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新しい価値をつくる」のは、もう終わりにしよう。哲学者・千葉雅也氏が語る、グローバル資本主義“以後”を切り拓く「勉強」論
執筆者: 小池真幸2018.11.28 THINK ABOUT
「勉強」するとキモくなる–––。そう言い放ち、周りの環境の「ノリ」から解放されて「変身」するために「勉強」する意義を説いた書籍が、2017年4月に刊行されて話題を呼んだ。立命館大学大学院で准教授を務める気鋭の哲学者・千葉雅也氏が著した、『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(以下、『勉強の哲学』)だ。
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日々革新的なイノベーションが起きている市場に身を置くビジネスパーソンこそ、「勉強」が必要なのではないか–––そんな仮説のもと、ビジネスパーソンがいかに「勉強」と向き合うべきなのかを徹底的に考えるため、著者の千葉氏にインタビューを行った。「勉強」の定義や組織における「勉強」の位置付けの話から、グローバル資本主義を問い直す原理的思考や現代における「遊び」の様相の変容まで、射程の長い人類史的な「勉強」論について語っていただいた。

「勉強」はすごく怖いこと。安心できる“鋳型”からあえて抜け出し、自己破壊する
――まずは議論の前提として、『勉強の哲学』に書かれている「勉強」とは何か、簡単にお伺いできますか?

一言でいうと、周りから「お約束」として押し付けられている、振る舞いの「コード」から逃れることです。

そもそも人間は、完全に自由な状況に放り出されると、何もできなくなってしまいます。可能性が無限大だと、何をしたらいいのか分からず、狂ってしまう。だから人間は、「このモデルに従って生きなさい」といった外的な“鋳型”を求めるんです。たとえば、「男は命をかけて女を守るべき」といった「コード」に従うことで、ようやく自分の実存が安定し、「主体化」できる。

――本来は主体化のために必要なコードから、あえて逃れることが「勉強」だと。 

そうです。だから、「勉強」はすごく怖いことなんです。落ち着いている状態を、わざわざ自分で乱して破壊するわけですから。ただ、一定の鋳型にはまっている生活が必ずしも幸せとは限らなくて、何かしらの不満を抱えていたり、社会的に搾取されるような不利なポジションに追い込まれてしまっている場合もあります。そこに違和感を覚えたり、抜け出したいと思ったときに、「勉強」して、これまで頼っていた鋳型の外に出ることが、状況を好転させる糸口になり得るんです。

――学校教育における一般的な「勉強」のイメージとは、むしろ逆ですね。 

普通は、何かの鋳型によって自分を固めるために学ぶことが「勉強」とみなされていますからね。一定の「コード」に従って主体化するための学びが、学校教育的な「勉強」でしょう。

対して僕が提示している「勉強」は、真逆の意味を持ちます。鋳型に収まるのではなく、「脱鋳型」。そして、今の自己を破壊したうえで、自分自身の享楽にもとづき、新たな鋳型を作り出そうと提案しているのです。

――「コード化」ではなく、「脱コード化」だと言えるかもしれません。 

おっしゃる通りです。そして、脱コード化は、いま我々が生きているグローバル資本主義の世界の基本なんですよ。資本主義の基本は、脱コード化によってコードを壊した後、新しい価値(すなわち「剰余価値」)をつくり出し、それをどんどん搾取していくことです。脱コード化としての「勉強」は、グローバル資本主義の運動と一致する。

ちなみに、近代においては、物理的な生産によって剰余価値の創造と搾取をくり返してきたわけですが、現代では別のフェーズに移行しています。物理的な生産物の可能性が尽きてきたので、よりバーチャルなものに剰余価値を見出すようになったんです。消費社会が発達すると、ものの実際の使用価値よりも、ブランドイメージとか物語性といったバーチャルなものが消費の対象としてより重要になります。80年代に消費社会のそういう段階が本格化しました。そしてインターネットの普及以後、現代では、人間関係、コミュニケーションに付随する–––たとえば嫉妬などから生じる——剰余価値がとりわけ重要になっています。ソーシャルメディアは、まさに「ソーシャルな剰余価値の搾取」をビジネスにしているわけです。

――グローバル資本主義が高度化した現代は、脱コード化が極端に進んでいる時代だとも言えそうです。

そうですね。ただ最近は、若い人を中心に「再コード化」が進行しているようにも感じています。ご推察の通り、もともと僕らの世代にとっては、脱コード化が若者文化の基本でした。校則で髪型や制服が厳しく規定されているのに反発して自由化運動を起こしたり、夜遊びを悪とみなす価値規範に反発して夜中に遊びまわってみたり。

しかし、コードの破壊をくり返した結果脱コード化が全面化した現代では、むしろ逆転的に、若者はコード化されることを求めているように見えます。

この間も、ファッション雑誌で「無難が一番」といった主旨のキャッチコピーが使われているのを見て、驚いてしまいました(笑)。社会に対してアンチを突きつけるための別の野蛮なスタイルをつくり出そうとする、まさに脱コード化的な90年代のファッション文化やギャル男ファッションを通過してきた僕からすると、「無難が一番」なんて信じられません。

今はかつてのような「頭のカタイ社会と、それに対する“脱”」の弁証法が、成り立たなくなってしまっていますよね。僕らの世代からすると物足りなく感じてしまうのですが、若者からすると、そういうオヤジはうざいと感じるでしょうね(笑)。

――若者が再コード化を志向するようになったのは、なぜなのでしょうか? 

