Galapagos Japas

国際政治と日本の古代政治変遷歴史 明治維新など特に集中して書いている

2016年07月

宮崎勤事件と平成のはざま

映画「64-ロクヨン-」で想起する「昭和64年の少女誘拐殺人事件」宮崎勤事件と昭和の終わりの関係  ウ映画64
篠田博之 2016年07月28日 18:31
映画「64-ロクヨン-」は前編後編とも公開後すぐに観た。人間ドラマが丁寧に描かれ、面白い映画だと思う。予告編を観た段階からひとつ引っかかっていたのは、「わずか7日間でその幕を閉じた、昭和64年。その間に起きた少女誘拐殺人事件」というキャッチフレーズだ。当然思い起こすのは、昭和63年から翌年にかけて起きた少女連続誘拐殺人事件、宮崎勤事件だ。もちろん原作はフィクションだから、何がモデルかなどと詮索することにあまり意味はない。原作者の横山秀夫さんが、幾つかの事件をヒントにしながらひとつの新しいストーリーを組み立てていったことは明らかだ。

それにもかかわらず、なぜ私が宮崎勤事件との関係を気にしたかといえば、ネットなどで、この映画のモデルは何かといった話題がある中で、当然想起されてよい宮崎事件が触れられていないからだ。「64-ロクヨン-」は「7日間で終わった昭和64年」というのが全体を貫く大事なモチーフになっており、映画の中でも当時の小渕官房長官が「平成」というパネルを掲げるシーンが何度も登場する。その「昭和の終わり」と密接に関わっていたのが宮崎事件だった。

「平成」の文字を掲げる当時の官房長官
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ネットで主に「64」のモデルとされているのは功明ちゃん誘拐事件だ。犯人を取り逃がしたというこの事件は、原作者が新聞記者をしていた群馬県で起きたものであることから、ヒントにしたのは確かだろう。しかし、この事件が起きたのは昭和62年であり、「昭和の終わり」のイメージとは結びつかない。なぜ宮崎事件がここで「昭和の終わり」のイメージとともに連想されないのか。私はむしろ、そっちのほうが気になった。

ひとつの理由は恐らく、宮崎事件が単純なわいせつ事件として片づけられてしまったからだろう。「64-ロクヨン-」の素材となる身代金目的の誘拐事件とは根本的にイメージが異なる。そしてもうひとつ気になるのは、昭和天皇の死去と宮崎事件とをつなげることが、当時、意識的に避けられ、そのイメージが何となく封印されてしまったからではないかという気がすることだ。

ネットで検索すると宮崎事件についてはたくさんの情報が出て来るのだが、全体を通してひどく偏っているのが気になる。宮崎事件については、ノンフィクション作家の佐木隆三さんや吉岡忍さんらの作品が知られているし、大塚英志さんも1審の裁判には深く関わった。私も宮崎死刑囚本人と12年間接触し、処刑後には彼の母親から「長い間、勤がお世話になりました」とわざわざ電話がかかってきたほどだ。でも、それら事件に関わった表現者やジャーナリストの情報はほとんどネットに残されていない。宮崎事件が、ネットの普及する前の事件だったからだ。

だから今回、これを機会に、宮崎事件と昭和の終わりの関係について少し書いておこうと思った。それが今日までほとんど言及されずに封印されてしまっているのは、たぶん当時はまだ天皇タブーが強固だったという事情もあるのではないかと思う。

宮崎事件そのものが今や遠い昔になってしまったが、昭和63年から少女が次々と誘拐され、後に連続殺害事件として社会全体を恐怖のどん底に落とし込んだ事件だ。事件が大きく展開するのは、昭和が平成に替わった1989年2月6日、行方不明となったMちゃんの自宅前に、犯人と思われる者が置いた遺骨入りの段ボールの箱が見つかったからだ。2月10日にはその被害者宅だけでなく新聞社などへ犯行声明も送られ、事件は「劇場型犯罪」として社会を震撼させた。

