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ゴーン氏、早期保釈の可能性~「罪証隠滅の現実的可能性」はない
郷原信郎 サイト 2019年01月11日 13:50
1月8日午前、東京地裁で開かれた勾留理由開示公判で、カルロス・ゴーン氏は、自身の言葉で、「私は無実だ。」「不正をしたことはなく、根拠もなく容疑をかけられ不当に勾留されている。」と主張し、勾留事実についても、具体的な反論を行った。そして、同日午後、大鶴基成弁護士らゴーン氏弁護団も記者会見を行った。元特捜部長・最高検公判部長の大鶴氏が「犯罪の嫌疑が全くないと確信している。」と明言したことは大きな意味があった。これまで、検察や日産側のリークによると思える「犯人視・有罪視報道」に埋め尽くされ、世の中の多くの人が「強欲ゴーン=有罪」のように決めつけていた状況にも変化の兆しが見える。

 今日(1月11日)、勾留延長満期となる特別背任で、検察は、ゴーン氏を起訴するであろう。そして、4回目の逮捕がない限り、そこで、事実上、捜査は終結することになる。

 そこで、最大の注目点となるのが、ゴーン氏の保釈が認められるかどうかだ。

 「保釈の見通し」に関する記者会見での大鶴氏の発言には疑問な点があった。特捜部長も務め、検察側で長く刑事事件に携わってきた大鶴氏だが、刑事事件での「検察との全面対決」では、弁護側の視点と検察側の視点とは大きく異なる。23年に及ぶ検察官としての経験から刑事手続は知り尽くしていたつもりだった私も、全面対決の初戦となった美濃加茂市長事件では、初めて経験することも多く、弁護人として役立てる資料・情報の収集に苦労をした。

「人質司法」と「保釈の見通し」についての大鶴弁護士の説明
 大鶴氏は、記者会見で、「人質司法」について、「一般的に言うと第1回公判までは保釈が認められないケースが非常に多い。これは人質手法などと呼んで弁護士は強く批判している。」などと述べた上、保釈の見通しについて、「この事件で第1回公判が開かれるまで少なくとも半年はかかるだろう」「日本の普通の保釈の実情から、普通一般的には特別背任を全面的に否認していると、少なくとも第1回公判までは東京地裁令状部は保釈を認めないケースが多い。それは一番弁護人が懸念しているところで、その話はずっとゴーンさんにもしているので、ゴーンさんもそれは非常に困ったことだと考えておられる。」などと述べた。

 しかし、この大鶴氏の説明には不正確な点がある。まず、「人質司法」についての大鶴氏の説明は、一般的な「人質司法」の意味とは若干異なる。「人質司法」とは、罪を認めて自白した者には身柄拘束からの解放が認められやすいが、罪を認めていない者には身柄拘束が続くという、「自白の有無で釈放・保釈の是非が決まるかのような刑事事件での身柄拘束」のことを言う。収賄等の事件で全面無罪を争った鈴木宗男氏が、検察官立証が終わるまで、437日間身柄拘束が続いた例もある。つまり、無罪主張をした場合、第1回公判後も検察官立証が終わるまで「罪証隠滅のおそれがある」という理由で保釈が認められないことを含めて「人質司法」と言うのである。

 大鶴氏は「第一回公判まで」ということを強調したが、第一回公判の前後で状況が異なるのは、被告人が罪状認否で公訴事実を全面的に認め、検察官調書に同意して、情状立証だけで早期に裁判を終わらせる場合、つまり、検察と争わない姿勢を示した場合だ。勾留理由開示公判で「私は無実」「不当な身柄拘束を受けている」と訴えたゴーン氏の場合、第一回公判でも「全面無罪」を主張するはずであり、その前後で状況が変わるとは思えない。

 大鶴氏は、ゴーン氏が特別背任で起訴された場合の「保釈の見通し」について、「人質司法」についての上記のような理解を前提に、第1回公判まで半年以上は保釈を認めない可能性が高いとの見通しをゴーン氏に伝えていると述べたが、最近では、「人質司法」の理由とされてきた「罪証隠滅のおそれ」の判断について、裁判所の姿勢が変化し、個別の事情を踏まえて具体的に判断する傾向がある。大鶴氏は、検察側で保釈を阻止した経験は豊富でも、全面否認事件の弁護人として被告の身柄奪還に全力を挙げた経験があまりないのかもしれない。

「罪証隠滅のおそれ」についての裁判所の判断の傾向
 「罪証隠滅のおそれ」について最高裁が重要な判断を示したのが平成26年11月17日の決定だ。痴漢事件で「被害少女への働きかけの可能性」が勾留の要件である「罪証隠滅のおそれ」にあたるかが争われた事例で、裁判官が勾留請求を却下した決定に対して準抗告裁判所が「罪証隠滅のおそれ」を認めて勾留請求却下を取り消して勾留を認めた決定について、弁護人が特別抗告した結果、「被害少女に対する働きかけの現実的可能性もあるというのみで、その可能性の程度について原々審と異なる判断をした理由を何ら示さず原々審の裁判を取り消して勾留の必要性を認めた原決定」を「違法」として取り消し、勾留請求却下を是認した。

 それまでも、下級審では、「罪証隠滅のおそれ」を個別具体的に判断して、勾留請求を却下したり、保釈を認めたりする裁判例があったが、最高裁が、そのような考え方を明確に認めたことで、「罪証隠滅のおそれ」があることは、「個別具体的に示される必要がある」として、保釈が認められる傾向が強まっている。

 私が、主任弁護人を務めた2014年の美濃加茂市長事件でも、逮捕当初から賄賂の授受を全面否認し、否認のまま起訴されたが、保釈請求を繰り返す中で、「罪証隠滅のおそれ」がないことを具体的に明らかにした結果、名古屋地裁は、4回目の保釈請求を却下した決定を取り消して保釈を許可した(起訴後39日目)(【藤井美濃加茂市長ようやく保釈、完全無罪に向け怒涛の反撃】)。このような全面否認の贈収賄事件での早期保釈は、昔では、あり得ないものだった。

 今回の事件では、東京地裁が、特捜部の勾留延長請求を却下するという、従来の特捜事件に対する裁判所の姿勢では考えられなかった判断を行うなど、身柄拘束の要件を厳格に判断する姿勢を見せていること、金商法違反で起訴されたケリー氏が、全面否認のまま既に保釈されていることなどから考えると、裁判所は、ゴーン氏の保釈請求に対しても「罪証隠滅のおそれ」の有無について、厳格に判断する可能性が高い。弁護人側が、保釈請求で、その点について具体的に説得力のある論証をすれば、早期の保釈の可能性も十分にある。

「ゴーン氏」について「罪証隠滅のおそれ」はない
 そこで問題になるのが、特別背任で起訴された場合、ゴーン氏について「罪証隠滅のおそれ」があると言えるのかだ。

 具体的に考えてみると、デリバティブの評価損の「付け替え」についても、サウジアラビア人への送金についても、ゴーン氏が保釈された場合に、日産関係者に対して、「口裏合わせ」を依頼することは考えられない。そもそも、ゴーン氏が、日産の社内に影響力を持っていたのは、経営トップとして社内で強大な権限を持っていたからである。代表取締役会長を解職され、経営トップの座から引きずり降ろされたゴーン氏の影響力は大幅に低下しており、日産役職員の事件関係者との間で「口裏合わせ」ができる状況ではない(しかも、日産経営陣は、ゴーン氏・ケリー氏やその弁護人との接触も禁止している)。

 唯一、「罪証隠滅のおそれ」が考えられるとすれば、日産から送金を受けた「サウジアラビア人の知人の実業家」」(会見では「E氏」)との間で電話等による「口裏合わせ」が行われる可能性である。しかし、そもそも、大鶴氏が会見で指摘しているように、検察は、そのサウジアラビア人の聴取をしないままゴーン氏を逮捕したのであり、現在も、検察はE氏の供述を得ていない。検察官が立証を予定している「証拠」が存在しないのであるから、その罪証を隠滅すること自体があり得ない。

