Galapagos Japas

国際政治と日本の古代政治変遷歴史 明治維新など特に集中して書いている

2016年02月

サウジ-イランの戦争突入で未曾有のオイルショック

原油安が一変、
サウジ-イランの戦争突入で未曾有のオイルショックが…
週プレNEWS / 2016年2月5日 6時0分

原油の8割を中東に依存している日本ーー。

年明け早々、中東の盟主を争うサウジとイランが一触即発の緊張状態に突入し、従来のルールとは全く違う形で対立が進行している。何かのきっかけで戦争に発展してしまう可能性も十分にあるというが、ふたつの大国の衝突が起きるとすれば、それは世界、そして我が国にどんな影響を及ぼすのか? 

前回記事(「中東に再び一色触発の火種。サウジは意図的にイランを怒らせた?」)に続き、今回はありうる最悪のシナリオを検証。まず軍事ジャーナリストの古是三春(ふるぜみつはる)氏がこう予測する。
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「サウジとイランは1984年にもペルシャ湾上空で航空戦を交わしています。現在も両国は同空域で上空哨戒を行なっており、空軍機同士による予期せぬ遭遇戦という形で軍事衝突が起きる可能性が高いといえます。

ただ、両空軍の力の差は歴然。36機のF-14、70機前後のF-4ファントムという古い機体の混成であるイラン空軍に対し、F-15戦闘機を220機持つサウジ空軍が圧倒的に優勢でしょう」

そして海軍でも、やはりサウジが強いのだという。

「新型フリゲート7隻、コルベット艦4隻など総勢95隻を持つサウジ海軍が圧倒的に有利。旧式フリゲート4隻、コルベット艦2隻、ミサイル艇23隻が主力のイラン海軍を、水上戦闘では敵としないでしょう」

ただし、これが陸戦となると、まるで話は違ってくる。

「王族がオイルマネーを独占するサウジでは、中間層としての大衆の存在が希薄です。ゆえに、普通の国家のような地上兵力を十分に編成できず、陸軍は総兵力わずか7万5千人にすぎません。

一方、イランは正規の共和国陸軍が46万人、それとは別に最高指導者直轄の政治的軍隊である革命防衛隊の地上部隊が10万人。さらに予備役などを含め、全面戦争に入れば100万人以上を動員できるとされています」

しかも、サウジとイランは陸続きではないが、イエメン内戦にサウジは陸軍、イランは革命防衛隊を送り込んでおり、すでにある意味では“開戦状態”なのだ。

「現在、イエメンでゲリラ部隊と戦っているサウジ陸軍は、バックにいる革命防衛隊の存在により深刻な損失を被っています。今後、両国の衝突はイエメンなど“代理戦争”の舞台でさらに燃え上がるでしょう」(古是氏)

また、前述の通り、イエメンには「どちらにつくかわからない」スーダン軍やイランが支援する武装組織フーシなど、通常の軍隊とは違う、動きの読みづらい勢力もいる。

1月7日にはイエメンのイラン大使館がサウジ空軍に空爆されたとの情報が駆け巡った(サウジ側は否定)。こうした“事故のような事件”、いわば軍事的テロを各陣営・組織がゲリラ的に仕掛ける可能性も高い。

そして、イランがサウジ側との戦いに集中すると、思わぬ“副作用”も生まれる。イラクやシリアで対IS戦の中心的役割を担っている革命防衛隊の陣容が手薄になれば、どさくさに紛れてISがまた勢力を盛り返すかもしれないのだ。ISはスンニ派だが、シーア派諸国のみならず、サウジなどスンニ派王政国家も敵視しており、さらなる不確定要素となる。

こうして湾岸周辺で紛争が激化すれば、原油価格は供給不安でガンガン上がる。場合によっては、ペルシャ湾からホルムズ海峡を通って世界中に輸出される原油がストップするかもしれない。

特に、日本は原油の総輸入量の実に80%以上を中東に依存している。一部はペルシャ湾を回避するルートで供給される可能性もあるが、それでも輸入量は一気に半分以下にまで落ち込むだろう。元時事通信社ワシントン支局長の小関哲哉(おぜきてつや)氏はこう語る。

「ペルシャ湾が戦場となれば、湾岸からの輸出はほぼ全面的に途絶え、原油価格は100ドル以上に暴騰する。日本はこうした危機に備えて備蓄をしており、直ちに経済がストップすることはありませんが、世界経済は大混乱に陥るはずです。1970年代のオイルショックをはるかに上回る、1929年の世界大恐慌に匹敵するようなスーパーショックは避けられません」

さらに、中東では恐ろしい“連鎖反応”が起きる可能性もあるという。元外務省主任分析官の佐藤優(まさる)氏はこう警告する。

「イランの核開発が進行すれば、サウジは自らがスポンサーとなっているパキスタンから核兵器を受け取る。そうなればクウェート、バーレーン、UAEも続く。中東発の“核ドミノ”の始まりです」

世界の命運を握る中東の火薬庫。今にも火をつけそうな危ないプレーヤーたちの対立は、どんな結末になるのか?