なぜ宮崎死刑囚は、アシがつきかねない、そういう大胆なことを行ったのか。その動機について宮崎死刑囚は逮捕後何度も語っていたのだが、不思議なほど世に知られていない。宮崎死刑囚を、遺骨を遺族宅に届けるという行動に駆り立てたのは、昭和天皇の死去が当時、大きく報道されていたのがきっかけだった。例えば、精神鑑定の中で彼はこう答えている。

《八九年の冬場はテレビやコマーシャルで葬式をやっていて、見た時、おじいさんの葬式と同じだなと思ったことがある。何か送ったとしたら葬式をまた見るとして送ったとしか言いようがない。》

宮崎死刑囚は、昭和天皇崩御を報じた新聞記事を大切に保存していた。後に精神鑑定でこんなやりとりをしている。

《--宮崎君は昭和天皇の葬儀の新聞を大切にしていたんだってね。

宮崎 違う。あれはおじいさんの葬式。

--どういう点からおじいさんの葬式と感じたんですか。

宮崎 わかった。

--直観的にわかったの。

宮崎 「ぴーん」ときた。

--写真を見てですか。

宮崎 テレビでやっていた。

--テレビは昭和天皇のでしょう。

宮崎 言葉ではそのようなことを言っていた。》

宮崎死刑囚の頭の中で、昭和天皇の死と、前年の祖父の死が混濁しているのだ。1988年の祖父の死去は、最初の誘拐事件の3カ月前に起きたもので、一連の事件の大きな鍵になるものだ。宮崎死刑囚は幼女を誘拐して殺害し、遺体を解体したり、いろいろな儀式を行っていた。初公判でそうしたことが明らかにされるや、あまりの猟奇性に世間は騒然となった。実はそれらはみな、宮崎死刑囚の意識の中では、祖父をよみがえらすためとして関連づけられていたのだった。宮崎死刑囚の説明の中では、祖父の死と昭和天皇崩御はしばしば入れ替わりイメージが交錯するのだが、日本中が喪に服していた1989年当時はたぶん、宮崎死刑囚のそうした説明は、とんでもない不敬として封印されたと思われる。

宮崎事件が単純な猥褻事件でないことは、彼が幼女の遺体を解体したり、遺体が腐食していく様をビデオに録画したりしていたことでもわかる。人間が死を迎えることで人格が消失し、物体になっていくことに彼は異様な関心を示していくのだが、それは可愛がってくれた祖父の突然の死がきっかけだった。そして1989年の昭和天皇崩御が大きく報道されたのをテレビや新聞で見たことで、彼はMちゃんの死を遺族に知らせようとして段ボールを自宅前に届けたのだった。

祖父という身近な人の死に直面した宮崎死刑囚が、高校自体から発症していたと思われる精神的な病いを一気に悪化させ、精神的な崩壊に至っていくのが、ちょうど1988年から89年にかけて次々と幼女を誘拐して殺害していく事件の時期であった。

宮崎事件と祖父の死の関係については拙著『増補版ドキュメント死刑囚』に詳しく書いたし、2014年に佐世保女子高生殺害事件でやはり殺害した遺体を解体するという行為がなされたこととの関係で、このブログでも考察した。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20141007-00039772/

わずか7日間で終わった昭和64年は、天皇の死去というのがいかに大きな社会的意味を持つかが認識された時期だった。誘拐された幼女の自宅に骨の入った段ボールが届けられることで大きな社会的衝撃を巻き起こした宮崎事件の展開は、その直後、平成が始まった1989年2月初めのことだった。
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その二つが現在、関連づけられることもなく、昭和64年の少女誘拐殺害事件というフレーズを聞いて、宮崎事件が全く想起されないというのは、私にはどうも偶然ではなく、当時の関係者の間で何らかの意志が働いたような気がしてならない。

なお宮崎死刑囚自身は、『夢のなか』『夢のなか、いまも』という2冊の著作を残している。どちらも私が編集したものだが、不可解な宮崎ワールドを理解してもらうためにかなり丁寧な解説をつけたのだが、それでも不可解だ。しかし、宮崎事件を研究するためには最もよい1次資料であることは間違いない。宮崎死刑囚とは膨大な私信のやりとりも残っており、後世の記録として何らかの形で整理し、残したいと思っている。 
(記事引用)