グローバル資本主義の激化により、あらゆるコードが流動化し、あらゆる価値観が交換可能になっているからでしょう。すると安心できなくなり、意味なんてなくていいから、「お前はこうだ」という押し付けがほしくなる。先ほどもお話ししたように、人間は完全な自由には耐えきれないんです。

ロックバンドではなくスタートアップ。文化が死んだ時代、「遊び」はどこに?
――あまりに脱コード化が進行してしまったがゆえに、その揺り戻しが起こっているのですね。

また、文化のデータベース化がほぼ完了してしまったことも一因だと思います。90年代までは、文化のデータベースをつくっていく時代で、まだまだコードの外に新しいものがあると期待することができました。しかし2000年代を経て、ありとあらゆる可能性が出尽くしてデータベースに登録されてしまい、大体の物事はパターンの組み合わせだという見切りがついてしまった。そういうわけで、脱コード化して新しいものを求める活力がなくなってしまったのだと思います。

――たしかに、観たい映画はたいていNetflixに揃っているけれど、だからこそ逆にあまり観なくなってしまっている気もします。 

僕もそう思いますよ。昔から音楽が好きで、宇都宮に住んでいたときにわざわざ渋谷のマニアックなレコード店まで足を運んで現代音楽を漁ったりしていたのですが、今ではそういったものもだいたいSpotifyで聴けてしまう。良い時代だなとは思うんですが、逆に昔ほどは聴かなくなってしまった。目の前にごちそうがたくさんあると、かえって食べたくなくなるんです。

同時に、「博覧強記」的な能力も昔ほど取り沙汰されなくなりました。かつての松岡正剛や荒俣宏のように、頭の中に膨大なデータベースを持っている「歩く百科事典」的な人物は、今では思い当たらない。自分で暗記しなくても、外にあるデータベースを検索すれば、必要な情報は手に入る時代になったからです。

――文化のデータベース化が完了した今、人々はどこに楽しみを見出しているのでしょうか?

現代ではコミュニケーションの価値が首位にあり、それゆえにふたたび「政治の季節」が来ているのだという印象を受けます。

先ほどもお話ししたように、僕らが若者だった時代は、今日のグローバル資本主義による世界体制の形成途中だったので、さまざまな文化が勃興していました。だから文化的関心を強く持てたんです。しかし現代は、グローバル資本主義の高度化により、文化的な面白さが尽きてしまった。そうなったときに、1950〜70年代の安保闘争や学生運動の失敗で一度潰えたはずの政治的関心が、また湧いてきている。若者の求める価値がもっぱらコミュニケーション的となった状況が、政治的関心の高まりと一致する。アニメも音楽も何もかもが面白くなくなったとき、人間関係と、それに付随して発生する感情が最大のコンテンツになるのであり、それが今日における新たな「政治の季節」を形づくっているのだと思います。

――たしかに、現代の尖った若者は、文化的な活動ではなく起業やNPO活動などに従事している印象を受けます。

かつての若者がロックバンドを組んだのと同じように、現代の若者はスタートアップに踏み出す。経済的な活動だけでなく、NPO活動や差別反対運動のような社会・政治活動も同様です。

以前は、ビジネスや社会貢献といった「下部構造」はおじさんたちに任せ、若者は文化という「上部構造」で遊んでいました。しかし、もはや文化は死に、上部構造の可能性は尽きてしまった。もう「新しい文学を創り出す」「新しい音楽を創り出す」といった試み自体が成り立たなくなってしまっている。すると、経済、それを動かす人間関係、社会システムという下部構造で遊ぶしかなくなっているんです。

――つまり現代の若者は、脱コード化するにせよ、下部構造でしか楽しめないということですね。

そのアイロニカルな例として面白いと思っているのが、実業家の与沢翼さん。僕の解釈では、彼は徹底して下部構造で遊んでいて、「もはや、全力で純粋に資本主義を楽しむことにしか、楽しみはない」ことを体現していると思います。それにより、グローバル資本主義がいかにどうしようもない馬鹿げたものかということを、全身全霊でおちょくっている。軽々とドバイの超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」を購入し、実際に生活する様子をTwitterで発信することで、それがいかにどうでもいいことかを自ら示している。さらにこの間日本に帰ってきたときは、肩に札束を乗せてスクワットをする様子をTwitterに投稿していて、そのことについて誰かがコメントしていたのですが、「もはやお金は重さでしかない」ことを体現しているわけです(笑)。

もちろん彼自身にそういった意図があったかどうかは分かりませんが、「もはや下部構造で遊ぶしかない」時代を端的に象徴している人物だと思っています。

「頑固な田舎者のオヤジ」の存在が、グローバル資本主義への抵抗となる
――先ほど「現代の若者は再コード化している」という話がありましたが、そういった状況において、どうすれば人々は「勉強」するようになるのでしょうか?

「勉強しろ」と言われて勉強する人はいませんからねぇ…(笑)。僕のような「勉強」が好きな人間が、「勉強」して楽しそうにしているところを示すしかないでしょうね。本を読んだりものを考えたりして楽しんでいる様子を、積極的に発信するしかないと思います。

あとはそもそも、組織のなかの全員が「勉強」する必要はないと思いますよ。「勉強」への欲望に気がついた人だけがやればいい。現時点で特定のコミュニティのコードで幸せに暮らしている人を無理やり脱コード化させようとしても、ある種のハラスメントのようになってしまいますし、そもそも学ばない人の存在も大事だと思っています。

――なぜ「勉強」しない人の存在が大事なのでしょうか?

グローバル資本主義への抵抗となるからです。先ほどもお話ししたように、「勉強」による脱コード化と剰余価値の創造は、資本主義の基本です。全員がそれをやるようになったら、グローバル資本主義の高度化がますます止まらなくなってしまう。

したがって、「頑固な田舎者のオヤジ」のようにあえて「勉強」しない人の存在は、グローバル資本主義への抵抗になるんですよ。なぜなら、そこに「遅さ」が導入されるから。『勉強の哲学』の中でも、「勉強」するときは、「アイロニー」(=根拠の掘り下げ)と「ユーモア」(=視点の転換)の無限ループを有限化するために「享楽」を大切にしなさいと書いていますが、この「享楽」とは自分のなかにいる「頑固な田舎者のオヤジ」のことだとも言えます。

――ということは、「勉強」する人としない人で、時には対立してしまっても構わないと?