 しかも、大鶴氏によれば、E氏は、弁護人に対して、ゴーン氏の勾留理由開示公判とほぼ同時期に、「日産自が販売代理店の問題を解決し合弁会社設立に道を開くのを助けた」「日産から受け取ったとされる1470万ドル(約16億円)は正当な報酬」とする声明を出している。(【サウジ実業家:日産からの16億円の支払いは正当-特別背任事件】)

 E氏の供述がゴーン氏の主張に沿うものであることがこの声明によって明らかになっているのであるから、E氏の供述をゴーン氏側から働きかけて有利に「変更」させる必要はない。

 これは、美濃加茂市長事件での「賄賂の授受」があったとされた会食の場の同席者(T氏)をめぐる状況と似ている。T氏は弁護人に対して「会食の場での現金の授受は見ていないし、席も外していない。」と説明し、ネット番組「ニコニコ生放送」にも出演して同趣旨の話をしていた。そのため、検察官も、T氏について「罪証隠滅のおそれ」があると主張をすることはできなかった。

「ゴーン氏」早期保釈の可能性は高い
 このように考えると、保釈請求に対して、いくら検察官が、ゴーン氏について「罪証隠滅のおそれがある」として必死に反対しても、E氏との関係で「罪証隠滅のおそれ」を認める余地はなく、それ以外に「罪証隠滅のおそれ」の具体的な可能性もないことを保釈請求で具体的に論証すれば、ゴーン氏の保釈が許可される可能性が高い。

 今日、特別背任で起訴され、再逮捕がなければ、今日中に保釈請求が行われるだろう。保釈請求をうけた裁判所から検察官への「求意見」に対して検察官の意見書が出されるのが今日の夜、保釈可否の判断は、週明けには行われることになるだろう。

 来週早々にもゴーン氏が東京拘置所から出てくる可能性は十分にある。

(記事引用)

画像 オリンピックサーフィン会場「一宮釣ゲ崎」奥に鎮座する「神洗い神社」すべてはこの地の歴史に刻まれている
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※現場の紙一重にいる熟達者、郷原氏の予想をまったく覆して、起訴有罪刑にいたる、という私の予想だ。

その詳細を書くほど法律の知識も経験もないが、社会世間の人間模様をつぶさに観察俯瞰してきた浅学の果ての結論である。

もちろんプロ中のプロ郷原氏の見立ては誰もが納得する世の厭世を余すことなく描いていて、寸分の狂いもない。

だからこそ、そこに付入る隙もあるはずと、いらぬ節介の老婆の戯言の一つや二つ・・・。

その昔、時代小説のプロットにあった「藤沢周平」たちの描いた江戸武士貧欲世界と無情階級は、いまの日本のネガティブ転写であると思うからである。




神格化していたゴーン氏を強烈批判する日本社会の「ヤバい経営感覚」
だから、この国はナメられる
加谷 珪一 gendai.ismedia.jp2018/11/28
日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕された。国内では、ゴーン氏がいかに会社を食い物にしてきたかという話のオンパレードになっているが、現時点において、事件の内容はほとんど何も分かっていない。

仮にゴーン氏が会社を食い物にしてきた人物であったとしても、そうした経営者を、正規の手続きを踏まない形で追放したところで、問題が根本的に解決するわけではない。
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そもそも日産が経営危機に陥ったのは、当時の経営陣や従業員が会社を食い物にし、放漫経営を続けてきたからである。ゴーン氏も同じなのだとすると、首謀者が前経営陣や従業員からゴーン氏に変わっただけである。

一連の日産のスキャンダルは、日本企業のお粗末なガバナンス体制が生み出したものであり、ゴーン氏を逮捕したところで何も変わらない。

日産がルノーの軍門に下った理由は「放漫経営」
ゴーン氏が日産のトップに就任し、同社がV次回復を果たしたことで、同氏はカリスマ経営者としてもてはやされた。高い業績を残した経営者を評価すること自体は悪いことではないが、日本人はしばしば情緒不安定かと思うほど、常軌を逸した神格化に走ることが多い。

歯の浮くような賛辞の一方、ゴーン氏に対する激しい批判も一部には存在していたが、感情的なものがほとんどであり、的を射ていたとは言い難かった。ゴーン氏がなぜV字回復を実現できたのかという現実を考えた場合、ゴーン氏を神聖視することも、手のひら返しで批判することも合理的ではない。

日産は1999年に経営危機に陥り、仏ルノーに救済された。経営を立て直すためルノーから派遣されたのが、当時ルノー副社長だったカルロス・ゴーン氏である。

〔PHOTO〕Gettyimages
ゴーン氏の経営手法は極めて教科書的なものであった。トップダウンで徹底的なコストカットを行い、経営方針に反対する幹部は次々に更迭した。ゴーン氏への批判はたいていの場合、一連のコストカットやトップダウンのマネジメント手法に向けられることが多いのだが、考えなければならないのは、プロ経営者であるゴーン氏がなぜ、コストカットに邁進したのかという部分である。

高いブランド力を持つ著名企業が経営危機に陥るのは、たいていの場合、放漫経営が原因である。会社の経費を湯水のように使い、コスト感覚が麻痺し、最終的には巨額の損失を引き起こす。日産の経営危機はまさに放漫経営の典型であり、その意味では、経営陣も従業員も全員が共犯といってよい状況だった。

トヨタと日産の違い
トヨタと日産の違い
中高年の読者の方なら直感的に理解できると思うが、1990年代までトヨタと日産はライバルであると同時に対照的な企業カルチャーで知られており、当時のビジネスマンの間ではこんな冗談がよく交わされていた。

「トヨタと日産のどちらがスゴいかと聞くと、ほぼ100%の人がトヨタの方がスゴいと答える。だが自分の息子をどちらの会社に就職させたいかと聞くと、ほぼ100%の人が日産と答える」と。

トヨタは今でこそ社員に優しい企業というイメージだが、20年前まで同社の企業イメージというのは「苛烈」そのものであった。全社員が「カイゼン」を行うよう、日々、徹底的に追い詰められる。一方、日産にはゆとりがあり、社員は楽しく仕事をこなし、クルマ作りにも遊び心をふんだんに盛り込むことができた。

トヨタはかつて従業員に厳しいイメージを持たれていた〔PHOTO〕Gettyimages
こうした企業カルチャーの違いは、最終的には業績にあらわれてくる。日産が経営危機に陥った原因は、製造技術の低下でも、クルマ作りへの情熱の喪失でもなく、行き過ぎたゆとりがもたらした放漫経営そのものであった。そうであるならば、再建を託されてトップに就任したゴーン氏が選択する手法はコストカット以外にあり得ない。

その後、国内では日産がV字回復を果たしたといって、ゴーン氏に対する賞賛の嵐となったが、これは逆に考えれば、いかに日産のコスト感覚が甘かったかということの裏返しでしかない。ゴーン氏に対しては、カリスマなどといった情緒的な賛辞を贈るのではなく、コストカットを徹底的に進めた実行力こそ評価すべき点だったはずだ。

ゴーン氏はグローバル・スタンダードの人物ではない
今となっては批判の的となっている高額報酬についても奇妙な世論だった。日本では、ゴーン氏はいわゆるグローバル・スタンダードの象徴と見なされており、当時の日本の平均的な企業経営者とは比較にならない水準の高額報酬が許容されてきた。

「上場企業の経営者の報酬は高額で当たり前」という話の引き合いに出されるのは決まってゴーン氏だった。

ゴーン氏の影響なのかは不明だが、その後、日本の経営者の役員報酬はうなぎ登りに上昇し、お話にならないレベルの業績しか上げていない企業の役員までもが億単位の報酬をもらうようになった(今の日本では、業績は国内基準で、役員報酬だけがグローバル基準というご都合主義となっているところが少なくない)。