 
もときた「未知」に戻る
http://blog.livedoor.jp/raki333/archives/52090407.html

ロッキード事件と石油利権

ロッキード事件の真相
昨日のNHKテレビ2話を見た限りではその真相追究まで至っていない。
今晩の3話(前項参照)で、一気に決着するか、という感想だが、そもそもこの事件がウヤムヤで終わっているだけに、いくら「ドキュメンタリードラマ」といえども創作はできない。

たまたま、ここで書いていた「都知事選選挙戦」の過去の経緯、巨額利権既得権の最終的行き場、を探っていたところこのテレビ放送があったので、よく似た話だ、とおもい拙著ブログを参考にして「場当たり的」に意見してみた。
「場当たり的」というのはいい加減、というのではなく、いくら個人がネタ検索したところで限界もあるし、また「田中角栄」という時代的背景やその出生地など、要素が複雑に絡み合って真理を探り出すには無理がある。
また、すでに出来上がってしまった一定の「ニュースソース」パターンは覆せない。

ここに引用した記事は比較的、平易な解釈で真相究明しているので掲載した。(コメントも併せて載せたが誹謗中傷的意見は無視した)
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中曽根元首相の証言「ロッキード事件は米国の陰謀」世川行介
投稿者 内田良平 2011 年 11 月 05 日 
小沢一郎を窮地に追い込んだ今回の「小沢事件」と田中角栄を貶めた「ロッキード事件」の共通点について、多くの関係者が米国の陰謀説を唱えている。
小沢も田中も強大な権力を握りながら、対米従属から自主外交に歩を進めようとしたため米国という虎の尾を踏んだというものだ。今回、世川氏が12月に「小沢一郎支援本」の中で、中曽根元首相のロッキード事件に関する証言を取り上げ、小沢事件の核心に迫ろうとしているので一部紹介したい。

<以下、抜粋>

ぼくは、小沢一郎事件のいびつ性を理解するためには、ロッキード事件を理解することが不可欠だ、と思っているので、今回の本は、そこを書いた。
特に、若い読者は、ロッキード事件と小沢一郎事件を、比較検証してみて欲しい。
中曽根康弘元首相のロッキード事件私見
僕は、「今回の小沢一郎事件と35年前のロッキード事件とはよく似ている」、と思っているわけだが、その理由を書くことにする。

30数年前、マスコミは、「ロッキード事件は、この国の総理大臣までからんだ一大汚職事件だ」と書き立て、マスコミに誘導された世論の支持をうけた検東京地検特捜部は、田中角栄を逮捕した。田中角栄は、マスコミから「悪の権化」のように指弾され、政界での力をうしない、子飼いの議員たちからそむかれ、病にたおれ、失意のうちに政界を去った。

しかし、30年経った現在では、あれほど大騒ぎになったロッキード事件に関して、「本当は、米国の陰謀であって、田中角栄はその犠牲者であった」というのが定説になりつつある。裁判所が一審から二審で出した判決とは、まったく異なる内容の説だ。

こうした米国政府がらみの事件は、半永久的に、その真実が日本国民の前に明かされることはないわけだから、政府や裁判所やマスコミが、「いや、たしかに、あの汚職事件は存在した」と言い張りつづけたら、おおくの国民は、それを信じていくことだろう。つまり、すべては「藪の中」のままで、「戦後歴史の闇」として葬り去られることだろう。

ここに、一つの文章がある。
元首相で、田中角栄と同時代を生き抜き、いまは数少ない戦後昭和政治の生き証人となった中曽根康弘が書いたものだ。彼は、当時をふり返ってこう述べている。

「田中内閣が発足して二年目の1973年秋、第四次中東戦争をきっかけとしてオイル・ショックが起こる。ペルシャ湾岸の石油産出国六カ国は石油価格を21%引き上げ、OAPEC十ヵ国石油担当相会議が五%の生産削減とアメリカなどイスラエル支持国(アラブ非友好国)に対する石油輸出禁止を決めた。仮に日本への石油輸出が毎月五%削減された場合、日本経済は翌年3月には立ち行かなくなることが目に見えていた。」