喧嘩すればいいと思いますよ。もちろん過剰にパワハラ的なものには対処しなければいけませんが、程よい対立は必要だと思いますね。むしろ、喧嘩して折れてしまうような人は、そもそも「勉強」への意志が弱い。多少の抵抗は跳ね返せるような人じゃないと、「勉強」なんて続けられませんよ。

「自由な組織形態」も、資本主義の搾取の一形態に過ぎない
 ――ビジネスパーソンは会社組織に属していることが基本ですが、「勉強」を組織のなかで行うことについては、どう思われますか?

「組織人として大人しくしているのはやめろ」と言っているのと同義なので、組織人の道徳とはぶつかりますよね。とりわけ、官僚制的組織の場合はその傾向が顕著になります。一人ひとりの人間を特定の役割に分割し、個性を認めないことで効率的な組織運営をはかる組織においては、“部品”にすぎない個々人がメタ的視点を持つべきではないんですよ。

――昨今のビジネスシーンでは、階層的秩序を持たない「ティール組織」「ホラクラシー型組織」のような組織形態も現れています。

官僚的組織とは一線を画した、自由で遊動的な組織形態についての議論は昔からありますね。ドゥルーズ=ガタリが言うところの「戦争機械」や、デヴィッド・グレーバーが言うところの「アナキズム」といった概念もそういう組織論と親和的です。自由で自発的なアソシエーションによって、管理者がいなくても組織を成り立たせようという思想ですよね。

もちろん、そういった遊動的組織のほうが、「勉強」との親和性は高いでしょう。部品としての個人が組み合わさる官僚制的組織ではなく、それぞれが野心を持って全体のことを考えながらやりあっていく、言わば「ごろつきの集まり」のような遊動型組織のほうが、「勉強」の効果が発揮されやすい。組織論的に言えば、『勉強の哲学』で提示したことは、組織全体をそういった遊動的でノマド的な形態に変容させようという動きと、同じ方向を向いていると思います。

――とはいえ、遊動的組織になればすべてが解決する、というわけでもないですよね?

もちろんです。むしろ、遊動的組織であっても、結局は搾取の構造に行き着きます。「自由な組織形態」といっても、一つの会社であり、そこに利益を集中させたいことには変わらない。すると、外部に奴隷的な人々を生み出し、他の人から搾取せざるを得なくなります。組織内部の人たちは活き活きとするかもしれませんが、それが資本主義の搾取の一形態であることには、何も変わりはありません。近年注目されている「フリーミアムモデル」も、構造は同じです。儲けようとしないことで、逆説的に儲けようとしている。搾取の構造からは逃れられないんです。

とはいえ、依然として企業社会においては官僚制的組織が残っているので、それへの批判という観点では意義があると思います。搾取構造についても、「そう言われても、会社だから利益を出さなきゃいけないし…」というビジネスパーソンの苦労ももちろん分かりますが、僕はビジネスをやっているわけではないので、哲学者として勝手に原理的な話をしているだけです(笑)。

ソーシャルな剰余価値を搾取するビジネス形態は、もう限界 
――最後に、これからのビジネスパーソンが抜け出すべき固定観念とは何かお伺いしたいです。

「グローバル資本主義は今後も続く」という固定観念でしょうね。まったく別の経済圏について考えるなど、経済システムに対して原理的思考を巡らせることが、逆説的にビジネスの問題になってくると思いますよ。ブロックチェーンなど最近世間を賑わせているようなものは、その一つの実験でしょう。

もはや、「新しい価値をつくり出す」という発想はやめるべきです。現状のシステムに乗っかり、そこで新たに剰余価値を創出する手法は、もう耐用年数がきていると思いますね。僕がやっている哲学の研究に関しても同じことが言えて、「先行研究と差別化する」みたいな発想だと、新しいペットボトルのお茶を開発することと大差ないわけですよ(笑)。少し抹茶の粉を足しました、みたいなね(笑)。「新しい価値をつくり出す」はもう駄目で、かといって古いものをそのまま使えばよいというわけでもない。そこをいかにして考えていくかが今後の課題ですよね。

――過去にそういった原理的な変革が起こったことはあるのでしょうか?

たとえば、資本主義の発明はそれにあたりますよね。資本主義以前と以後ですべてが変わったわけですから。そのような人類史的切断がこれからも起きるのか、それとももう行き着くところまで行き着いてしまったのか、そういったことを真剣に考えるべき時期に差し掛かっていると思います。

こういうことを言うと、「夢見がちな革命論だ」「既存のシステムに乗っかっていかにうまく立ち振る舞うのかを考えるのが大人だ」といった反論をする人が出てきます。だけど、もうそんな段階じゃないと思うんですよ。現実を見たときに、「本当に他の可能性がないのか」をただ具体的に考えるべきであり、態度が「大人っぽい」「子どもっぽい」といったレベルの話ではないはずです。

――その固定観念から抜け出すために、個々のビジネスパーソンができることがあればお伺いしたいです。

手近なところから言えば、「ソーシャルな剰余価値を搾取する」ビジネス形態はもう限界なので、その先を考えることから始めるとよいでしょう。アメリカにおける「トランプ的なもの」と「リベラルなもの」の対立や、日本における右派と左派の対立といった政治状況も、「ソーシャルな価値の創造と搾取」というビジネス形態の耐用年数が過ぎていることと、綺麗に対応しています。それはたんにイデオロギー対立の問題ではなく、経済的に条件づけられている事態だと思うんです。

それくらい根本的に考えないと、ビジネス的にも大きいことはできないはずです。GoogleやFacebookは人類史を変えようとしていますが、究極のアヴァンギャルドなビジネスは、人類史をどう捉えるかに関わってきます。もちろん直感でそこにたどり着く人もいますが、よりしっかりと「人類」について考えていくためにも、人文学的な教養などをしっかりと「勉強」することが大切になってくるのではないでしょうか。

