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米大統領訪日中に通商問題の合意ない見通し=茂木再生相
ロイター2019年05月25日 23:23 
[東京 25日 ロイター] - 茂木敏充経済再生相は25日夜、来日中のライトハイザー米通商代表部(USTR)代表と都内で日米通商交渉の閣僚協議を行った。終了後、茂木再生相は記者団に対し、27日の日米首脳会談において、通商交渉をめぐり部分的に合意することはないとの見通しを示した。この発言は、今回の日米首脳会談で通商問題での大筋合意や最終合意に至ることはない、との見通しを示したとみられる。

また、茂木再生相は、米国側から自動車数量規制や為替、環太平洋連携協定(TPP)の水準を上回る農産品での要求に関する議論は「なかった」と明言した。

一方、ライトハイザー代表は協議終了後、記者団からの質問には全く応じなかった。

閣僚協議は、25日午後7時過ぎから約2時間半行なわれた。茂木再生相は協議について「率直な意見交換ができた。双方の立場や考え方、理解はさらに深まった。現段階では、当然それぞれの立場が完全に一致しているわけでないが、そのギャップを埋めていくために、実務者協議の可能性も含め、さらに互い努力していくことで、ライトハイザー代表と一致した」と述べた。

トランプ大統領は27日に安倍晋三首相との首脳会談が予定されている。米側に早期合意への意欲が見られることに対し「お互い早期に合意を得るべく努力することで一致しているが、現段階で完全な一致ということでないので、なかなか27日の段階で合意する、一部について合意することにはならないと思っている」と語った。

トランプ政権は今年5月、輸入自動車に対する追加関税の発動決定の判断を180日間猶予すると同時に、輸入車が安全保障上の脅威とも言及している。この点に関し、この日の今日で話があったのかとの質問に対し、茂木再生相は、関連する話は出なかったと説明した。

トランプ大統領は25日午後に来日。羽田空港から東京都内の米大使公邸に向かい、日本の企業経営者らを招いた会合に出席した。

その会合でのあいさつで、トランプ大統領は日米貿易不均衡に関連し「もう少し公正な貿易関係にしてもらいたい」と述べた。

また、日米通商交渉の進ちょくでは「いくつかの合意を数カ月のうちに発表することを希望している」と表明した。

この会合には、トヨタ自動車<3116.T>の豊田章男社長やソフトバンクグループ<9984.T>の孫正義会長兼社長らが参加した。

*見出しと内容を更新しました。

(竹本能文、編集:田巻一彦)

(記事部分引用)


※国賓トランプの警備戒厳令並みのガード
茂原市の茂原カントリークラブの周辺警備はただごとではなかった。

YouTube 
















「Winny事件」
Winny事件、逮捕と無罪判決
同じファイル共有ソフトであるWinMXを利用した公衆送信権(送信可能化権)の侵害が横行し、著作権法違反で逮捕者も続出していた中で、匿名性が強化されたWinnyへ移行する利用者が後を絶たず、2003年11月にはWinnyを利用して著作物を送信した人物が逮捕された。
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これに影響される形で2004年5月10日、金子は著作権法違反幇助の疑いにより京都府警察に逮捕、5月31日に起訴された。裁判所での事件名は「著作権法違反幇助被告事件」。

弁護士の壇俊光ら「ウィニー弁護団」が、2ちゃんねるやサイトなどのネット上で呼びかけをすることで裁判費用を有志で募り、わずか3週間で1600万円を集めることに成功する。今でいう「クラウドファンディング」の先駆けであり、本件の問題が「イノベイターの活動を萎縮させ将来的に支障をきたす可能性がある」ことを、ネットユーザーらが懸念し本件に注目していた事が伺える。

2006年12月13日、京都地方裁判所(氷室眞裁判長)において罰金150万円(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡された。金子側は同日、大阪高等裁判所に控訴し、検察側も刑が軽すぎるとして控訴した。2009年10月8日に大阪高裁での控訴審(小倉正三裁判長)判決にて逆転無罪判決となり、21日に大阪高等検察庁は判決を不服として最高裁判所に上告。

2011年12月20日 最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は検察側の上告を棄却。無罪が確定した。

Winnyは元東京大学大学院情報理工学系研究科助手の金子勇によって2002年に開発が始まった。当時は既にNapsterやファイルローグなどのP2P型ファイル共有ソフトが存在していたが、多くはハイブリッド型であり、ファイル情報やノード情報を管理する中央サーバーが必要であった。
そして、ファイル共有ソフトを用いて不正なファイルが多くやりとりされていたことから、中央サーバーがたびたび著作権法違反で摘発されるという事件が起きていた。一方で、完全なP2Pネットワークとしては既にFreenetが存在したが性能が低く、広く使われるまでには至っていなかった。WinnyはこのFreenetのアイデアを元に実用的で、かつ中央サーバーを必要としない完全なP2Pネットワークを作ることを目的としていた。

金子は掲示板サイト2ちゃんねるのダウンロードソフト板に匿名で書き込みを行い、ユーザーとやりとりしながら開発を進めた。彼は最初の書き込み番号である「47」を名前として使用していたことから利用者からは「47氏」と呼ばれていた。当時の日本ではWinMXがP2Pファイル共有ソフトとして広く使われており、新しい共有ソフトはその後継を目指すという意味合いを込めて、MXの2文字をアルファベット順にそれぞれ1文字ずつ進めたWinNY(後にWinny)がソフトの名前として決まった。

2002年5月6日にベータ版が公開。以後、金子が著作権侵害行為幇助の疑いで逮捕されるまで開発が続いた。不正なファイルのやりとりをした使用者ではなく、技術の開発者を逮捕するという事件は世間の耳目を集めたが、後に裁判の結果、無罪が確定している(詳細は違法性の節を参照)。
なお、金子による最後のバージョンは逮捕前に公開された「Winny 2.0 Beta7.1」だが、第三者によるクラック版が開発・配布されている。金子は無罪が確定後もWinnyの開発に戻ることはなく、2013年に急性心筋梗塞にて死去。開発は事実上終了した。

ACCSの実態調査では、2006年6月調査でWinMXを初めて凌駕して国内最多の利用者率(主に利用している人が33.3%)となり、ネットエージェントの報道によると、2006年4月現在のユーザー数は44万人から53万人程度であるという。
(資料ウイキペディア)

NHKスペシャル 平成史(8)情報革命
ふたりの軌跡~ネットは何を変えたか
2019年4月28日(日) 午後9時00分(50分) 
シリーズ「平成史スクープドキュメント」エピローグとなる第8回は、インターネットによって激変した日本社会の姿を2人の先駆者の足跡から描き出す。ヤフーを日本一のインターネットサービスに押し上げた井上雅博氏と画期的なファイル共有ソフト・ウィニーを開発した金子勇氏。これまで語られることが殆どなかった2人の夢と挫折を通して、情報空間がさらに拡大していく次の時代の姿を照射していく。

NHKスペシャル 平成史スクープドキュメント第8回「情報革命 
ふたりの軌跡~インターネットは何を変えたか~」
壇俊光2019年04月24日 11:46
https://blogos.com/article/373056/
NHKスペシャルでWinny事件が取り上げられるらしい。
ヤフーと対比というのは、私には、予想がつかないところであるが、私にも取材があり、金子さんやWinny事件を思い出す良い機会となった。

正直、当時の私の目には1人のプログラム馬鹿の為に闘うという小さなものしか写っていなかったので、平成という時代で振り返られるような大きな事件なんて思っていなかったし、NHKというと弁護妨害してくる人くらいの認識だったので、NHKスペシャルで取り上げられるのはとても意外である。
この番組を通じて、彼の名誉が幾ばくかでも回復することを願っている。
平成にはインターネットの出現とともにネットワークに対する無知や誤解から生じた悲しい事件がたくさんあった。
令和という時代に生まれた人達が、ネットワーク社会を明るいものに導いてくれることを願っている。

金子勇氏の死を悼む。
2013年07月09日 07:55
企業法務戦士(id:FJneo1994)
21世紀初頭に「Winny」開発者として一躍“時の人”となったプログラマー・金子勇氏が、急性心筋梗塞により42歳という短い生涯を終えた、ということが報じられている・・・。