筆者は、国籍に関わらず有能な人物を高額で雇うことについて、基本的に賛成する立場だが、ゴーン氏が、高額報酬の妥当性の根拠となる、いわゆるグローバル・スタンダードな人物なのかという点については疑問がある。

本当のグローバル企業というのは、明確な国籍がなく、拠点も人材も多国籍になっているものだが、こうした体制の企業はそれほど多くない。米自動車大手のGM(ゼネラル・モーターズ)はまさに米国を象徴する企業だし、グーグルもアップルも国際的に事業は展開しているが、れっきとした米国企業である。

その論理で考えれば、フランス政府が筆頭株主となっているルノーは、グローバル企業ではなく、典型的なフランス企業ということになる。

日本ではフランスというと「自由の国」といった曖昧なイメージしか持っていない人が多いが、現実のフランスは異なる。同国はもともと革命国家であり(今の体制は第5共和制)、ミッテラン政権時代には企業の国有化を強力に進めるなど、社会主義的・官僚主義的な色彩が極めて濃い。ゴーン氏自身もレバノン系ではあるが、フランスの官吏養成機関であるグランゼコールを卒業した典型的なフランスのエリートである。

権力闘争も中国並みに激しく、かつて大統領候補になったこともある有力政治家ドミニク・ストロスカーン氏(当時IMF専務理事)はニューヨークのホテルに滞在中、性的暴行の疑いで突然逮捕され、そのまま政界から追放された(その後、同氏は不起訴になっている)。政治家が逮捕によって失脚するケースはかなり多い。

フランスでは、高額報酬は許容されていない
国営企業が中心のフランスでは、企業のトップにはグランゼコールの卒業生(つまり国家が養成したエリート)が就くケースが多く、強力な権限が付与される一方、米国企業やグローバル企業のような超高額報酬は許容されない。

ゴーン氏は、日産のトップに就任して以降、高額な報酬を受け取ってきたが、ゴーン氏は親会社であるルノーからは多額の報酬をもらっていない。最近でこそルノーからの報酬も引き上げたが、フランス政府はゴーン氏の報酬引き上げに反対してきたし、フランスの世論も高額報酬を許容していないのだ。

ゴーン氏自身はこうしたフランスの社会主義的な風潮について快く思っていなかった可能性が高いが、フランス政府が筆頭株主である以上、その意向を無視するわけにはいかない。

結果として、日産という地球の裏側にある現地子会社を使い、目立たないよう多額の報酬を得ていたというのが実態である。日本にあてはめれば、進出した東南アジアの現地法人で好き放題やった経営者をイメージすればよいだろう。こうした経営者は果たしてグローバル・スタンダードといってよいのだろうか。

ちなみにルノーと日産の統合を強く求めてきたフランス政府に対してゴーン氏は、日産の独立性維持を主張していたとされる。だが、それは日産が独立している方が、ゴーン氏自身にとってメリットが大きかったからである。日産が日本で独自に上場していれば、それを盾にフランス政府からの圧力をかわすことができる。

一連の出来事を総合的に考えると、もっとも甘いのは日本の株式市場や世論という結論にならざるを得ない。

ゴーン氏が仮に日産を食い物にしていたとしても、日本で上場している以上、それを是正することは可能であり、いつでもそのチャンスはあった。

だが企業経営者に甘い日本の株式市場や世論は、日産の穴だらけのガバナンス体制を放置し、結果としてゴーン氏のような経営者を長期にわたって続投させてきた。そもそも日産の危機的な状況に対して、日本の企業や投資ファンドがリスクを取って日産に資本参加していれば、外資の支援など仰ぐ必要はなかったという現実を忘れてはならないだろう。

日本国内では、ルノーと日産の今後について、両社が分離することを望む声が大きいように見える。だが市場が飽和しつつある自動車業界では、生き残りを賭けた激しいシェア争いが始まっており、規模のメリットが存続の命綱となっている。

現在、グローバル販売台数でトップに立っているのは独フォルクスワーゲンで、2017年の販売台数は1000万台を突破した。続いて、ルノー・日産連合、トヨタ、GM(ゼネラル・モーターズ)の順となるが、上位4社の販売台数にそれほど大きな違いはない。一方、5位の現代は730万台、6位のフォードは660万台と、上位4社とはかなりの開きがある。

業界では上位グループに入らない限り、総合自動車メーカーとしては生き残れないというのが常識となっている。

ここで、日産、ルノー、三菱自動車の3社が分離した場合、日産を含む各社は一気に下位グループに転落してしまう。日産もルノーも、もはや大手ではなくなり、スバルやマツダのようなニッチ戦略に転換せざるを得なくなる可能性もある。

本当にそれでよいのか、情緒ではなく論理で判断する必要があるはずだ(ルノー・日産の経営統合が実現したとしても、数多くの拠点を日本に構える企業であることに変わりはなく、工場や社員が丸ごとフランスに行ってしまうわけではない)。

今回のゴーン氏追放劇には、日産を独立させたいとの思惑が働いているとの報道もある。今後のグローバルな企業戦略まで考慮に入れた上でのクーデター劇ならまだマシだが、単にゴーン氏を追い出したいという情緒的な話だとすると、お粗末極まりない。場合によってはかつての日産に逆戻りという可能性すらあるだろう。
(記事引用)


日産の損失はゼロ、ゴーン氏は特別背任にあたらない
細野祐二氏が為替レートの変化からゴーン氏の運用実態を分析
2018.12.29(土)  細野 祐二jbpress.
「止む無く」特別背任で逮捕
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 12月21日、東京地検特捜部は、カルロス・ゴーン元日産自動車会長を会社法の特別背任罪容疑で再逮捕した。ゴーン元会長の逮捕は、11月19日の(2011年3月期から2015年3月期までの5事業年度の)役員報酬48億円の不記載に係る有価証券報告書虚偽記載罪容疑での1回目の逮捕、12月10日の(2016年3月期から2018年3月期までの3事業年度の)役員報酬42億円の不記載に係る有価証券報告書虚偽記載罪容疑での2回目の逮捕に続く3回目である。

 東京地検特捜部は、12月10日の2回目の逮捕にともなう10日間の勾留期間が12月20日に勾留満期となったため、慣例に従い、当然のことのようにさらに10日間の勾留延長を請求したところ、東京地方裁判所は「前の事件と争点及び証拠が重なる」として勾留延長を却下した。この日、ゴーン会長は保釈される可能性が高かったのである。止む無く、東京地検特捜部は、急遽ゴーン元会長の特別背任罪での逮捕に踏み切った。これを受けて、東京地裁は、12月23日、ゴーン会長の10日間の勾留を決定した。新たな勾留期限は2019年1月1日となり、ゴーン元会長は2019年の元旦を東京拘置所で迎えることが確定した。

SEC、新日本監査法人が事前に問題指摘
 現時点までに新聞報道等で明らかとなったゴーン元会長に対する特別背任容疑の概要は次の通りである。

 ゴーン元会長は、2006年以来、個人金融資産の管理運営を新生銀行に委託していたところ、2008年10月、リーマンショックに伴う急激な円高により、自身の資産管理会社が新生銀行と締結していた通貨スワップ契約に巨額の損失を抱えることになった。この含み損に対して、新生銀行が担保不足による追加担保の提供を要請したところ、ゴーン元会長はこれを拒否し、契約自体を日産に付け替えるよう指示した。

 新生銀行側は、日産への契約移転には取締役会の決議が必要と指摘し、これを受けて、ゴーン元会長の意を受けた当時の秘書室長は、損失付け替えの具体的な内容については明らかにせず、「外国人の役員報酬を外貨に換える投資」について秘書室長に権限を与えるという形をとって取締役会の承認決議を得た。この取締役会の決議を受けて、新生銀行は契約移転に応じることとし、2008年10月、約18億5000万円の評価損を含む通貨スワップ契約は日産自動車に移転された。これが特別背任における第一の逮捕容疑である。ちなみに、この時の秘書室長は、今回の日産カルロス・ゴーン事件の内部通報者で、東京地検特捜部と司法取引で合意することにより刑事処分の減免を受けている。
ところで、その後、証券取引等監視委員会は、新生銀行の関連会社に対する検査を通じてゴーン元会長の損失付け替えを把握し、「本件での日産自動車側取締役会決議にはコンプライアンス上の重大な問題がある」として是正を求めた。また、同じころ、日産の会計監査人である新日本監査法人も、会計監査の過程で本件損失付け替えを把握し、「会社が負担すべき損失ではなく、背任にあたる可能性もある」と日産側に指摘した。


