心だ。

Tesla_dashcam

ちなみにテスラ素晴らしい!という私のコメントに対し、Facebookで「テスラはパーツがなくて修理に時間がかかる」ということを複数の人が問題としてあげていたのだが、みなさんのテスラはそんなに故障しているのでしょうか?ちょっと不思議。

これはガソリン車とEVの違いで、テスラ独自のメリットなわけではないのだが、エンジンという爆発を内包した機関で動くガソリン車に比べると、EVは可動部品の数が桁違いに少ない。ガソリン車の1万点に対し、テスラではせいぜい数百くらいでは、と言われている。

動く部品が少なければ壊れる部品も少なくなるわけで、そうそう部品交換が必要な修理はないというのがオンライン・フォーラムの総意でもあるイメージなんですが。

(事故などで部品が必要になった場合にものすごく時間がかかった、という問題に関しては、著しく改善したというテスラ側のコメントもあった。世界中の部品注文を翌日配送にしたので修理に必要な時間はせいぜい数日、パロアルトのディーラーだったら修理の2割はコーヒー飲んでる間に終わる、とのこと。日本でどうなっているかは知りませんが)。

私がテスラ素晴らしい!と思う最大のポイントは、冒頭でもあげた頻繁なソフトウェア・アップデートである。マイナーなバグ・フィックスなどもあるが、「バックで駐車ができるようになった」、「モバイルアプリで車の外からリモコン的に車を前後に動かせるようになった」など、新しい機能が加わることもあるのは前述の通り。

大体の工業製品というのは買った瞬間から劣化が始まるのが普通なわけで、「だんだん賢くなる」というのは非常に新鮮なユーザー体験である。

「スマートテレビの売れ行き軟調。特に、従来のハードウェアメーカーが作ったものはエンターテイメントをめぐる世のソフトウェア環境の進化に付いて行けず、結局新しいスティックを買ったりいろいろしないと新サービスが使えないことも問題」

と先日のNPRのニュースで言っていたが、それを避けるには頻繁で大幅なソフトウェアアップデートが必須なわけです。(ちなみにテスラには、「すぐには必要のないセンサーやらカメラ」が最初からたくさん付いている)。

あまり流行らなかった映画でチャッピーというのがあって、学習するAIを搭載したロボット、チャッピーがどんどん賢くなっていく。そういう感じですな。

なお、ソフトウェア・アップデートで継続的に性能を向上させるには、ハードウェアに依存する部分はなるべく減らした方がいい。テスラもモデル3では限りなくボタンやスイッチが減っていて、空調やオーディオなども画面からコントロール(冒頭の写真参照)。この辺り、従来異なる機能ごとに別の下請け会社が開発を担ってきた自動車産業にはなかなか難しい課題かもしれませんね。
チャッピー、B級だけど割と好き。エクス・マキナと続けてみると感慨深い。

(記事引用)

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日本は世界のブラックホールか桃源郷か(ガラパゴスか) 筆者付け




日本を丸裸にした「日産ゴーン事件」問われるべきは社会という自分自身

事実がまったく解明されず、裁く側も不慮事案に翻弄され、世間の謂われない風評に右往左往しつつ、さらに外圧プレッシャーがのしかかる。前代未聞の経済事件騒動に、まったく終着も予想できないという平成時代の最後の歴史として、それはむしろ相応しいのかもしれない。

時あたかも13.14連休と、報道メディアはいとま中である。余談だが、きょう1月13日の日の出時刻は6時47分(千葉)であり、昨日1日12日6時48分を境として、地球(北半球)の回転が赤道に向かいはじめて、1年365日のカウントが始まる。