自分が、金子氏のお名前を聞いて思い出すもの、と言えば、2004年5月に逮捕されて以降、被疑者・被告人として法廷で闘ってこられたお姿のみ。それも、あくまで報道や壇弁護士のブログ等を通じて、間接的に伝え聞いたものでしかない。
「47氏」として某巨大掲示板上で活躍されていた姿を、自分がリアルタイムで目撃することはなかったし、今まさにあちこちのサイトで称えられている金子氏のプログラマーとしての才能だとか、“天才”たるゆえん、といったことについては、筆者の浅学無知さゆえ、どれだけ説明されても、本当の意味で理解することはできないだろう、と思う。
ただ、一つだけ言えることは、金子氏が文字通り「当事者」となったあの著作権法違反幇助事件は、日本の刑事訴訟の歴史に刻まれるものである、ということ。

そして、一審の京都地裁で「罰金刑」のみ、という判断が下されてもなお、金子氏があくまで「無罪」を求めて戦われたことが、最終的には、ソフトウェア開発者にも一定程度配慮した、あの最高裁判決を導くことにつながった、ということ。
金子氏ご自身は、2004年から2011年まで、技術者として脂の乗り切った7年間という歳月の多くを、法廷での戦いに費やすことになり、無罪確定後も、それと同じ時間を新たな開発に捧げることができないまま、この世を去らなければならなくなってしまったわけで、これはある種の“悲劇”とすら言えるのかもしれない。
ただ、あの最高裁判決が、近い将来、世の中のコンテンツ流通の在り方を劇的に変えるようなソフトウェアや画期的なサービスが世に現れた時に、“坊主憎けりゃ袈裟まで・・・”的な風潮で、安易に開発者に刑事責任追及の矛先を向けるような事態に歯止めをかけるための一つの材料になりうるものであることは間違いないわけで、そういった観点からも、金子氏の技術開発の世界に向けられた功績は、長く語り続けられていくべきもの、だと思うのである。
<過去の主な関連エントリー>

□最高裁判決後 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20111222/1324751384

□高裁判決 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20091010/1255263662

□地裁判決前 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20061013/1160675462
今は、心よりご冥福をお祈りしたい。
(記事引用)














スペインの左派ポピュリズム政党PODEMOS、チャベスからの資金提供が発覚して炎上。総選挙でも議席を失う
HARBOR BUSINESS Online 2019年4月29日 15時31分
 4月28日に行われたスペインの総選挙で、ポピュリズム左派政党ポデーモス(Podemos)は29議席を失い、第4位となった。 

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 その背景には、選挙に先立ち。同党がベネズエラのウーゴ・チャベス前大統領から同党の設立資金として7,168,090ユーロ(9億3200万円)が提供されていたことを証明する録音の内容が明るみになって現在スペインのメディアで話題になっていたことが少なからず影響していたと思われる。(参照:「El Confidencial」) 

 チャベスが資金提供した目的は、スペインでボリバル革命を喧伝し推進するための政党づくりであった。 

◆2016年から囁かれていた噂 

 チャベスが大統領の時に財務相を務めたラファエル・イセアがこの資金を提供したことを証明する書類に記載されているチャベス大統領と彼の署名が正真正銘であることを明らかにしたのである。が、その過程が彼と会見したスペイン国家警察官によって盗聴され、その録音内容が4月3日に電子紙『Moncloa.com』が他紙に先駆けて報じたのである。それは同時に電子紙『El Confidencial』の手にも渡っていた。 

 政党ポデーモスは2014年3月に設立されたが、その資金がベネズエラから出ていたという噂は2016年からあった。2017年11月のスペインの上院調査委員会に同党創設者のひとりファン・カルロス・モネデロが召喚されて、その時与党だった国民党のルイス・アズナール上院議員からこの事実を証明する核心をついた質問をモネデロは受けた。モネデロは勿論それを全面否定した。 

 ところが、今月になってその事実を明らかにする録音内容が冒頭で触れたように公にされたのである。その録音内容によると、2016年4月と5月にスペインから3人の国家警察官がニューヨークのスペイン領事館でチャベスが大統領の時にベネズエラの財務相だったラファエル・イセアと会見して冒頭で触れた資金が2008年にCEPS基金に支払われていたことがイセアによって確認されたのである。 

 イセア元財務相はチャベスから最も信頼された人物のひとりであったが、マドゥロ大統領の政権になると彼への信頼は崩れ、遂に彼は米国に亡命して米国麻薬取締局(DEA)の証人としてマドゥロ政権が麻薬の密売を行っていることを摘発するためにDEAに協力していた。だから、スペインの3人の国家警察官は亡命したイセアが在住しているニューヨークで会見したというわけである。(参照:「OK Diario」) 

◆法改正前なので外国からの献金も違法ではないが…… 

 イセアがCEPS基金に支払った理由は、この基金がラテンアメリカの左派政権に政治、経済、法律などについてアドバイスするコンサルタント組織として存在し、ポデーモスの創設者であるパブロ・イグレシアス(ポデーモス党首)、ファン・カルロス・モネデロ、イニィゴ・エレホンらがこの基金を介してチャベス政権のアドバイザーとして活動していたからであった。チャベスよりCEPS基金が受け取った資金をイグレシアスらがポデーモスの設立資金に充てたということなのである。 

 2015年6月までスペインの政党は外国の政府や企業からの献金を受け取ることは禁止されていた。しかし、仮に献金を受けても犯罪として問われることはなかった。しかし、同年7月から刑法の改正があり、政党の幹部が外国の政党や企業から10万ユーロ(1300万円)以上の献金を受けると懲役最高4年の刑が科せられることになったのである。ポデーモスの幹部のこの716万ユーロの献金はこの刑法改正前だったので犯罪にはならない。 

 しかし、スペインの財政経済犯罪班(UDEF)が動いたのは彼ら幹部がそれを受領した年度の所得申告に加えていたかどうかという疑いについて調査を始めたのである。(参照:「El Confidencial」) 

◆「炎上」の背後にポデーモス潰しの策略 

 では、なぜスペインからわざわざ警察官をニューヨークにまで派遣してポデーモスの設立資金の出どころを調査する必要があったのかという疑問が湧く。彼らを派遣することを決めたのは当時のスペイン内務相フォルヘ・フェルナンデス・ディアスであった。派遣の理由は、当時の政治情勢から2016年6月の総選挙でポデーモスが社会労働党を抜いて野党第一党になる可能性が出て来ていたからであった。ベネズエラのボリバル革命を推進しようとするポピュリズム政党が野党第一党になると国民党の選挙後の政権運営が非常に難しくなると同内務相は判断したようである。 

 そこで国家警察が掴んでいた716万ユーロを送金したと証明する書類にある署名がチャベスとイセアの正真正銘のものあるかを確かめにニューヨークに赴いたのであった。そうであれば、それを裏からマスコミにその情報を流してポデーモスへの国民からの支持を減少させようと図ったのである。 

 録音された内容からイセアは、当初その証拠書類の署名を彼本人のものか2016年4月の最初の会見では避けた。しかし、彼の家族がカラカスに在住してマドゥロ政権から抑圧されていることを懸念しているイセアに、警官は家族をアルゼンチン経由でスペインに亡命させてそれ以後偽名にして身元を分からないようにするということをイセアに提案するのであった。フェルナンデス・ディアス内務相もそれを了解しており、彼からラホイ首相にもそれが伝えられていると言及したのであった。 

 最初の会見からひと月経過した5月の2回目の会見でイセアは証拠書類にある彼の署名とチャベスの署名が正真正銘のものであると実証したのであった。また、今年4月4日のテレビ番組『Al Rojo Vivo』でのインタビューでもイセアはそれを実証したのであった。(参照:「El Confidencial」、「Moncloa.com」) 

◆ポデーモスの今後に立ち込める暗雲 

 当の2016年の選挙結果は国民党の勝利であったが、野党の社会労働党の540万票(85議席)に対し、ポデーモスは連携政党を加えて500万票(71議席)を獲得するという僅差となったのであった。(参照:「El Pais」) 