●この全文は『週刊プレイボーイ』5号(1月18日発売)「サウジVSイラン『中東戦争』大炎上で超オイルショックがやって来る!」でお読みいただけます。

(取材・構成/小峯隆生 協力/世良光弘)

クノッソス古代木造建築

古代神殿建築ペディメントの性格
(ケルキラのアルテミス神殿のペディメント 図)

1280px-Gorgon_at_the_Corfu_Archaelogical_Museum紀元前1700年頃クレタ島クノッソスで古宮殿時代から新宮殿時代への移行期。






「カリアティード」
1280px-Bronzelettern_Sanssouci
画像
フリードリヒ2世の城サンスーシ宮殿にあるバロック後期のカリアティードとアトラスの半身像(ポツダム)










 
カリアティード(caryatid、ギリシア語: Καρυάτις)は、頭上のエンタブラチュアを支える柱の役目を果たす女性の立像。
エレクテイオンのカリアティード・ポーチ(アテネ、紀元前421年 - 紀元前407年)
複数形はカリアティデス(Karyatides、ギリシア語: Καρυάτιδες)。女像柱、女人像柱とも。ギリシア語のカリュアティデスは本来「カリュアイ(英語版)の乙女たち」を意味する。
1280px-Poカリュアイはペロポネソス半島の古代の町で、そこにはアルテミス・カリュアティスとしての女神アルテミスを祭った神殿があった。

カリュアティス(Karyatis)=「カリュアイの乙女」はアルテミスの形容語句でもあり、「アルテミスは《カリュアイの乙女》としてクルミの木の村カリュアイの踊りに興じ、《カリュアイの乙女》たちは輪になって、頭に青い葦の飾りを載せ、自ら踊る植物のようになって踊り狂った」という。

ギリシア建築は、古代ギリシア人によって創造された建築様式である。特に神殿建築は代表的であり、古典主義建築の直接的、間接的規範とされ続けた。

ギリシア建築は紀元前7世紀頃から様式の創造が開始されはじめ、紀元前5世紀から紀元前4世紀頃にその頂点を迎えるが、空間よりも細部の装飾や比例原理を洗練させて自己完結していく傾向にあり、現代の美術的な感覚からすれば、建築よりもむしろ彫刻に近い。
その後のヘレニズム時代には建築の形態が再編成され、建物の関係性が意識されるようになり、やがてこれらがローマ建築に継承された。

古典主義建築の源泉でありながら、ヨーロッパでは18世紀に至るまで忘れ去られていた建築であったが、新古典主義運動において建築の起原であると考えられるようになり、ギリシア建築の復興運動(グリーク・リヴァイヴァル)を巻き起こした。
19世紀に建築起原論は解体されてしまったが、古典(classic)の象徴という概念は現代においてもなお続いている。
Pediment
画像 神殿
ペディメント

歴史的、地理的関係性を考慮すると、古代ギリシアの建築活動は紀元前2000年頃のミノア文明中期に遡り、ギリシア本土では紀元前1400年頃のミケーネ文明を発祥とする。
しかし、クレタの建築とミュケナイ建築、そしてギリシア建築との間にある程度の共通性が認められるが、その関連性は必ずしも明確ではなく、ギリシア建築と呼べる建築は紀元前8世紀頃が出発点と考えられている。
DoricParthenon
ミノア文明(ミノアぶんめい)は、エーゲ文明のうち、クレタ島で栄えた青銅器文明のことである。伝説上のミノス王にちなみ、ミノア文明ともよばれるが、クレタ文明と呼ばれる事もある。紀元前2000年頃の中期ミノア期に、地中海交易によって発展し、クノッソス、マリア(英語版)、ファイストスなど、島内各地に地域ごとの物資の貯蔵・再分配を行う宮殿が建てられた。

宮殿以外にもコモスやパレカストロのような港湾都市が繁栄。また、貿易を通じてエジプトやフェニキアの芸術も流入し、高度な工芸品を生み出した。紀元前18世紀ごろには、線文字Aを使用している。

紀元前1600年頃の後期ミノア期には、各都市国家の中央集権化、階層化が進み、クノッソス、ファイストスが島中央部を、マリアが島東部をそれぞれ支配するに至ったが木材の大量伐採による自然環境の破壊が文明そのものの衰退を招き、紀元前1400年ごろにミュケナイのアカイア人がクレタ島に侵入、略奪されミノア文明は崩壊した。
 
