Galapagos Japas

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「地球平面説」を信じる人が急増している その要因は......
2019年2月26日 17時30分 ニューズウィーク日本版

<近年、急に「地球平面説」の主張やメッセージが広く拡散し、より多くの関心を集めている......>

「地球は球体ではなく平面である」とする地球平面説は、16世紀にマゼランが世界で初めて地球を周航し、地球が球体であることを証明した後も一部の人々に支持されてきた。とりわけ近年、ソーシャルメディアネットワークなどを介して地球平面説の主張やメッセージが広く拡散し、より多くの関心を集めているようだ。

特定のキーワードでの検索回数をグラフ化するグーグルの無料ツール「グーグルトレンド」を使って「Flat Earth(地球平面)」の検索回数の推移を調べてみると、2015年以降、急激に増加していることがわかる。

matuoka0226b.pngGoogle Trendsから

「2年前まで地球が平面だとは考えていなかったが......」
米テキサス工科大学のアシュリー・ランドラム准教授は、2017年11月に米ノースカロライナ州で開催された「第一回地球平面国際会議」と2018年11月に米コロラド州で開催された「第二回地球平面国際会議」で参加者30名にインタビュー調査を実施し、2019年2月17日、アメリカ科学振興協会(AAAS)の年次総会でその調査結果を発表した。

英紙ガーディアンの報道によると、インタビュー対象者のうち29名は「2年前まで地球が平面だとは考えていなかったが、ユーチューブで地球平面説を唱える動画を閲覧して考えが変わった」と回答。残りの1名はユーチューブで動画を見た娘夫婦の話に影響を受けたという。

推奨対象から除外していくというユーチューブの方針
ユーチューブ上で公開されている動画には有益な情報も数多くあるが、誤報や流言も少なくない。ランドラム准教授は、ユーチューブが明らかに誤ったことをしているとは考えていないものの、既存のアルゴリズムには改善の余地があるとの見方を示している。

また、玉石混淆の様々な情報が大量に溢れる現代社会において「人々は、与えられる情報に対して厳しい目を持つべきだが、これにはバランスも必要だ」と説いている。

ユーチューブでは、2019年1月25日、公式ブログにおいて、地球平面説を主張する動画など、ユーザーに誤った情報を与えかねないコンテンツを推奨対象から除外していく方針を明らかにしている。

米国の専門家や審査員の協力を得て機械学習をベースとするレコメンドシステムを改善し、まずは米国の動画の一部に実装した後、精度が高まった段階で他の国々にも展開していく計画だ。



The Guardian-Flat Earth rising: meet the people casting aside 2,500 years of science
(
Guardian-Flat Earth上昇:2500年の科学を捨てて人々と出会う)
松岡由希子


(記事引用)






 世界を救うキャンペーン
 2019年02月21日 10:31 日本財団
まだ見ぬ社会課題を見つけるために 日本財団がTwitterで世界を救うアイデアを求めた理由

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インターネットテレビ局・AbemaTVで、社会課題を解決するための番組『10億円会議 supported by 日本財団』が1月15日より放送されている。番組では、応募されたアイデアに対し出演者が合否を判定、合格した場合、日本財団から資金提供の機会を得ることができる。番組を通じて日本財団が拠出する可能性がある総予算はタイトルにもとづき10億円。ここから応募者が資金を獲得していくという。
これにあわせ、同番組をサポートする日本財団は2月1日から『10億円会議キャンペーン』をスタート、Twitterで社会課題を解決するアイデアの投稿を促している。投稿時にハッシュタグ「#にっぽんざいだん」をつけることで、キャンペーンアカウントからリアクションも受けられることも。
「多くの人に社会課題について考えて欲しい」と語る日本財団経営企画部の花岡隼人氏に、本キャンペーンの狙いを聞いた。