 国民党は137議席で過半数の176議席からは程遠い議席数となったが政権を維持することができた。しかし、そのあとこの選挙結果が昨年の内閣不信任案を可決させて社会労働党のサンチェス党首が首相になる要因を作った。勿論、この内閣不信任案にポデーモスは賛成したのが政権交代の主因となった。 

 しかし、4月28日の総選挙でポデーモスは71あった議席を29失い、42議席となった。逆に、極右のVOXが初の議席獲得となり大きく躍進するという結果になった。 

 この背景には、本記事で報じた事実と、反体制主義で社会で恵まれない人たちの味方を政策を掲げて躍進したにもかかわらず、創設者の一人で委員長のパブロ・イグレシアスは1年程前に富裕者が住んでいる別荘地に高級住宅を購入したことが明らかになったことなども少なからず影を落としているだろう。(参照:「The Guardian」) 

 彼が高級住宅を購入した時に離党した議員も僅かだがいた。しかし、このとき、多くの議員は彼の行為に内心反対しながらも議席欲しさに黙っているという方を選んだようだ。しかし、議席を減らし閣外協力をしていた社会労働党との連立も過半数を切る結果となった今、同党の行方に暗雲が立ち込めていることは想像に難くない。 

<文/白石和幸> 

しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身
(記事引用)

佐久間正英からの提言(前編)~日本人が海外のバンドに勝てない理由、これからの戦い方
mutants
 2013年11月19日 07:24
音楽プロデューサー、佐久間正英さんがブログで書かれた文章で、ショックを受けたのが2012年6月自身のブログにつづった『音楽家が音楽を諦める時』だ。
その投稿は、名プロデューサーの本音の告白として、内外で大きな反響と賛否両論を呼んだ。

佐久間正英 画像
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実際作品の制作予算が非常に少なくなり、かつて1500万の予算が普通だったのが、500万を切ってしまっている。「より良い音楽制作に挑めないのなら僕が音楽を続ける必然はあまり見あたらない」警鐘を鳴らした、あの時から1年半が経過した。
昨今はご自身の体調問題が大きく取り上げられた。今年同じく自身のブログで末期がんを公表。肝臓や脾臓にも転移している状況も発表し、9月には脳腫瘍の手術を受けたことも明らかにし、闘病生活を続けつつも、日常どおりプロデュースやライヴ活動なども精力的にこなしている。
そんな佐久間さんに改めてご自身の現状や、日本の音楽シーンの現状、そして自ら長きに渡る活動の中で感じとった海外の音楽との壁、そして日本の音楽シーンが今後進むべき道を伺った。

BOOWYの登場で日本のロックは海外と全く別物になってしまった
鈴木:僕らの世代からすると、今のバンドが殆ど海外の音楽からの影響を受けなくなっている。そこらへんの起因はどのようなものがあると思いますか?

佐久間:そうですね。僕もそのことがずっと不思議で、時代的にBOOWYの時代、日本のロックが主流になって以降ずっとそうで、確かに日本のロックと海外のロックは全く別物になってしまいました。

鈴木:BOOWYやミスチルの功罪というか、今若いバンドが影響を受けるのが大体この2バンドとかGLAY 、彼らはこれらのバンドのルーツを掘ることをしない。「どうして氷室さんが影響を受けたアーティストまでいかないのか?」広義でいうルーツミュージックに辿りつかなくなっている。

佐久間:情報が無かった故に見えた部分と、情報が多いから偏ってしまう、この両方があると思います。パンクならTHE BLUE HEARTSにしても、本人たちはブルーズの影響が根底にあって、たまたま日本語で歌ったらああいう歌になっただけで、後から影響を受けた世代が過剰に神様に祀り上げてしまっている部分もあるんじゃないでしょうかね。
日本のロックが海外の音と別になった背景について、知り合いには佐久間さんがA級戦犯だと言われまして(笑)。あともう一つ最近、北関東の田舎に住み始めて気づいたことなのですけど、日本特有のヤンキー文化の影響というのが大きい。ドメスティックなものになった理由や海外のものを取り入れない風土、あの独特の強さを強調する部分が、海外の感覚からずれちゃっている。こんなこと全然考えたことが無かったんですけど、最近になってよくよく考えると整合性がとれるんです。

鈴木:EXILEとかもその系譜に入りますよね。確かに海外のR&Bとはかなり違った形になっている。よく言われる「日本のヒップホップが上の世代にはちっともかっこよく聴こえない」というのも、僕らの世代的に70年代の日本語のロックはかっこよくないと言われた葛藤と全く同じ状況にあるような気もしますね。
ボブ・ディランが出て来て、1969年のウッドストックの時点で日本語がロックに合う、合わないという議論があって、実際はその頃から、日本のロックと海外の音は明らかに違って
いた。

四人囃子がピンク・フロイド、プラスチックスがトーキング・ヘッズになれなかった理由がある
佐久間:そういう意味では例えば自分がやっていた四人囃子がピンク・フロイドになれなかった理由、プラスチックスがB52’sやトーキング・へッズになれなかった明確な理由があるんじゃないかなと思っていて、最近になって、その乗り越えられない何かが「日本と向こうのモノを大きく隔てていた原因」じゃないかと考えるようになりました。

鈴木:それって何なのでしょうか?

佐久間:当事者としても実に難しいのですよ。プラスチックスの後期に、僕がB52sに入る、トーキングヘッズに入るということは出来たかもしれないけど、でもプラスチックスが彼らのようになれたか?というと絶対になれなかったと思うんです。実際、アメリカや欧州のニューウェーヴシーンで、プラスチックスはそれなりに人気もあったし成功もできたと思うけど、やり続けてもああはなれなかった筈です。彼らに比べると非常に脆弱というか、B52’sはメンバーが60歳を越えている今でも全米ツアーをやっているけど、プラスチックスがそこまで長くやる基本体力とか、悪い言い方をすると、そこまでバカになれないだろうと(笑)そんな差があると思うんです。四人囃子にしてもある時期はピンク・フロイドに引けをとらない演奏能力があったと思うけど、しかしあそこまで行けない弱さみたいなのがやはり抜けない。

鈴木:その反面YMOが世界的に成功した前例もある訳ですけど

佐久間:ただ、YMOに関しては、あくまで商業的なやり方であって、リアルタイムで見ていた立場だと、日本のレコード会社のお金を投資して、ライヴを成功させて名前出して、最終的に日本で成功してという。あくまで方法なのですけど、広義で世界的な成功というのとは少し違っていて、クラフトワーク級になれたか?といえばそうではない。
プラスチックスは本当に自力でアメリカに渡って、向こうのマネージメントとやっていてライヴも地元のファンで埋まって、その時期は日本で一切力を入れることが出来なかった、そこは違いではあると思います。

鈴木:それでも昔より遥かに日本の文化として理解されるようにはなったと思いますけど、
これからのバンドが海外で成功するには?術というのはありますか?