「日産の損失はなく、背任には当たらない」
 外部からの相次ぐ指摘を受けて、ゴーン元会長は本件通貨スワップ契約を自身の資産管理会社に再移転することにした。この際、巨額の評価損に対応する追加担保が必要になったが、サウジアラビアの知人が外資系銀行発行の約30億円分の「信用状」を新生銀行に差し入れたため、ゴーン元会長は追加担保の提供を免れることができた。外資系銀行より信用状を発行してもらうためには、通常は保証額の数%の保証料を支払う必要があるが、本件では、知人がこの保証料を負担していたとみられる。

 その後、ゴーン元会長は、この知人が経営する会社の預金口座に、中東での販促などを担当しているアラブ首長国連邦の子会社「中東日産会社」の口座から、2009年6月から2012年3月にかけて、3~4億円ずつ全4回にわたり合計1470万ドル(約16億円)を販売促進費名目で振り込ませた。資金は、「CEO Reserve」と呼ばれる日産の最高経営責任者直轄の費用枠から捻出されている。これが特別背任における第二の逮捕容疑である。

 ゴーン元会長は、損失付け替えについては、結果的に契約を再移転していることなどから、「日産の損失はなく、背任には当たらない」と主張。また、知人への支払は、サウジアラビア政府や王族へのロビー活動あるいは現地販売店と日産との間で生じていた深刻なトラブルの解決の協力など「日産のための仕事をしてもらっていた」と説明し、正当な業務の対価だったと主張している。

ゴーン氏が結んだ通貨スワップ契約とは
 ゴーン元会長の特別背任容疑の原点は、個人資産管理会社が新生銀行と締結していた通貨スワップ契約にある。通貨スワップ契約とは、元来は、特定の外貨を直物で買う(売る)と同時に同額の外貨を先物で売る(買う)一対の外貨契約のことをいうが、現在では、将来の外貨でのキャッシュフローを交換する取引として広く定義されている。

通貨スワップ契約は直物外貨と先物外貨の交換取引なので、それ自体としては損益を生むことがないが、外国為替の直物レートと先物レートは同一とはならないので、直物で買った(売った)外貨がそれと同額の先物で売れる(買える)というわけではない。直物レートと先物レートに差が生じるのは、外国為替が、直物と先物のスプレッドにより、それぞれの通貨の金利差を調整しているためである。直物と先物の外貨交換差額を狙った金融取引が通貨スワップ契約となる。


 さて、リーマンショックの起きた2008年9月以前の外国為替市場において、米ドルの為替レートは1ドル=108円程度で、米ドルの1年物金利は3%程度、日本円の1年金利はほぼ0%で均衡していた。この均衡条件で1年先物の理論レートを計算すると、米ドルの1年先物レートは次の通り1ドルが104円85銭となる。

直物レート108円÷{1米ドル×(1+金利3%)}=先物レート104円85銭

 2005年から2007年にかけての米ドルの先物外国為替レートは、日米の金利差を反映して、米ドルの先物が大幅なディスカウントとなっていた。このような市場環境の下で、米ドルの先物買いとなる通貨スワップ契約を締結すれば、契約者は、外国為替レートが円高にならない限り、日米金利差3%の運用利益を得ることができる。ここで標準的な通貨スワップとして100万ドルの運用事例を例示すると次の通りとなる。

①契約締結時(先物レート1ドル=104円85銭)

(借方)デリバティブ債権 $1,030,000

(貸方)デリバティブ債務 ¥108,000,000

②決済時(直物レート1ドル=108円)

(借方)デリバティブ債権 ¥111,240,000

(貸方)デリバティブ債務 $1,030,000

③運用益

 円建てデリバティブ債権¥111,240,000
  -円建てデリバティブ債務¥108,000,000
   =運用益¥3,240,000

 運用利回り3%=運用益¥3,240,000÷想定元本¥108,000,000

 この時代、外資系金融機関を中心に通貨スワップ契約を組み込んだ金融商品が数多く開発され、高額所得・資産の富裕層に対して積極的に販売されていった。この手の通貨スワップ内蔵型金融商品は、顧客から預かる一定の証拠金にレバレッジを効かして、その数倍の通貨スワップ契約を締結する形態となっている。もとより、通貨スワップ契約は、外国為替における直先スプレッドを運用益として固定する代わりに、為替レートの変動リスクを取る金融取引なので、それにレバレッジがかかれば、為替変動リスクは通常の為替変動リスクの数倍に膨れ上がる。ゴーン元会長が嵌った通貨スワップ契約は、この手の為替リスクの高い金融商品だったに違いない。

為替レートの変化から運用実態を分析すると・・・
 2008年9月のリーマンショックにより、安全通貨とされる日本円への資金逃避が起き、ドル円レートは2008年9月の108円から2009年2月の89円まで一気に19円幅(17.6%)の円高となった。ゴーン元会長の通貨スワップ契約は約18億5000万円もの評価損を抱えることになったというのであるから、その想定元本は少なくとも105億円(=18億5000万円÷17.6%)以上でなければならない。

 この通貨スワップ契約に対してゴーン元会長が差し入れていた証拠金の額は不明ではあるが、ここで一般的な適正レバレッジを3倍と考えると、ゴーン会長に求められる必要証拠金は35億円(=105億円÷3倍)ということになる。おそらくゴーン会長はこの通貨スワップ契約に対していくばくかの証拠金を差し入れていたのであろうが、これがリーマンショックにより18憶5000万円の評価損となったので、追証が発生したのである。

新生銀行はゴーン会長に追加証拠金の拠出を求めたものの、ゴーン会長はそれを拒否し、契約自体を日産に付け替えることにした。契約当事者が日産自動車ということであれば、証拠金の不足があろうが決済不能などあり得ないので、新生銀行に否やはない。こうして、本件通貨スワップ契約は18億5000万円の評価損のまま日産に付け替えられたが、その時の会計仕訳は次のようなものとなる。


(借方)デリバティブ債権 $97,222,222

 (貸方)デリバティブ債務 ¥10,500,000,000

 想定元本105億円÷契約時レート108円=97,222,222米ドル

 本件通貨スワップ契約の日産への付替えは2008年10月のこととされているが、その時の会計処理では、ここで発生していたとされる18億5000万円の評価損は認識されることはない。通貨スワップ契約の含み損が認識されるためには、日産自動車の決算期における会計処理を待たなくてはならない。日産自動車の2009年3月期末において本件通貨スワップが未決済となっていた場合、次の決算整理仕訳が必要とされる。

(借方)デリバティブ債権  ¥8,652,777,758
    デリバティブ評価損 ¥1,847,222,242

(貸方)デリバティブ債権 $97,222,222

 ドル債権$97,222,222×直物レート89円=円債権¥8,652,777,758

日産は形式上も実質上も損失を認識できなかった
 本件通貨スワップ契約は2009年1月にはゴーン元会長の資産管理会社に再移転されたという。ならば、日産自動車は、評価損を認識すべき2009年3月期末を迎えることなく通貨スワップ契約を再移転したのであるから、その受入から再移転までの全ての期間において、18億5000万円の評価損を一切認識しておらず、認識するすべもなかったのである。ゴーン会長は、本件スワップ契約の付け替えにつき、「日産に実損はない」と抗弁しているとのことであるが、事実は、実損がなかったどころか、形式上も実質上も日産には一切の損失が認識できなかったのである。