オイル・ショックの頃から、田中君は日本独自の石油資源外交に積極的な姿勢を取り、アラブ諸国から日本が直に買い付けてくる「日の丸石油」にまで色気を見せていた。
さらに、渡欧の際には、英国の北海油田からも日本に原油を入れたいと発言し、ソ連・ムルマンスクの天然ガスにも関心を示して、独自の資源獲得外交を展開しようとした。これがアメリカの虎の尾を踏むことになったと私は想像する。

世界を支配している石油メジャーの力は絶大である。いささか冒険主義的だった田中君の資源外交戦略が淵源となり、「ロッキード事件」が起こったのではないかと考えることがある。」「田中君が逮捕されてから間もなく、日本を訪れたキッシンジャー氏と二人きりで話していた折のことである。氏は、「ロッキード事件は、間違いだった。あれはやりすぎだったと思う」と、密かに私に言ったことがある。キッシンジャー氏は事件の本質、真相をおそらく知っていたに違いない。」       
     
(「私と角栄氏とキッシンジャーの言葉」中曽根)        

ここで、中曽根康弘元首相がことばを慎重に選びながら語っているのは、「ロッキード事件は、石油メジャー=米国政府の意向を無視して、独自の石油獲得外交をおしすすめた田中角栄首相に対する石油メジャー=米国政府からの報復であり、事件そのものは陰謀(=でっちあげ)だった気がする。それは、当時米国政府の中枢にいたキッシンジャー大統領補佐官も認めている。つまり、田中角栄は無罪であった」ということだ。

元首相で、「戦後政界の元老」といってもいい人物が、被告人田中角栄が控訴中に死亡し、審理中止になったとはいえ、一審二審では判決の出ている事件に関して、そう軽々しいことを言うはずもない。きっと、老いを意識した中曽根康弘の胸中に、「自分が、今のうちに真実を語っておかなければ」という政治家としての使命感と、おなじ戦後昭和政界を生きながら無念の最後を迎えた同い年の田中角栄に対する友情に似た思い、があったに違いない。

また、田中角栄の最後の秘書である朝賀昭は、「ロッキード裁判で、免責証言の採用という制度は日本の法律にはないのに、米国の免責証言を証拠として採用して田中先生を有罪にしたことがまちがいだった」、と言う。ロッキード副会長コーチャンや元東京駐在事務所代表クラッターといった米国実業界要人を日本で起訴できる可能性がないことと、米国で公正な手続で尋問がおこなわれたことを理由として、日本でははじめて、起訴されずに嘱託証人尋問調書が作成されたのだが、東京地裁は、「合理的理由があり適法である」として証拠採用した。これは日本の司法制度にない「司法取引」であり、弁護側は反対尋問さえできなかった。

朝賀昭が言っているのはその点で、「はたして、免責を保証された証言が信じるに値するものなのか」、「反対尋問もできない証言の採用はおかしいのではないのか」、との疑問は、国民のおおくも同様の思いだったから、裁判の進行状況とは関係なく、「ひょっとしたら、ロッキード事件は、なにがなんでも田中角栄を有罪にするためにねつ造された事件ではなかったのか?」という疑いを国民に与えつづけた。
(ただ、丸紅ルートの最高裁では、「共犯者に刑事免責を与えたうえで得た供述を事実認定にもちいる司法取引という制度を日本の法律は想定していない」として、コーチャンとクラッターの嘱託証人尋問調書の証拠能力を否定した。)

これに関して、井上正治は著書『田中角栄は無罪である』で、つぎのように述べている。

「裁判というものは、いつでも検察官とはっきり一線を画していなければならないことは当然である。だが、そうしたことさえ、ロッキード事件では通らなくなっている。ここに、私は司法権力の”権力化”を指摘せざるをえないのである。」「あの、最高裁の免責宣明は、当時の藤林長官によれば、司法行政の一つとしてなされたということだ。」「しかし、それは最高裁としてはでしゃばったおせっかいだったと言わなくてはならない。」

「具体的な事件を目の前にして、最高裁が下級裁判所に対し、いくら環境作りであれ、司法行政の名において何かをすると言うことは、下を拘束するはずのものであり、」「司法行政の名で最高裁が下級裁判所に向かって一定の指示をするというようなことは、重大な勇み足をしたことになる。いまさら大津事件を引用するまでもないが、最高裁こそ、検察官に対して厳しい一線を画しておかなければならなかった。」