佐久間:文化といえば難しくなってしまうけど、今、結構向こうで成功している日本のバンドもいて、彼らはもの凄くインディペンデントな動きをして成功している気がするんですよね。逆に今、何らかのお金をかけ、売ろうと裏でやると無理な感じがする。本人達だけで自力で頑張ってアメリカツアーをこなしてやっていくと、可能性はあると思う
やはりレコード会社に頼ったら難しい、未だに無駄な制約みたいなことが多すぎて、ミュージシャンが自由に動けない点などは構造的な問題のような気がする。

海外デビューする日本のバンドが世界で成功するには? 日本のメーカーは国内だけやるべき
鈴木:あとレコード契約という意味では日本のメーカーは日本の国内だけでやって、海外は海外に任せた方がいいということですね。構造的な問題といえば、今全世界でアナログ盤の売上げが30%以上上がっている、この現状も含めて「レコード・ストア・デイ・ジャパン」(*注)を昨年本格的にスタートしているのですが、この現象を新たな音楽文化として見据えるメーカーが殆どない。海外でアナログレコードが売れていることすら知らない人が現場に多いのが現状です。実際は日本でもレコード針の注文が年々、増えているという現実もあるのですが。多くのレコード会社は定額制=サブスクリプションの議論を未だにしている状態。ただ、聴き放題サービスもまだ海外の売上げ増収になるような成功が無いまま今日に至っている訳で、日本の場合、聴き側としても5000万曲用意したとしても、何を聴いていいか判らなくなるみたいな状況ですよね。

佐久間:普段、本を読まない人が大きな本屋に行って呆然とするみたいな感じですね。

鈴木:売れなくなってきた理由は聴き手が音楽文化から離れている、聴くべき音楽が無いという意見もあるし、ミュージックソムリエとしてはそれを断ち切りたいとは思っています。

エレキギターを超える革新は未だに生まれていない
佐久間:新しい音楽形態というのが生まれなくなってしまったのもあるでしょう。ロックも半世紀、大きな流れが変わったのだけど、その後がなくて、聴くべき音楽はビートルズ、ストーンズを聴いてれば全て済んじゃう。その延長を聴く必要もないので、新しい音楽の必然は薄れていく。それに昔と違ってネットで幾らでも古いものが自由に聴けるので、新しいものを聴く必然性が無く、新しいミュージシャンが例え育っていても、目の行きようがなく埋もれてしまうってこともあるかと思う。

鈴木:その意味ではボカロっていうのは新たな意味を見出す可能性はあると思うのですが?

佐久間:ボカロは自分でもやっていますけど、僕はまだ大きな可能性は感じてなくて、あくまで遊びの延長戦上なのかなと。ボカロがどんどん技術的に進んで行くと可能性はありますけど、今のように一社でやっている状態ではまだ駄目で、競合があって研ぎ澄まされて始めて技術として成功していくものだと思うし。やはりキャラクターを前面に出した形でやっている状況では、あくまでも遊び範疇で捉えられ、本当の音楽ツールとして使えるところまではまだまだ行かない。もっと人間の体をシュミュレートしてこういう体形でこういうサイズの女の人とかと、モデリングをして声を出しリアルタイムで動かせる、ここまで来ると使い道は変わってくるでしょう。あと別の道としては、医療分野というか、声を出せない人が歌えるようになるとか、そういう部分で期待しているのですが、まだ発展途上の状態から抜けられていない。ただ作家や音楽を楽しむ人たちにとっては「歌ってくれる娘が出来た」という意味では意味がありますが、あくまでその段階でしかないかなと思います。

鈴木:音的には2000年代のデジタルロック以降はほぼ音楽の進化は止まったと考えてもいいでしょうかね。

佐久間:私個人としてはエレキギター以降、新しいものは出ていないと思っています。シンセサイザーの登場もエポックメイキングではなくてギターのエフェクターが進化した位のレベルの話で、エレキギターの登場でバックボーンになったことのような変化に比べると小さい事。ポストエレキみたいなものがどうなっていくか?これは非常に難しくてマンマシン・インターフェイスという意味ではシンセはギターほど成功できてない。キーボードの形態から抜けられず、色々なものは試作されているけど現状の開発の歴史上は上手くいってない。僕も色々考えてみたけど、肉体的な衝動をどう具現化するか?というところでシンセはギターに適わないんですよ。画期的なやり方で音をコントロールするものが出てくれば、ひょっとしたら新しいものが生まれる切っ掛けになるかもしれないですけどね。

歌を修正することに抵抗はない ただそもそもの目的を忘れないで使えばいいと思う
鈴木:いい作品が出なくなっている現状を考えると、レコーディングに緊張感が無くなったというのは個人的に感じているところです。今はデータを飛ばしてスカイプで会話しながらレコーディングしたり、レコーディングスタジオで生まれるコミュニケーションが無くなったのも大きいかなと。

佐久間:僕は、その点についてはやりかた次第で道具が便利な方がいいと思う派ですね。ただ道具であるからちゃんと使えるものをちゃんと使う。便利になるとちゃんと追求する人が減ってしまう、たぶん先ほど話しに出たボカロとかもどこまでも追求すれば面白いだろうけど、そこまでやらなくても出来ちゃうんで、中々深いところまで行けない。

鈴木:逆にピッチとかはピッタシにならないと駄目みたいな風潮もあって、例えば今のK-popの制作現場だと、バラバラのサウンドを日本のエンジニアがタイミングやらピッチやらを細部まで丁寧に直して、それをアメリカでトラックダウンして製品化するという工程で、僕はこれはとても音楽を作る作業とは思えないんですが。

佐久間:僕は余り抵抗ないんですよ。それも一つのやり方でいいし、逆に直さない音楽もいいと思うし。僕の場合、70年代からアイドルの歌を直すのもやっている部分もあるからかもしれないけど。ピッチを直すのは、音楽的な矛盾を排除する作業で、やり方によっては、詰まらない音に聞こえることもあるし、凄くいい音になることもある。
そもそも何で直すかというと、歌い手のエモーションを残したいというのもあり、たまたまその録音で部分的に音程が外れたから直せばいいじゃんという発想で、そもそもの目的を皆が忘れないで使えばいいと思うんです。

(記事引用)


音楽プロデューサー・佐久間正英氏が語る(後編)
「音楽業界の危機的状況」 - BLOGOS編集部
https://news.livedoor.com/article/detail/22254212/
2022年3月30日 0時0分 BLOGOS
※この記事は2012年06月28日にBLOGOSで公開されたものです
佐久間正英氏。(撮影:田野幸伸) 写真一覧
BOØWY、JUDY AND MARY、GLAY、THE BLUE HEARTS、黒夢、くるりなど、数多くのミュージシャンのプロデュースを手がけてきた音楽プロデューサー・佐久間正英氏。音楽業界で長年ビジネスと制作の両面で活躍してきた佐久間氏が自身のFacebook・ブログ連続でアップした「音楽家が音楽を諦める時」「昨夜の投稿の追加文」「音楽における音情報」の3エントリが大きな話題を呼んだ。ビジネスとアートをどう両立させるのか、そして、日本の音楽家や音楽業界が抱える問題について、佐久間氏に話を聞くことができた。
【編集部 大谷広太・田野幸伸】

プロデューサーとして感じる”危惧”
-音楽に携わる方には、作詞・作曲家、プロデューサー、レコーディングのエンジニアなど、最終的にパッケージとしてリスナーに届くまでに、多くの職種や役割の方の手を経ていると思います。また、それぞれのお仕事に、ビジネスサイドとアーティストサイドの二軸のスタンスやアプローチがあると思います。
佐久間さんご自身は、作曲者やバンドのメンバーとしてではなく、プロデューサーとしては、どのようなスタンスでお仕事をなさっているのでしょうか。

佐久間氏:漠然としていて、語弊があるんですけど、要は、「いい音楽」を作る、「いい音楽」にしたいということです。

プロデュースという仕事だけに関して言えば、それは、僕にとっての「いい音楽」ではないんです。アーティストにとっての「いい音楽」を作るのが僕の仕事です。だから僕の仕事は、そのバンドをより良くしたい、その舞台をより良くしたい、より良い作品を作りたいというところだけですね。

-曲を作った人やバンドが、何をどのようにアウトプットして、リスナーに届けたいかという、”音の理想像”みたいなもの、”表現したいこと”を形にすると。

佐久間氏:はい。それをどう引っ張り出して、どう整合性を取るか。プロデュースというのは、建築に例えて言えば、現場監督なんです。全体像を見ることができて、図面が読めて。最終的にはネジの1つも落っこちてないようにした上で、引き渡せるようにすると。だから、設計士ではないし、大工でもない。曲に口を出したり、実際に楽器を演奏することで、その”設計”や”大工”の仕事を手伝うときもあるけど。

僕の様なプロデューサーの仕事は、その建物に自分の思い入れを入れ込む、自分はこういう部材を使ったほうがいいと思うとかって口出すことではなくて、設計士から相談を受けた時に初めて、僕だったらこれを使いますね、と言う。そういう仕事なんです。