クレタの宮殿建築は非対称性・有機的・機能的な構成で、中庭は外部から直接に進入することができ、かつ建物の各部分への動線の起点となっている。建物は常に外部に対して開放されており、当時のクレタが非常に平和であったことが推察される。

初期の宮殿建築では、宮殿に接して市民の公共空間が設けられていたが、後期ミノア時代に社会体制が中央集権化・階層化するとともに次第に公共空間は廃れ、他の建築物が建てられた。祭政を一体として行っていたために、独立した祭儀場を持たない。

ミノア文明は、紀元前15世紀半ばに突然崩壊した。その原因を、イギリスの考古学者アーサー・エバンスらは、サントリーニ島の巨大爆発(ミノア噴火)に巻き込まれたとする説を唱えた。
しかし、アクロティリ遺跡の調査によってミノア文明が滅んだのは、ミノア噴火より50年後ほど経た後であり、サントリーニ島の噴火が直接の原因ではないことがほぼ確定している。
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画像 カマレス土器

クノッソスの宮殿の最古部はMMIBに属しているが、この時期に宮殿が完成されたわけではなく、北西部と西側の貯蔵庫が最初に構築され、その後、東側の建物が構築されたと考えられている。

西側の広場ではクールーレスと呼ばれる円形のピットが3つ掘られており、これらは穀物を地下に貯蔵していたとされている。また、最西部ではオリーブ油やワインなどが貯蔵されており、宮殿が構築当初から農産物の貯蔵に使用されていたことが伺える。

また、中央広場東部では土器の補完や紡績の作業場として使用されていたことが推測されており、これらの発展はメサラ平野のフェストス宮殿でも見ることができ、フェストスでは古宮殿時代はフェイズ1、フェイズ2、フェイズ3の三段階に分けられているが、それぞれのフェイズで貯蔵庫、加工の場としての性格が進行している。

クノッソスの宮殿における祭祀、行政の中核は宮殿西翼の東部で行われており、この中でも重要な箇所である「玉座の間」は過去にミケーネ時代(LMII)に至ってから構築されていたと思われていたが、その後の研究の結果、この時代に構築されたことが明らかになっている。

このようにクノッソスでは祭祀施設が宮殿内部に構築されていたが、マリアの宮殿では宮殿外のMu地区(Quartier Mu)と呼ばれる複合施設に構築されている。
これら古宮殿時代の宮殿は高編年では前1780年に地震で全て崩壊したと考えられている。しかし、その後、崩壊した宮殿の上に同様の計画を持ってより規模を拡大した上で再建されている。
(資料ウィキぺデア)

クレタ文明は前3000年から前1100年頃までクレタ島を中心に栄え、農業とエーゲ海を舞台とした周辺諸国との海上貿易によって繁栄を誇ったそうです。その代表的な都市がクレタ島のクノッソス、マリア、ファイストスなどであり、これらの宮殿建築はかなり広い矩形の中庭を持ち、その周囲に様々な室がつらなっています。 

階段を巧みに利用して高低差を生かした部屋の配置がなされており、一見迷路のように見える平面も、関連する部屋はかなり合理的に置かれています。柱や梁は木造で、彩色が施され、柱は下に行くほど先細りとなる形を持っていました。 

ミュケナイ文明はペロポネソス半島の南部で前1600年頃より興り、前1400年頃にはクレタ島を制圧し、前1100年頃まで栄えました。その代表的都市がミュケナイやティリンスである。これらの都市は宮殿を中心としていることでは クレタ文明の都市と共通しますが、建築物は異なります。それは、ミュケナイやティリンスが巨石を用いた、堅牢な城壁をめぐらした城塞都市をなしていることです。 
 
さらに宮殿はメガロンと称される規模の大きな種室を中心に構成されます。メガロンは玄関ポーチ的な前室と居室にあたる後室からなり、2階建てであったと考えられています。前室には2本の柱が、後室には4本の柱が立ち、中央に炉が備えられていました。このメガロンの平面形式は後のギリシア神殿の神室に受け継がれていきます。
前田建設株式会社
(記事引用) 


木材の大量伐採による自然環境の破壊が文明そのものの衰退を招き、紀元前1400年ごろにミュケナイのアカイア人がクレタ島に侵入、略奪されミノア文明は崩壊した。

柱や梁は木造で、彩色が施され、柱は下に行くほど先細りとなる形を持っていました。 

この記述は、古代ヨーロッパにおいても木造建築があったことをうかがわせる。また、レバノン杉乱伐は神話にも描かれている教訓だ。

「紀元前1400年ごろにミュケナイのアカイア人」というのはギリシア文明以前の高度な文明があったことがわかる。

そして、カリアティードは、頭上のエンタブラチュアを支える柱の役目を果たす女性の立像。エレクテイオンのカリアティード・ポーチ(アテネ、紀元前421年 - 紀元前407年)など、建築構造に欠かせない四方の柱に、カリュアティス=「カリュアイの乙女」はアルテミスの形容語句で、「アルテミスは《カリュアイの乙女》としてクルミの木の村カリュアイの踊りに興じる、としているのは何を意味しているのか。その語る内容は、まるで神話スタイルで、建物構造については何も言及していない。
また、現代の建築研究でもアルテミス《カリュアイの乙女》の用途、に及んでは、柱の像がどうして少女であるのかの説明も無い。