会社法は、第960条により、会社の取締役が、自己若しくは第三者の利益を図り又は株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該株式会社に財産上の損害を加えたときは、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科すると規定している。ゴーン元会長に特別背任罪が成立するためには、日産に財産上の損害が認定できなくてはならず、要するに、ゴーン元会長の特別背任容疑における第一の犯罪事実は存在しない。


「サウジの知人」ハリド・ジュファリ氏
 さらにここに登場するのが、サウジアラビアの知人ハリド・ジュファリ氏である。ハリド・ジュファリ氏は、サウジアラビアの財閥「ジュファリ・グループ」の創業家出身で、サウジアラビア有数の複合企業「E・Aジュファリ・アンド・ブラザーズ」の副会長のほか、同国の中央銀行理事も務めている。ジュファリ氏が経営する会社は、2008年10月、アラブ首長国連邦に日産との合弁企業「日産ガルフ」を設立し、ジュファリ氏はその会長に就任している。「日産ガルフ」は、日産の中東市場の販売・マーケティング業務をサポートする目的で設立されている。

 ジュファリ氏は、新生銀行から追証を求められ苦境にあるゴーン元会長を救済するため、自らの資金約30億円分を外資系銀行に預け入れ、その預金を裏付けとして約30億円分の銀行信用状を発行させた。この信用状はゴーン元会長を経由して新生銀行に差し入れられ、通貨スワップ契約は無事に日産からゴーン元会長の資産管理会社に再移転された。これが2009年1月のことである。

 その後、ジュファリ氏の個人口座には、2009年6月から2012年3月にかけて、「中東日産会社」の口座から、3~4億円ずつ全4回にわたり合計1470万ドル(約16億円)の金が販売促進費名目で振り込まれている。東京地検特捜部は、この金を、ジュファリ氏が行った信用保証の謝礼金だと言うのである。

 一般に、銀行が信用保証状を発行するには、保証額の数%の保証料を徴収する。本件の場合、この保証料はジュファリ氏が負担していたとされているが、その保証料なるものは、仮に保証料率を3%と想定しても、年額9000万円程度のものに過ぎない。しかも、結果的に、ジュファリ氏が外資系銀行に供託した30億円は手付かずで保全されている。ゴーン氏がジュファリ氏の負担した数千万円のために約16億円もの謝礼金を払うというのは、およそ経済合理性に反する。しかも、ジュファリ氏は、事実として、日産の中東市場の販売・マーケティング業務をサポートする目的で設立された「日産ガルフ」の会長であった。ゴーン元会長は、「知人への支払は、サウジアラビア政府や王族へのロビー活動あるいは現地販売店と日産との間で生じていた深刻なトラブルの解決の協力など日産のための仕事をしてもらっていた」と抗弁するが、その抗弁は客観的事実に裏付けられている。これをもって特別背任などと主張するのはおよそ馬鹿げており、ゴーン元会長の特別背任容疑における第二の犯罪事実は成立しない。

 東京地検特捜部もよくこんなもので逮捕請求ができたものだと感心するが、ここで第一の犯罪事実及び第二の犯罪事実の証拠構造を冷静に分析すると、ゴーン元会長の特別背任容疑には、元秘書室長の提供する内部情報とその証言以外にろくな証拠などないことが分かる。この人は、司法取引に応じることにより刑事処分を免れているので、東京地検特捜部の求めるどのような供述調書にも喜んで署名する。元秘書室長は東京地検特捜部の唯一の頼みの綱ということになるが、この人の証言の証拠価値は低い。元秘書室長の証言など、ハリド・ジュファリ氏の証言が出れば、一発で撃沈するからである。

 元秘書室長との司法取引は、日産ゴーン事件における東京地検特捜部の失敗の本質でもある。なぜなら、ゴーン元会長がジュファリ氏に対する販売促進費の支払をもって特別背任とされる以上、ジュファリ氏はゴーン元会長の特別背任事件における共同正犯になってしまうからである。

 東京地検特捜部は、ゴーン元会長の有価証券報告書虚偽記載罪での逮捕長期勾留により、フランス政府、ブラジル政府、ヨルダン政府を敵に回したが、今回の特別背任罪での逮捕によりサウジアラビア政府さえも敵に回すことになった。

 この人たちのやっていることは、自らの組織の保身のために、我が国の国益に反する外交問題を引き起こしているのである。事件は、全3回に及ぶ長期勾留によりゴーン元会長が追い詰められているように見えるかも知れないが、事実は全く逆で、瀬戸際まで追い詰められているのはむしろ東京地検特捜部なのである。東京地検特捜部並びに東京地裁は、本件が世界のジャーナリズムの監視の下、グロ―バル世論の下で進行していることを忘れてはならない。

細野 祐二
1953年生まれ、早稲田大学政経学部卒業。4大監査法人の1つKPMGで、会計監査とコンサルタント業務に従事。2004年3月、キャッツ株価操縦事件に絡み、有価証券虚偽記載罪で逮捕・起訴。一貫して容疑を否認し、無罪を主張するが、2010年、最高裁で上告棄却、懲役2年、執行猶予4年の刑が確定。公認会計士登録抹消。著書に『公認会計士vs特捜検察』、『法廷会計学vs粉飾決算』、『粉飾決算vs会計基準』(以上、日経BP社)、『司法に経済犯罪は裁けるか』(講談社)など。
(記事引用)





新しい価値をつくる」のは、もう終わりにしよう。哲学者・千葉雅也氏が語る、グローバル資本主義“以後”を切り拓く「勉強」論
執筆者: 小池真幸2018.11.28 THINK ABOUT
「勉強」するとキモくなる–––。そう言い放ち、周りの環境の「ノリ」から解放されて「変身」するために「勉強」する意義を説いた書籍が、2017年4月に刊行されて話題を呼んだ。立命館大学大学院で准教授を務める気鋭の哲学者・千葉雅也氏が著した、『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(以下、『勉強の哲学』)だ。
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日々革新的なイノベーションが起きている市場に身を置くビジネスパーソンこそ、「勉強」が必要なのではないか–––そんな仮説のもと、ビジネスパーソンがいかに「勉強」と向き合うべきなのかを徹底的に考えるため、著者の千葉氏にインタビューを行った。「勉強」の定義や組織における「勉強」の位置付けの話から、グローバル資本主義を問い直す原理的思考や現代における「遊び」の様相の変容まで、射程の長い人類史的な「勉強」論について語っていただいた。

「勉強」はすごく怖いこと。安心できる“鋳型”からあえて抜け出し、自己破壊する
――まずは議論の前提として、『勉強の哲学』に書かれている「勉強」とは何か、簡単にお伺いできますか?

一言でいうと、周りから「お約束」として押し付けられている、振る舞いの「コード」から逃れることです。

そもそも人間は、完全に自由な状況に放り出されると、何もできなくなってしまいます。可能性が無限大だと、何をしたらいいのか分からず、狂ってしまう。だから人間は、「このモデルに従って生きなさい」といった外的な“鋳型”を求めるんです。たとえば、「男は命をかけて女を守るべき」といった「コード」に従うことで、ようやく自分の実存が安定し、「主体化」できる。

――本来は主体化のために必要なコードから、あえて逃れることが「勉強」だと。 

そうです。だから、「勉強」はすごく怖いことなんです。落ち着いている状態を、わざわざ自分で乱して破壊するわけですから。ただ、一定の鋳型にはまっている生活が必ずしも幸せとは限らなくて、何かしらの不満を抱えていたり、社会的に搾取されるような不利なポジションに追い込まれてしまっている場合もあります。そこに違和感を覚えたり、抜け出したいと思ったときに、「勉強」して、これまで頼っていた鋳型の外に出ることが、状況を好転させる糸口になり得るんです。

――学校教育における一般的な「勉強」のイメージとは、むしろ逆ですね。 

普通は、何かの鋳型によって自分を固めるために学ぶことが「勉強」とみなされていますからね。一定の「コード」に従って主体化するための学びが、学校教育的な「勉強」でしょう。