日本財団経営企画部の花岡隼人氏 今回の番組を担当する
予算「10億円」の番組で、日本財団の審査を疑似体験
—— 「10億円」という莫大な資金を投入した番組となりましたが、きっかけはなんだったのでしょうか
花岡隼人氏(以下、花岡):日本財団とAbemaTVさんで話をしていくなかで、「日本財団の資金を提供してもらえるのは限られた人なんじゃないか」という話があったんです。もちろん、そんなことはないのですが、一般の方には日本財団という存在が社会課題を解決していることすら知られていないのも事実です。
そこで、日本財団を知っていただき、社会課題を解決するアイデアを募集する新たな取り組みとして、社会の課題を解決する番組をAbemaTVさんと企画しました。
——番組でおこなわれる審査の内容は実際のものに近いのでしょうか
花岡:当財団ではご提案いただいた事業に対し、様々な角度からヒアリングをおこなっていきます。今回の番組中でもMCのデーモン閣下をはじめ、5名の審査員の方から鋭い質問が次々と投げかけられており、日本財団の審査を疑似体験してもらうことはできると考えています。
AbemaTV『10億円会議 supported by 日本財団』出演者はデーモン小暮閣下をはじめ、個性的な面々が揃う ©AbemaTV
Twitterキャンペーンを社会課題について多くの人が発信するきっかけに
——今回は番組と同時にTwitterで「#にっぽんざいだん」というハッシュタグを付けての投稿を促していますね
花岡:我々に事業をご提案いただくNPOや社会福祉法人の方は、社会課題に近い場所にいるので、専門的な知見や独自のアイデアを持っています。しかし、そうではない一般の方たちも日頃感じられている問題や、それを解決するためのアイデアが一つや二つあるはずです。そういった方たちにも、まず何かひとつアイデアを発言してほしいと思っています。
普段、「社会課題を解決しよう」なんてランチをしながら話したりはしないですよね。でも、Twitterのこのキャンペーンに乗っかることで、普段話さないようなことも言えるかもしれない。実際に日本財団に申請しようと思うと、申請書や事業計画書を整えるなど、手続きだけでもなかなか大変ですが、その1歩、2歩手前の行動としてTwitterで発信してもらいたいと思っています。
——例えば日本財団では、どのような分野に注力されているのでしょうか
花岡:ひとつは、子どもに関する分野です。日本財団は子どもの貧困問題や難病児支援、社会的養護出身者の支援など、子どもに関するさまざまな支援を実施しています。ご存じのとおり、日本は超高齢社会に近づいており、若年層や子どもを取り巻く課題に予算を振り向ける議論が後回しになりがちです。我々はそういう課題を政策アジェンダにしていくために、活動を続けています。
し子どもの貧困について気になっていて、何か解決したいと思っていても、親同士でそういった会話をするのは難しいと思います。そんな方にTwitterでつぶやいていただいて、何か反応があって、という経験をしてもらいたいですね。
社会課題について「まずは発信すること」が重要だという
「お金が団体を潰してしまう」ことも 一筋縄ではいかない助成の現実
——日本財団はこれまでも多くの団体に支援をしてきたと思いますが、与えられた資金をうまく使うことも難しいように思います
花岡:よくあるケースとして、大きな金額を助成すると、それを使うのにいっぱいいっぱいになってしまうということがあります。やはり、ポンと渡されたお金をどう使うかというのは難しいんですね。団体の中でお金の分配についての議論ばかりが行われてしまうこともあり、結果として「お金が団体を潰してしまう」という事例もあります。
一方で、成長過程にある団体が、お金を上手く使うことで伸びていくケースもあります。子どもの貧困や教育格差の解消に取り組むLearning for Allという団体には日本財団からも大きな助成をさせていただきましたが、最近、別の企業からも資金を獲得したそうです。
Learning for Allのように、日本財団からの資金を踏み台にして次のステージに進み、団体自身が新たな寄付を集められるようになれば、助成に成功したケースと言えるのではないでしょうか。
——日本財団からの支援を、NPO等が自立に繋げていくことが重要ですね
花岡:普段活動されている団体からの目線だと、どうしても足りないものは「資金」に見えがちですが、本当に必要なのは資金ではなく事業戦略だったということが多々あります。
こうした視点がないと、社会活動に対して支援しても、やりっぱなしになってしまう。確かに目の前の人は救われているんですが、その人達がどう救われたのか、その人達が次にどうしていくのか、それがないゆえに砂場に水を撒くような支援になってしまいます。
そうすると結局、日本財団の助成金が終わったときに活動が途切れてしまうんですね。こうしたケースに鑑みて、資金以外の面でも支援が必要だと我々も感じています。
花岡氏によると、近年、社会課題の解決に乗り出す私企業も多いそうだ
設立から56年 「相談するなら日本財団」と思ってもらえる団体を目指す
——今回番組やキャンペーンで、そういった部分の改善に期待していることは
花岡:結果的に変わるかもしれないと感じているのは「世間の目にさらされる」という点です。日本財団の助成事業は、日本財団と助成先のコミュニケーションに留まりがちで、一般の方に個別に関心を持っていただきづらいという性質があります
もちろん、公金を扱っているので、説明責任を果たすための情報発信はお願いしていますが、団体独自の発信力の域を出ることはありません。今回は「10億円会議」という番組で合格になった方が資金提供を受けるので、その後も「そういえばあの人はどうなった?」と世間に追いかけられる可能性があります。そういった外からの視線があることで、襟を正すことにつながりますし、さらに新たな資金を得られるかもしれない、その点は期待を持っています。
——日本財団として、支援する側の課題はありますか
花岡:やはり、日本財団自体が社会課題の解決を目指しているということをご存じない方が多いので、その点を多くの方にご理解いただいて、新たな人たちと一緒にやっていきたいと思っています。
1962年に前身の日本船舶振興会が発足してから56年間、海洋分野から福祉分野まで、日本財団はさまざまな分野の支援をおこなっています。ボートレースの収益金という公金を使いながら、社会において誰もまだ手を付けてない分野にスピード感を持って資金を提供していくというのが、我々の強みです。
今回のTwitterキャンペーンを通じて、忘れられている課題や、世間で課題とされているものの別の側面にスポットライトを当てることのできる方に出てきてほしいですし、そういう方に「相談するなら日本財団」と思ってもらいたいですね。
関連リンク BLOGOS編集部PR企画 
(記事引用)











三国志・曹操の墓に世界最古?の白磁 日本人らが確認
2019年2月20日 5時0分朝日新聞デジタル
曹操の墓から出土した罐(河南省文物考古研究院蔵)=2018年12月、中国・河南省文物考古研究院
 白い器面に透明なうわぐすりをかけ、高温で焼きあげた「白磁」。
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 中国の歴史書「三国志」にも登場する魏の英雄、曹操(155~220)の墓(河南省・曹操高陵、3世紀)から、その世界最古と考えられる製品が出土していたことが明らかになった。専門家は「白磁の誕生や性格を考えるうえで貴重」と評価する。