千葉雅也 
1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は哲学・表象文化論。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、『勉強の哲学——来たるべきバカのために』、『意味がない無意味』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で——偶然性の必然性についての試論』(共訳)など。
「頭のカタイ社会と、それに対する“脱”」という弁証法の限界

(記事引用)


記事参照

生き物本来の居方を取り戻す。舞踊家・田中泯に聞く「カラダ」
舞踊家・田中泯
https://corp.netprotections.com/thinkabout/2483/



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オンプ3







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平成生まれと「Eジェネレーション」(上)
NEXT MEDIA "Japan In-depth" 
2018年12月23日 11:18 林信吾(作家・ジャーナリスト)
・ヨーロッパで「Eジェネレーション」が注目されている。

・彼らは2次元のコミュニティーに帰属意識持ち「祖国」の意識は希薄。

・これからは何事も地球規模で考えていく必要がある。
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平成最後の年の瀬である。普段もっぱら西暦で年を数えているので、元号などあまり意識しないのだが、生きているうちに二度も改元を経験することになろうとは……それを思うと、やはり感慨深い。

平成生まれも、初期の世代は間もなく30代。今後彼らが、社会の中枢を占めて行くのであろうが、まあ私の目の黒いうちは、主導権は昭和世代のものだろう、などと考えたりもする。

海外では、王侯貴族が生き残っている国でも、わが国の元号のような制度はないので、当然ながら、世代についての呼称もまるで違う。わが国でも有名なところでは、英米のアングリー・ヤングメン(怒れる若者たち)がまず挙げられるだろうか。

実はこの呼び方、英国と米国ではニュアンスも実態も異なる。英国の場合、1940年代初期に生まれて、第2次世界大戦後の混乱の中で育ち、大英帝国の栄光など信じていない世代、と一般に定義されている。米国の場合はもう少し遅く、おおむね日本の団塊世代と同様、大戦後のベビーブーム世代で、物質的にはなに不自由なく育ったものの、もっとも多感なティーンエイジャーの頃、ベトナム戦争や国内の公民権運動に直面して問題意識に目覚め、反戦運動を大いに盛り上げた世代とされる。

そして近年、ヨーロッパでは「Eジェネレーション」と呼ばれる世代が注目されつつあるのだが、こちらは日本ではほとんど知られていない。言わばヨーロッパ統合の申し子で、どの年代を指すかについては諸説あるのだが、冷戦が終結した1989年以降に生まれた世代、との定義がもっとも一般的だ。だとすると、まったくの偶然ではあるが、わが国の「平成生まれ」と同じということになる(平成は、西暦で言うと1989年1月8日から)。

少し解説を加えておくと、冷戦終結後、フランス社会党はそれまでの社会主義国家建設路線から、ヨーロッパ統合へと大きく舵を切った。これに新生(統一)ドイツの社会民主主義勢力が共鳴し、現在のEU、そして統一通貨ユーロの誕生までの道を開いたわけだ。つまり、1989年以降に生まれた人たちをヨーロッパ統合の申し子と位置づけるのは、根拠のある話だと言える。

その「Eジェネレーション」と呼ばれる若い世代だが、第一の特徴として挙げられるのは、代々受け継がれてきた地元のコミュニティーよりも、インターネットなどでつながった、いわば二次元のコミュニティーに帰属意識を持つことであるという。

▲写真 Facebook Connections 出典:flickr(Michael Coghlan)
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考えてみれば、当然のことだ。冷戦の時代に、たとえばポーランドの大学生が英国での学究生活を夢見たとしよう。その夢を実現する手段は、事実上、亡命しかなかった。

今は、なにしろ国境があってないようなものであるから、ポーランドから英国へと生活の拠点を移すのは、単なる「引っ越し」に過ぎない。もちろんこれは、学生に限った話ではなく、多くの人が、より条件のよい働き口を求めて移民となり、海を越えていった。

これが、英国をEUから離脱させる大きな要因となった(最終的にどうなるか、まだ分からないが)ことは周知の事実だが、隣国アイルランドなど、同じカトリック国だという事情もあって、人口比で言うとより多くのポーランド系移民がいる。

首都ダブリンでは、200万に満たない人口のうち10万強をポーランド系が占め、アイルランド共和国全体で言うと、ポーランド語を母国語とする人の数(約50万人)が、アイルランド古来のゲール語を話せる人の数を、とっくに上回っているそうだ。これを、

「移民が伝統文化を破壊するというのは、事実なのだな」

と考えるか、

「国境がなくなるとは、具体的にはそういうことだろう」

と割り切るかは、人それぞれの価値観だろうとしか言いようがない。


▲写真 ダブリンの夜の街並み 出典:Photo by Trevah(Public Domain)

ひとつだけ、伝統文化とは別の問題を指摘しておくと、ここ数年、奨学金の踏み倒しが増えて、各国で問題視されている。ヨーロッパでも多くの国で、財政事情から奨学金には返済義務があるのだが、すでに述べたように、出生地と進学先、それに就職先がそれぞれ別の国、というケースが珍しくなくなってきているのに、奨学金のシステムは相変わらず国単位で運営されている。自国で奨学金を借りて別の国の大学で学び、さらに第三国で就職されたら、もはや取り立てもままならない。

もちろん、すべての奨学生がこのように非良心的なわけではないし、システムの方が時代に追いついていないのだ、と言えばそれまでなのだが。

この例でも分かるように、Eジェネレーションと称される、現代ヨーロッパの若者にとっては、仮に「祖国」があるとすれば(すでに述べたように、そうした意識自体が希薄になってきている)、EU全体だと言っても過言ではない。