-今回の佐久間さんのエントリは、どちらかというとアーティストサイドの立場でのお話しのように読んだのですが、反応は、大きく2つあったのではないかと思います。


ひとつは、多額の制作コストがかかっているにもかかわらず、商品は売れないというこの状況に、もっと早く気付いて諦めたらいいのに、という批判です。

そしてもうひとつは、初音ミクを使って、「ボーカロイド作曲・アレンジ講座」を開講したり、ウェブ上で無料で音楽を発表したりと、制作とビジネスの両面で新しい領域に積極的に取り組んでいた、その佐久間さんが「諦める」と書いたことに衝撃を受けたという意見。これは佐久間さんの活動を知っていないとわからないことではありますが…。

佐久間氏:僕はあくまで文化の話として危惧があって、このままだと日本の音楽文化はもっとだめになっちゃうぞ、という話として書いたものです。だから「音楽家が音楽を諦める時」は、ビジネスとしてではなくて、この先、日本の音楽をもっとよくしていくことを諦めなくてはいけないと。そういう意味の”諦める”というニュアンスだったんですね。

だから批判の意見を読んだときに違和感を感じて。よく考えてみたらあの文章を音楽ビジネスの話だと捉えた方も多かったのです。音楽文化の話しだったのですが。

コストの話も誤解を生んだ一因だった様ですが、今は特にコストをかけなくてももちろん制作は出来るわけですし、いかにコストかけないかということも制作者としては大事なことです。

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いい環境でやらない限り気付けないことがある
-やっぱり仕事をするからにはいい仕事をしたい、納得する仕事をしたい、という部分は、音楽業界に携わっていなくても、みなさん共感していただける部分なのかなと思います。だからこそ、やはりこのままでは、先ほどの”理想像”をどんどん実現させるのが難しくなってしまうという実感の中で「この状況を諦めるか」と書いたと。

佐久間氏:それなりの手法があるので出来るのですが、僕の言うのは音楽の文化としての継承や、発展ですよね。例えば、アメリカでもヨーロッパでも、音楽業界の状況は似たようなものだと思うんですけど、音楽をやってきた歴史と背景があまりにも違います。だから今でも向こうのバンドはほっといてもいいことができる。それはお金の問題ではない。

-具体的にはどのような点で違いますか?

佐久間氏:例えば演奏力です。

すでにプロとしてデビューしているバンドならば、認められた実績があるわけで、一定の演奏力、表現力はありますよね。それでもとても足りない部分があるんですよ。それをレコーディングなどを通して、いろんなことを教えていく。

そうするとバンドっていうのは一気に伸びていくんです。レコーディングは、アルバムだったら1ヶ月くらいはかかる。で、その1ヶ月の時間の中にたくさん話すこともできるし、教えることもできる。でも、それが実際には、今のようにコストがかけられなくなると、アルバム1枚を3日で作るとか、5日で作ることになる。その3日の付き合いの中で、どれだけのことを教えられるか、どれだけの関係性を作り上げられるかと言ったら、それはとてもむずかしいですよ。

実はもっといいものが出来るかもしれないし。せっかくいい才能を感じていても、その上澄みくらいまでしか引っ張り出せない。そういうことへの危惧なんです。

僕らみたいなプロが今まで培ってきた歴史、得てきたノウハウが活かされなくなって、若い子たちがどうやって作ったらいいか分かんなくなってしまうことはもったいないことだなと。

ロックバンドの話で言えば、せっかく才能のある、優れている人たちでもアマチュアバンドのまま止まっちゃいます。

録音っていうのは、エンジニア的な、テクニカルな話だけではなくて、楽器を選ぶ、良い楽器と良くない楽器の違いを知ることも重要です。例えば若いバンドをプロデュースしていると、彼らは良い楽器を持ってないわけですよ。そういう子たちに良い楽器を貸したり直してあげたりすると。「こんなに弾きやすかったんだ」って初めて知るわけです。それは経験しないと分からないですよ。初めて良い楽器を手にして、良いアンプで鳴らし、いいスタジオでいい録音状態で聴いて、俺の弾くギターっていうのはこういう音がするのか、とわかる。

それをやらせてあげられる環境がなくなっちゃうと、本当にプレイヤーが育たなくなってしまう。些細なことだけれども一番大事な音楽を作り出す時点のスタート。例えば、ギターのピック1枚、種類を変えるだけで音は全然変わるわけです。あるいは電源ケーブルを変えるだけでも音が変わる。そういうことを伝えて行けなくなる。

でも、その違いに気づけないわけなんですよ。いい環境でやらない限り。そのノウハウというか、音楽の捉え方みたいなものを含めて、伝えにくくなってしまった。

-聴いている側としては、いや、別にそれでもいいんだよ、と言う方もいらっしゃるかもしれないですよね。

佐久間氏:それはそういう文化が育ってしまったということですよね。今回の僕のエントリへの反応を見ていると、昔の音楽は良かったとか、昔のバンドは良かった、みたいな意見も多かった。それはまさにそういうことかなと。音楽が良くなれば、音楽を聴かなくなるってことはないと思う。僕は、ボーカロイドには批判的ではないんですけど。つまらないからみんな、人が歌っているのより、ボーカロイドがよっぽどいいや、ってなっちゃうんです。

そこに関しては、アメリカは圧倒的な歴史や知識の世代間の積み重ねがあります。例えば、僕の親の世代である80から90歳の年代が、ジャズを聴いて踊っていた世代。でも、その世代の日本人は、ほとんどそんな音楽は聴いたことがない。日本では僕らの世代が見様見真似でやっと始まったようなものですから。

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日本の音楽業界の問題点
-ツイートを拝見していまして、違法ダウンロードの刑事罰化も、巡り巡ると表現する人たちにとっても、いい結果をもたらさないということをおっしゃっていました。

佐久間氏:表現をする人たちの”自由”を保証するように法を改正していかないと。今は自由じゃないんですよ。

例えば、仮に音楽をウェブで売ろうとした時に、自分で作った曲であっても権利登録されていたらできないわけですよ。あるいはどこかのレコード会社で作っちゃっていたものも、もうできない。曲なんて資産ですよね。そうやって縛るのではなく、煩雑な手続きもなく有効活用できる、もっとオープンな方向な音楽シーンというか、環境に向かわないとさらに衰退するんじゃないかなと思う。

-海外はエンターテインメントビジネスが日本に比べて非常に発達している印象があるのですが、アーティストとレコード会社との契約や業界の慣習など、海外と日本で違う点にはどのようなところがあるのでしょうか。

佐久間氏: 僕は80年代にPLASTICSというバンドをやっていて、海外ではラフ・トレード・レコード(Rough Trade Records)、アイランド・レコード(Island Records)というレコード会社から出したりしているんですけど、レコード会社の体質とか、やり方っていうのが全く違うんです。

当時のアイランド・レコードは、世界でも大ヒットを沢山飛ばしていましたが、ちっちゃな建物でした。しかも人数もそんなにいない。壁には大きな模造紙を貼って、手書きで各バンドのスケジュールなどを書いている。ラフ・トレード・レコードでは社員が自分たちで箱詰めをして、1階からトラックで積んで出荷すると。そんなやり方です。はじめから考え方や規模が違って。日本のレコード産業の構造的な問題はそこらへんだと思います。

-音楽に対する考え方とか目的みたいなものがちょっと違うと感じたのでしょうか。

佐久間氏:そうですね。音楽への真剣さを感じました。僕が初めてラフ・トレードの社長に会いに行き、社長室に入って行った時に、名前を言う前に、「お前、PLASTICSだな」と言われた。PLASTICSはラフ・トレード・レコードからは1枚しか出していないし、会いに行ったのは発売後10年近く経ってからのことです。

社長が、たった一枚しか出していないアーティストのことも分かる。「あれよかった」と、音楽の話ができる。ビジネスに対する真面目さがあまりにも違うなと感じました。

アイランド・レコードでPLASTICSでアメリカを回っていた時に、各地方ごとに営業の担当が来るんです。彼らは、初対面の時にもちろんバンドの全員の名前がわかる。で、「今回のを聴いたけど、あれは前のバージョンのほうが好きだった」とか、そういう話までちゃんと出来るんです。