 見つかった白磁は高さ13・4センチ、直径8・7センチ。周囲に四つの耳(環)をつけた「罐(かん)」と呼ばれる器で、2008年から発掘が始まった墓で、中央部の前室(棺を納めた主室の前にある部屋)から出土した。(記事引用)









「戦争と武力紛争の兵器」としての性暴力――ナディア・ムラド氏自伝『THE LAST GIRL』 - 末近浩太 / 中東地域研究
2018年12月06日 15:54
記事 SYNODOS https://synodos.jp/international/22340
今年度のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド氏の自伝、『THE LAST GIRL:イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語』(ジェナ・クラジェスキとの共著、吉井智津訳、東洋館出版社、2018年)が刊行された。イラク出身のムラド氏は、2014年8月、故郷のコーチョ村で過激派組織「イラクとシリアのイスラーム国(ISIS)」の戦闘員たちに捕えられ「奴隷」にされた。

ISISの戦闘員たちは、ムラド氏らヤズィディ教徒(後述)にイスラームへの改宗を強要した。それを拒否した男性や老人は虐殺され、若い女性たちは「奴隷」として売買された。改宗を拒んだ彼女は、その「奴隷」の1人として、ISISの実効支配地域のなかでわずかな金銭で繰り返し取引され、戦闘員たちによる壮絶な性暴力の被害を受けた。

同年11月、彼女は、監禁場所のあったイラクのモスルを脱出することに成功、ある家族の支援によってクルド人地域の難民キャンプにたどり着き、その後、ドイツで保護されることとなった。

それからのムラド氏は、人権活動家としての活動を開始する。自身の体験を語ることを通して、ISISによる凄惨な暴力の実態を全世界に伝え、また、自分と同じようにISISに捕えられた人びとの解放を訴えた。

最近、ジャーナリストの紛争地への渡航の是非が再び論議を呼んでいるが、いかなる立場をとるにせよ、確かなことは、「誰かが伝えなければ伝わることはない」という単純な事実であろう。

ムラド氏にとって、性暴力の被害者である自身の体験を語ることは、筆舌に尽くしがたい苦しみと困難をともなうものである。しかし、それでもなお、彼女は、文字通り自分の身を挺して、全世界に向けて紛争地における性暴力の根絶を訴え続けた。もし、彼女の訴えがなければ、国際社会によるイラクやシリアのISISへの対応はもっと鈍いものになったかもしれない。

こうした勇気ある活動が高く評価され、このたびのノーベル平和賞の受賞となったのである。受賞の理由は、「戦争と武力紛争の兵器として用いられる性暴力を終結させるための努力に対して」であり、性暴力被害に遭った人びとの治療に尽力してきたコンゴ民主共和国の医師デニ・ムクウェゲ氏との同時受賞となった。

なお、ムラド氏は、ノーベル平和賞に先駆けて、2016年にはヴァーツラフ・ハヴェル人権賞とサハロフ賞も受賞している。

ISISにとってのヤズィディ教徒
なぜ、ISISは、ヤズィディ教徒に対してかくも凄惨な暴力を振るったのだろうか。そこには、どのような論理があるのだろうか。

ISISは、過激派と呼ばれるが、思想的に見れば、イスラーム主義の一種である。イスラーム主義とは、イスラームの教えに基づく社会変革や国家建設を目標とする政治的イデオロギーである。ただし、ISISは、この目標を暴力でもって実現しようとしたこと、そして、その根拠となる「イスラームの教え」を恣意的かつ極端なかたちで解釈したことを特徴とする。言い換えれば、暴力と不寛容がISISの特徴であり、それこそが過激派たるゆえんであった。

ISISは、恣意的かつ極端なかたちで解釈した「イスラームの教え」を振りかざし、そこから逸脱するものを徹底的に否定した。ムラド氏が信仰するヤズィディ教も、その1つであった。

ヤズィディ教とは、イラク北部のクルド人地域を中心に奉じられている民族宗教(原則、他宗教の信者が入信することはできない)である。世界を司る孔雀天使の崇拝と輪廻転生の死生観を特徴としており、そのルーツはミトラ教やゾロアスター教にあると言われているが、実際には、キリスト教、ユダヤ教、イスラームといった一神教の影響も受けているとされる。教典を持たずその教義は口承によって伝えられてきており、信者は太陽に向かって礼拝する。

イスラーム教徒が人口の大半を占める今日のイラクにおいて、ヤズィディ教徒は紛れもなく宗教的なマイノリティであり、ムラド氏自身も、その信者の数は「世界全体でも100万人ほどしかいない」(p. 20)と述べている。

ISISは、ヤズィディ教徒を「不信仰者」や「悪魔崇拝者」として殲滅すべき者たちと考えていた。2014年10月にインターネット上で流布されたISISの機関誌『ダービク』第4号の特集「奴隷制の復活」では、ヤズィディ教徒を「奴隷」とすることがイスラーム法的に「合法」であるとの見解が示され、特に女性の「奴隷」の扱いについて詳細な「ルール」が設定された。そこでは、ヤズィディ教徒はイスラーム教徒ではないため、単なる所有物として(結婚することなしに)性行為が可能であること、複数人を所有することが可能であること、売買が自由であることなどが示された。