この点、日本の平成生まれは、残念ながら少々「内向き」の傾向が強いように見受けられる。海外に留学したがらなくなり、世界中の情報がネットで得られると決め込んでいる。ただ、これも私見ではあるが、一部で言われているほど移民や在留外国人に対して非寛容でもないようだ。

たとえばコンビニに対する親和性は、我ら昭和世代よりずっと高く(なにしろ、生まれた時から身近にある)、そこで多くの外国人が働いているのが、もはや原風景なので、今さら違和感や反感など抱くこともない、ということではないだろうか。

世界的には冷戦終結以降、わが国では平成になってから、という言い方もできるわけだが、端的に言えば、人、物、カネ、そして情報が国境を越えて移動するのが当然、と言う傾向がますます強まった時代だと言える。そしてこの傾向は、後戻りすることはないであろう。

いつの時代も、歴史の流れというものを理解できない人はいるものなので、移民排斥運動などがなくなることもないだろうが、たとえば英国がどのような形でEUから離脱しようとも、移民を残らず追い出すことなど不可能なのだ。

これからはなにごとも、地球規模で考えないといけない。

(下に続く。)
(記事引用)


諜報力を制するものは世界を制す 「ファーウェイ包囲網」背景に、米が恐れる中国の技術
 中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)の孟晩舟副会長の逮捕をきっかけに、世界でファーウェイ製品を排除する動きが加速している。フランス、ドイツなどもアメリカの要請に追随した。

   この締め出しの背景には、アメリカの危機感があると言われている。

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ファーウェイ排除は日本の部品メーカーに大打撃

   米ネットメディアが暴露したホワイトハウスの内部文書には「中国は情報通信の世界において支配的な力を持つ悪質な存在であり、我々は敗れつつある」と書かれていたのだ。文書は、ファーウェイを名指しし、「アメリカは劣勢」と分析。「アメリカは未来の情報化時代に行けるか、サイバー攻撃被害の悪循環に陥るかの瀬戸際にいる」としている。

   締め出しの圧力が日本にかかれば、影響は計り知れない。ファーウェイ製品は日本との関わりが深いからだ。

   経済ジャーナリストの浦上早苗さんによると、「ファーフェイの液晶パネル、バッテリー、カメラセンサーなど、スマホ全体の半分は日本の部品。日本製の部品を使っていない機種はないと思います」と話す。

   日本の部品メーカーは、2017年は5000億円、2018年は6800億円規模で中国に輸出しており、ファーフェイは2020年までに日本での調達を今の2倍にする計画をしていた。排除の動きが広がれば、日本の部品メーカーは大打撃を受けることになる。

米国も中国同様に「国策企業」を目指す?

 スタジオでは、今や世界一と言われる中国のAI技術や、急成長を遂げるITの世界戦略に話が集中した。

   玉川徹(テレビ朝日解説委員)「中国の企業は国策と結びついている。そういう企業が世界全体に支配力を持つことは今までになかった」

   山口真由(弁護士)「徹底的に個人を立てるのがアメリカで、徹底的に個人を潰して効率を大事にするのが中国だと思っていた。でも実は今、アメリカも中国の方式を倣い、競争を排除して大きな企業を作ろうとしている。AI時代にはそれが効果的なのではないかと考え始めたのかもしれません。恐ろしいです」

   玉川「これからの覇権は、軍事ではないのかもしれない。情報技術や諜報力だとすれば、アメリカが中国を脅威に感じるのも分かります」
文   ピノコ | 似顔絵 池田マコト

(記事引用)






危機管理意識の乏しい安田純平氏の「自己責任」
渡邉裕二 (記事) 2018年11月05日 08:36
シリアで武装組織に拘束され、3年4ヶ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平氏(44)。何はともあれ結果良ければ…ということである。無事に解放されて帰国したのだから、ここは「不幸中の幸い」と言うべきかもしれない。 
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1977年9月。日本赤軍が起こした航空機ハイジャック事件で「ダッカ日航機ハイジャック」があった。この時、日本政府は「超法規的措置」として身代金の支払いに応じたが、当時の福田赳夫総理は「一人の生命は地球よりも重い」と述べたことがあった。もちろん、シリアの武装集団に拘束された安田氏と、日本赤軍の起こした航空機ハイジャックとでは全く比較にはならないのだが、フッと思い出した。それにしてもこれは名言だった。 

しかし、安田氏についてはどうもスッキリした気分にならない部分が多い。 正直言って「解放されて良かった良かった」と手放しに喜べないところがある。 

「ジャーナリストとして勇気のある行動だった」 

確かに〝同業者〟筋からは安田氏の行動を称賛する声が多かった。中でも、テレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」では、コメンテーターの玉川徹氏が、戦場ジャーナリストの役割を力説した上で〝英雄〟扱いしていたが、果たして、そんな単純な出来事だったのか? 

拘束を甘く見ていた?常習者の安田氏
そもそも安田氏が武装集団に拘束されたのは今回だけではなかった。 

2003年にイラク軍やイラク警察などに拘束され、さらに翌04年にもバクダットで武装勢力に拘束されている。要するに拘束される〝常習者〟。ある意味で慣れっこだったようだ。 

「これまでの拘束は緩く、自由も許されていたようなので、緊張感もなく甘く見ていたところもあったんじゃないでしょうか」(週刊誌記者)。なんて言い方もされているほどだ。 

今回は15年6月にシリアで行方不明となっていたが、実際にはシリアでアルカイダ系テロリスト集団「ヌスラ戦線」(現在はタハリールアルシャーム機構)によって拘束されていた。そういった中で、安田氏の解放に向けてはトルコの治安当局と情報機関の活動があった。河野太郎外務相も「カタール、トルコをはじめとする関係国と緊密に連絡を取り合い、連携して安全のためには何がベストかを考えながら全力を尽くしてきた」とし、カタールやトルコ両政府に感謝していた。 