日本では地方にプロモーションに行くとラジオ局を回ったりして最後はご接待、となるわけですが、この人は僕らの音楽を聴いたことがあるのかっていう人がたくさんいるわけです。引き連れるコースのことしか考えていない。

通常の商売では、当たり前のことですが、自分のところの商品を触ったこともないやつが商品を売れるわけがない。でも、そういう普通では無いことがずっとまかり通ってしまったのが、日本の音楽業界なんです。

-音楽業界にいる人たちが、自分で実際にCDを買ったりしてないんじゃないのだろうかというような批判もあります。

佐久間氏:そんなことはないと思います。擁護するわけではないんですけど、レコード会社でやっている人は音楽は好きですよ。ただ音楽を商品として扱える知識がないですね。売上を伸ばすための宣伝方法とかそういう知識はあるのですが、商品自体に対する知識があまりにもないんじゃないかなと。

知識があるとしても、アーティストのキャラクターとか、こいつはこういうやつだとか、こいつはこういう曲を作るやつだとか、その範囲にとどまっている感じがするんです。商品のこの部品の、ここを変えればもっとよくなるんじゃないか、ということを考えられる人がほとんどいない。そういう部分は全部プロデューサーとかに丸投げしてしまっている。

もちろん、たまにとても優れた方もいたりするんですけど、この人は優れているなと思ってた人は、だいたい社長とかになっちゃうんですけど(笑)。

商業的な部分での音楽の作り方だけを見ていても、例えばアイドルでは、まともに歌ったこともない子をオーディションで集めて、その中でルックスがよくて歌がマシな子を選んでやる、で、売る、何万枚売れたでよしとしている。

韓国のシーンを見ていると、アーティストを見つけるためにすごく真剣な努力をしていて、一番才能のある子を何年もかけて育て上げる。日本向けに出そうとしている子には、デビュー前に日本語を徹底的に勉強させる、1年くらい日本に住ませることもある。そこまでお金を投資して初めてデビューさせるんです。日本のアイドルのクオリティでかなうわけがないんですよ。

例えば楽曲にしても、日本では何人かの作曲家に依頼したとしても選ぶのはディレクターとか事務所社長とか、言ってしまえば音楽をあまりよく分かっていない人だったりするみたいですが韓国での話を聞くと、今回はスウェーデンのグループの曲を、という具合に、世界中に発注して集めている。そういうレベルで対応している。

ビジネスの仕方も、印象ではアメリカのビジネスのやり方と近い。僕が会った方も、日本の音楽業界の人とはまるでスピードが違うんですね。話していて、「気に入った、分かった、じゃあすぐ契約しよう」、「契約のドラフトはどういうふうに作ろう」と、初対面の場で出たことがあります。すごくびっくりしました。日本だったら、「ではこの話は会社に持ち帰って、社内で協議します」となる。それからドラフトを作成、そして3ヶ月後にという話になると思うんです。

-日本のアーティストがアジアに行って人気が出ていると報道は良く目にしますが、知らない間にアジアに負けてしまっていると。

佐久間氏:かなりの部分で負けているとは思いますね。アジアで音楽祭があっても、最近では日本のアイドルが呼ばれる数は圧倒的に少ないですから。数年前だったら、もっとたくさん呼ばれていました。

シンガポールもまだ発展途上な段階なんですけど、これからやっていくのにどの国とタッグを組むかという話になっても、初めから相手として日本は考えていないと言うんです。日本の音楽レベルには興味がないと言われているような気がしました。

アジアの中では、ロックバンドに関しては唯一日本にも活路があるのかなと思いますが、正直に言って、それも時間の問題かなという気がしてます。今のやり方をしていると、聖飢魔IIであれ、GLAYであれ、B’zであれ、せっかくあのレベルまで持ってきたものがもう育たないだろうなという感じがしています。

東京・中目黒にある青葉台スタジオ。ここで数々の名盤が録音されています。 写真一覧

「違法DL刑事罰化」の議論もいずれ笑い話に
-編集部の私達は30歳前後ですので、記録媒体としてはCDが主流の世代です。リスナーとしては、配信が主流になって、音楽自体はデータになってしまったので、ジャケットやブックレットへの思い入れや、それが棚に並んでいたりすることがなくなってしまったことを少し寂しく感じたりもします。今回のエントリの反応の中にも、CDから配信になったことに触れた意見がありました。

佐久間氏:それは過渡期現象であって、例えば、アナログ盤からCDになっていく時に、ジャケットが小さいのじゃアートは表現できない、ジャケットはあのサイズが楽しかった、そういう意見はありました。

ダウンロードなんてのも一過性のもので、あんな面倒くさいことをしたくないわけですよ。昔の人はFMでエア・チェックして、で、それを楽しみにしたんですけど、それは音楽を聴きながらだから楽しめる。ダウンロードっていうのは音楽を聴いていないから、楽しいことでもなんでもなくて面倒くさい。

もっとインフラが整備されて転送・通信速度が上がれば、ダウンロードではなく、ストリーミングに向かって行くと思うんです。

ダウンロードっていうのは個人間のやりとりくらいになると思うんですよ。そういう場合でもほとんど、Dropboxに象徴されるようにPCの中にたくさんのデータを入れておくような時代は遅かれ早かれなくなるのかなと思います。

そうすれば権利も含めて管理もしやすくなるし、違法ダウンロードだのなんだのって今言っているのがナンセンスな課題だったねって、笑い話に必ずなるんじゃないかと思うんですよ。

-データがどこにあるかの問題ではなくなりますからね。

アナログからCDになって音が悪いとか、CDからMP3になって音が悪いとかっていうのも、全てインフラの未整備とか、そういう技術的な問題だと思うんです。過渡期現象における貧困な感じです。

例えば、わざわざMP3にコンバートしちゃうのはデータ転送速度が遅いからなんだけど、音楽を作っている現場では、もっと高いレートでやっている。それをそのまま出せればいいんですけど、インフラがよくなれば必ずいい音の配信になる。しかも、いずれは必ずCDよりもいい音で配信できる。

デジタル化していくという問題は、実は技術の発達の問題だと思うんですよ。僕は今DSD(Direct Stream Digital)と言う方式でやっているのですが、本当は全てDSDに向かうべきだと思いますよ。まだ転送速度の問題だとか技術的にまだ現実化できないだけで。

-いずれ、本当の生演奏に近い音で聴ける日が。

佐久間氏:必ずくる。僕らが音楽を作っている。それをミキシングの人がDSDにする。ミックスしてDSDに落としたものをDSDプレイヤーを持っている人が聴けば、全く同じ音を聴ける。DSDっていうのは距離感から何からそのまま入るので。

-最初の話に戻りますが(笑)、そうなると、やはり佐久間さんがご自身のエントリで問題提起された、スタジオの”職人”の技術は、むしろこの先必要になってくるわけですね。

佐久間氏:とても大事なんですよね。

-そうすると、せっかく、もうすぐとてもいい音で聴けるような環境になる手前に、そこで文化が途絶えてしまって…

佐久間氏:特に日本の場合はそうなる。

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今のうちに何とかしないと手遅れになる
-これから音楽に触れることになるような子どもたちにとっては、いい時代なんでしょうか。そうではないのでしょうか。

佐久間氏:いや、音楽を始めるには、どの時代も、いい時代も悪い時代もないと思いますね。ただ、僕の若い頃に比べて、今は情報が簡単に入る分ラッキーですが、その分、勘違いしやすいという面ではアンラッキー。でもそれは、情報を整理して、どう自分のものにしていくか、それも含めて個人の力量だから、それでダメならどうやってもダメなわけで。同じ時代を同じところで生きていても伸びる子はすごくなるわけです。

総じて良くなることなんてあり得なくて、抜きん出た子も抜きん出方がどうかっていう。今は抜きん出方のピークが小さいなと。相対的にレベルをあげるなんて言うのは無理ですね。

-たしかに、情報量が多すぎて、どれを聴いていていいのか分からないっていうのがあるのかもしれないですね。

佐久間氏:例えば、インディーズの音源をダウンロードできるサイトにいっても、たくさんありすぎて、片っ端から聴いて好きなのを探せと言われても、探しようもない。じゃあ、いいや、買わないや、ってなっちゃうんです。