ムラド氏は、その「奴隷」の1人として、捕らえられてから脱出するまでの約3ヶ月のあいだにも何度も売買され、そのたびにISISの戦闘員たちによる凄惨な性暴力を受けた。彼女は、その「奴隷」を指す「サビーヤ」というアラビア語は「はじめて聞く言葉だった」と述べている(p. 169)。ISIS以前のイラクでは、少なくとも、彼女の暮らしていた地域では、「奴隷」など言葉としても存在していなかったのだろう。

「戦争と武力紛争の兵器」としての性暴力
こうしたISISによるヤズィディ教徒への暴力については、眉をひそめるイスラーム教徒が多い。いや、むしろ、世界中のほとんどすべてのイスラーム教徒がISISの振りかざす独自のイスラーム解釈を認めていない、というのが実情であろう。

しかし、それゆえに、ムラド氏が告発した凄惨な性暴力の実態が、ISISという狂信的で異常な集団による「特殊なもの」として見られがちとなる。あるいは、中東以外に暮らす人びとには、そもそもイラクやシリアで続く政治的混乱自体が「特殊なもの」に見える場合もあるだろう。

ムラド氏が人権活動家となった背景には、自身がISISによる性暴力の被害者であるという「当事者性」が横たわる(ただし、彼女が自ら望んでそうなったわけではないことは、繰り返し強調しておかなければならない)。そのため、彼女の活動に関する報道では、「ISISの性奴隷」といった表現がしばしば用いられてきた。

ここには、世界を震撼させた「ISIS」と世界には存在してはならない「性奴隷」という2つのセンセーショナルな言葉が含まれており、結果として、多くの人びとの関心を集めてきた半面、彼女の発するメッセージが持つ普遍性をスポイルしてきたように思う。

すなわち、「戦争と武力紛争の兵器として用いられる性暴力」がISIS実効支配下のイラクやシリアの地でしか起こりえない「特殊なもの」であるかのような印象を助長してしまうのである(その意味では、筆者のような中東を対象とする地域研究者がムラド氏を語ること自体に、ジレンマや葛藤がつきまとう)。

だが、ムラド氏が訴えているのは、イラクやISISに限定されない、紛争地一般で発生し続けている性暴力の撲滅である。自伝のタイトルである『THE LAST GIRL』 には、彼女自身こそがこうした性暴力の最後の被害者となる、つまり、これ以上の性暴力の拡大を許さない、という強い意思が込められている。

ムラド氏は、上述のISISの機関誌『ダービク』における「奴隷」に関する記述について、「ISISはその構成員らが思っているほど独創的なわけではない。レイプが戦争の武器として使われるのは、歴史上これがはじめてのことではないのだから」と述べている(p. 192)。

2016年9月、彼女は、人身売買の被害者らの尊厳を訴える国連親善大使に就いた。そして、世界各地の紛争で起こっている性暴力が「戦争と武力紛争の兵器」として用いられていることをあらためて強く非難し、その根絶を訴えた。

ムラド氏のメッセージが持つ普遍性
私たちは、ムラド氏のメッセージを「特殊なもの」に矮小化せず、その普遍性を持つものとして受け止めなければならない。「ISISの性奴隷」といったセンセーショナルな話題として消費され尽くすことを避けるためだけではない。米国や欧州をはじめとする世界各国で伸張しつつある反イスラーム感情や移民・難民を敵視する排外主義に簡単に利用されてしまうことを防ぐことにもつながるからである。

2014年に同じくノーベル平和賞を受賞したパキスタン出身の人権活動家マララ・ユースフザイ氏(中学校からの下校途中にパキスタン・ターリバーン運動による銃撃を受け瀕死の重傷を負った)がそうであったように、過激派による暴力の被害者は、イスラームを嫌悪・敵視する人びとによって利用されてしまうことがある。

そうした人びとは、イスラームという宗教の「残虐性」や「野蛮さ」を示すために、過激派による暴力の被害者を「証拠」として利用する。特に、ムラド氏は(ユースフザイ氏の場合とは異なり)イスラーム教徒ではなかったため、「イスラームが他宗教に対して敵意を抱いている」「イスラームは他宗教と共存不可能である」といった言説やヘイトスピーチに利用されかねない。

ムラド氏のメッセージは(そして、マララ氏のそれも同様に)、特定の宗教や国に限定されるものではない。仮にそれを特定の宗教や国を貶めるためや、自分と他者を峻別するためだけに利用してしまえば、それはもはやISISによるヤズィディ教徒への差別と暴力の論理と変わらないものとなってしまう。そして、新たな差別と暴力の被害者が生まれることになる。

ムラド氏が親善大使を務めている国連による報告書(2018年4月)を見てみると、「確認できる(verifiable)情報がある」ケースに限ってみても、「紛争地における性暴力」が問題となっている国の数は19にも上っている。そして、その行為主体のほとんどすべてが非政府主体であり、その内訳を見ても、ISISのような過激派やイスラーム主義を掲げる組織・団体に限られているわけではなく、宗教もイデオロギーも多種多様である。