対して僕が提示している「勉強」は、真逆の意味を持ちます。鋳型に収まるのではなく、「脱鋳型」。そして、今の自己を破壊したうえで、自分自身の享楽にもとづき、新たな鋳型を作り出そうと提案しているのです。

――「コード化」ではなく、「脱コード化」だと言えるかもしれません。 

おっしゃる通りです。そして、脱コード化は、いま我々が生きているグローバル資本主義の世界の基本なんですよ。資本主義の基本は、脱コード化によってコードを壊した後、新しい価値(すなわち「剰余価値」)をつくり出し、それをどんどん搾取していくことです。脱コード化としての「勉強」は、グローバル資本主義の運動と一致する。

ちなみに、近代においては、物理的な生産によって剰余価値の創造と搾取をくり返してきたわけですが、現代では別のフェーズに移行しています。物理的な生産物の可能性が尽きてきたので、よりバーチャルなものに剰余価値を見出すようになったんです。消費社会が発達すると、ものの実際の使用価値よりも、ブランドイメージとか物語性といったバーチャルなものが消費の対象としてより重要になります。80年代に消費社会のそういう段階が本格化しました。そしてインターネットの普及以後、現代では、人間関係、コミュニケーションに付随する–––たとえば嫉妬などから生じる——剰余価値がとりわけ重要になっています。ソーシャルメディアは、まさに「ソーシャルな剰余価値の搾取」をビジネスにしているわけです。

――グローバル資本主義が高度化した現代は、脱コード化が極端に進んでいる時代だとも言えそうです。

そうですね。ただ最近は、若い人を中心に「再コード化」が進行しているようにも感じています。ご推察の通り、もともと僕らの世代にとっては、脱コード化が若者文化の基本でした。校則で髪型や制服が厳しく規定されているのに反発して自由化運動を起こしたり、夜遊びを悪とみなす価値規範に反発して夜中に遊びまわってみたり。

しかし、コードの破壊をくり返した結果脱コード化が全面化した現代では、むしろ逆転的に、若者はコード化されることを求めているように見えます。

この間も、ファッション雑誌で「無難が一番」といった主旨のキャッチコピーが使われているのを見て、驚いてしまいました(笑)。社会に対してアンチを突きつけるための別の野蛮なスタイルをつくり出そうとする、まさに脱コード化的な90年代のファッション文化やギャル男ファッションを通過してきた僕からすると、「無難が一番」なんて信じられません。

今はかつてのような「頭のカタイ社会と、それに対する“脱”」の弁証法が、成り立たなくなってしまっていますよね。僕らの世代からすると物足りなく感じてしまうのですが、若者からすると、そういうオヤジはうざいと感じるでしょうね(笑)。

――若者が再コード化を志向するようになったのは、なぜなのでしょうか? 

グローバル資本主義の激化により、あらゆるコードが流動化し、あらゆる価値観が交換可能になっているからでしょう。すると安心できなくなり、意味なんてなくていいから、「お前はこうだ」という押し付けがほしくなる。先ほどもお話ししたように、人間は完全な自由には耐えきれないんです。

ロックバンドではなくスタートアップ。文化が死んだ時代、「遊び」はどこに?
――あまりに脱コード化が進行してしまったがゆえに、その揺り戻しが起こっているのですね。

また、文化のデータベース化がほぼ完了してしまったことも一因だと思います。90年代までは、文化のデータベースをつくっていく時代で、まだまだコードの外に新しいものがあると期待することができました。しかし2000年代を経て、ありとあらゆる可能性が出尽くしてデータベースに登録されてしまい、大体の物事はパターンの組み合わせだという見切りがついてしまった。そういうわけで、脱コード化して新しいものを求める活力がなくなってしまったのだと思います。

――たしかに、観たい映画はたいていNetflixに揃っているけれど、だからこそ逆にあまり観なくなってしまっている気もします。 

僕もそう思いますよ。昔から音楽が好きで、宇都宮に住んでいたときにわざわざ渋谷のマニアックなレコード店まで足を運んで現代音楽を漁ったりしていたのですが、今ではそういったものもだいたいSpotifyで聴けてしまう。良い時代だなとは思うんですが、逆に昔ほどは聴かなくなってしまった。目の前にごちそうがたくさんあると、かえって食べたくなくなるんです。

同時に、「博覧強記」的な能力も昔ほど取り沙汰されなくなりました。かつての松岡正剛や荒俣宏のように、頭の中に膨大なデータベースを持っている「歩く百科事典」的な人物は、今では思い当たらない。自分で暗記しなくても、外にあるデータベースを検索すれば、必要な情報は手に入る時代になったからです。

――文化のデータベース化が完了した今、人々はどこに楽しみを見出しているのでしょうか?

現代ではコミュニケーションの価値が首位にあり、それゆえにふたたび「政治の季節」が来ているのだという印象を受けます。

先ほどもお話ししたように、僕らが若者だった時代は、今日のグローバル資本主義による世界体制の形成途中だったので、さまざまな文化が勃興していました。だから文化的関心を強く持てたんです。しかし現代は、グローバル資本主義の高度化により、文化的な面白さが尽きてしまった。そうなったときに、1950〜70年代の安保闘争や学生運動の失敗で一度潰えたはずの政治的関心が、また湧いてきている。若者の求める価値がもっぱらコミュニケーション的となった状況が、政治的関心の高まりと一致する。アニメも音楽も何もかもが面白くなくなったとき、人間関係と、それに付随して発生する感情が最大のコンテンツになるのであり、それが今日における新たな「政治の季節」を形づくっているのだと思います。

――たしかに、現代の尖った若者は、文化的な活動ではなく起業やNPO活動などに従事している印象を受けます。

かつての若者がロックバンドを組んだのと同じように、現代の若者はスタートアップに踏み出す。経済的な活動だけでなく、NPO活動や差別反対運動のような社会・政治活動も同様です。

以前は、ビジネスや社会貢献といった「下部構造」はおじさんたちに任せ、若者は文化という「上部構造」で遊んでいました。しかし、もはや文化は死に、上部構造の可能性は尽きてしまった。もう「新しい文学を創り出す」「新しい音楽を創り出す」といった試み自体が成り立たなくなってしまっている。すると、経済、それを動かす人間関係、社会システムという下部構造で遊ぶしかなくなっているんです。

――つまり現代の若者は、脱コード化するにせよ、下部構造でしか楽しめないということですね。

そのアイロニカルな例として面白いと思っているのが、実業家の与沢翼さん。僕の解釈では、彼は徹底して下部構造で遊んでいて、「もはや、全力で純粋に資本主義を楽しむことにしか、楽しみはない」ことを体現していると思います。それにより、グローバル資本主義がいかにどうしようもない馬鹿げたものかということを、全身全霊でおちょくっている。軽々とドバイの超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」を購入し、実際に生活する様子をTwitterで発信することで、それがいかにどうでもいいことかを自ら示している。さらにこの間日本に帰ってきたときは、肩に札束を乗せてスクワットをする様子をTwitterに投稿していて、そのことについて誰かがコメントしていたのですが、「もはやお金は重さでしかない」ことを体現しているわけです(笑)。

もちろん彼自身にそういった意図があったかどうかは分かりませんが、「もはや下部構造で遊ぶしかない」時代を端的に象徴している人物だと思っています。

「頑固な田舎者のオヤジ」の存在が、グローバル資本主義への抵抗となる
――先ほど「現代の若者は再コード化している」という話がありましたが、そういった状況において、どうすれば人々は「勉強」するようになるのでしょうか?

「勉強しろ」と言われて勉強する人はいませんからねぇ…(笑)。僕のような「勉強」が好きな人間が、「勉強」して楽しそうにしているところを示すしかないでしょうね。本を読んだりものを考えたりして楽しんでいる様子を、積極的に発信するしかないと思います。

あとはそもそも、組織のなかの全員が「勉強」する必要はないと思いますよ。「勉強」への欲望に気がついた人だけがやればいい。現時点で特定のコミュニティのコードで幸せに暮らしている人を無理やり脱コード化させようとしても、ある種のハラスメントのようになってしまいますし、そもそも学ばない人の存在も大事だと思っています。

――なぜ「勉強」しない人の存在が大事なのでしょうか?

