トランプ大統領は本気で日本の自動車メーカーを潰すか
【第232回】 2016年11月15日 著者・桃田健史ダイヤモンド 
過去30年間で感じてきたアメリカ社会の変化
大手メディアの予想を裏切った、第45代アメリカ大統領選挙の結果。

 だが、80年代半ばからこれまで、自動車産業界を通じて全米の主要各都市や地方都市を定常的に巡ってきた筆者としては、「十分に理解できる結果」だと感じている。

 いまのアメリカ国内の社会情勢は、富が偏在して中間所得層が急減し、新しい産業への移行を見誤った都市の経済は疲弊し、庶民は「いつまで経っても景気が悪い」と感じている。

 その証明とも言えるのが、地方都市のブルーカラーが主な顧客である、全米最大規模の自動車レース・NASCARスプリントカップシリーズの入場者数の減少だ。同シリーズは、野球のMLB、フットボールのNFL、バスケットのNBA、ゴルフのPGAと興行収入やテレビ放送の視聴率で同格の、アメリカを代表するエンターテイメントスポーツである。

 NASCARは60年代に創設されたが、90年代後半から急速に人気が上昇し、全米各地に10万人規模を収容する巨大レース場が数多く建設された。筆者は日本テレビ系列のCS放送で、同シリーズの実況解説を今年で13年間続けているが、2010年代前半から観客席に空席が目立つようになったと感じてきた。ブルーカラー層の所得が増えず、または減少し、将来への生活への不安を感じて、彼らの遊興費が減っているのだ。

 最近、NASCAR関係者がよく使う言葉に「オールドスクール」というものがある。これは、「古き良き時代」と同義だ。近代的なスポーツへと変革してしまったNASCARに対する、彼らの反省の弁だ。さらには、アメリカ国民として、アメリカ社会の過去数十年間の歩みに対する嘆きである。

 こうしたアメリカで感じる、筆者自身の肌感覚から、トランプ政権が日系自動車メーカーに及ぼす実質的な影響を分析してみたい。

キーファクターはNAFTA
TPP不成立の打撃は少ない
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 「Make America Great Again」

 この、トランプ次期大統領が選挙キャンペーンで掲げたスローガンによって、トランプ政権は日系自動車メーカーに対して排他的な政策を打つのではないか、という不安がいま、日系自動車産業の周辺で噴出している。

なかでも、トランプ次期大統領が選挙期間中に発言した、NAFTA (北米自由貿易協定)の見直しの可能性が焦点になっている。カナダではトヨタとホンダ、メキシコでは日産とマツダが北米向けの主要製造拠点を稼働させている。ただし、NAFTAの活用は日系のみならず、デトロイト3も近年、メキシコでの生産を強化しており、トランプ政権が日系メーカーのみを対象にするという異例措置を講ずるとは思えない。

 仮にNAFTA見直しによって、アメリカへの輸入関税アップや、完成車や部品としての総量規制がかかる場合、当然ながら自動車メーカー各社はカナダ・メキシコからアメリカ国内へ生産拠点をシフトする必要がある。資金力のある自動車メーカーにとっては、少々値が張る事業計画の変更の範疇かもしれない。

 だが、自動車メーカーを後追いする形でカナダ・メキシコに進出した部品メーカーにとっては多大なる損失となる。特にメキシコでは、日産がアグアスカリエンテスに20億米ドル(約2000億円)を投じて2013年に開設した新工場、及びその周辺のサプライヤーパークでは、投資の回収が難しくなる危険性がある。

 一方で、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関しては影響は少ない。なぜならば、そもそもTPPにおける自動車分野は、参加国全体での協議ではなく、日米の2国間協議だからだ。TPPにおける自動車分野は、アメリカにとって「他の分野への影響力を行使するための、手段のひとつ」であったに過ぎない。

 その点について、TPP交渉は原則非公開だが、筆者は以前、永田町の議員会館での政党関係者らと意見交換、また霞が関周辺との意見交換のなかで「交渉の雰囲気」を確認できた。そのうえで言えるのは、アメリカがTPP発効を拒否した場合でも、今後、TPPとは別枠での個別協議として、日本に対して自動車がらみで「なんらかの駆け引き」を仕掛けてくる可能性は残されている。

対米輸出は事実上なくなる?
日本の国内産業への影響は必至

 では、アメリカによる保護主義は、日系自動車産業にどのような影響を与えるのか?