カレンダー日付刻印に従い仕事と休暇を分けるのは人間の概念思考であり、宇宙は人間の存在を知ることはない。

おそらく人間は宇宙の摂理を感知することなく目前のカレンダーのみが生活の指標として日々を暮らすのだろう。それはけっして間違いではない。

画像 化石アンモナイト
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私が「検察の正義」を疑う理由 

郷原信郎 記事2019年01月13日 15:36
1月11日、フランスの司法当局が、日本オリンピック委員会(JOC)竹田恒和会長を、東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、「東京五輪」)招致に絡む贈賄容疑での訴追に向けての予審手続を開始したと報じられた。そのタイミングが、日本検察当局が日産、三菱自動車の前会長で、現在もフランスのルノーの会長のカルロス・ゴーン氏を特別背任等で追起訴し、保釈請求に対する裁判所の判断を示される段階になったのと一致したことで、ゴーン氏が逮捕され、長期間にわたって身柄拘束されていることに対するフランスの「報復」「意趣返し」ではないかという見方が出ている。

フランス当局の捜査は、3年前から続けられていたもので、捜査開始はゴーン事件とは全く関係ない。しかし、この対ミンクで、続けられていた捜査が、予審手続の開始という「訴追」に向けての正式の手続であると公表されたことは、ゴーン氏の事件とは無関係ではないように思える。しかし、それを「報復」とか「意趣返し」のような感情的なものとみるべきではない。日本の検察当局が日産・ルノー・三菱自動車の経営トップのゴーン氏に行ったことに対して、日本のオリンピック委員会のトップである竹田会長に、フランス司法当局としてどのような対応をとるかを示し、問題提起をする趣旨と受け止めるべきであろう。

検察の正義への確信の有無で受け止め方が全く異なる
今回のゴーン氏の事件は、平成の時代が終わろうとしている今の日本社会に大きな課題が残されていることを示すものであり、【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”】では、それを、企業のガバナンス・透明性、検察の在り方、事件報道という4つの面から徹底分析した。

それに対する反応は、「検察の正義」に対する確信の有無によって、大きく二つに分かれる。「検察は正義の味方であり、検察が行うことは常に正しい」と確信している人は、その検察がゴーン氏を逮捕し、しかも起訴までしたのだから、ゴーン氏は「犯罪者」であり、西川社長ら日産経営陣がゴーン氏を経営トップの座から引きずり下ろしたのも正当であり、企業ガバナンス・透明性などということは問題にならない。また、その検察が正義の実現のために行っている捜査について「犯人視・有罪視報道」をすることも、大きな問題ではないということになる。

一方、「検察は必ずしも正義の味方ではない、検察が行うことが常に正しいとは限らない」という前提で、日産経営陣が行ったこと、日産の現状、そして、マスコミの事件報道の問題を客観的に見てみると、そこには大きな問題が浮かび上がってくる。

結局、「検察の正義」を確信するかどうかにすべてがかかっているのであるが、その確信の有無は、何によって生じるのだろう。

私がなぜ「検察の正義」に敢えて疑問を投げかけるのか、特に特捜検察について、「正義」を否定し、検察捜査を批判するのか。

実は、私自身も、大学の理学部を卒業して民間企業に勤めたところまでは、司法の世界と全く無関係で、検察のことなど考えたこともなかった。短期間で技術者を辞め、法曹の世界をめざすことになり、たまたま検察の世界に身を置くことになったが、それがなければ、「検察の正義」を確信する人間の一人として生きていたかもしれない。

私には、検察という組織に属し、特捜部の捜査にも関わった実体験がある。それによって「検察は、特に特捜部は、必ずしも正しいわけではない」との認識につながっている。その実体験について、これまでいくつかの著書で述べてきた。それがどのようなものであったか、著書を引用しつつ振り返ってみたい。

特捜捜査に幻滅した日
若手検事だった頃、多くの検事がそうであるように、私も、特捜部にある種の憧れを持っていた。経済事件、特殊事件の捜査で活躍することが夢だったともいえる。しかし、「他部からの応援」という形で初めて特捜部の捜査に関わった時に体験したことで、私の夢は崩壊した。その時のことを、私は、『検察の正義』(ちくま新書:2009年)の中で紹介している。

「東京地検特捜部の看板」で勝負
私にとって、最も違和感があった第三の問題は、「東京地検特捜部」の看板によって、被疑者や参考人を屈服させて、供述調書をとってしまえば、何でもできるという考え方だった。それが、事実を客観的にとらえ、真相を解明していく、という、本来、刑事事件の捜査であれば当たり前の考え方が通用しない独特の世界を作ることにつながっていた。

