〜後編へ続く〜
MIYAVI
ミヤビ ○ 1981年、大阪府生まれ。ピックを使わずにすべて指でエレクトリックギターを弾くという、独自のスラップ奏法で注目を集め、昨年の「SLAP THE WORLD TOUR 2014」を含めて、これまでに北米、南米、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど、約30カ国、250公演以上のライヴを行っている。2015年にグラミー受賞チーム「ドリュー&シャノン」をプロデューサーに迎え全編ナッシュビルとL.A.でレコーディングされたアルバム『The Others』をリリース。
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アンジェリーナ・ジョリー監督映画「Unbroken」 (2016年2月 日本公開) では俳優としてハリウッドデビューも果たした他、映画『Mission : Impossible -Rogue Nation』日本版テーマソングのアレンジ制作、SMAPへの楽曲提供をはじめ様々なアーティスト作品へ参加するなど、幅広く活躍中。


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─話は変わりますけど、今回はナッシュビルでレコーディングしたんですよね?

はい。ロスでギターとかリズム録りをちょっとしてたんですけど、去年の8月かな、初めてナッシュビルへ行って。アメリカのマネージャーと好きなアーティストとか音楽とかの話をしてて、「俺、ロバート・ランドルフ、好きなんだよね」って言ってたら、「エイント・ナッシング・ロング・ウィズ・ザット」っていう曲があるじゃないですか。あの曲を、俺のマネージャーが一緒に作ったって話になって。「マジで!?」みたいな。で、「ナッシュビルにいるプロデューサーを紹介しようと思ってたんだ」「であれば、ぜひ」って。ニューオリンズでいうバーボン・ストリートみたいなダウンタウンがあるんですよ、テネシーにも。着いて初日に、そこ行って。

─ザ・カントリーみたいな。

そうなの! バーとか入ると、カントリーしか流れてないんですよ。で、男の子、ていうか、おっさんが、女の子をナンパしてるんですけど。これが非常にダサい(笑)。

─あははは。

テンガロンハットにブーツで、ビールみたいな。何で俺、こんなクソ忙しい時にナッシュビルまで来て、カントリー聴いてんだろ?って思うぐらいに一色で。まあでも、ドリュー&シャノンとスタジオに入って、ぶっ飛びましたね。このアルバムを通じて彼らからすごくいろんなことを学びました。街全体がグルーヴに包まれてる感じというか。ジャック・ホワイトとかいろんなアーティストがわざわざナッシュビルに拠点を構えるのには、理由があるんですよね。とにかく音楽との距離感が近い。はい、制作期間です、スタジオ入ります、今日はロックアウトですか? じゃなくて、別に飯食いながら歌詞書くし、トイレで曲も作れば。それはブルースにもつながるんですけど、人が生きる、要するに日常と音楽、音楽だけじゃなくて映画とかすべてのエンターテインメント、クリエイティヴィティ、アートの距離感が非常に近いんですね。まず、そこにぶっ飛ばされた。

去年はほんとに音楽どころじゃなくて。ギターを弾く時間がすごく少なかった、特に後半。だから、ナッシュビルのセッションは僕にとってリハビリっていったらあれだけど、すごくいろんなものを洗い流してくれた。浄化された気分でした。


─ちょっとした聖地みたいな?

毎回、着いた時と帰る時にお参りしに行く所があるんです。ミュージック・ロウって、いろんなレコード・カンパニーとかパブリッシング・カンパニーが並んでるストリートにあるんですけど、そこの端っこにRCAビクターのStudio Bってのがあって。ぱっと見、何の変哲もない所なんですけど、(エルヴィス・)プレスリーがレコーディングしてたスタジオで、彼がそこで録るようになって、周りにいろいろできていったんです。そこが渦巻いてるんですよね、いろんなものが。もうスピリチュアル・スポットだなって思う。周りにバンバン車も走ってるし、何の変哲もない場所だから、俺がお祈りとかしてると、ただのアホなヤツなんですけどね(笑)。

