迷走するアメリカのシリア政策
Platnews Daily Brief Platnews 2015年11月08日 14:39
前代未聞の難民に揺れるヨーロッパとは大西洋を挟んでいるアメリカは、シリア難民問題はまるで他人ごとのようである。オバマ大統領は1万人の難民を受け入れると表明したが、ドイツに押し寄せた難民40万人からすれば雀の涙でしかない。むしろアメリカはISISが中東でこれ以上勢力を拡大することの方を深刻に受け止めている。だが、アメリカのシリア政策は基本的には不介入であり、反政府勢力への軍事支援に留まっている。

ロシアはシリア内のISISへの空爆を開始して本格的な介入を始めている。ロシアのシリア政策はアサド政権の支援とテロリストを許さずそのため力の行使も厭わないという強い姿勢で一貫している。

それに対してアメリカのシリア政策は迷走している。10月には5億ドルをつぎ込んだ「新シリア軍」創設のプログラムを無駄だと中止し、新たにシリア内のクルド人やアラブ人武装勢力に軍事支援をすると決定した。だが支援した武器がその後誰の手に渡るのかなどの追跡もなく実効性には疑問が残る。その後オバマ大統領は特殊部隊の派兵を決定したが、そこには明確な戦略が見えてこない。国内ではイラクやアフガニスタン戦争のように泥沼に入り込むのではないかと懸念する声が高く、また任期が迫ってきているオバマ大統領に長期的な介入を始める意志はないように思える。そのため場当たり的な政策の繰り返しに陥っているのではないだろうか。

増える難民に悲鳴を上げるヨーロッパ諸国とアメリカではシリア問題にかなりの温度差がある。ヨーロッパにとって難民は「いまそこにある危機」である。ヨーロッパが迷走するアメリカにシリア問題への現実的な解決を迫ったとしても不思議ではない。

シリア和平会議が10月30日ウイーンで開催され、アメリカ、ロシアはもちろん、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、EU代表、トルコ、サウジアラビア、エジプトを始めとするスンニ派諸国に加えてシーア派の雄イランが参加してシリアの内戦終結に向けての協議が行われた。

アメリカとロシアの根本的な対立はアサド大統領の進退である。アサド大統領の退陣を求めるアメリカと、留任を求めるロシアが妥協しないため政治的な解決はこれまで困難だった。さらにシリアをスンニ派政権にしたいトルコやサウジアラビアなどの湾岸諸国とシーア派政権を維持したいイランの思惑が対立し政治的な決着は不可能そのものだった。
だが、増える難民、勢力を拡大しつつあるISISの脅威と任期が迫ってきたケリー長官の焦りからかアメリカが妥協の余地を見せ始めた。今回の和平会議でも議題はシリアの政治的安定と難民問題に絞られていて、アサド大統領の進退問題は封印された。

アメリカの妥協の姿勢はすでに9月28日の米露会談で露わになった。この席でオバマ大統領は、アメリカとサウジアラビアやトルコらの湾岸諸国、ヨーロッパはアサド大統領の期限付き留任を認めることで合意したと申し出た。プーチン大統領もアサド大統領の期限付き留任を容認する姿勢を見せ始め、現実的な妥協点がようやく見え始めたのである。

2016年には大統領選挙が行われる。2期を務めたオバマ大統領には次がない。アメリカの政治は大統領が交代すると外交政策がまったく異なる方向へ転換することが少なくない。次期大統領が民主党であれ共和党であれ、オバマ大統領とケリー長官が築いてきた外交の積み重ねが一瞬にして崩壊し、シリア内戦終結が遠のく可能性もある。

大統領選挙において民主党の最有力候補であるヒラリー・クリントンはリベラル・ホークである。人道主義のためなら武力行使も厭わないという筋金入りの人権派であるクリントンが大統領となった場合、化学兵器を使用したとの疑惑があるシリアのアサド大統領に穏健な態度で臨むことはないだろう。また、国務長官時代にはシリア反政府グループを支援することに積極的だったことからも、シリアに関しては妥協のない強硬な路線を取る可能性は小さくない。

翻って共和党から大統領が選出された場合、それが誰であれ現在のようにロシアやイランとの話合いや妥協路線を取ることはないと思われる。共和党はそもそもロシアやイランには強硬路線を敷く。

だからこそケリー長官は、強い信頼関係があるロシアのラブロフ外相とタッグを組むことのできる今のうちにシリア問題を解決させたいとの強い思いがあるのではないだろうか。ケリー長官の渾身の外交交渉がシリア内戦解決の期待を高める。

一方でロシアのエジプト発の旅客機が墜落するという悲劇が11月に入ると起きたが、アメリカは当初からテロの可能性を示唆していた。ロシアがシリア内で空爆を実施していることへの報復だとISが犯行声明を出したが、疑問視されていた。しかしイギリスがテロを示唆したことから、今ではテロではないかとの見方が強まっている。プーチン大統領は情報機関の助言を受けてロシア国民にエジプトへの渡航を禁じると発表したため、ますますテロの可能性が高まっている。

アメリカが懸念しているのは、このようなアメリカ国民を狙ったテロである。だからこそオバマ大統領は本気でシリア内戦への介入を避けてきた。だが特殊部隊を派遣し和平会議に参加して介入を深めれば、否応なしにテロの標的となる。また国際社会の中でシリアへの関与を求める圧力が高まっている。