そういう意味で、A&R(編集部注:アーティストや、アーティストに合った楽曲の発掘や育成、契約を行う職種。)の役割は今までよりも、さらに重要になってきていると思うんです。レコード会社でそういうノウハウを持っていた人が、レコード会社がだめになったからってやめちゃわないで、そのせっかくのノウハウをそういうところにどんどん活かすことができるシステムができていくといいなとは思うんです。

-逆に、大ヒット、ミリオンセラーが出なくなったという話があります。

佐久間氏:ミリオンなんて出なくなるに決まっているんですよ。僕の考えを言えば、ミリオンが出るような時代っていうのは、みんなが共通の情報を持ちたい時ですよね。あの子が聴いているから私も、みたいな。そういう時期なだけで、それが個に向かった時代には絶対ミリオンは存在しない。100万枚売れるアーティストが1組出るより、1万枚売れるアーティストが100組出たほうが文化的には正しいと思う。

-好みが細分化されているというということは、それぞれのジャンルで、チャンスがあるということも言えますよね。

佐久間氏:そうだと思う。ただ、いつの間にか気付いたら1万枚売れるのが100組ではなくて、100枚しか売れないアーティストが1万組になっちゃったっていうのが今の状況ですよね。

-“表現”と”娯楽”の両立が難しくなっているということはありますか?

佐久間氏:実際には、ちゃんと表現できていればそれがエンターテインメントになる。半端だからエンターテインメントにはならないっていうだけだと思うんですけど。

-以前、坂本龍一さんが、CDが売れない現状について、これからはパッケージされたアウトプットより、ライブパフォーマンスにも注力したほうがいいんじゃないかという主旨の発言をされたことがありました。

佐久間氏:収入のバランスをとるには、今ビジュアル系の人たちがやっているような形が一番いいとは思います。ライブとグッズで。CDはおまけに近いようなスタイル。それでリクープすればいいっていう考えがある気がします。

でも僕はそうではないだろうなって思うんですよ。ライブを見られるのは僅かな人々と少しの時間です。実際には多くの人はヘッドホンで音楽を聴き、家で音楽を流し、ということをやっている。もし新しい録音物が作れなくなってしまったら、みんな昔のものしか聴けなくなってしまう。

-最近では、握手券目的で大量のAKB48のCDが購入され、そして捨てられている、ということについての議論がありました。CDの中に入っている、音楽を作っている人々からしたら、どういう思いなんでしょうか。

佐久間氏:あれは、捨てられようが何をされようが、あの”パッケージ”が売れることが目的なので、CDを捨てるなんて、みたいな気持ちは全然無いですね。あの場合、そこではCDは”包装の一部”だと思うので。他のものが欲しくて、おまけでCDがついてきているということです。例えば、本を買っておまけでCDがついてきたとして、CDに興味が無い人は捨てますよ。それと同じことであって、商売としてずるいも何もないとぼくは思うんです。

-リスナーが今後考えていかなければならないことは。

佐久間氏:音楽を作る人間が真摯な態度で、それと同時に、届ける人間もちゃんとしたいい音楽を手がけていけば、どうもしなくていいと思うんですよ。

それを聴いていればもちろん人も変わってくるわけで。大衆が音楽をダメにするわけでもないし、音楽をダメにしているとしたら、それはやはり音楽家、あるいは音楽を出す人たちなんじゃないかなと思うんです。

-そうした危機感を踏まえて、廃れようとしているノウハウをなんとかとしなければならないと問題提起されたと。

佐久間氏:今のうちに何とかしないと手遅れになっちゃうぞと。それは業界を守るためでも、ビジネスのためでもなくて、音楽を守るため。それは僕だけではなくて、僕の周りの友達のプロデューサーと話をしていても、「音楽を諦める時」だっていう雰囲気がするんですね。やめちゃおうかなって。

僕は音楽はやめないけど、このまま関わっていくのは悲しいなっていう。そこまでしてやりたくないし、ほかのバイトをしてもいいやみたいな。そのくらいどうしようもない危機的な状況にある。僕がああやって書きましたけど、僕自身が音楽を一切やめる気なんか無くて、ただ、職業としての関わり方はだんだんバカらしくなってきてしまって。もちろん頑張らないといけないんですけど。夢の様な時代が来るまでは(笑)。

-AKB48のCDの話も、佐久間さんのエントリをめぐる論争も含め、みんな音楽が好きで、だからこそ熱く議論になるのだと思いました。

佐久間氏:それは明るい兆しというか、そんなに悲観的になることではないじゃんっていうことだとも言えるかもしれませんね。

-そんな中で佐久間さんがあえて声を上げられたからこその、今回の大きな反響だと思います。このインタビューにも、きっと色々なコメントがつくと思うのですけど(笑)。

佐久間氏:いい意味でも悪い意味でも(笑)。今回の記事もいろんな捉え方されちゃうだろうしね(笑)。

-今日はありがとうございました。(6月22日、佐久間氏の事務所にて)
【編集部 大谷広太・田野幸伸】

リンク先を見る佐久間正英 (さくま まさひで)
1952年3月:東京都文京区生まれ。
都立西高に在学中のキーボード奏者茂木由多加(後に四人囃子等)と知り合う。和光大学在学中にフォーク・グループ「ノアの箱船」を茂木由多加、下幸子と結成。その後メンバーの変遷を経て1971年「万華鏡」結成。1973年:Kb.茂木由多加、Dr.宇都宮カズ(後に高橋直人が参加)とキーボード・トリオ「MythTouch」結成。ギターからベースへ転向。四人囃子、安全バンド等と共に”浦和ロックンロール・センター”を拠点として活動。1975年:和光大学卒業後、「四人囃子」にベーシストとして参加。以後作・編曲家、スタジオ・ミュージシャンとしてのインディペンデントな活動を開始。1978年:「Plastics」に参加。「P-Model」の1st Album「In A Model Room」をプロデュース。「The Plastics」イギリス、ラフトレードよりデビュー。1980年:「Plastics」ワールド・ツァー開始。同時期よりCM音楽作曲、アイドル・ポップスの作・編曲、映画音楽等を手掛け始める。1984年:初Solo Album「Lisa」(果樹園のリサ)リリース。1985年:「Boowy」「The Street Sliders」のプロデュース。同時期よりプロデューサーとしての活動が多数増え現在に至る。

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リンク先を見る鈴木健士 (すずきけんじ)
鈴木健士 (すずきけんじ)
1961年東京都出身。マネージャーや国内海外での制作を経験。退職後、CM音楽制作会社へ。20代で社長になり社名をミュータントとして新規スタート。CM音楽制作のほかアーティストプロデュースやアーティストマネージメントも行う。扱った音楽制作は3000作品以上。任天堂ピクミン「愛のうた」エースコックスーパーカップのザ・タイマーズ「デイドリームビリーバー」など様々なCMタイアップなど手がける。林明日香プロデューサーとして、デビュー曲「ake-kaze」の作詞など多くの作詞作品も提供。2007年、NPO法人ミュージックソムリエ協会を設立。理事長に就任。「CDショップ大賞」の立ち上げから運営、RECORD STORE DAY JAPANの事務局運営、Music Sommelier at CAYのイベント運営、ミュージックソムリエの育成講座を実施している。

プロフィール 佐久間正英(さくま まさひで)
1952年東京生。四人囃子・PLASTICSを始めNiNa, The d.e.p. などのバンドの主要メンバー。また、プロデューサーとしては1979年、P-MODELのプロデュースで活動を開始。以後SKIN, BOOWY, The Street Sliders, Up Beat, The Blue Hearts, 筋肉少女帯, Jun Sky Walkers, 氷室京介, JUDY AND MARY, GLAY, Hysteric Blue, 175R 等々その仕事数は140アーティストにのぼる。また、映画音楽、TV-CM等の音楽、作曲家・アレンジャーとしての仕事も幅広く手掛けている。

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・佐久間 正英 - Facebook
・@masahidesakuma - twitter
・Masahide Sakuma - ブログ