2018年10月5日、ノーベル平和賞の受賞が決まった日、彼女はロイター通信のインタビューに対して、次のように述べている。

「この賞を、すべてのヤズィディ教徒、イラク人、クルド人、すべてのマイノリティ、そして、世界中のすべての性暴力に遭った人びとと共有する。」


ムラド氏の自伝は、彼女自身の個人的な体験に紙幅のほとんどがさかれている。そして、読者は、その過酷な体験に胸が潰れるような思いを抱くだろう。しかし、どれだけ感情を揺さぶられても、苦しみと困難をともなう語りを通して発せられる彼女のメッセージが持つ普遍性をしっかりと受け止める必要がある。

末近浩太(すえちか・こうた)
中東地域研究 / イスラーム政治思想・運動研究
中東地域研究、イスラーム政治思想・運動研究。1973年名古屋市生まれ。横浜市立大学文理学部、英国ダーラム大学中東・イスラーム研究センター修士課程修了、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫制博士課程修了。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在立命館大学国際関係学部教授。この間に、英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジ研究員、京都大学地域研究統合情報センター客員准教授、、英国ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(SOAS)ロンドン中東研究所研究員を歴任。著作に、『現代シリアの国家変容とイスラーム』(ナカニシヤ出版、2005年)、『現代シリア・レバノンの政治構造』(岩波書店、2009年、青山弘之との共著)、『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』(名古屋大学出版会、2013年)、『比較政治学の考え方』(有斐閣、2016年、久保慶一・高橋百合子との共著)、『イスラーム主義:もう一つの近代を構想する』(岩波新書、2018年)がある。
(記事引用)

◆◆◆

読み書き、そろばんはすでに「死語」か
それはおどしのようにも取れるしまた、それは実際ホンとなんだろうと疑心暗鬼になるが。

そこではたと考えたが、「読み書き」の必須とは何か、を考えるとまず少し前のリテラシーとして「新聞」を読むこと、じゃなかったか。

いま新聞は読まない。

ソロバンで計算はしない、電卓だ。

ニュースは何から取得する、スマホ端末で、暇があればゲームして音楽聴いたり、とか。

会話とか人とのコミニケーションはsnsで「いいね」してもっぱらで会話しない。面倒だし相手が誰だかわからないし。

恋人??? それが同姓だった場合社会的に排他的に除外される。

普通の結婚でもセックスがしたくないし子供もそだてられないし、生活に余裕ないし国もあてにならないから。

若者からそんな返事が帰ってきたら、読み書き電卓も必要ないし、そのうちAIが全部請け負ってくれるので心配ない。

それを誰がしたって、戦後の世界経済を作った人たちが全部やってくれたし、私たち、何もしてない。

これを訳して自己責任、自業自得という。

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言ってはいけない!「日本人の3分の1は日本語が読めない」
2019年2月16日 11時0分 文春オンライン
OECDによる国際調査で「先進国の成人の半分が簡単な文章を読めない」という衝撃の結果が明らかになった。人間社会のタブーを暴いた『もっと言ってはいけない』の著者が知能格差が経済格差に直結する知識社会が、いま直面しつつある危機に警鐘を鳴らす。

以下削除 ◆◆◆



これを記事としてネットにアップする見識を疑う
便所の落書き記事と誹謗されても弁明できない。


父と入浴する23歳アイドル 中居正広は尊重「100個の家庭あれば100個のルールある」
スポニチアネックス 2019年2月12日 12時51分
 タレントの中居正広(46)が11日放送のTBS「中居くん決めて!」(月曜後11・56)に出演。23歳の今でも父や兄と一緒に入浴しているというアイドルに対して送った愛あるメッセージに、共演者がうなる場面があった。

 この日、相談者としてアイドルの北見直美が登場。23歳の現在も父や兄と一緒に入浴しているが「止めるべきか、続けるべきか」悩んでいるという。

 そもそも、なぜ一緒に風呂に入っているのか。「家族みんなが1時間近く風呂に入るので、時間がかかってしまう」といい、誰かが入浴していても、入っていくと説明。友人から「お父さんやお兄さんと何かあるんじゃないの?」と冷ややかな目を向けられているが、風呂場が一家団らんのための大事な空間であるとし「お父さんにとっても大事な場所。急にやめたら悲しむんじゃないかと思うし、お父さんの気持ちを考えたらやめない方がいいのかなとも思う」と、率直な思いを吐露した。

 当初は「あまり見たことがない」と驚きの声を上げていた中居だが、それでも最後は「今まで通り、一緒に入ってよろしいんじゃないでしょうか」と結論。続けて「100個の家庭があったら、100個のルールがあって、100個の掟(おきて)があるわけですから、その家族のルールを、他の家族と比べる必要はない。100個正解があると思うし、(入浴を続けても)いいんじゃないですか」と語りかけた。

 共演者でも意見が割れていたが、最後に中居が「うらやましいところもありますもん」と家族愛を尊重すると、共演者たちもうなずいていた。


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ttps://news.infoseek.co.jp/article/sponichin_20190212_0094/ 2019/2/12記録