この証券担保ローンの背任事件の最大のポイントは、不正融資とされる証券担保ローンの実行の時点で、融資先の投資家の株式損益がどのような状況だったかである。全体として利益が出ているのであれば、ある程度、担保評価を緩めて、融資額を増額することも、あながち不合理な判断とは言えない。

私は、その頃、まだあまり普及していなかった「表計算ソフト」を活用して、頻繁に株式売買を繰り返している投資家の損益を逐次計算できるマクロプログラムを完成させ、背任事件の共犯とされている投資家の被疑者の損益状況を調べてみた。すると、背任融資とされている融資の実行の大半の時点で、トータルでは十分に利益が出ており、大幅な損失は投資の最後の時点で、特定の銘柄によって膨大な損失を出し、それでトータルの損益が大幅なマイナスになったものだということがわかった。そうして判明した事実を、思い切って、主任検事、副部長に報告してみた。しかし、「被疑者が全員、Aはずっと株で損をしていたと言っているじゃないか。お前のパソコンはおかしいんじゃないか。」と一笑に付されてしまった。

それから間もなく、被疑者のAは逃亡し、所在をくらましてしまった。それ以降、事実関係を詰める捜査は棚上げにされ、被疑者の所在を突き止めるための捜査一色になった。Aは、一流大学を出て大企業の社員になったエリートだった。株式売買に手を出し、会社を辞めてプロの投資家のような株式売買を始めが、もともとエリート社員出身のAには、特捜部の捜査のプレッシャーが耐え難かったのであろう。

こうして捜査対象の被疑者が所在不明になってしまうと、検察独自捜査にとっては、大変苦しい局面になる。全国の都道府県警に指名手配をして協力を求めることができる警察とは違い、検察は所在不明になった被疑者の行方を追うことには制約がある。

しかし、被疑者の逮捕、本格的捜査が予定され、応援検事まで確保している場合に、捜査をあまり先延ばしすることはできない。つのる焦燥感の中で、そのときの主任検事が命じたのは、所在不明となった被疑者の家族・親類縁者を片っ端から呼び出して、「かくまっているのではないか」と疑って、徹底的にいじめるというやり方だった。それを徹底していけば、そのプレッシャーを受けた家族、親類縁者が、積極的に心当たりに連絡することで、どこかで被疑者の所在が明らかになって、通報してくるのではないか、という考え方だった。

確かに、それは、検察として取り得る手段の中では有効なものなのかも知れない。しかし、Aは、殺人犯人のように、本当に草の根分けても探し出さない犯罪者ではない。要するに、その所在を明らかにしないといけないというのは、「検察の都合」に過ぎないのだ。

私も、その「家族、親類縁者いじめ」の取調べに駆り出された。上司の指示・命令を受けてやらされる仕事の中で、これほど気の進まないことはなかった。

検事になって最も惨めな一日
ある日、主任検事から、所在不明の被疑者Aの従弟を呼び出して取り調べるようにとの指示を受けた。「前日にX検事が呼び出しの電話をかけたが、どうしても都合が悪いと言って来なかったやつだ。何か隠しているから来たくないんだろう。徹底して締め上げろ」という話だった。

私が電話をかけたところ、Aの従弟のB氏が出た。東京地検特捜部の検事であることを告げ、「Aさんのことでお伺いしたいことがあるので、明日、東京地検まで来てもらえませんか」と言うと、「Aとはもう何年も会っていません。何も知りません。どうしても行かなければいけませんか」と言ってきた。「それでも、どうしても直接お伺いしたいことがあるのです」と言うと、「では、行きます」と言ってくれた。