「最高裁の強いバックアップでやっとコーチャン等の証言を書き取った調書が日本に渡ってきた時、日本の裁判所は、この最高裁のこのバックアップに目がくらみ、その調書を簡単に証拠として採用してしまうことになるのである.現に東京地裁は、その証拠能力を否定する勇気をどこにももちあわせなかった。」

ここで井上正治が言っているのは、訴えるがわの検察と、裁く側の裁判所とのあいだに、「身内意識」や「精神的な癒着」があってはならない、という一点だ。つまり、そうしたものが生じるということは、「司法側に、何らかの理由があって、ことのはじめに、田中角栄を有罪にせよ、という結論があってのことではないのか」という疑問の提出だ。

仮に、中曽根康弘元首相の言葉にもとづいて、米国政府からの強い要請があったため、どうしても田中角栄を有罪にしなくてはならなかった、という理由をベースにして見つめ直したら、ロッキード事件は、これまでとはまったく違った姿を見せてくる。ここにロッキード事件が、いまも国民に司法への疑念をいだかせた事件として記憶に残らざるをえない理由がある。

もし、ロッキード事件の真相が中曽根康弘元首相の示唆するとおりだったとしたら、田中角栄の後半生とは、いったい何だったのだろう。平成の現在、田中角栄の人気は、戦後政治家のなかでは抜群に高い。「歴史に残る政治家」とか、「好きな戦後政治家」といったいろいろなアンケートでも、そのことは証明されている。

しかし、人としてこの世に生れおち、政治家としての<理想>に燃えてまい進し、総理大臣にまでなって、やっと、これから日本を改革するんだと意気込んだ矢先、自国の利権を最優先する米国の意向によって、身に覚えのない容疑で逮捕され、刑事被告人にさせられ、政界での影響力をそぎ落とされ、子分議員たちにそむかれ、病にたおれ、政界引退を余儀なくされて、失意のうちに死ぬ。

それから三〇年も経ってから、「ロッキード事件はあったけど、人気度ナンバーワンの政治家だ」という言われ方で賞讃されて、これであの世の田中角栄は満足なのだろうか?
そんなわけがない。

コメント抜粋
05. 2011年11月05日 09:44:41: bewqggIZg2 
世川の作家としての力量はいかがなものか。
中曽根を持ち出してきて、
>。ヨ自分が、今のうちに真実を語っておかなければ」という政治家としての使命感と、おなじ戦後昭和政界を生きながら無念の最後を迎えた同い年の田中角栄に対する友情に似た思い、があったに違いない。などと書いている。思わず、笑ってしまった。

中曽根は、ロッキード疑惑で一番利益を受けた人物で、事件発覚当時、自民党の幹事長。
朝日新聞2010.2.12付の記事によると、中曽根幹事長は当時、米国に「momikesi」を依頼している。
はたして、その中曽根が田中角栄に「友情」を持つに至ったかは疑問であるし、世川の単なる「思い込み」の域を出ない。

世川の文章の特徴は、資料を駆使せず、感情論に持って行く点だ。
田中角栄の悲劇・小沢一郎の悲劇=世川(本名不明)の「悲劇」に持ち込もうという作為がありありとしている。
木村正治『田中角栄は無実である』は1985年初版。
その後、すぐれた「ロ裁判批判書」は数多く出版され、研究も進化している。
世川よ。
小沢擁護新理論を豪語するなら、内田良平と同じ手法(つまりコピペ)ではダメだよ。
最後に「ネット上で、個人情報の安易な提供は危険です」と言っておこう。