暗号名「チューブ・アロイズ」~秘められたチャーチルの戦略
2019年1月27日(日)
▽BS1スペシャル 午後10時00分(110分)www.nhk.or.jp
NHKスタッフ
取材のきっかけは2014年のNHKスペシャル「知られざる衝撃波~長崎原爆・マッハステムの脅威~」を制作したことでした。日本のどの都市に原爆を投下するかを策定する「目標検討委員会」、その実態を調べていると一人のイギリス人科学者が「原爆被害の甚大さを世界に伝える」という任務を担っていたことに目がとまりました。
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「イギリスがなぜ原爆開発に関わっていたのか? この任務は何のために?」早速、英国立公文書館をリサーチしました。すると暗号名で「チューブ・アロイズ」と記された、イギリスの原爆開発の記録が公開されたばかりでした。(2012年公開)・・・しかし、資料は暗号や専門的な用語がずらり。研究者と解読や検証を続け、5年越しでようやく番組化することができました。

チャーチルがなぜ、原爆を必要としたのか?原爆投下にどのように関わったのか?
それを、第二次世界大戦の激変する戦局を追体験しながらお伝えできるよう、イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、デンマークでの長期取材を実行。各国の貴重な映像や最新研究を交えながら、「チューブ・アロイズ」計画の全容を紐解くことを目指しました。

なかでも、チャーチルとソ連を率いるスターリンとの原爆をめぐる攻防にご注目ください。

チャーチルは、ソ連の急速な台頭を恐れ、原爆を手にすることが戦後のパワーバランスを左右すると見据えていました。当時のイギリスの原爆開発の状況を語ってくれるのは、アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」に関わった科学者です。撮影の2ヶ月後の去年12月、93歳で亡くなられ最後の証言となりました。
一方、ソ連はイギリスへとスパイ網を広げ、原爆情報を盗み取る諜報戦を行っていましたが、その詳細は謎に包まれてきました。しかし今回、その内幕を知る元KGB将校と接触ができました。彼がソ連崩壊後、国外に持ち出した機密資料に書かれていたこととは?
米英ソという大国の駆け引きや思惑が、日本への原爆投下と深く結びついているーー複雑な国際政治と外交の舞台裏を映像化できるよう努めました。
(番組ディレクター 夫馬直実)
NHKスペシャル 知られざる衝撃波~長崎原爆・マッハステムの脅威~

(記事引用)

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ウイキペディア~
チューブ・アロイズ(英:Tube Alloys)は、第二次世界大戦中のイギリスの核兵器開発計画のコードネームである。英米の高官の間で核兵器開発の可能性を高レベルの秘密として管理していた際に、このコードネームが使用された。チューブ・アロイズは最初の核兵器開発プロジェクトで、その後アメリカのマンハッタン計画に引き継がれた。この計画の元はフランスとドイツにあった。

ドイツのオットー・ハーンとスウェーデンに亡命していたリーゼ・マイトナーは1938年にウラニウムにおける核分裂を報告した。
1939年パリのコレージュ・ド・フランスの科学者のグループ、フレデリック・ジョリオ=キュリー、ハンス・フォン・ハルバン、レフ・コワルスキー、フランシス・ペランはウランの原子核で発生する核分裂を発表し、2つか3つの中性子が必要であることを示した。この重要な発見は自然と維持される連鎖反応が可能であると言うことを示していた。これは即座に多数の科学者に、非常に強力な爆弾「原子爆弾」が理論的に作成可能であることを想像させた。しかし、ほとんどの科学者はその様な原理的な爆弾は不可能であると考えていた。

パリのグループのフランシス・ペランは連鎖反応を維持するために必要な最小限度のウランの量である「臨界量」(critical mass)を定義した。しかし、自然のウランは核分裂により生じた高速中性子を減速するための減速材なしでは連鎖反応を維持することができないことも発見した。

1940年初め、パリのグループは重水が理想的な減速材であるという理論的背景を固めた。彼らは、フランス軍需相にノルウェーのヴェモークにある大きな水力発電所からどれだけの重水を得ることが可能か問い合わせた。フランスはノルウェーの重水の全在庫をドイツが購入する注文を行っていたことを発見した。これは、ドイツも原爆の開発を行っていることを示していた。

フランスはノルウェーの政府に重水の潜在的な軍事的重要性を説明し、ノルウェー政府は全ての在庫をフランスの秘密任務組織(French Secret Service agent)に渡し、その組織はそれをイギリス経由でフランスに密輸された。これは、ドイツがノルウェーに侵攻する直前の1940年4月のことであった。しかし、ドイツは1940年5月に侵攻を行い、165クォートの重水とパリのグループはイギリスのケンブリッジに渡った。(Joliotはフランスに残り、レジスタンス運動の熱心な活動家となった。)

フリッシュとパイエルス
最初イギリスの研究は、自然のウランを使用した高速中性子による原爆は不可能であると正しく結論づけていた。この理由は、ウラン238がたくさんの中性子を捕獲し失われてしまうためである。しかし、1940年2月、イギリスに亡命していたオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスの2人のドイツ人の科学者は、原爆は製造可能であり、ウランの同位体の質量の軽いものであるウラン235を数kgと高速中性子のみを使用して爆発させることが可能であると気がついた。フリッシュとパイエルスは、ウラン235がウラン238と完全に分離できた場合、遅い中性子は不要であり、減速材が必要ないという有名なフリッシュ&パイエルス覚書の報告を行なった。

