setsugen 2017-01-28 10:13 am (リンク)
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(記事引用)
Galapagos Japas Galapagos Japas Galapagos Japas
『雨月物語』という題は、どこからきたのだろうか。秋成自身の序文には、書下すと「雨は霽れ月朦朧の夜、窓下に編成し、以て梓氏に畀ふ。題して雨月物語と云ふ」という一文があり、雨がやんで月がおぼろに見える夜に編成したため、ということが書いてある。物語中、怪異が現れる場面の前触れとして、雨や月のある情景が積極的に用いられていることにも注意したい。
一方、これを表向きの理由、作者の韜晦であるとして、別の説も出されている。山口剛は、西行がワキとして登場する謡曲の『雨月』がもとになっている、という説を提唱したが、これは長島弘明が「白峯」との内容面での関係性が薄いとして否定している。また重友毅は、『雨月物語』にもところどころで採用されている『剪灯新話』「牡丹灯記」にある一節「天陰リ雨湿(うるほ)スノ夜、月落チ参(さん)横タハルノ晨(あした)」から来てるのではないか、と唱えている。高田衛は、秋成はこの両者に親しんでいただろうことから、このどちらか一方と考えなくてもよい、という考えを示している。
「仏法僧」は、時を江戸時代に設定している。伊勢国の拝志夢然という人が隠居した後、末子の作之治と旅に出た。色々見て廻ったあと、夏、高野山へと向った。着くのが遅くなり、到着が夜になってしまった。寺で泊まろうと思ったけれど寺の掟により叶わず、霊廟の前の灯籠堂で、念仏を唱えて夜を明かすことに決めた。静かな中過ごしていると、外から「仏法仏法(ぶつぱんぶつぱん)」と仏法僧の鳴き声が聞こえてきた。珍しいものを聞いたと興を催し、夢然は一句詠んだ。「鳥の音も秘密の山の茂みかな」
もう一回鳴かないものか、と耳をそばだてていると、別のものが聞こえてきた。誰かがこちらへ来るようである。驚いて隠れようとしたが二人はやって来た武士に見つかってしまい、慌てて下に降りてうずくまった。多くの足音とともに、烏帽子直衣の貴人がやってきた。そして、楽しそうに宴会をはじめた。そのうち、貴人は連歌師の里村紹巴の名を呼び、話をさせた。話は、『風雅和歌集』にある弘法大師の「わすれても汲やしつらん旅人の高野の奥の玉川の水」[27]という歌の解釈に移っていった。紹巴の話が一通り終った頃、また仏法僧が鳴いた。これに、貴人は、紹巴にひとつ歌を詠め、と命じる。紹巴は、段下の夢然にさきほどの句を披露しろ、といった。夢然が正体を聞くと、貴人が豊臣秀次とその家臣の霊であることが分かった。夢然がようよう紙に書いたのを差出すと、山本主殿がこれを詠みあげた。「鳥の音も秘密の山の茂みかな」。秀次の評価は、なかなか良いよう。小姓の山田三十郎がこれに付け句した。「芥子たき明すみじか夜の牀」。紹巴や秀次はこれに、良く作った、と褒め、座は一段と盛り上がった。
家臣のひとり、淡路(雀部淡路守)が急に騒ぎ出し、修羅の時が近づいていることを知らせた。すると、今まで穏やかだった場が殺気立つようになり、皆の顔色も変ってきている。秀次は、段下の、部外者のふたりも修羅の世界に連れていけ、と配下に命じ、これを逆に諌められ、そのうち皆の姿は消えていった。親子は、恐ろしい心地がして、気絶してしまった。朝が来て、二人は起き、急いで山を下った。後に夢然が瑞泉寺にある秀次の悪逆塚の横を通ったとき、昼なのにものすごいものを感じた、とひとに語ったのを、ここにそのまま書いた、という末尾で物語を締めている。