翌日の朝、霞ヶ関の東京地検に出向いたB氏は、私の「取調べ」が始まるなり、淡々と話し始めた。

「一昨日の夜も、X検事から電話があって、明日東京地検に来てくれと言われました。私が、仕事があって無理ですと言うと、『お前はAの行き先を知っているだろう。嘘をついてもわかる。隠しているから調べに応じたくないんだろう。隠したりしていると捕まえるぞ。』とさんざん脅されました。ちょうど、我が家では、子供にいろいろ大変なことがあって、とても深刻な家族会議をしていた最中でした。中学生の息子がイジメで登校拒否をしています。それに加えて、一昨日、小学生の息子が、重い心臓病だということがわかって、私たち家族はどうしたら良いんだろうと、目の前が真っ暗になって、そこに、夜の10時過ぎにX検事から電話があったのです。どうしても都合が悪いからと言って、東京地検に行くのは一日待ってもらいました。そこで、昨日、また電話がかかってきた。それが、検事さんからでした。私が検察庁に呼び出されたということで、今朝出てくるときに、女房が取り乱していて、私が逮捕されるんではないかと心配で頭がおかしくなりそうだと言っていました。」

私が、その話を聞いて驚き、黙っていると、Bはさらに言葉を続けた。

「私は、多摩市役所の職員として、20年余り仕事をしてきました。人から後ろ指を指されるようなことをしたことはありません。もし、私がAのことで何か知っていたら、すべてお話しします。でも、何も知りません。生意気なことを言うようですが、私も、少しばかりですが国にも市にも税金を納めている市民です。どうしてこういう目に遭わされなければならないんでしょうか。」

私は、このときほど、恥ずかしく惨めな思いをしたことはなかった。自分がやっていることは人間のやることではないと思った。

私は、すぐに、Bの自宅に電話をかけて、Bの妻と話をした。「何も心配することはありません。ご主人に何か疑いがかかっているということではありません。こちらの都合で、どうしても今日、一日、こちらにいてもらわないといけないのですが、まったく心配は要りませんから安心してください。今日の夜にはお返しします。今日だけで、明日以降は来てもらうこともありません」

そして、Bには「あなたから聞くことは何もありません。でも、どうしても、我々の組織の内部的な問題で、今日一日、この建物にいてもらわなければならないんです。待合室で待っていてください。時折、部屋に入ってもらいます。夜には帰ってもらいますから」

私は、昼と夕方のそれぞれ、主任検事に取調べの状況を報告した。

「しぶとい奴です。さっきからガンガンやってるんですが、何も話しません。本当に何も知らないのかも知れませんが、もう少し頑張ってみます」と真っ赤な嘘をついた。

主任検事に評価してもらおうなどという気持がまったくなかったことは言うまでもない。私が恐れたのは、私の「取調べ」が生ぬるいという理由で、B氏の「取調べ」がX検事に担当替えになることだった。とにかく、一日で終わらせなければならない。そのためには手段を選んでいる場合ではなかった。

その日のことは、私にとって衝撃だった。~中略~しかし、この特捜部での応援勤務の経験によって、むしろ、それまで、ある種の「憧れ」すら持っていた特捜部という組織の権力行使の方が、その使い方によっては恐ろしい弊害を持つものであることを実感したのが、そのときのB氏の取調べであった。

ゼネコン汚職事件での冤罪に関する実体験
この時、応援検事として初めて特捜事件の捜査に関わった時の経験で、私は、特捜部の捜査が、必ずしも正義ではないということを強く認識させられることになった。そして、その数年後、正式に特捜部に所属し、特捜検事として関わった「ゼネコン汚職事件」で、私は、特捜捜査が「不正義」そのものであることを実体験することになる。『検察が危ない』(ベスト新書:2010年)で次のように述べている。

事実無根の贈賄自白調書
そして、もう一つの三井建設から梶山静六前自民党幹事長への一〇〇〇万円のヤミ献金疑惑については、一月九日、同じく『朝日新聞』が朝刊で、「三井建設、梶山氏側へ一〇〇〇万円支出」と報じた。「竹内前知事が、同県内に計画されている緒川(おがわ)ダムなどの公共工事をめぐり、地元茨城二区選出で前自民党幹事長の梶山静六代議士の側から、三井建設の受注に便宜を図るよう要請を受けたことがある、と周辺関係者に話していることが、八日明らかになった。竹内前知事は東京地検特捜部にも同様の供述をしている模様だ。関係者によると、緒川ダムの受注でゼネコン各社による激しい競争が展開されていた一九九一年春ごろ、三井建設から梶山氏側あてとして一千万円が支出されていたという。」というものだった。