先週、1つの小さな死亡記事が載った。
イラク人のアフマド・チャラビがイギリスで死亡したというものだ。チャラビは、フセインが大量破壊兵器を所有しているとの情報を当時のブッシュ政権に提供しブッシュ政権がイラク戦争へと突入する根拠を作った張本人である。チャラビはイラクの政治家であり、フセイン時代には海外に亡命して不遇をかこった政治家であった。彼はポール・ウフフォウイッツ国防副長官、チェイニー副大統領らのネオコンと親交があり、ネオコンと共にイラク戦争へとアメリカを巻きこんだその人である。

アメリカのイラク戦争によってフセインが取り除かれ、イラクにはシーア派政権が誕生した。その後イラクではシーア派とスンニ派の熾烈な宗派抗争が勃発し、多くのスンニ派が冷遇された。彼らの中にはシリアへと逃れた者も少なくない。彼らは10年あまりにわたってシリアに潜伏して巻き返しの機会を待っていた。それがアラブの春によるシリア民主化運動の盛り上がりに乗じて動き始めたのである。そしてやがてその動きがISISとなって勢力を拡大し現在に至るのである。

歴史に「もし・・」は禁句であろう。だが、もしチャラビがイラク戦争を煽らずブッシュ政権が戦争を始めなければ今のISはなかったかもしれない。もし、ネオコンが政権内で影響力を持っていなかったら、戦争は始まらなかったかもしれない。ISISの問題はアメリカを映す鏡なのである。

ヨーロッパもまた、ISISという鏡によって映し出されているのである。アラブの春による民主化運動をヨーロッパ諸国は歓迎し支援した。チュニジア、エジプト、イエメンでも国民によって政権は転覆した。だがリビアでは「民主化」という理想の名の下に空爆による介入をした。その後のリビアはいまだに内戦状態に近い。

シリアもまた、「民主化支援」という理想の名の下にヨーロッパは反政府勢力に支援を行った。その結果4年を超える内戦が続きISISという過激な組織が勢力を伸ばした。そしてロシアの空爆が開始され民族の大移動ともいえる難民がヨーロッパに押し寄せている。人道主義を掲げるヨーロッパは難民を受け入れるしかなく、その想定外の多さにどの国も疲れ果てている。

ドイツではメルケル首相が難民の受け入れを表明したためさらに難民が増え続けており、ドイツへの道を辿る難民たちが通過する国々は困惑し混乱している。人道主義、民主化運動という理想と現実のギャップを突きつけられてヨーロッパは今、揺さぶられているのである。

川上高司(かわかみ・たかし) 拓殖大学海外事情研究所所長・教授。専門は安全保障、米国政治、日米関係。著書に、『無極化時代の日米同盟』(ミネルヴァ書房)、『アメリカ世界を読む』(創成社)など。
(記事引用)
 アフマド・チャラビ。イラク国民会議(INC)を率いるシーア派のイラク人政治家だ。イラク戦争前には、在外イラク人亡命者を組織して反サダム・フセイン運動を展開し、はじめは米中央情報局(CIA)に雇われ、次に国務省から金を貰い、最後には国防総省をスポンサーにつけて米国をイラク戦争に駆り立てた男。

 ブッシュ前政権のネオコンに寵愛され、「イラク大量破壊兵器」情報や「サダム・フセインとアルカイダの関係」を示唆するイカサマ情報を米国に提供し、米国のイラク侵攻に一役買ったあの人物である。

 チャラビは、戦後のイラクにおいて、サダム・フセイン体制を支えたバース党員を徹底的に公職から追放することを狙った「非バース党化政策」を強引に推進し、事実上イスラム教スンニ派を政治プロセスから排除することで、シーア派・スンニ派の宗派抗争に火をつけ、戦後イラクを泥沼の内戦に陥れた張本人の1人である。

 あの悪名高い「戦争詐欺師」が、再びイラクをテロと殺人の恐怖に満ちた宗派闘争の混乱へと陥れようとしているのか・・・。

イラク安定化の鍵を握るスンニ派の政治参加

 イラクは現在、3月7日に予定されている国民議会選挙を前にして、激しい選挙戦の真っ只中にある。イラクの憲法によれば国民議会の定数は325議席で任期は4年。全議席の3分の2以上の賛成で「大統領」を選出し、新大統領は最大会派が推薦する人物を「首相」に任命し組閣を要請することになっている。つまり、この国民議会選挙により、次の大統領や首相、そして新政権の顔ぶれが決まり、今後のイラクの方向性が決定づけられることになる。

 それだけに、各勢力はこの選挙に向けて激しい選挙戦を繰り広げており、文字通り血生臭い権力闘争に発展している。

 イラクでは、2003年にフセイン政権が倒されるまで、少数派であるスンニ派が支配的地位にあり、アラブ社会主義を掲げるバース党による一党支配体制が敷かれていた。この間クルド人や多数派を占めるイスラム教シーア派は徹底的に弾圧され、圧政下に置かれた。ところが米軍によるフセイン政権の打倒後、シーア派とクルド人が中心となる新政権が誕生し、バース党に同調するものが公職に就くことは法律で禁じられるようになった。

 しかし、「一体誰がバース党員なのか」についての明確な定義は存在せず、実際にはかつて支配的な地位にあった少数派のスンニ派を排斥する際の根拠として、「バース党とのつながり」が政治的に乱用されてきたという経緯がある。

 フセイン政権崩壊直後には、「非バース党化政策」が導入され、旧バース党による権力構造が解体され、同党の指導者たちが権力の座から取り除かれたのだが、実際にはチャラビのようなシーア派の一部が、スンニ派に対する報復の意味を込めてこの政策を悪用・乱用したため、各省庁の中堅職員から小学校の教師まで含め、数百万人のスンニ派が一夜にして職を奪われることになった。

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