ノーベル賞作家が語る、村上春樹落選の背景 ディラン授賞をめぐるクッツェー氏の洞察 - 藤原章生
WEDGE Infinity  2016年10月23日 08:47
 先日、東京・上野の居酒屋で酎ハイを飲んでいたら、「今年のノーベル文学賞にボブ・ディラン氏」とのニュースが入った。
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 私は、実に狭い範囲の個人的な事情から少しホッとした。というのも、その前の週、新聞の長文記事で、作家の村上春樹が受賞する可能性は低いと書いていたからだ。それは村上作品の評価というより、審査に当たるスウェーデンアカデミーのローカル性や高齢がたたり、「まだ難しい段階」という現地の声を紹介したものだった。

 ボブ・ディランと聞いた瞬間、あ、なるほど、とは思ったが特別な感慨はなかった。外国語で私が最も聞き込んできた歌手だが、その彼が文学賞を受賞したことに「ふーん」という反応しか出てこなかった。「やったー」などとはもちろん思わない。せいぜい、「へえ」というつぶやきで、私は何事もなかったかのように別の話題に戻っていった。

 でも、考えてみれば、そういう態度がボブ・ディラン的というのか、私も彼の歌やそこからかもし出される、ややひねくれた物の見方、態度に大なり小なり、影響を受けてきたのかも知れない、と後になって感じた。

 そもそも、ノーベル賞をはじめ何かを権威づけること、づけられることに背を向けるという姿勢(それでもしっかりもらうのだが)が、ディラン的世界の持ち味なのだ。

 案の定、ディランは授賞決定のニュースが出てからこの方、「感激です。光栄です」とも「ありがとうございます」ともコメントを出しておらず、「ふん」といった態度を貫いている。


J・M・クッツェー。『恥辱』(ハヤカワepi文庫)、『マイケル・K』(岩波文庫)でブッカー賞を受賞

 ディランについては次回のこの欄で書くとして、本題はノーベル賞作家のJ・M・クッツェー氏だ。

 もしかしたらディラン氏の受賞を彼は予測していたのではないか、ということだ。というのも、授賞決定の10日ほど前、クッツェー氏とメールでやりとりした際、今から思えばそれを匂わせるようなことを語っていたからだ。

 南アフリカ出身のクッツェー氏とは私がヨハネスブルクに滞在していた1995年から2001年にかけ何度かお目にかかっている。当時ケープタウン大学に勤めていた氏のファンだった私は、毎日新聞に月1度の割合でコラムを書いてほしいと頼みに行ったのが縁だ。彼が文学賞を取ったのは、私がアフリカを去った後のことだが、以後も決して偉ぶらず、こちらがメールを送ると、頭の良い人特有の、わずかな言葉で実に的確に応えてくれる。

 今回のやりとりはこうだった。

 ――過去のノーベル賞受賞作家に比べると、村上春樹氏の作品は「軽い」と語るスウェーデンの批評家がいます。こうした見方についてどう思われますか。

 クッツェー氏は一通りプライベートなあいさつを書いた後、こう続けた。

 「恥ずかしながら、村上春樹についての質問には答えることができません。なぜなら、彼を読んでいないからです」

 ニューヨーク・タイムズのブックレビューに書評を書いている彼が読んでいない。そして、彼を含む歴代の受賞者には候補を推薦する権利があることを思うと、残念な答えであった。そこで、私はもう少し一般的な質問をした。

 (1)スウェーデンアカデミーが選考する際の彼らの趣味についてうかがいたい。

 以前、私が南アフリカに暮らしていた頃、ノーベル賞作家のナディン・ゴーディマ氏が当時読んでいたサルマン・ラシュディとジョゼ・サラマゴ(ノーベル文学賞受賞者)がいいと薦めてくれました。その時彼女は私に「今、どんな小説を読んでるの?」と聞いてきたので、実際そのとき読んでいたジョン・アーヴィングの名を挙げました。すると、彼女は「アーヴィング? 彼があなたのお気に入りなの?」と半ばあきれるような、軽蔑するような口ぶりでした。この時の彼女の表情こそまさに「アカデミーの趣味」を象徴していると私は思ったのですが、いわゆるエンターテイメントの匂いやイメージのある作品をスウェーデンアカデミーは評価しないのでしょうか。