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埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年(明治42年)12月19日 - 1997年(平成9年)2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名般若 豊(はんにゃ ゆたか)
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来歴・人物
台湾の新竹に生まれる。子供の頃から身体が弱く、常に死を身近に感じていたという。子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えていた。

青年期に思想家マックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体「全農全会派」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりのため1932年に逮捕された。検挙後埴谷は未決囚として豊多摩刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放された。

獄中ではカント、ドストエフスキーから圧倒的な影響を受けたという(ロシア文学については早くから影響を受け思索を強めていたものの、この時期を経てドストエフスキーを第一に挙げるようになり、実際に多くのドストエフスキー論を著している)。出獄後は経済雑誌の編集に携わり、敗戦を迎えた。元マルクス主義者、主義からの転向者と呼ばれることが多いが、シュティルナーの「創造的虚無」を自己の思考の根底に据えることは、終生変わることがなかった。

代表作は、存在の秘密や大宇宙について語りつくさんとし、第一章が『近代文学』創刊号(昭和20年12月30日付)に掲載された大長篇小説『死靈(しれい)』。全12章予定で未完作となったが幾度かの空白を挟み書き続け、死の直前まで第9章までを書き継いだ。ほぼ全編を、物語でなく観念的議論によって進行する世界文学史においても未曾有の形而上学的思弁小説であり、この一作で比類ない評価を受けた。他に埴谷自身が決定的な影響を受けたドストエフスキー論が著名。

埴谷の没した日には、有志によって「アンドロメダ忌」という記念会が催されている。

経歴

評価・批判
埴谷雄高研究者としては、立石伯、柘植光彦、白川正芳、川西政明、鹿島徹らが一般的に著名。

埴谷を尊敬する支持者には、立花隆や北杜夫がいた。立花は著書の中で、60年安保世代の大学生にとって埴谷は神様のような存在だったと述懐している。そのため初めて埴谷に会う際には、ひじょうに緊張したとのことである。また、埴谷は、新人作家の発見や紹介推薦に優れた力を発揮したことで知られる。無名時代の安部公房の才能を、石川淳とともに見出して文壇に推したのは埴谷である。それ以外にも、高橋和巳、辻邦生、倉橋由美子、北杜夫、加賀乙彦などの新人作家の才能を発見して育成している。

一般的には批評や創作自体の評価よりも(そもそも創作自体が非常に寡作であるが)「『死靈』の作者」との認識が強く、また実際に『死靈』自体の評価は非常に高いのだが、それ以外は今日あまり顧みられていないのが現状である。しかし往時は新左翼系の読者までも多く抱え、独自の視点から(例えば鶴見俊輔は埴谷を「国家の形と見あう一定の型」からはずれている、と評した)の提言に対する評価は高かった。

三島由紀夫は「埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した」として埴谷の文学を絶賛している。また吉本隆明は、埴谷の文学作品と政治理論の双方を非常に高く評価し、「死霊」第五章を、「死というものを瞬間的にでなく、段階的・思索的にとらえた日本近代文学史上はじめての作品」とし、またその政治理論についても「革命家は行動を起こさなければいけないという観念論ではなく、未来のビジョンを示せばよいということを示したコペルニクス的回転である」とした。なお吉本・埴谷の両者は、後述のように1980年代に関係が断絶してしまうが、両者ともに相手を本質的に評価しつづける姿勢は関係断絶後も不変で、埴谷の死後の『群像』の追悼特集で、吉本は埴谷を、日本史上稀有の文学者であり思想家であったと追悼している。文学者以外からの評価も高く、たとえば池田晶子は埴谷の作品の哲学的センスを哲学専門家の立場から大きく認めている。

これに対し蓮實重彦は、「学生運動ほか」をめぐる座談で、埴谷について結局のところ人間関係しか残らない程度の作業しかしておらず、「なにが偉いのかまったくわからない」と埴谷を断じた。なおこの座談の参加者であった上野昂志・スガ秀実もおおむね蓮實の批判に同意している[5]。これに対して立花隆は、埴谷に対する評価のヒドさを批判するとともに、蓮實が鶴見俊輔をバカ扱いしていることも、同時に批判した。埴谷を否定する人間には右派が多いが、その右派の江藤淳は、埴谷の「死霊」を、「読んでいてところどころ眠くなる作品」として、埴谷の存在を「昭和10年代左翼の延長」としてとらえるべきだ、と否定的見解を示している。柄谷行人も、埴谷の思考の徹底性を認めつつも、全体的には埴谷の存在に批判的な論考を多く記している。

全共闘から右派リバタリアンに転向した笠井潔は、埴谷についてカントの影響を受けたと自称しているが実際は埴谷は獄中で徹底したヘーゲル主義者に転じたと考えられるとしている。埴谷の思考スタイルは、20世紀的現実の制約を受けていないぶん、「マルクス主義よりさらに危険なもの」であると笠井はいう。 

吉本隆明は、大江健三郎・中野孝次・晩年の埴谷雄高など左翼はずっと「戦争はダメ」「自分たちは平和主義者」と主張してきたが、それは「戦争自体がダメ」という観点とはまるで違い、そのことでいえば大江・中野・埴谷は全て落第と評価している。大江・中野・埴谷がやった反核運動で主張したことは、アメリカの核はダメだが、ソ連の核はオーケーだという考え方だという。大江・中野・埴谷は「戦争はダメ」「平和を守れ」と主張するが、戦争になれば、それまでの主張は忘れて、戦争を革命の絶好の好機と考え方を変えるに決まっている、と評している。

(資料ウイキペディア)












「地球平面説」を信じる人が急増している その要因は......
2019年2月26日 17時30分 ニューズウィーク日本版

<近年、急に「地球平面説」の主張やメッセージが広く拡散し、より多くの関心を集めている......>

「地球は球体ではなく平面である」とする地球平面説は、16世紀にマゼランが世界で初めて地球を周航し、地球が球体であることを証明した後も一部の人々に支持されてきた。とりわけ近年、ソーシャルメディアネットワークなどを介して地球平面説の主張やメッセージが広く拡散し、より多くの関心を集めているようだ。

特定のキーワードでの検索回数をグラフ化するグーグルの無料ツール「グーグルトレンド」を使って「Flat Earth(地球平面)」の検索回数の推移を調べてみると、2015年以降、急激に増加していることがわかる。

matuoka0226b.pngGoogle Trendsから

「2年前まで地球が平面だとは考えていなかったが......」
米テキサス工科大学のアシュリー・ランドラム准教授は、2017年11月に米ノースカロライナ州で開催された「第一回地球平面国際会議」と2018年11月に米コロラド州で開催された「第二回地球平面国際会議」で参加者30名にインタビュー調査を実施し、2019年2月17日、アメリカ科学振興協会(AAAS)の年次総会でその調査結果を発表した。

英紙ガーディアンの報道によると、インタビュー対象者のうち29名は「2年前まで地球が平面だとは考えていなかったが、ユーチューブで地球平面説を唱える動画を閲覧して考えが変わった」と回答。残りの1名はユーチューブで動画を見た娘夫婦の話に影響を受けたという。

推奨対象から除外していくというユーチューブの方針
ユーチューブ上で公開されている動画には有益な情報も数多くあるが、誤報や流言も少なくない。ランドラム准教授は、ユーチューブが明らかに誤ったことをしているとは考えていないものの、既存のアルゴリズムには改善の余地があるとの見方を示している。

また、玉石混淆の様々な情報が大量に溢れる現代社会において「人々は、与えられる情報に対して厳しい目を持つべきだが、これにはバランスも必要だ」と説いている。

ユーチューブでは、2019年1月25日、公式ブログにおいて、地球平面説を主張する動画など、ユーザーに誤った情報を与えかねないコンテンツを推奨対象から除外していく方針を明らかにしている。

米国の専門家や審査員の協力を得て機械学習をベースとするレコメンドシステムを改善し、まずは米国の動画の一部に実装した後、精度が高まった段階で他の国々にも展開していく計画だ。



The Guardian-Flat Earth rising: meet the people casting aside 2,500 years of science
(
Guardian-Flat Earth上昇:2500年の科学を捨てて人々と出会う)
松岡由希子


(記事引用)






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