一部情報では、今回の解放劇にあたっては、カタール政府が身代金として3億4000万円を肩代わりしたという。が、ただ、これまで「テロには屈しない」と言い続けてきた安倍政権だっただけに、ここは人道的な観点もあったとは言え「実は裏で身代金が動いていた」なんて思われては都合が悪い。菅官房長官は会見で「そういったことはない」と否定してはいるものの、あるいは官房機密費の中から捻出したとは言わないまでも、今後、何らかの形で(カタールに対して)返済していくことは間違いなさそうである。 

「世界でもまれにみるチキン国家」
もっとも安田氏は、武装組織に拘束される前の15年4月3日のツイッターで、
「戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を『自己責任なのだから口や手を出すな』と徹底批判しないといかん」
と綴っていた。 

その他にも、
「いまだに危ない危ない言って取材妨害しようなんて恥曝しもいいところだ」
「世界でもまれにみるチキン国家」
などと言い放っていた。

もちろん、ジャーナリストとしての反骨精神、主義や主張は大切なことだ。しかし、今回の解放に際しても、NHKのインタビューの中で、 

「とにかく荷物がないことに腹が立って」
「3年、40ヶ月全く仕事ができなかった上に、全ての資産であるカメラであったり仕事のための道具まで奪われたというか、そこまでするかという。解放の瞬間はまずそれですね」 

と、解放されるや、この捨てゼリフ。さらに、
「トルコ政府側に引き渡されるとすぐに日本大使館に引き渡されると。そうなると、あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。それだけは避けたかったので、ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だったということがありまして…」 

これも「権力には屈しない」というジャーナリスト精神を見せたいのかもしれないが、安田氏の言葉からは「殺されるかもしれない」という恐怖感のようなものが感じられない。もちろん「我々は殺すことは絶対にない」と再三言われていたからかもしれないが…。 

それに、日本語で日記を書くことも、テレビを観ることも許されていたとも言う。武装集団ではあるが、とりあえずは「紳士的な組織だった」だろう。しかし、だからと言って「殺されない」「解放される」という保証はないはずだ。 

その一方では、拘束されていた時の様子について、
「地獄ですよ。身体的なものもありますが、精神的なものも、今日も帰されないと考えるだけで、日々だんだんと自分をコントロールできなくなってくる」 
とは言っていたが…。 

だが、一部からは「身代金狙いの拘束だった」とか「テロ支援に利用された」と言った疑惑の声も出ている。しかし、正直言って、そう疑われても仕方がないだろう。 

ちなみに、安田氏は解放の経緯について「身代金の支払いは望んでいなかった。解放された理由は分からない」などと話しているというから、身代金の受け渡しがあったことは少なからず認識していたのだろう。

安田氏は2日、日本記者クラブで帰国後、初めての記者会見をした。 

会見の冒頭では「解放に向けてご尽力いただいたみなさん、ご心配いただいたみなさんにおわびしますとともに、深く感謝申し上げたい」と深く頭を下げた。その上で「私自身の行動によって日本政府が当事者にされてしまったのは大変に申し訳ない」と、一応の反省は口にしていた。が、これは自身のこれまでの発言に対して各方面から批判が相次いだことから、ここは形式的にでも謝罪をした方がいいと周囲から言われたのだろう。 

ただ、事件が事件なだけに「全てを話す」と言っても、その真偽は分からない。解放されて1週間。話す内容を整理し、吟味したはずである。国際問題でもあるだけに根は深く語り尽くせない部分が多いはずである。 

それはともかく、太平洋戦争終結から28年。グアム島で発見された残留日本兵の横井庄一氏のように「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど…」とまでは言う必要はないが、突っ張ってばかりいては理解されない。 

取材活動が生む二次被害

以前にも、この欄で書いたことがあったが、91年に長崎・雲仙普賢岳で多数の報道関係者が火砕流にのまれ死亡したことを思い出す。この痛ましい事故は、火砕流の取材競争が加熱し、マスコミが「取材」と称して避難勧告地域内の「定点」に入り込んだことが要因となった。 

・「一億総カメラマン」で“想定外”に変貌するニュース・報道番組 

犠牲者は読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、NHK、日本テレビ、テレビ朝日、九州朝日放送、テレビ長崎、そして雑誌記者ら16人の他、火山学者、地元消防団、マスコミがチャーターしていたタクシーの運転手など合わせて43人だった。 

「危険な状態だったのでマスコミに対しては何度も制止した」というが、少しでも近くで取材したい、撮影したいというマスコミは「定点」を超えた。「自分の身は自分で守る」と言い放った記者もいたらしいが、結果的に身を守れなかったどころか、記者の無謀な取材を制止し、避難させようとしていた人たちまで巻き込む大惨事となった。 

今回、安田氏も「自己責任だった」としているが、戦場カメラマンの渡部陽一氏は「退く勇気も持って欲張らない取材をする」と言う。やはり、危険地帯での取材の基本は「危機管理」であろう。 

安田氏について、10月27日放送のTBS「新・情報7daysニュースキャスター」で、ビートたけしは「フリージャーナリストっていうのは、現地に行って記事を書いて、それを出版社に売って儲けるわけでしょ。戦場カメラマンと同じで、危険を冒してもいい写真を撮りたいわけじゃない。仕事のために危険を冒すのはリスクだから、それに政府がお金を出したのかどうかは分からないけど…」と疑問を投げかけ、 

「成功すればいい写真や名誉を得られるけど、失敗したら救助隊に金払うでしょ? この人は失敗したんじゃないの?」 

と指摘していた。

(記事引用)