グローバル資本主義への抵抗となるからです。先ほどもお話ししたように、「勉強」による脱コード化と剰余価値の創造は、資本主義の基本です。全員がそれをやるようになったら、グローバル資本主義の高度化がますます止まらなくなってしまう。

したがって、「頑固な田舎者のオヤジ」のようにあえて「勉強」しない人の存在は、グローバル資本主義への抵抗になるんですよ。なぜなら、そこに「遅さ」が導入されるから。『勉強の哲学』の中でも、「勉強」するときは、「アイロニー」(=根拠の掘り下げ)と「ユーモア」(=視点の転換)の無限ループを有限化するために「享楽」を大切にしなさいと書いていますが、この「享楽」とは自分のなかにいる「頑固な田舎者のオヤジ」のことだとも言えます。

――ということは、「勉強」する人としない人で、時には対立してしまっても構わないと?

喧嘩すればいいと思いますよ。もちろん過剰にパワハラ的なものには対処しなければいけませんが、程よい対立は必要だと思いますね。むしろ、喧嘩して折れてしまうような人は、そもそも「勉強」への意志が弱い。多少の抵抗は跳ね返せるような人じゃないと、「勉強」なんて続けられませんよ。

「自由な組織形態」も、資本主義の搾取の一形態に過ぎない
 ――ビジネスパーソンは会社組織に属していることが基本ですが、「勉強」を組織のなかで行うことについては、どう思われますか?

「組織人として大人しくしているのはやめろ」と言っているのと同義なので、組織人の道徳とはぶつかりますよね。とりわけ、官僚制的組織の場合はその傾向が顕著になります。一人ひとりの人間を特定の役割に分割し、個性を認めないことで効率的な組織運営をはかる組織においては、“部品”にすぎない個々人がメタ的視点を持つべきではないんですよ。

――昨今のビジネスシーンでは、階層的秩序を持たない「ティール組織」「ホラクラシー型組織」のような組織形態も現れています。

官僚的組織とは一線を画した、自由で遊動的な組織形態についての議論は昔からありますね。ドゥルーズ=ガタリが言うところの「戦争機械」や、デヴィッド・グレーバーが言うところの「アナキズム」といった概念もそういう組織論と親和的です。自由で自発的なアソシエーションによって、管理者がいなくても組織を成り立たせようという思想ですよね。

もちろん、そういった遊動的組織のほうが、「勉強」との親和性は高いでしょう。部品としての個人が組み合わさる官僚制的組織ではなく、それぞれが野心を持って全体のことを考えながらやりあっていく、言わば「ごろつきの集まり」のような遊動型組織のほうが、「勉強」の効果が発揮されやすい。組織論的に言えば、『勉強の哲学』で提示したことは、組織全体をそういった遊動的でノマド的な形態に変容させようという動きと、同じ方向を向いていると思います。

――とはいえ、遊動的組織になればすべてが解決する、というわけでもないですよね?

もちろんです。むしろ、遊動的組織であっても、結局は搾取の構造に行き着きます。「自由な組織形態」といっても、一つの会社であり、そこに利益を集中させたいことには変わらない。すると、外部に奴隷的な人々を生み出し、他の人から搾取せざるを得なくなります。組織内部の人たちは活き活きとするかもしれませんが、それが資本主義の搾取の一形態であることには、何も変わりはありません。近年注目されている「フリーミアムモデル」も、構造は同じです。儲けようとしないことで、逆説的に儲けようとしている。搾取の構造からは逃れられないんです。

とはいえ、依然として企業社会においては官僚制的組織が残っているので、それへの批判という観点では意義があると思います。搾取構造についても、「そう言われても、会社だから利益を出さなきゃいけないし…」というビジネスパーソンの苦労ももちろん分かりますが、僕はビジネスをやっているわけではないので、哲学者として勝手に原理的な話をしているだけです(笑)。

ソーシャルな剰余価値を搾取するビジネス形態は、もう限界 
――最後に、これからのビジネスパーソンが抜け出すべき固定観念とは何かお伺いしたいです。

「グローバル資本主義は今後も続く」という固定観念でしょうね。まったく別の経済圏について考えるなど、経済システムに対して原理的思考を巡らせることが、逆説的にビジネスの問題になってくると思いますよ。ブロックチェーンなど最近世間を賑わせているようなものは、その一つの実験でしょう。

もはや、「新しい価値をつくり出す」という発想はやめるべきです。現状のシステムに乗っかり、そこで新たに剰余価値を創出する手法は、もう耐用年数がきていると思いますね。僕がやっている哲学の研究に関しても同じことが言えて、「先行研究と差別化する」みたいな発想だと、新しいペットボトルのお茶を開発することと大差ないわけですよ(笑)。少し抹茶の粉を足しました、みたいなね(笑)。「新しい価値をつくり出す」はもう駄目で、かといって古いものをそのまま使えばよいというわけでもない。そこをいかにして考えていくかが今後の課題ですよね。

――過去にそういった原理的な変革が起こったことはあるのでしょうか?

たとえば、資本主義の発明はそれにあたりますよね。資本主義以前と以後ですべてが変わったわけですから。そのような人類史的切断がこれからも起きるのか、それとももう行き着くところまで行き着いてしまったのか、そういったことを真剣に考えるべき時期に差し掛かっていると思います。

こういうことを言うと、「夢見がちな革命論だ」「既存のシステムに乗っかっていかにうまく立ち振る舞うのかを考えるのが大人だ」といった反論をする人が出てきます。だけど、もうそんな段階じゃないと思うんですよ。現実を見たときに、「本当に他の可能性がないのか」をただ具体的に考えるべきであり、態度が「大人っぽい」「子どもっぽい」といったレベルの話ではないはずです。

――その固定観念から抜け出すために、個々のビジネスパーソンができることがあればお伺いしたいです。

手近なところから言えば、「ソーシャルな剰余価値を搾取する」ビジネス形態はもう限界なので、その先を考えることから始めるとよいでしょう。アメリカにおける「トランプ的なもの」と「リベラルなもの」の対立や、日本における右派と左派の対立といった政治状況も、「ソーシャルな価値の創造と搾取」というビジネス形態の耐用年数が過ぎていることと、綺麗に対応しています。それはたんにイデオロギー対立の問題ではなく、経済的に条件づけられている事態だと思うんです。

それくらい根本的に考えないと、ビジネス的にも大きいことはできないはずです。GoogleやFacebookは人類史を変えようとしていますが、究極のアヴァンギャルドなビジネスは、人類史をどう捉えるかに関わってきます。もちろん直感でそこにたどり着く人もいますが、よりしっかりと「人類」について考えていくためにも、人文学的な教養などをしっかりと「勉強」することが大切になってくるのではないでしょうか。

千葉雅也 
1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は哲学・表象文化論。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、『勉強の哲学——来たるべきバカのために』、『意味がない無意味』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で——偶然性の必然性についての試論』(共訳)など。
「頭のカタイ社会と、それに対する“脱”」という弁証法の限界

(記事引用)


記事参照

生き物本来の居方を取り戻す。舞踊家・田中泯に聞く「カラダ」
舞踊家・田中泯
https://corp.netprotections.com/thinkabout/2483/



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オンプ3







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平成生まれと「Eジェネレーション」(上)
NEXT MEDIA "Japan In-depth" 
2018年12月23日 11:18 林信吾(作家・ジャーナリスト)
・ヨーロッパで「Eジェネレーション」が注目されている。

・彼らは2次元のコミュニティーに帰属意識持ち「祖国」の意識は希薄。

・これからは何事も地球規模で考えていく必要がある。
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平成最後の年の瀬である。普段もっぱら西暦で年を数えているので、元号などあまり意識しないのだが、生きているうちに二度も改元を経験することになろうとは……それを思うと、やはり感慨深い。