それらをよくよく考えて見れば、日本の木彫仏像においても鬼を足で踏みつけ威圧している様の彫り物があり、意味合いでは共通すると思われる。それは古代信仰の心身供与の生贄儀式の表れと、捉えることもできる。

その頭上にある屋根下部分のぺディメントは、ヨーロッパ古代建築には伝統的に、神格化した人または動物が飾られている。その理由も「アルテミス」同様、たしかな理由の解釈がされていない。日本の神社建築は「切妻造」といって重用されている。

古来より西洋思想は、東洋と異なり、自然の驚異を人の力によって制圧するという思想が根底にある。その考えからすると「アルテミス」の生贄によって神託を許され、さらにぺディメントに配した神格像の神威を借りて、さらに天空へと昇りつめるという人間の飽くなき欲望を具現化した様式である、と結論した。


そこに描かれた像は巨大の限りがなく、大きければ大きいほど神に近づくという巨大信仰であり、それは宇宙の太陽神信仰と一体同化となる。

釈迦信仰の一説で、蜘蛛の糸を伝って天へと向かった一人の男が、下の地獄から這い上がってきた男を蹴り落とすと、その蜘蛛の糸が切れて、一緒に地獄へと転落したという説話。同じ筋でジャックと豆の木の話し。

ジャックは母親に言われて牝牛を市場へと売りに行く。しかし、途中で会った男の豆と牛を交換してしまう。家に帰ると怒った母親により豆を庭に捨てられるが、次の朝にその豆は巨木へと成長していた。
ジャックは豆の木を登り雲の上にある巨人の城にたどりつく。城で出会った巨人の妻はジャックに、夫はogreオーガ)なので早く逃げるようにと言うが、ちょうど巨人が帰ってきてしまう。巨人の妻はジャックを隠すが、巨人は(イングランド人)の匂いがすると言う。巨人が寝た後、ジャックは金の卵を産む鶏を奪って家に戻る。その後、ジャックはまた豆の木を登り金と銀の入った袋を奪う。
しかし、ハープを持っていこうとした時にハープが喋り出し巨人は起きてしまう。急いで地上に戻ったジャックは豆の木を斧で切り、追って来ていた巨人は落ちて死んでしまう。裕福になったジャックと母親は幸せに暮らす(近年では、裕福になるまでの事の次第を知った母親に諌められて反省したジャックが、真面目に働いて親孝行をするという展開に差し替えられる場合が多い)。

というイギリス童話のはなし。

どちらも欲深な人間のいましめ話、だが、その目的が空の天に向かうことで一致している。

そこから読み取れる古代信仰の本質は「アルテミス」同様、巨大化して天に向かうことである。

天に向かう、その蜘蛛の1本筋は完全無限の垂直でなければならない。でないと、たちまち吹いた息で傾き崩壊する。

目の前にある一本の箸を垂直に立てるにはたやすいが、10本となると難しい。さらに100本となると殆ど不可能に近い。

弾丸発射実験でスローモーション高速映像をみると、超スピードマッハでも視覚に映るが、壁に衝突した破壊力は凄まじい。その弾丸は、なにもしないカラのまま、二人の手の平でお互いキャッチポールをしたとしても痛くも痒くもない。問題は、弾丸そのマッハの速さにある。
陽子崩壊加速装置、大型ハドロン衝突型加速器は、高エネルギー物理実験を目的としてCERNが建設した世界最大の衝突型円型加速器の名称。LHC実験はそこで実施されている実験。LHCは陽子ビームを7TeVまで加速し、正面衝突させることによって、これまでにない高エネルギーでの素粒子反応を起こすことができる実験装置であり、ナノサイズでも高速衝突すると、物質本体構造が壊れてしまう。

目の前にある一本の箸を垂直に8000メートル立てると、世界最高峰の山エベレストに到達する。標高8844.43 m。時に地殻変動や地球温暖化などの影響で年々変化する。
その頂上に人間は上ろうとする。そこから下に落ちると命は保障されない。

everest_sunset

画像
エベレスト街道|エリアガイド|西遊旅行
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満月の日、カラパタールより夕日に映えるエベレスト(右)を眺める

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