13. 2011年11月05日 17:37:06: mq8GRhS1S6 
なるほど!ロッキード事件は、どこかハッキリしないウサン臭いものを感じていましたが、アメリカ政府絡みとなると、万事がきれいに繋がってスッキリ理解できます。
21世紀になってエコノミック・ヒットマン(表向きは民間シンクタンクとして、南米各国に派遣される)の証言にもあるように、米政府(グローバル金融エリート)が南米諸国で70年代から90年代に行ってきた構図と全く同じですね。自国の利益を追求するという、ごく「真っ当な」指導者たちをあらゆる工作を打ち失脚させ、後に属米政権を立てるという。。
私は現在NYに住んでいますが、数週間前 "End of the FED"(FRBシステム廃止運動)のデモをマンハッタンのミッドタウンで見かけました。Alex Johns氏などの呼びかけもあって、この運動は全米各地に飛び火しているそうです。
ヨーロッパでもビルダーバーグ会議の存在が一般層にもかなり知られるようになってきているようで、、何か、これからの数年間がNWO側と我々側の正念場な気が致します。

41. 2011年11月06日 15:43:12: bewqggIZg2 
しかし、この世川という売文業はとんでもなく無節操だね。
①僕は、「今回の小沢一郎事件と三十五年前のロッキード事件とはよく似ている」、と思っているわけだが、その理由を書くことにする。

②ここで、中曽根康弘元首相がことばを慎重に選びながら語っているのは、「ロッキード事件は、石油メジャー=米国政府の意向を無視して、独自の石油獲得外交をおしすすめた田中角栄首相に対する石油メジャー=米国政府からの報復であり、事件そのものは陰謀(=でっちあげ)だった気がする。それは、当時米国政府の中枢にいたキッシンジャー大統領補佐官も認めている。つまり、田中角栄は無罪であった」ということだ。

③仮に、中曽根康弘元首相の言葉にもとづいて、米国政府からの強い要請があったため、どうしても田中角栄を有罪にしなくてはならなかった、という理由をベースにして見つめ直したら、ロッキード事件は、これまでとはまったく違った姿を見せてくる。ここにロッキード事件が、いまも国民に司法への疑念をいだかせた事件として記憶に残らざるをえない理由がある。

と結論付けている。

しかし、しかしである。

ロッキード裁判と小沢一郎事件は似ていると、今回きっぱりと書いているが、
な、なんと、世川は、2011.5.14に、同じ「世川日記」で以下のように書いている。

「小沢排除陰謀説で、すべてを、米国政府のせいにして、対米関係の中での構図を強調する論法は、あまりにも、短絡すぎる思考法のように思えてならない。」

え、アンタ、いつの間に「短絡すぎる思考法」になってしまったの・・・。

多分原因は、一冊しか読まなかった資料、井上正治の著書をコピペしたからなのだ。

こんな「スバラシイ」、送料45円の小沢擁護新理論本と引き換えに、
誰が、危険を犯して、個人情報を渡すもんかね。
  
42. 2011年11月06日 15:54:53: zTWZnIySLY 
日本人もバカばっかりでないのだから、国民投票制度を取り入れるべきだ。
米国からの独立は国民の一人一人の力しかない。論議を巻き起こせば、きっと日本国民のための自主外交ができる。不思議なのは、反小沢を叫ぶ連中は、みんなTPP賛成者であるのは、なぜか。岡田をはじめ、みなさん名前をあげてみてください。
それにしても、米国は気に食わないと、戦争を吹っかけて、二個も原爆を落としてつぶした。こんどはTPPによつて日本人が英語をしゃべり、読む国に変えようとしている。日本語は第二外国語で学校では選択科目に将来はなるだろう。そして、長い日本の歴史は黒塗りされ、皇室の存在も無視されるのか。
★阿修羅♪ > サイトより
(記事引用)
 

トルコで起きたクーデター

不思議なクーデター(トルコ)
野口雅昭2016年07月18日 11:12 中東の窓
トルコのクーデターについては、これまでも2度ほど、どうも不思議なクーデター未遂であったという趣旨のことを書いたかと思いますが、今になっても未だ、というか益々今回のクーデターが何であったのか、疑問ばかり募るというところです。
 
そもそもトルコ政府は、クーデターの首謀者がNY在住のgullen とかいうイスラム法学者だとしており、確かに彼の軍や司法その他に対する影響には大きいものがあり、、エルドアンの最大の政敵であったようです。

おそらく彼がクーデターの思想的背景なのかもしれませんが、クーデターの様に現実の兵隊や戦車や航空機を動かして、政府を乗っ取ろうとする陰謀は「子供の遊び」ではありません