 80年代、アメリカの労働者が日本車を斧でぶった切り火をつけた、あのような光景が再現するのか?

当然ながら、その答えはNOだ。なぜならば、トランプ政権にとって最重要課題は、アメリカ国内での雇用だからだ。90年代以降、日系自動車メーカーのアメリカでの現地生産が進んだ状況では、日系自動車メーカーはアメリカで衰退する製造業を支えるありがたい雇用主である。

 その証明が、先に紹介したNASCARのなかで起こっている。トヨタはNASCARの最高峰レースに2007年に参戦開始。その前年、この話が公表されると米大手メディアはこぞって「アメ車の聖域にトヨタが入ることは難しく、アメリカ人からトヨタ叩きが起こるのではないか?」という論調で記事化した。だが実際には、アメリカ国内で雇用を創出しているトヨタに対して、観客やテレビ視聴者のアメリカ人は寛容だった。いまでは、トヨタはNASCARにとってなくてはならない一員である。

 アメリカ国内で材料を調達し、アメリカ人の手でアメリカ国内で製造・販売することが、「Make America Great」を継続させる。トランプ政権として、「日本車を買うな、アメ車を買え」とはけっして言わない。

 そうなると、日系自動車メーカーは、日本からの対米輸出を減少させ、さらなるアメリカ国内生産へとシフトすることになる。具体的には、ホンダは狭山工場、日産は日産九州、トヨタはトヨタ九州での生産の見直し。また、アメリカが稼ぎ頭であるスバルは、先ごろ日本で販売した新型『インプレッサ』で北米向けをインディアナ工場に集約したが、今後は他モデルの北米生産のため、同工場の拡張と、国内生産の縮小を検討しなければならない。

 そして、最も影響が大きいのがマツダだ。同社からフォード資本が抜けた際、北米の生産拠点を閉鎖し、北米向けには広島宇品工場及び山口の防府工場からの輸出に転じた。さらに、当初はブラジル向けに計画したメキシコ工場を、ブラジル政府の政策変更によって北米向け輸出拠点へと変更したが、NAFTAが見直されればさらなる変更が必要になるだろう。

自動車産業はオールドスクールに戻らない
トランプ政権の選択肢はITとの融合あるのみ

 こうして、トランプ政権は保護主義によって、アメリカ国内での「クルマの地産地消」を促進するだろう。

 とはいえ、近年のアメリカは、20~30歳代を主体として、UberやLyftなどライドシェアリングを利用する「クルマを買わない層」が急増している。

 「人とクルマ」「社会とクルマ」の関係が大きく変化し始めている今、アメリカ国内の自動車産業で雇用を拡充するためには、フォードのT型フォードに由来する、大量生産大量消費という「オールドスクール」は通用しない。トランプ次期大統領を支持する地方都市の人々も、そうした現実は十分に理解しているはずだ。

 結局、トランプ次期大統領が自動車産業において「Make America Great Again」を実現するためには、ヒラリー・クリントン氏を支持した層が多いIT産業との連携を強化し、自動運転やクラウドをベースとしたビッグデータ関連サービスの実利を、全米各地に平準化する仕組みの構築が必要だ。この実利とは、庶民生活の活性化だ。

 これからアメリカで起こる、自動車に関する新たなる巨大トレンドを、日系自動車産業界は十分に注視しなければならない。
(記事引用)