フリッシュとパイエルスは自分たちの教授であるマーク・オリファントに報告を行い、オリファントは、ヘンリー・ティザードにその情報を連絡した。彼は1940年4月に原爆の実現可能性を調査する有識者による最高秘密委員会(後にMAUD委員会として知られる)を作った人物である。報告書はMAUDレポートと記載され、その報告書は更にチューブアロイズ計画を推し進めた。

ティザードの使節
重水のチームは遅い中性子研究をケンブリッジ大学で続けるために招かれたが、その計画は爆弾を作り出すという期待がされていなかったため、優先度を低く設定された。

技術者の集団(ティザードの使節)は1940年9月に北アメリカに送られ、その代わりに、レーダー、ジェットエンジン、核研究などの全領域の技術を手に入れた。 彼らは同様にイギリスの軍事研究施設を、ドイツの爆撃範囲外の北アメリカに移動させる可能性に関して検討を行った。

ティザードの使節は帰還した際に、彼らは、遅い中性子の研究がケンブリッジのパリのグループや、コロンビア大学のエンリコ・フェルミや、カナダのジョージ・ローレンスにより継続されていたことを報告した。彼らは戦争遂行とは関係ないと結論付けていた。

ウランの同位体分離
MAUD委員会が直面した最も大きな問題は99.3%を占めるウラン238から0.7%のウラン235を分離する方法を探すことであった。2つのウランは化学的には区別できないため、これは非常に難しい問題であった。しかし、フランシス・シモンがMAUDにより解決策を見つけるように依頼された。シモンは1940年12月に、気体拡散法は、必要な工業プラントの大きさと価格を計算して、実現可能であると報告した。MAUDの委員会は、原爆は、「実現可能性のものではなく、必ずできるものである」ことに気がついた。

ウランのガス化合物と純粋なウラン金属を作る科学的な問題はバーミンガム大学とインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)で研究された。ICIのフィリップ・バクスター博士は1940年にジェームズ・チャドウィック教授のために六フッ化ウランの気体の少量を製造した。ICIは将来の開発のためにこの重要な材料を3kg作成するという正式の契約を1940年の終わりに受けた。

プルトニウム
プルトニウムによるブレークスルーは、エゴン・ブレッチャー(1901-1973)とノーマン・フェザー(1904-1978)によりキャヴェンディッシュ研究所で実現した。彼らは、ウランを燃料として低速中性子(熱中性子)を用いるタイプの原子炉が理論的にかなりの量のプルトニウム239を副産物として作り出すことに気がついた。これは以下の様な過程による。ウラン238が低速中性子を吸収し、新たな同位体であるウラン239を作る。この新しい同位体はすぐにベータ崩壊して、原子番号が93で質量数239の新しい元素となる。この元素の原子核は、同じく電子を放出して原子番号が94で質量239の大きな半減期をもった新しい元素となる。ブレッチャーとフェザーはこの原子番号94の元素が低速中性子と高速中性子の両方で核反応を起こし、ウランと化学的に異なった利点があり、簡単に分離ができる、と言う理論的な実現可能性を示した。

これらの新しい発見は1940年バークレー放射線研究所のエドウィン・マクミランとフィリップ・アベルソンによる研究でも検証された。ケンブリッジのチームのケンマー博士は、新しい元素たちに太陽系の天王星(Uranus、原子番号92のウランに対応)より遠い惑星である海王星(Neptune)と冥王星(Pluto)から、93番目の元素をネプツニウム(neptunium)、94番目の元素をプルトニウム(plutonium)と名づけた。偶然にもアメリカ人たちも同じ名前を提案した。その後、1941年に最初のプルトニウムの最初のサンプルの作成と検証がグレン・シーボーグにより行われた。彼は原子炉でなくサイクロトロンを使用した。

オリファントの合衆国訪問
MAUD委員会の報告書に対して何の反応もなかったので、マーク・オリファントは、1941年8月に爆撃機で大西洋を渡った。彼は、ライマン・ブリッグスがウラニウム委員会に報告書を回さず、報告書が金庫の中に保存されていたことに気がついた。オリファントはアーネスト・ローレンス、ジェイムス・コナント、エンリコ・フェルミ、アーサー・コンプトンに連絡を取り、アメリカの研究プログラムの緊急性を増加させた。MAUDの報告書は最終的に大きな衝撃を与えた。一夜にして、アメリカ人は原爆の実現可能性に関して考えを変え、イギリスと協力して努力する提案を行った。ハロルド・ユーリーとジョージ・ブラクストン・ペグラムは1941年11月に協議のためイギリスに送られた。しかし、イギリスは協力の提案を受け入れなかった。対案は何の対応も行われることなく失効した。

1942年の進展
アメリカの努力は急速であり、すぐにイギリスを追い越した。しかし、別々の研究はそれぞれの国で継続され、時々情報の交換が行われていた。何人かのキーとなるイギリスの科学者が1942年初めにアメリカ合衆国を訪問し、利用可能な全ての情報にアクセスした。彼らはアメリカの原爆計画が進んでいると言うことに仰天した。