─あははは。

でも、確実にそこには何かあるんですよね。ジョニー・キャッシュ、プレスリー、俺らが録ったのはバディ・ホリーが実際にレコーディングしてた所で、機材も残ってて。やっぱりあの街にあるヴァイブスとグルーヴ。ジョー・グレイザーっていう有名なギターテックがいて、ドリューが友達なんで紹介してもらって。ギターを今回、テレ(キャスター)に変えたのもあって、「ちょっと触ってよ」って持って行ったんですよ。すげえいいおじさんなんですけど、そこで修理を待ってたら、小柄なおばさんが入って来て。で、もうひとり青年が入って来て、アコギの修理に出してたみたいで。ギブソンかどっかのやつで「いいじゃん、弾かせてよ」って言って弾きながらスラップとかちょっとやってたら、そのおばちゃんがふらっと来て、「何それ? どうやってんの?」「こうやってやるんだよ〜」なんて感じで話してたら、ジョーが「彼女は60〜70年代、有名だったんだよ。ビルボード1位も獲ってたんだ」って教えてくれて。「へ〜、名前、何ていうの?」「ジャニス・イアン」って。俺、その時、知らなくて。「あ、そうなんだ。後でYouTubeでチェックしとく」って(笑)。

─めっちゃすごい人ですよ!

マネージャーにも同じこと言われました(笑)。あと、ギターを変えたのも、スタジオでロバート・ランドルフとジャムったんですね。彼に電話越しで「エイント・ナッシング・ロング・ウィズ・ザット」のリフを弾いて聴かせたら、ジャムろうってなって来たんですよ。ふらっと入って来て、ペダルスティールをボックスにつないだ、その音が強烈で。プレイは楽しめたんですよ。でも、彼の音の存在感が強烈で。なんか、「俺、変わらなきゃ」って思った。自分の音をもっと磨かないと、この国、要するに世界を本当の意味でロックできないなと思って。それでギターを変えたんです。辛かったけど。ちょうどずっと使ってたテイラーのT5でオリジナル・モデルができてきたんですですよ。だけど、今、俺は前に進まないとダメだと思って、もう街中の有名なギターショップに行きまくって弾きまくって。とりあえずレスポールじゃねえな、みたいな(笑)。向こうのヤツらって、みんな本当に親切で、みんなテレキャスターを持ってて、貸してくれるんですよ。「俺の弾きなよ」って。あと、どこ行っても良い状態のヴィンテージの機材が結構あって、結局、今回のレコーディングでは使わなかったけど、ジミー・ペイジが実際に使ってたアンプとか。その中でいろんなギターを弾いて試して聴いたりして、このシステムに辿り着いたというか。まあ、ここからまた変わっていくと思いますけど。

今までって、どっかで否定してたんですよ。エレキギター? テレキャスター? ストラト? レスポール? いやいやいや、みたいな。そういうティピカルな音、プレイ、ルックス、曲、歌をどっかで避けてて。全部オリジナルじゃなきゃ! みたいな、どっかでオブセッション、強迫観念じゃないけど、そういうのがあったんですよね。いい音であるっていうことよりもそっちのほうがプライオリティ高かった。唯一無二であるっていうことのほうが。でも今は、いろんな経験をしてきて、別にいいやって。まずいい音、気持ちいい音であって、そのうえで自分自身であること。

まあ、どっちも同じなんですけどね。そのプライオリティが同じになってきたというか。単純にテレキャスの音、いいじゃん、結局、俺のハートから出てくる音、プレイでしょ。俺しか弾けない、言葉にできない何かがあればいいんじゃね?って。ルックスもそうですよね。メイクするわ、着物着るわ、刈り上げてちょんまげするわ、いろいろやってましたけど(笑)もういいやって。だって俺がいるだけで俺なんだもんっていう。そういう感じになれたのも、すごいデカいですね。