そして、数日後、朝日新聞は、同県が計画している緒川ダムの建設工事について「一九九一年初め、当時の県土木部幹部らに対し、三井建設にも受注させるよう示唆した」と周辺関係者に話していたことが十二日、明らかになった。東京地検特捜部にも同様の供述をしている模様だ。」と報じ、その直後、特捜部が三井建設の関係者の「一斉聴取」を開始したことを報じた。三井建設の某役員が梶山静六代議士に1000万円を渡したことを三井建設関係者の供述で裏付けようとするものだった。

その後、新聞、テレビ、週刊誌等がこの疑惑を報道し、臨時国会と通常国会の会期に挟まれた「空白の一日」の一月三〇日が梶山逮捕のXデーだなどとまことしやかに語られ、その当日には、検察庁周辺に新聞記者、カメラマン等が大挙して押し掛ける騒ぎとなった。世間の関心はこの問題に集中し、梶山逮捕の「Xデー」のために検察庁周辺には四六時中マスコミが張り込むという事態になった。

しかし、その後、特捜部の係官が議員会館に出向いて議員の面会簿を調査したと報じられた頃から風向きが大きく変わった。議員会館の面会簿からは、1000万円の授受があったとされる日の前後には面会の事実が確認できなかったことが、その事件の捜査に関わっていなかった私にも聞こえてきた。特捜部内は沈痛な雰囲気に包まれていた。

そして、一九九四年一月三一日、日経新聞が、「三井建設、元役員、1000万円を着服と供述」と報じた。

『長年にわたり同社の「業務屋」として政界へのヤミ献金などに携わり、一千万円を同社から引き出して梶山代議士側に届けたとされていたこの元取締役が、最近になって「問題の一千万円を着服し、遊興費などに充てた。弁済したい」などと供述。さらに一千万円が会社から引き出されたのとほぼ同時期に、この元取締役の金融機関の口座に一千万円とほぼ同額の金を入金していた、という。』

こうして三井建設から梶山議員への1000万円の供与疑惑は事実無根であったことが明らかになった。この着服の事実に関しては、その役員が業務上横領の事実で立件され、起訴猶予とされた。

同年3月7日付の『読売新聞』は、この事件の捜査経過について、以下のように報じている。『ゼネコン汚職の捜査で、予想外の経過をたどったのが、三井建設から前自民党幹事長・梶山静六代議士(67)あての名目で一千万円が支出されたことに絡んだ贈賄疑惑。 特捜部では、大物議員をめぐる疑惑だけに、最重要と位置づけ、年明けから多数の検事を投入、三井建設幹部の集中聴取などに乗り出した。しかし、捜査の過程で元取締役から「着服した」との供述が出て、一月末にはそれが表面化した。 贈賄か、着服か。特捜部では慎重に裏付け捜査を進め、元取締役の供述の信用性を確かめるため、取り調べにも複数の検事があたったという。着服の事実が濃厚となるにつれ、「政界ルートはつぶれた」との悲観的な声も捜査幹部から出たほど』

結果的に事実無根であることが明らかになった「梶山代議士への1000万円の供与」についてはその役員の詳細な「贈賄自白調書」が作成されていた。もし、偶然に、自白で授受があったとされていた日の前後に役員が議員会館で梶山氏に面会していたら、「梶山逮捕」は現実のものになっていたかも知れない。

私は、梶山代議士への贈賄事件の捜査断念の後に、「贈賄資金を着服した役員」の業務上横領事件の取調べを担当し、それまでの経過について詳しく話を聞いた。その役員の、それまでに作成された調書を見たところ、議員会館での1000万円の現金授受という「全くの架空の事実」について、授受の位置関係についての図面を含む詳細な供述調書が作成されていた。一度「ウソの自白」をすると、特捜部側は何とか事件を立件しようとしてストーリーが固められていき、自白を引っ込めることができなくなるという「冤罪」の構図そのものだった。