・陰謀に加担するものが綿密な連絡を取り、それぞれの役割分担を決め、攻撃目標やその分担等詳しく決め、タイミングも決めたうえで、時代物映画なら合言葉まで決めるのでしょうが、今回も相当数の兵隊が動員されていますから、失敗した出来損ないのクーデターであったとしても、かなりの規模の組織があったものと思われます。
それを背後からgullen が操っていたとするのは、トルコの情報機関、米CIAの能力等からして、、ほぼ不可能でしょう。

 ・ということは現実に、トルコ国内でクーデターを計画し、組織し、参加者に指令を発した本部というか、指導者が必ずいるはずです。
ところが、あれから数日たち、多数の軍人等が逮捕されたにもかかわらず、今になるも首謀者(複数か?)の名前は発表されません。いくら何でも、トルコ政府がまだ実際の首謀者がだれかわからないということはないでしょう。 

・これに反して、逮捕の方は極めて手際よく進んでいるようで、高級軍人を含む多数の軍人、司法関係者、弁護士等、既に6000名が逮捕されたとのことです。このうち軍人に関しては、参加した部隊の連中とか、当然その関与が疑われるものは居るわけですが、それと合わせて100名を超える(でしたっけ?)司法関係者が逮捕された、というのはどうにも不思議なところです。
おそらく、彼らはgullen師の関係者ということでしょうが、まさか彼らが現実に背広で銃をとった訳でもあるまいし、あまりに手際のよい逮捕劇で、どこかきな臭い感じさえあります。

 ・京都からでは本当のところは、わかりませんが、一部のアラビア語メディアに、今回のクーデター鎮圧に最大の貢があったのは、情報機関と警察だとありました。
そのうち警察はともかく、情報機関については、国境地帯での対IS作戦等で、時々軍と違った動きをしていると報じられていたことを思い出します。

トルコの情報機関は極めて優秀(冷血?)という評価もありますが、その情報機関が鎮圧に貢献したとすれば、事前に何らかの情報をつかんでいたのでしょうか?
まさかそのうえでやらせて、一網打尽というシナリオは出来すぎていますが、どこか臭いことは事実ですね。

 ・種々推測に過ぎないことをあれこれ書いてきましたが、今回の事件で最大の得をしたのがエルドアンであることは間違いないでしょう。
彼は勢いをかって、死刑の復活を唱えているし、軍や検察や司法から彼の反対者を一掃し、一時は失敗した憲法の改正も再度試みるのではないでしょうか?

まあ、結果的にはエルドアン御独裁体制の強化と見て間違いないでしょうね
自作自演という声もあるようですが、今のところ、そこまで彼を疑う材料はないと思います。

 ・外国との関係では、クーデターはCIAの陰謀などという陰謀史観その物の見方をする人もいるようですが、少なくとも世界中のメディアの見るところでは、gullen の取り扱いをめぐって、米国はトルコとの間で深刻に厄介な問題を抱えたと評している通り、背後に米国があったとみる見方は単純な偏見でしょうね。

それよりも、hurryiert net は、今後の両国間関係の増強を巡り、プーチンとエルドアンが8月にも会談する可能性があると報じており、もしかすると得をしたのはプーチンかもしれません。

 ・まあ、いずれにせよ、日本も含めて世界中で、クーデター非難、選挙で選ばれた政府支持という合唱が満ち満ちていますが、それは当然の反応として、今後のエルドアンの動き如何では、彼に対する評価にも影響が出る可能性があるだろうと思っています。
http://www.hurriyetdailynews.com/#panel-6
http://www.alquds.co.uk/
http://www.alarabiya.net/ http://www.aljazeera.net/portal

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コメント一覧参考

6. 名無し 2016年07月18日 17:09
管理人さん
参考になる意見を頂き、ありがとうございます。
5. Hitoshi Yokoo 2016年07月18日 17:04
「クーデター」の真偽を確認する前に、エルドアンの置かれていた状況を考慮してみますと、エルドアンはこの状況にかなり危機感を持っていたと思われます。彼は、クルド自治運動を潰すため、南東部を破壊し続けていますが、クルド人の反エルドアン感情は高まるばかりで、国際世論もクルドサイドを支持しています。
個人的にも、彼はイスラム国の盗掘石油を売買して、私腹を肥やしていたことは公然の秘密です。
更に、言論弾圧は常軌を逸して、これも国際世論から厳しい批判を受けています。順調に成長を遂げてきたトルコ経済は、ここに来て失速し、海外からの観光客も激減し、このままいけば危機的状況を迎えることは必至です。