ケンブリッジ大学での遅い中性子の研究は、イギリスでは爆弾作成に関係ないと考えていたものであったが、突然軍事的な重要性が増加した。なぜなら、それはプルトニウムへの近道であったからである。イギリス政府はケンブリッジのチームを、シカゴに移動させたいと考えた。その地は、アメリカの研究が行われている場所であったが、アメリカは安全を非常に心配した。元はパリからやってきた、ケンブリッジのグループの6人の代表の科学者の1人のみがイギリス人であった。彼らは、カナダのモントリオールに送られた。

1942年6月アメリカ陸軍は全ての開発、設計、物資調達、試験工場の場所の選定に関して権限を得た。その結果、イギリスへの情報の流れは減少した。アメリカは重水の製造、六フッ化ウランの製造、電磁的な分離方法、プルトニウムの物理的化学的特性、爆弾の設計の詳細、高速中性子炉に関する、情報の共有を停止した。これは、重水の製造や研究プログラムの他の面において協力を行っているイギリス人やカナダ人にとって悪い知らせであった。

カナダのモントリオールのチームは、プルトニウムの技術情報と同様に重水の供給をブリティッシュコロンビアのトレイルの重水工場からの供給に頼っていた。アメリカは、デュポンによる提案に限定された制限に沿って、その研究を指揮することに同意するなら、モントリオールのグループに重水を供給すると提案した。良い結果を出していたにもかかわらず、モントリオールの研究グループの研究は1943年6月に完全に行き詰まってしまった。士気は低下し、カナダ政府は計画を注視することを提案した。

ウィンストン・チャーチルはイギリス独自の拡散炉や重水工場や、原子炉のイギリス国内への建設に対する情報を探していた。しかし、1943年7月、ロンドンで、アメリカの政府関係者がイギリスの動きに対する大きな誤解を払拭することができ、何ヶ月かの交渉の後、ケベック協定が最終的に、チャーチルとフランクリン・ルーズベルトの間で1943年8月19日に結ばれた。イギリスは全ての資源をアメリカに提供し、アメリカはその見返りに大統領へのアメリカの研究成果の報告のコピーを提供した。イギリスの研究は残りの戦争期間、マンハッタン計画に合流することになった。

チューブ・アロイズに関するアメリカとイギリスの政府間の共同管理に関する協定文章("Articles of Agreement governing collaboration between the authorities of the U.S.A. and UK in the matter of Tube Alloys")のタイトルが付けられたケベック協定の章には、イギリスとアメリカは、「チューブ・アロイ(原爆)を早期に実現するための計画」のためにリソースを共有することに同意している。

指導者たちは以下の内容に同意

我々はこの兵器をお互いに対して決して使用しない。

我々はこの兵器を、第三の勢力に対して、お互いの同意なく使用しない。

我々はチューブ・アロイズに関する情報を第三者に対して、お互いの同意なく公表することはない。

これは、「戦後の工業的もしくは商業的なアドバンテージ」をアメリカ合衆国の大統領の裁量により決定されることに同意したことである。

戦争の後期、チューブ・アロイは作り出された元素プルトニウムを指すようになった。この存在は、長崎への原爆投下まで存在は秘密にされた。

1945年8月11日、アメリカ合衆国旧陸軍省によりまとめられた文章はいくつかの参考文献と共にイギリスの原爆への貢献を記載している。また、「原爆に関連した声明(Statements Relating to the Atomic Bomb)」の白書は、マイケル・ペリンによりあわただしく作成された。この報告書は、首相がチャーチルがアトリーに変わった後発行され、これがイギリスの15年間の貢献に対する唯一の公式の書類である。

戦後
チューブアロイズに関係した仕事を行なった人々の1人に、ウィリアム・ペニー(英語版)がいた。彼は衝撃波のエキスパートであった。1944年6月、彼は、マンハッタン計画にイギリスの代表者の一人として参加するために、アメリカのロスアラモスへ向かった。彼の指導力と彼の集団での仕事を行なう能力は、彼自身を、計画の方向付けにおいて全てのキーを握る科学者の中心グループに加えることになった。

戦争終了時、イギリス政府はアメリカが技術を共有すると信じていた。それらの技術は、イギリスは一緒に発明を行なったものであると見ていた。しかし、1946年8月のトルーマン政権による入力:マク・マホン法(英語版)(原子力エネルギー法)の通過は、イギリスがもはやアメリカの原子力研究にアクセスすることを許さないことを明確にしていた。

クレメント・アトリーの政府は世界的な外交関係の中で、イギリスの地位を維持するためにはイギリスは原爆が必要であると結論つけた。外務大臣のアーネスト・ベヴィンの言葉を借りると、「我々は原爆を持たねばならない。原爆の下で、血に染まったユニオンジャックを持たねばならない。」
そのため、ペニー博士はアメリカ合衆国を離れ、イギリスに戻り、原爆局(Atomic Weapons Section)に対する計画を開始した。
計画は「高性能爆薬研究」(High Explosive ResearchもしくはHER)のコードネームで1947年5月、ペニー博士が計画を率いる様に任命された。
1950年4月、バークシャー州オルダーマストンの放棄された第二次大戦中の英国空軍飛行場がイギリスの核兵器開発計画の永久的な本拠地となった。これは、核兵器研究機関(Atomic Weapons Research Establishment, AWRE)となった。1952年10月3日、ハリケーン作戦のコードネームの元、最初のイギリスの核兵器がオーストラリアの西海岸のモンテベロ島で爆発に成功した。
(資料ウイキペディア)


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