特捜検察と司法メディアの癒着
そして、このような特捜捜査について、全く疑問を持たず、捜査の展開をめぐってスクープ合戦を繰り広げていたのが「司法記者」だった。彼らの殆どは、特捜部の捜査に対する批判的な視点は全くなかった。その中で唯一、特捜捜査の問題について私と認識を共有していたのが、読売新聞のY記者だった。彼とは、ゼネコン汚職事件に限らず様々事件について「ストーリーありき、供述調書をとることがすべて」という、事実を解明する機能をほとんど果たさない特捜捜査と、それに対して批判機能を全く果たせない司法メディアについての認識を共有していた。

私は、そのような特捜捜査の内実や、司法記者との関係をフィクションで描くことができないかと考えて書き始め、その17年後に、ようやく推理小説として完成したのが、「司法記者」(講談社:2011年、講談社文庫:2014年)である。「由良秀之」のペンネームで書いたこの小説は、2014年にWOWOWドラマW【トクソウ】でドラマ化された(主演:吉岡秀隆、三浦友和)。

「平成の次の時代」に向けての日本社会の重要な課題
検察庁では、日々、膨大な数の一般刑事事件が適切に捜査・処理されており、そういう意味で、検察が、基本的に「刑事司法の正義の実現」に関して、その役割を果たしていることは疑いのないところだ。しかし、組織内部ですべての意思決定・判断が行われ、組織として一たび誤った判断をしてしまうと、組織内で是正することが困難になるというのが検察組織に関わる根本的な問題であり、それが典型的に表れるのが、検察自らが事件を立件し、被疑者を逮捕・起訴する、特捜部の捜査だ。私は、このような実体験に基づき、「検察の判断は、特に特捜事件については、正しいとは限らない」という認識から、これまでも多くの事件で捜査・処分に対する批判的な見解を述べてきた。

そして、特捜捜査に内在する危険性が、国際的な経営者の逮捕・起訴という形で現実化し、国内外に大きな影響を与えているのが今回のゴーン氏の事件だ。同氏の逮捕以降、特捜捜査に重大な問題があることを徹底して指摘し続けてきたが、事件は、1月11日の特別背任事件等での追起訴で一つの節目を迎え、この3連休明けにも出される裁判所の保釈の可否の判断を待っている状況だ。

仮に、保釈が認められなければ、凶悪事件でもない、経済事犯での身柄拘束が果てしなく続くという異常な「人質司法」に対して国際的な批判を受けることは必至だ。JOC竹田会長自身は、フランスで12月10日に予審判事の取調べを受けたことを認めており、その日に、予審判事の権限で逮捕される可能性もあった。フランス司法当局のJOC竹田会長への捜査が、被疑者の身柄拘束に対して慎重に進められていることと比較しても、日本の当局の、ゴーン氏に対する身柄拘束のやり方の異常性が際立つことになる。

しかし、裁判所が、「検察追従の姿勢」の呪縛から離れて正当に判断すれば、保釈が許可される可能性は十分にある。【ゴーン氏、早期保釈の可能性~「罪証隠滅の現実的可能性」はない】でも述べたように、ゴーン氏について「罪証隠滅のおそれ」があるのかという点を、最高裁判例等に照らして厳密に判断すれば、否定されるのが当然だ。それは、海外メディアの批判を恐れたものでもないし、フランス当局の圧力によるものでもない。

ゴーン氏の逮捕以降、多くの海外メディアからの取材を受けたが、日本のメディアからの取材は少なく、特に、新聞、地上波テレビの社会部、司法クラブ関係の記者からの取材は皆無に等しい。そうした中、こうした検察の問題に常に関心を持ち、私に発言の場を与えてくれた「平成のジャーナリズムの巨人」田原総一朗氏の番組「激論クロスファイア」(BS朝日)に、今日(1月13日)の午後6時から生出演する。

【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”】でも述べたように、ゴーン氏事件に表れた企業ガバナンス・透明性、検察の在り方、事件報道という問題が、「平成の次の時代」に向けての日本社会の重要な課題であることを、しっかり話すこととしたい。

(記事引用)













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