─それはとんでもない忙しさを経験したっていうのもあるんじゃないですか? ハイを通り越して、ある意味ぶっ飛べたっていうか。

そうですね。やっぱりでも、環境もデカいですよ。まあ、アメリカ行きゃいいって話じゃないんだけど、向こうでのひとつひとつの経験、グラミー賞を観に行ったら、バックステージでデイヴ・グロールと会ってちょっと話して。マネージャーがもともと彼のA&Rだったんで紹介してもらって。そもそもの存在感がカッコいいんですよね。そのコアの部分を学んでる最中ですね。それは日本にいたら、正直できない。

わかったようなことを言いたくないですけど、ロック、ジャズ、ヒップホップ、そういうポップカルチャー、アートも含めて、日本はまだまだアウェイなんですよ。リズム、グルーヴ、アティテュード、もう生活習慣から全部含めて。言葉も違うし、まったくアウェイで戦っていく。いちアジア人、日本人の俺がそれをやる意義を見つけたくて、今、向こうでやってるんです。そのためのひとつの武器がスラップでもあった。日本のギターじゃないですか? 三味線みたいにベンベン弾いたら新しいだろうなって。

─英語で歌うことは?

歌うことも話すことも、俺の英語が上達したら、もっと日本語の曲は増えると思います。世界中にいる自分のコアなファンたちって、俺の日本語の曲を大合唱してくれるんですよ。最高の景色だし、最高の気分で。それこそ、ネトウヨさんたちに見てもらいたい(笑)。日本人として、やっぱうれしいですよ。自分がある種、文化の架け橋になって、日本と海外のファンたちが交流を始めたりとか、新しい景色をもっともっと見せたいですね。だけど、英語がしゃべれないから日本語で歌うっていうのは、俺の中ではないんですね。これは俺の美学なんであれですけど、英語もちゃんとしゃべれるし、歌える。英語で真っ正面からロックできるうえで、日本語で歌いたいんですよ。

例えば、「日本は最高なんだよ」って、海外の人に日本語で言っても伝わらないでしょ? それを英語で言ったうえで、そこから派生して、日本語の歌を教える。このプロセスがグローバルな、インターナショナルな世界にコミットしていくうえでいちばん必要だと思う。だから対話する力なんです。英語もそう、アティテュードもそう。対話しない美学もあると思います、日本人特有の。ただ、やっぱりルールに則ってというか、世界のルールとしてしゃべる時は英語なわけじゃないですか。だったらそれに乗っかってないと、勝負できないよねって。周りを見ること、世界を知ること、それがやっぱりこの国にはいちばん必要だし、俺にも必要だった。だから俺は外に出たし、まだ道の途中で何も成し遂げてはいないけれど、意識は常にそこですね。

─一方で、亡くなった落語の立川談志師匠は、その国で生まれたものしかその国の物語と文化になり得ないって言ってて。

それって要するに歴史じゃないですか。僕たちも長い歴史で見たら、超一瞬なわけでしょ。その人生の中で積もり得た経験と知識をどんどん積み重ねていってるわけで。例えば相撲を見れば、今やモンゴルのほうが強い。そういう意味でもクロスオーバーの時代に僕たちは今入っていて、もう完璧なネクスト・ジェネレーションなんですよね。で、もうインポート(輸入)してる時代じゃないんです。エクスポート(輸出)なんですよ。野球で野茂(英雄)さんがいてイチローさんがいたように、ロックではそれが僕の役目なんだと思ってます。文化になれますよ、その気になれば。ただ、時間はかかる。目をふさぐのって簡単なんですよね、楽だし。でもそうじゃない喜び、閉鎖するのは簡単だけど、そこを突き抜けて出てってボコボコにされて、初めて見える景色、それを俺は今見てて、すごく気持ちいいし、楽しい。それでわかったのは、俺、グラミー遠いなってこと(笑)。グラミーは決してゴールではなくてひとつの指標ではあるんだけど、まだ時間がかかるなと。だけど、距離感はわかった。