平成生まれも、初期の世代は間もなく30代。今後彼らが、社会の中枢を占めて行くのであろうが、まあ私の目の黒いうちは、主導権は昭和世代のものだろう、などと考えたりもする。

海外では、王侯貴族が生き残っている国でも、わが国の元号のような制度はないので、当然ながら、世代についての呼称もまるで違う。わが国でも有名なところでは、英米のアングリー・ヤングメン(怒れる若者たち)がまず挙げられるだろうか。

実はこの呼び方、英国と米国ではニュアンスも実態も異なる。英国の場合、1940年代初期に生まれて、第2次世界大戦後の混乱の中で育ち、大英帝国の栄光など信じていない世代、と一般に定義されている。米国の場合はもう少し遅く、おおむね日本の団塊世代と同様、大戦後のベビーブーム世代で、物質的にはなに不自由なく育ったものの、もっとも多感なティーンエイジャーの頃、ベトナム戦争や国内の公民権運動に直面して問題意識に目覚め、反戦運動を大いに盛り上げた世代とされる。

そして近年、ヨーロッパでは「Eジェネレーション」と呼ばれる世代が注目されつつあるのだが、こちらは日本ではほとんど知られていない。言わばヨーロッパ統合の申し子で、どの年代を指すかについては諸説あるのだが、冷戦が終結した1989年以降に生まれた世代、との定義がもっとも一般的だ。だとすると、まったくの偶然ではあるが、わが国の「平成生まれ」と同じということになる(平成は、西暦で言うと1989年1月8日から)。

少し解説を加えておくと、冷戦終結後、フランス社会党はそれまでの社会主義国家建設路線から、ヨーロッパ統合へと大きく舵を切った。これに新生(統一)ドイツの社会民主主義勢力が共鳴し、現在のEU、そして統一通貨ユーロの誕生までの道を開いたわけだ。つまり、1989年以降に生まれた人たちをヨーロッパ統合の申し子と位置づけるのは、根拠のある話だと言える。

その「Eジェネレーション」と呼ばれる若い世代だが、第一の特徴として挙げられるのは、代々受け継がれてきた地元のコミュニティーよりも、インターネットなどでつながった、いわば二次元のコミュニティーに帰属意識を持つことであるという。

▲写真 Facebook Connections 出典:flickr(Michael Coghlan)
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考えてみれば、当然のことだ。冷戦の時代に、たとえばポーランドの大学生が英国での学究生活を夢見たとしよう。その夢を実現する手段は、事実上、亡命しかなかった。

今は、なにしろ国境があってないようなものであるから、ポーランドから英国へと生活の拠点を移すのは、単なる「引っ越し」に過ぎない。もちろんこれは、学生に限った話ではなく、多くの人が、より条件のよい働き口を求めて移民となり、海を越えていった。

これが、英国をEUから離脱させる大きな要因となった(最終的にどうなるか、まだ分からないが)ことは周知の事実だが、隣国アイルランドなど、同じカトリック国だという事情もあって、人口比で言うとより多くのポーランド系移民がいる。

首都ダブリンでは、200万に満たない人口のうち10万強をポーランド系が占め、アイルランド共和国全体で言うと、ポーランド語を母国語とする人の数(約50万人)が、アイルランド古来のゲール語を話せる人の数を、とっくに上回っているそうだ。これを、

「移民が伝統文化を破壊するというのは、事実なのだな」

と考えるか、

「国境がなくなるとは、具体的にはそういうことだろう」

と割り切るかは、人それぞれの価値観だろうとしか言いようがない。


▲写真 ダブリンの夜の街並み 出典:Photo by Trevah(Public Domain)

ひとつだけ、伝統文化とは別の問題を指摘しておくと、ここ数年、奨学金の踏み倒しが増えて、各国で問題視されている。ヨーロッパでも多くの国で、財政事情から奨学金には返済義務があるのだが、すでに述べたように、出生地と進学先、それに就職先がそれぞれ別の国、というケースが珍しくなくなってきているのに、奨学金のシステムは相変わらず国単位で運営されている。自国で奨学金を借りて別の国の大学で学び、さらに第三国で就職されたら、もはや取り立てもままならない。

もちろん、すべての奨学生がこのように非良心的なわけではないし、システムの方が時代に追いついていないのだ、と言えばそれまでなのだが。

この例でも分かるように、Eジェネレーションと称される、現代ヨーロッパの若者にとっては、仮に「祖国」があるとすれば(すでに述べたように、そうした意識自体が希薄になってきている)、EU全体だと言っても過言ではない。

この点、日本の平成生まれは、残念ながら少々「内向き」の傾向が強いように見受けられる。海外に留学したがらなくなり、世界中の情報がネットで得られると決め込んでいる。ただ、これも私見ではあるが、一部で言われているほど移民や在留外国人に対して非寛容でもないようだ。

たとえばコンビニに対する親和性は、我ら昭和世代よりずっと高く(なにしろ、生まれた時から身近にある)、そこで多くの外国人が働いているのが、もはや原風景なので、今さら違和感や反感など抱くこともない、ということではないだろうか。

世界的には冷戦終結以降、わが国では平成になってから、という言い方もできるわけだが、端的に言えば、人、物、カネ、そして情報が国境を越えて移動するのが当然、と言う傾向がますます強まった時代だと言える。そしてこの傾向は、後戻りすることはないであろう。

いつの時代も、歴史の流れというものを理解できない人はいるものなので、移民排斥運動などがなくなることもないだろうが、たとえば英国がどのような形でEUから離脱しようとも、移民を残らず追い出すことなど不可能なのだ。

これからはなにごとも、地球規模で考えないといけない。

(下に続く。)
(記事引用)


諜報力を制するものは世界を制す 「ファーウェイ包囲網」背景に、米が恐れる中国の技術
 中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)の孟晩舟副会長の逮捕をきっかけに、世界でファーウェイ製品を排除する動きが加速している。フランス、ドイツなどもアメリカの要請に追随した。

   この締め出しの背景には、アメリカの危機感があると言われている。

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ファーウェイ排除は日本の部品メーカーに大打撃

   米ネットメディアが暴露したホワイトハウスの内部文書には「中国は情報通信の世界において支配的な力を持つ悪質な存在であり、我々は敗れつつある」と書かれていたのだ。文書は、ファーウェイを名指しし、「アメリカは劣勢」と分析。「アメリカは未来の情報化時代に行けるか、サイバー攻撃被害の悪循環に陥るかの瀬戸際にいる」としている。

   締め出しの圧力が日本にかかれば、影響は計り知れない。ファーウェイ製品は日本との関わりが深いからだ。

   経済ジャーナリストの浦上早苗さんによると、「ファーフェイの液晶パネル、バッテリー、カメラセンサーなど、スマホ全体の半分は日本の部品。日本製の部品を使っていない機種はないと思います」と話す。

   日本の部品メーカーは、2017年は5000億円、2018年は6800億円規模で中国に輸出しており、ファーフェイは2020年までに日本での調達を今の2倍にする計画をしていた。排除の動きが広がれば、日本の部品メーカーは大打撃を受けることになる。

米国も中国同様に「国策企業」を目指す?

 スタジオでは、今や世界一と言われる中国のAI技術や、急成長を遂げるITの世界戦略に話が集中した。

   玉川徹(テレビ朝日解説委員)「中国の企業は国策と結びついている。そういう企業が世界全体に支配力を持つことは今までになかった」

   山口真由(弁護士)「徹底的に個人を立てるのがアメリカで、徹底的に個人を潰して効率を大事にするのが中国だと思っていた。でも実は今、アメリカも中国の方式を倣い、競争を排除して大きな企業を作ろうとしている。AI時代にはそれが効果的なのではないかと考え始めたのかもしれません。恐ろしいです」

   玉川「これからの覇権は、軍事ではないのかもしれない。情報技術や諜報力だとすれば、アメリカが中国を脅威に感じるのも分かります」
文   ピノコ | 似顔絵 池田マコト

(記事引用)






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