自動運転車の開発で「非ものづくり」企業も気炎を上げる群雄割拠ぶり
CAR and DRIVER:総合自動車情報誌 2018.10.15
4極が入り乱れて自動運転車の開発競争が激しく
 自動運転車の開発競争が激しくなってきた。注目されているのは米・グーグルのような“もの作り”をしないIT企業だが、開発の最前線は自動運転のためのAI(人工知能)開発、AIの頭脳である高度集積チップの開発、それと実際の自動運転動作を制御・実施するアクチュエーター(機械動作機構)技術である。米国、中国、欧州、そして日本。この4極が入り乱れての開発競争になってきた。
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 中国のIT大手である百度(バイドゥ)はこのほど、自動運転技術の開発を加速させるため15億ドル(約1670億円)を投入し、投資ファンドを設立、中国国内のスタートアップ企業に対する支援を開始した。自動運転AIを早期に実用化するため、百度は今年3月に提携先企業との間でAI情報を共有するオープンソースキット、アポロスケープを導入、人海戦術が必要になるAI開発を分担し合う方法を選んだ。この取り組みに参加する中国企業の中には百度出身者が立ち上げたスタートアップ企業もあり、この投資ファンドはそうした有望な企業に融資を行う。

米国では、並列演算に有利なGPU(グラフィック・プロセッシング・ユニット)を得意とするシリコンバレー企業、NVIDIA(エヌヴィディア)が自動運転AIと車載AIプラットホームの試作を進めている。パートナー企業は370社に達しており、自動車メーカーはトヨタ、VW(フォルクスワーゲン)、ダイムラー、ボルボ・カーズ、大手部品メーカーではボッシュ、ZF、コンチネンタルなどと協業を展開している。ウーバーと百度もNVIDIAと提携関係にある。

 NVIDIAが実用化を進めている自動運転用のシステムは、地上の基地局とデータセンター用の大型プラットホーム、AI開発用プロセッサー、小型省電力設計の車載AIユニットと3段階になっている。トヨタとの共同開発契約は昨年5月に結ばれ、NVIDIAのドライブ・ペガサスと呼ばれるシステムをトヨタの完全自動運転のロボットカーに提供することが決まった。同様の契約はVWグループやダイムラーなどとも締結している。

無人で完全自動運転を行う
レベル5の開発が早い!?
 自動運転AIは、全周スキャナーやカメラなどの画像から安全に走行できるエリア、いわゆるフリースペースを判断する。中国企業は百度がこの分野をリードし、米国企業はウーバーやNVIDIAが先行している。競争が激しい分野である一方、提携先を増やせばより完成度の高いAIが実現するため、協業や提携が次々と生まれているのが現状だ。

 もうひとつ、自動運転はAIの指示を確実に実行するためのステアリングやブレーキなどアクチュエーターの高精度・高応答化が必須である。この分野は欧州のボッシュやZFがリードしていたが、トヨタ・グループのデンソー、アイシン精機、ジェイテクト、アドヴィックスの4社が8月、「自動運転の制御ソフトと機械システムの共同開発で合意し、来年3月末に共同出資会社を立ち上げる」と発表した。出資比率はデンソー65%、アイシン精機25%、ジェイテクト5%、アドヴィックス5%で、アクチュエーター類を統合制御するECUとソフトウエアを開発する。

 自動運転については、AIが対応しきれない状況でドライバーが運転操作を行うレベル3および4、無人で完全自動運転を行うレベル5の両方が研究されているが、昨年あたりから「レベル5のほうが先に実用化される」との見通しが関係企業の間に出はじめた。開発競争はますます激しくなりつつある。

(報告/牧野茂雄、まとめ/CAR and DRIVER編集部)




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美しく、見やすい自動車誌の代名詞として、独自のジャンルを築いた総合自動車情報誌。国産・輸入車の新車解説、試乗記をはじめ、カーAV・ナビやアクセサリー紹介まで、クルマ生活を応援する幅広い情報を掲載。最新号は全国の書店やネット書店にてお求めください。
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(記事引用)







海底ケーブルから情報が盗まれる?  サイバー空間の権力論
2014年11月6日  WEDGE Infinity          
 国家戦略としての重要性 塚越健司 (拓殖大学非常勤講師
前回の連載は無人飛行機「ドローン」。その技術発展は軍事にもビジネスにも用いられ、空の交通革命を感じさせるものだった(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4306)。一方で空という空間を拡張し、新たなフロンティアを獲得するドローンやビッグデータは、我々をどのような未来へと導くのか。議論が分かれるところである。

 ところで、インターネットは何もサイバー空間だけに限定されない。その技術の根本には、100年以上前からある「海底ケーブル」が必要不可欠だった。海底ケーブルとはどのようなものであり、またケーブルからの「盗聴」をめぐる各国の思惑はどのようなものか。海底ケーブルは通信インフラだけでなく、膨大な情報をめぐる「サイバー戦争」を誘発する。目に見えないサイバー空間だけでなく、海底奥深くに横たわるもう一つの情報戦争に着目したい。

地政学上も重要となる海底ケーブル
 世界をつなぐ通信ネットワークのはじまりは1850年に遡る。この年イギリス―フランスの海峡間の海底に、電信や電報のためのケーブルが接続された。その翌年の1851年に運用が開始されて以降、大西洋や太平洋を横断した海底ケーブル等、世界中を結ぶケーブル網が20世紀初頭までに完成し、現在でもケーブルが新設され続けている。またケーブルの種類も電話回線用や光ファイバー回線用と進化を続け、電話やインターネット等の大容量通信ネットワークを支えている。

 ケーブル敷設には専用の特殊船が用いられており、海底深くにケーブルを敷くという、進化はしつつも作業それ自体は19世紀から変わらない手法が用いられている。ケーブルが海底に置かれているのは、敷設当初は漁船の網にケーブルが引っかかってしまう被害が続出したからである。とはいえ、海底深くケーブルが敷かれた現在でも、地震等の地殻変動やサメが食い破ってしまう等の被害が後を絶たず、ケーブルの補修工事は必須となっている。

