中国南部から8万年以上前のヒトの歯 人類史覆す発見か
2015年10月22日 13時26分 CNN.co.jp
(CNN) 中国南部の洞窟でこのほど、少なくとも8万年前にさかのぼるとみられる現生人類(ホモ・サピエンス)の歯の化石が見つかった。現生人類はアフリカで誕生し、5万~7万年前に世界各地へ広がったというのが定説だが、今回の発見はこれを覆す可能性がある

中国・古脊椎動物古人類研究所(IVPP)や英ロンドン大学の研究者によるチームが英科学誌ネイチャーに発表した研究によると、湖南省道県の洞窟から47本の歯が発掘された。

放射性炭素を使った通常の年代測定法の限界を超える古さだったため、周囲に堆積した方解石や洞窟内に残された人骨などから年代を割り出した。歯の特徴は現代人とほぼ変わらないという。

洞窟からは、すでに絶滅した古いパンダなど動物の骨も見つかったが、石器は発掘されなかった。歯の持ち主だった人間はこの洞窟に住んでいたわけではなく、動物の獲物となってここへ運ばれたと考えられる。

従来の説では、アフリカを起源とする現生人類は8万年前、まだアジアに到達していなかったことになる。欧州でこれまでに見つかった最古の現生人類の化石は、4万5000年前のものとされている。

研究者らによると、今回の発見は「出アフリカ」と呼ばれる拡散の時期がもっと早かったか、あるいはアジアのこの地域で別の現生人類が独自の進化をとげていた可能性を示唆している。

研究チームでは今後、歯のサンプルからDNAを抽出し、この現生人類の起源をさらに詳しく調べる計画だ。
(記事引用)

8000年前の笛 「9000年前のツルの笛」
参照 http://blog.livedoor.jp/raki333/archives/52049261.html

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人間の意識はどこまで発展できるか?
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8万年には遠く及ばないが8000年という時間単位だったら、人間のはっきりした痕跡が残されていて、鳥の骨を細工してつくった笛が、16年前、中国から発掘されニュースになった。

超古代の、そんな諸々を考えていると、人間の能力というのは、この先も発展するだろうなという予感はある。

日々暮らす日常の中で、集団(組織)という枠内バイアスの中の自分は、そこから逸脱できるのだろうかという設定を考えてみた。

それは簡単にいうと現実逃避のことで、登校拒否とか引きこもり、とか自分の殻に閉じこもってしまい、年を追うごとに増えている。理由は様々だが、他と接触しない、という点で共通する。
世界の人間は国を問わず、そのことから逃げられず、人間が生きていく上の社会性が問われているが、その究極のスタイルが中東で起きている宗教組織だろう。

幾つになっても社会性が身につかない、というアウトローは、生死の二者択一に迫られたとき、そこに生の「望み」があったなら、そこに進路をとるだろう。それが集団バイアスで、その進路が正しいか間違っているのかは判断しない。同じ周波数の波長がシンクロしていれば、その本人は気持ちがいい。

例えばジャズミュージシャン、クラシック奏者、などの音楽は、譜面という約束上の記号言語で音符、すなわち言葉を使うことによって音楽会話が成立している。それはまったく言葉と同じだが、音符を言葉のように使うには、やはり文法を学んで覚える必要がある。
その共通言語の譜面音符をマスターしていれば、ジャズでもクラシックでも、それを見ながらピアノを弾ける。最近、にわかにジャズピアニストが、クラシック、とくにバッハやベートーベンの曲を弾いて話題を集めている。

テレビでよく見る、それらのミュージシャンは、なにか特別な能力でも生まれながらにしてもっていたのか。実はそうではなく、後天的な要素として、学習レッスンという教育の中でうまれたものである。したがって人間であれば、誰でもその環境の中にいれば、音楽はマスターできる。ただし、幼いころの家庭環境も影響し、親が音楽家とか、楽器が身近にあったとか、条件が揃っている必要がある。
一般的に云って、それは特殊であるから、幼いころより楽器が弾ける、というのは同様に特殊な能力とみなされることが多い。

それはほんの一例に過ぎないが、他の要素で、たまたま親が資産家で、生まれながらの富裕者というのも一種の特殊に部類にカウントできるだろう。そうした境遇に生まれ育った人間は、初めからその能力が備わっていたのではなく、他動的要素が多く作用している。

であるが、人間世界の意識は、その後天的要素をもったそれらの種族を特別視して、別階級と認識して境界を作ってしまう。そこには共通言語というものがない。

世界的グローバルの時代で、貧富の差が著しいが、そうした中でよく言われるのが「金がすべて」という言葉だ。やはり欧米型資本主義でいえば経済資本主義の答えとしてその価値が金銭になってしまうことは否定できない。では、その金がすべてではない、という一方の論理は何を根拠にしているのだろうかと、考えてみると、ある要素がみえてくる。

古来の大集団家族の生活様式であると、そこでは物理的個人財産という意識規範がなく、食料でもなんでも、皆が一様に平均的に分配するというのが基本になっている。そうしないと、その極小単位の部落は存続できないからである。
そこからは「金」がすべて、という意識はうまれない。それらの問題は、この時代的差異から生じている。そうとしか考えられない。