彼は大胆な策謀家です。シリア難民に市民権を与えてクルド自治運動を潰すことまで考える男です。
彼はこの状況の中で、国軍の総意に基づくクーデターを心底恐れていたと思われます。
彼が押さえている情報機関MITを通じて、その気配を既に察知していたのではないでしょうか。クーデターの経過を見ていますと、あまりに演劇的です。悲惨なのは、罠にはまった一部の軍人と利用された兵士たちです。司法関係者の手際よい大量粛清は、事前に綿密な検討がなされていた証拠だと思われます。

疑似クーデターは見事に成功し、真のクーデターを事前に潰したように思われます。彼の独裁傾向は更に強まり、そのことにより、トルコの国家的危機は深刻な事態に至ると思われます。

4. abu_mustafa 2016年07月18日 15:56
名無しの権兵衛様
クーデター騒ぎのあとで、冷静な、というか客観的に公平な裁判を期待するのはそもそもが無理でしょう。そんな例はあまり知りません。
確かにご指摘の通り、1952年のエジプト革命(と呼んでいるが実態はクーデター)の時には、旧王制関係者に対するあまり過酷な裁判はなかったので、冷静な裁定というのは可能かもしれませんが、それは所詮は政治的な判断によるもので、司法的判断によるものではないでしょう。
司法的判断による最悪のケースはエジプト裁判官のムスリム同胞団支持者に対する数百名に上る死刑判決でしょう。気違いじみています。
今回、エルドアンがどこまでクーデター未遂を利用して、独裁体制を固めるのか、せっかく中東では割かしまともな数少ない国であるトルコのことゆえ、気にしています。
3. abu_mustafa 2016年07月18日 15:48
名無し様
確かに建前上はトルコは今でもEU加盟を目指していますが、本心はどうでしょうか?
勿論トルコと言っても政府内でさえ種々の意見はあると思いますが、ギリシャ危機の辺りから、トルコの中ではEUに対する態度にかなりの変化が生じたように思います。
要するに、それまでの「恋する相手」から、「よく見たら大した相手でもなかったか?」とか、経済的にはむしろ自分たちの方が上だとなったり、シリア難民問題でも、カギを握っているという自負も出てきていると思います。要するにEUの容色が衰えて、魅力が減ったと思います。
今回のbrexit はさらにEUの魅力を失わせたと思います。
いずれにしても、トルコの中でもEU加盟支持の急先鋒は、今回のクーデター者、またはその支持者の世俗派だろうと思うので、エルドアンとしてはそれほど固執してはいないでしょう。
死刑復活と加盟とどちらかをとれと言われたら、死刑復活か難民合意の破棄かどちらかをとれ、と開き直る可能性がありそうです。
2. 名無しの権兵衛 2016年07月18日 12:54
まあエルドアンが陰謀を起こしたとは思わないものの災いと転じて福を為す、じゃないですけどこれを機に政権に不都合な人間も容疑をかけてる感じですね

こういう時こそ冷静な裁定(以前から弱体化はしているが)が期待されますが、司法も大量の裁判官の職務一時停止だの、反乱容疑でかなりの拘束があっただの混乱してますし今後政権の司法への圧力に拍車がかかるとなると期待できなさそうです

仏のエロー外相辺りはその辺かなり懸念したコメントを出してましたが 
1. 名無し 2016年07月18日 11:53
あまり陰謀論は好きではないのですが、今回のクーデターで得をしたのはエルドアンであることは間違いないと思います。
ただ司法関係者の大量逮捕等、過激とも行き過ぎともとれる行為に、EU等から批判されると思うのですが、EU加入を目指すトルコが死刑復活までするでしょうか?
もし復活するのであれば、EUに参加するつもりはないとも思えるのですが。
(記事引用) 


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