 日本にとって海底ケーブルはアメリカとアジアを結ぶ最初の地点であり、その意味で地政学上非常に重要な位置を占めている。またKDDI等の通信事業者や、NECをはじめとするケーブル敷設事業も盛んであり、NECは2014年10月にもタイ―香港までの海底ケーブル延伸を受注している。
現在の主流となっているケーブルは光ファイバーである。1989年に日米間で初めて敷設された光ファイバーケーブルだが、当時通信料が電話にして7500回線分だったものが、現在ではその量を遥かに超えている。最新の光ファイバーケーブルは1秒間に4.8テラビット、電話回線にして7500万回線分もの通信量を扱うことが可能だ。無論これはケーブル一本の通信量であるから、最大8対までケーブルに入れられる光ファイバーや、その他の海底ケーブルの量を考慮すれば、どれほど海底ケーブルが通信事業にとって重要かがわかる。

 また、通信衛星であれば地球からの距離が遠いため会話がワンテンポ遅れがちであるが、光ファイバーの海底ケーブルであれば、遅延は通信衛生の5分の1程度で済むという。このように、通信衛星と比較して遅延も少なく速度も早いことから、インターネット等の国際通信の9割以上は海底ケーブルが用いられている。

 ただし、海底ケーブルは自然災害とも関係が深いことも指摘しなければならない。東日本大震災の際、地震にともない幾つかのケーブルが破損し、日本の通信ネットワークに障害をもたらした。当然のことながら、自然災害によってケーブルが破損すれば通信に支障をきたすのであり、インターネットのようなサイバー空間も、物理的な自然環境と無関係では済まされないことを痛感させられる。とりわけ日本周辺の海底は世界的にみても地理的に地震の多い地域であることから、海底ケーブルの補修や保全は必要不可欠なのである。

情報が抜き取られる?
 海底ケーブルをめぐる大きな問題は盗聴である。米NSA(国家安全保障局)の元職員であったエドワード・スノーデン氏が2013年に暴露した内容に従えば、アメリカとイギリスの諜報機関は200本以上の海底ケーブルに盗聴器を仕掛けているという。すでに世界中に張り巡らされた海底ケーブルであるが、アメリカとイギリスを経由するケーブルの数は多く、またGmailやFacebook等のSNSに関する通信情報をケーブルから根こそぎ傍受していたという報道は世界に大きな衝撃を与えた。

 実際、スノーデン氏の暴露により自身の会話が盗聴されていたことを知ったブラジルのルセフ大統領はアメリカに猛抗議したことは以前の記事(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3892)でも伝えた。そうした影響もあってか、計画そのものは2012年から存在していたものの、2014年2月、ブラジル政府はブラジル―ポルトガル間を結ぶ海底ケーブル敷設に関してEUとの合意を得た。それにより、アメリカを経由せずアメリカに情報を盗まれることのない海底ケーブル網が2015年に運用開始する予定である(ちなみにブラジルとスペインの通信事業者が共同で建設する予定で、総額費用は1億8500万ドルとのことである)。またルセフ大統領は2014年10月に記者会見において、国際海底ケーブルは盗聴のターゲットであると述べている(http://www.bloomberg.com/news/2014-10-30/brazil-to-portugal-cable-shapes-up-as-anti-nsa-case-study.html)。

  無論、海底ケーブルをめぐる情報戦はスノーデンの暴露前にも存在する。米ソ冷戦時代の1970年代には、アメリカが実際にソ連が利用している海底ケーブルに盗聴器を仕掛けた事件が発生している。この盗聴器は1980年代にNSAの職員が報酬と引き換えにソ連に情報を売ったことで発覚したが、同様の盗聴例は歴史の表に現れないだけで、実際には数多の盗聴が実行されていると予想される。

 情報が海底ケーブルから根こそぎ盗まれているとすれば、我々の生活にどのような影響が及ぼされるか。現在のデータ解析技術では膨大な情報量のすべてを捌ききることは不可能であろうが、解析技術の向上にともない、今以上に容易に特定の個人の情報だけをピックアップして傍受することが可能になるだろう。現にそのような技術はすでに開発されているが、それがより容易になり、通信履歴から個人の周辺情報まで予測可能になる時代においては、情報は今以上に重要なものとなる。その際、膨大な情報源となる海底ケーブルの価値は現在のそれとは異なる様相を帯びる。

海底ケーブル敷設は、国家戦略である
 海底ケーブルから直接情報を盗もうとあなたが思うなら、当然自国の領域内にケーブルを多く敷設しようと考えるだろう。盗聴が容易になるからだ。海底ケーブル敷設はひとつのビジネスでもあるが、同時にケーブル敷設は一種の情報獲得のための戦場としても成立する。あらゆる政府がケーブルから盗聴しているわけではなかろうが、少なくとも戦争をはじめとする争いが生じた時に、各国政府はケーブルから情報を盗んだり、あるいはケーブルを切断することで敵国の情報通信ネットワークに障害をもたらすだろう。

 このようにインターネット上でしばしば論じられる「サイバー戦争」なる言葉には、物理性を帯びた海底ケーブルが包含されていることがおわかりだろうか。物理的なモノであるからこそ、海底ケーブルは各国政府が競って敷設を争い易い構造をもったインフラなのである。したがって我々もまた、ますます増加するであろう海底ケーブルの敷設をめぐる問題に敏感であるべきなのだ。
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 地震大国である日本周辺のケーブルは確かに破損しやすい。だが、自国周辺に多くの海底ケーブルを持つことは、自国の通信ネットワーク網を守る意味でも、あるいは他国との外交に関しても重要な位置を占めている(とはいえ、海底ケーブルを盗聴することを筆者は望んでいるわけではない。あくまで情報通信ネットワークの維持が重要なのだ)。今後も増加する海底ケーブルを、これまで以上に注目してその動向をみる必要があるだろう。

*関連記事:中国がインターネットから降りる日が来る?

(記事引用)





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