─今回のアルバムは、場所とか人種とかすべてを超えてユナイトできるってことを証明しようとしてるようにも聴けました。

僕はアルバムに全然満足していないですよ。もちろんベストを尽くしました。これが今の俺です。けど、もっといける。それを感じてる。今、なんで談志さんはそんなことを言ったんだろうなと考えたんですけど、時間がかかるんですよ。その国で生まれたものしか、その国の物語になり得ないわけでしょ? 要するに、生まれてからその文化になるまでの時間があるわけじゃないですか。ヒストリーが。それは逆にいうと、ヒストリーさえあればなり得るっていうことでしょ? モンゴルの相撲であったり、あとは日本の自動車であったり、それは物語になってると思うんですよ、もう。たぶん談志さんは、彼の職種、つまり落語って言語が占める割合がデカいでしょ。落語をアメリカへ行ってやれますか?っていうのは、いきなりは無理じゃないですか。でもさっき言ったように、ジェネレーションが変わって脱皮したら、今度は英語で落語ができる日本人が生まれるかもしれないし、逆もしかりですよね。そういう意味では生まれてから物語になるまでには、時間がかかる。結局は人、そして日常から生まれる歴史じゃないですか。付け焼き刃ではできないっていうのは、絶対そうなんです。だからすぐは無理ですよ。

さっきの俺の話も一緒なんですよ。時間がかかるんです。これは遠いなと。向こうへ行って、アメリカのプロデューサーとやりました。グラミー、観ました。まだ無理です。俺、このアルバムでグラミー穫れると思ってないですもん。だから満足してない。だけど、次やることはもう見えてる。時間もかかりますけど。それがその距離感だし、談志さんが言うのはたぶんそういうことなんじゃないかな。そういう意味で僕はそれを否定しない。その言葉に付け足すのは、ただ、時間、ヒストリーを作ればできるってことですよ、絶対に。まあ、それは口で言ってもしょうがいない。やっていくしかない。

─確かにね。で、そのアルバムを引っさげてのジャパンツアーもあるんですよね。

はい。楽しみです。音を楽しみながらやれたらなと。BOBOくんとずっとやってて、彼にもほんとにたくさん学ばせてもらいました。彼とのセッションでこのスタイル、スラップにフォーカスすることができたし、今また違うドアを開くことができた。僕を信じてくれるっていう彼のサポート、それはファンのみんなもそうですね、やっぱり。そこがたぶん、自分の唯一の責任なんじゃないかなって思います。僕、ここを見てないんですね。先しか見てない。その先を見てるってことを共有できる人と一緒にいる。そういう人たちに未来を見せたいんですよ。経験したことのない、見たことのないものを見せてあげたいし、それが彼ら彼女たちにとってのプライドであってほしい。みんなが誇りに思えるような活動をしていきたいです。そういう意味でBOBOくんもその未来をすごく信じてくれていて、もっともっといい景色を彼にも見せたいと思うし、同時に自分がアーティストとしてもっともっとフランクになって、DJとか、布袋(寅泰)さんみたいにオーケストラとやったり、逆に普通のバンドをやってみたりとか、したいですね。俺、今回のアルバムでほとんどスラップしてないんですよ。もういいやって。

─多面的である、どれが自分だろうって悩んでる時期すら通り越したみたいなところに。

そうですね。なんか真っ白ですね、今。自分で言うとクサいですけど、僕、ずっと「バガボンド」なんですよ、ずっと。武蔵なんですよね。だから鞘から抜かなくなってくる感じが。まだ抜くし、斬るけど、殺めるためのものではないという意味がわかってきたっていうか。殺生のためじゃないんですよね、剣術って。それが何となくわかってきたかなっていう。まだまだですけど。

─殺めなくても、自分のプレゼンスがしっかりとしていれば。

そうなんですよね。だから相手も剣を抜こうと思わないんですね、それがあれば。そこの感覚がやっとちょっとわかってきたかなって。