サルトルのポジ、ディランのネガ
──GQ JAPAN編集長・鈴木正文
Author: 鈴木正文GQ JAPAN
毎週更新中のGQ JAPAN編集長・鈴木正文による「ウェブ版エディターズレター」。今週は、かつてノーベル文学賞受賞を拒否した文学者・哲学者のジャン=ポール・サルトルと、いままさに拒否せんとしているかのようなボブ・ディランについて。
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ジャン=ポール・サルトルが1964年にノーベル文学賞の受賞を拒否したころ、ボブ・ディランは「風に吹かれて」を歌っていた。1963年にリリースされてディランの名を全米に知らしめたこの曲を、まだ中学生になりたての僕が知ったのは、ラジオのFEN(米極東放送網)から流れてきたピーター・ポール&マリーの、ディランの歌いっぷりとはまったく異なる美しい混声ハーモニーによるカバー・バージョンによってだった。

JFK(ジョン・F・ケネディ第35代米大統領)の暗殺は1963年11月のことで、その報を日本人に最初に伝えたのは、奇しくも日米間の初の衛星テレビ中継の実験放送だった。この衛星中継は、宇宙中継といわれていて、それが仕組まれたのは、翌年の東京オリンピックの映像を世界に中継できるようにするためだった。そんなポジティヴな近未来の物語の最初のリアルな語り部となるべき宇宙中継の最大のニュースが、予想外にもネガティヴ100%の、若き米大統領の暗殺事件だったことは、どこか暗示的である。

さて、1964年にはおなじくディランの「ミスター・タンブリン・マン」をカバーしたザ・バーズの無感情的な唱法に魅力を感じたことをおぼえているけれど、そのまえに僕はザ・ビートルズの「抱きしめたい」や「プリーズ・プリーズ・ミー」にすっかり魂を奪われていた。それでも「ミスター・タンブリン・マン」というソング・タイトル(タンブリン・オトコさん)を忘れることができなかったのは、中学生でもわかった歌い出しの歌詞(「ねえ、タンブリン・マンさん、一曲僕のために歌ってくれないか」)の、ボヘミアン=根なし草的な虚無感ゆえだった。というのも、ザ・ビートルズの「君の手を握りたい、君の男になりたい」というストレートで、どこまでもポジティヴな求愛の歌に比すれば、タンブリン・マンにたいして一曲を所望するほかにとくに希望らしい希望もないような男の精神世界を歌ったこの曲は、まことにネガティヴ至極だったからだ。

「風に吹かれて」はしばしば、アメリカの公民権運動をシンボライズするプロテスト・ソングであるといわれるけれど、公民権運動のリーダーであったキング牧師の「I Have a Dream」(私には夢がある)という有名な、徹頭徹尾ポジティヴな演説が、ワシントンのリンカーン記念館の階段上でぶたれたのは1963年夏のことだった。「風に吹かれて」のリリースとほぼ同時期である。ちなみに、アメリカにおける人種差別の法律上の終焉を告げる公民権法が成立したのは、ほぼ1年後の1964年7月で、その3カ月後に、サルトルはノーベル賞の受賞を拒否したのである。

このノーベル賞拒否には前奏曲があった。アメリカで公民権法が成立したころ、サルトルは自伝的な小説である『言葉』の刊行に寄せて、「ル・モンド」紙のインタビューに応じ、そこで「飢えて死ぬ子どものまえで文学は有効か」と反語的に問いかけたのである。

そのころのサルトルは社会と世界の「不正」とたたかう行動派の文学者として自己を規定しており、人間性の悲惨にたいする告発を文学的にも行動的にも実行する「異議申し立て」の活動家であった。そして、そのような立場から、みずからの戦前における代表作のひとつである『嘔吐』は、なるほど人間の自由の本質を問う作品として、人間性のまえに無罪であるかもしれないが、げんに目前で進行している人間的不正としての飢餓のまえでは無力である、と認めた。

それはしかし、僕の解釈では、そのじつ、文学が人間的な悲惨にたいする異議申し立てであることを再確認するとともに、文学者が非文学的な異議申し立てにたいしても積極的であるべきことを、前向きに説いたものであった。という僕の理解の当否はひとまず置くとして、サルトルは、受賞拒否についてノーベル財団に宛てた手紙でいっている。

「いかなる芸術家、作家、人間も、存命中に神聖化される価値のある人間はいない。なぜなら、人はいつでもすべてを変えてしまう自由と力を持っているからだ」と。

これは人間の可塑性=つくりかえ可能性にたいするサルトルのポジティヴでロマンティックな信念を投影した発言だとおもう。いっぽう、ディランの、たとえば「転がる石のように」(Like a Rolling Stone)の世界は、サルトルのポジティヴな理想主義に照らすと、著しい対照をなす。サルトルの正確な陰画であるかのようにネガティヴである。

1965年発表のこの曲でディランは、地位も栄光も、その他いっさいの装飾記号をも失って人生の坂を裸で転げ落ちてゆく人間を歌にした。人間が良き方向へと変わっていくことができるというロマンティックな可能性を勇気づけるのではなく、高みから低みへと転落してゆく反ロマン的な人間的生の現実を突き出す。「風に吹かれて」にしても、そこに希望へのロマンティシズムは見いだせない。答えは風に吹かれているのだから。

サルトルがノーベル文学賞の受賞を拒否したのは、かれが59歳のときだった。そして、その15年後の74歳のときにこの実存主義者は没した。いま75歳のディランはサルトルが他界した年齢をすでにひとつ上回っているけれど、ノーベル賞発表後の沈黙状況などをみていると、59歳だったころのサルトルを想起したくなる。

というのは、人間にはいつだって、これまでの「すべてを変えてしまう自由と力」があるとしたサルトルの信念を、ディランもまた共有しているように僕にはおもえるからだ。ただ、サルトルの場合は人間に対するポジなロマンティシズムに発する信念だったのにたいして、ディランの場合はネガな反ロマンティシズムに貫かれる信念である、という違いはある。いずれにしても、そこで照射されているのは、ポジであれネガであれ、人間の実存がかかえる根源的な自由への信憑である、と僕はかんがえたい。
(記事引用)