 (2)ノーベル賞のローカル性について。

 あなたが03年にノーベル賞を受賞した直後、私の勤める新聞に書いてくれた受賞報告のエッセーで、あなたは賞の創設者ノーベルの国際主義という理想とスウェーデンの知識人らによる評価、管理というローカル性の矛盾に触れていました。

 ノーベル文学賞は国際的というより、国内的な賞だと、まだお考えになっていますか。

 こんな長い質問を送ったのは、彼が新聞のためにエッセーを書いていたころ、私は最初の読者として常にこんなやりとりをしていたからだ。拙いながらも、こちらの意見を率直に言えば、必ずまじめに答えてくれる人だったからだ。

 すると、本の催しでイタリアに出張していた氏から、1日置いてこんな返事があった。

 「(1)ノーベル文学賞はその歴史を見ると、作家たちが現代よりも重んじられていた時代に創設されたものです。トルストイを見ると、彼は1910年に亡くなった時、世界でまあ最も有名な人物と言われていました。作家はその時代の思想(thought)に大きな衝撃(impact)を与えうると、アルフレッド・ノーベルは信じていました。スウェーデンアカデミーは今も、この精神にのっとって賞を与えると私は思っています。

 (2)ノーベル賞の創設間もない頃、文学賞は不釣り合いなほど、スカンジナビア半島の作家にばかり与えられる傾向がありました。でも今は、賞の性質として特段どこかの国をひいきするようなことはなく、正当に国際的な賞だと見なされ得ると私は考えています」

 二つ目の答えは、私の質問に問題があったのかもしれないが、返答から感じたのは、彼が受賞直後のように「科学、文学の分野で特段目立った人物を出していない北欧の人々による選考」という、当時のような皮肉めいた気持ちをすでに抱いていないということであった。少なくとも表面的には。

 なぜ皮肉が消えたのかについては別の機会に考えるとして、わかりやすく、また面白いのは第一の答の方だ。そこにはキーワードが二つある。

 「世界でまあ最も有名」と「時代の思想への大きな衝撃」だ。

読んでいないクッツェー氏には村上作品が「大きな衝撃」をもたらしたかどうかを判断する術はないが、彼は村上氏についてというより一般論を語ったにすぎない。

 それでも、短い一般論にさまざまな含み、裏の意味、時に皮肉が込められているのがクッツェー氏の文章である。それを前提に考えれば、私には次のようなニュアンスが込められているように思えた。

 トルストイを例に20世紀初頭の賞の理念を語っているが、裏を返せば現代はそうでもないということ。

 かつての作家たちは人々の間で今よりもはるかに重んじられ、大事にされ、世界中の人がその名を知るほど有名で、彼の作品が時代に大きな影響を与えた。だが、今、そんな作家がどこいるのだろうか、と。

 さらに深読みすれば、メディアの発達のお陰で、人々は小説や詩などいわゆる文学だけでなく、他のジャンルからも大いなる影響を受け得る時代になった、とも語っている。

 そう考えると、ボブ・ディランへの授賞は、この時のクッツェー氏の読み通りの結果と言えなくもない。

 世界の誰もが知るほどの「まあ有名人」で、時代の思想に大きな影響を与えた人物という条件に、ディラン以上に合致する人が、いま候補に挙がっている世界中の作家たちの中に果たしているだろうか。いや、いない。それ以前に、いわゆる出版という形で売られる小説や詩が、上に挙げた条件を満たし得るだろうか。

 さりげない表現の中に、人間の近未来のあり方をはじめ深い洞察が込められているのがクッツェー氏の魅力だが、氏はなんとなくディランへの授賞を、ディランに限らず、文学というジャンル以外で活躍する人への授賞を、読んでいたのではないだろうか。

 もちろん、そんなことを問い掛けても、「いや、私は内部の人間ではないので、授賞の詳細を知り得る機会はありません」などと答えるだろうが、いずれにしても、私は彼の洞察、表現力にまたも感服せざるを得なかった。

 当のディランの魅力については、次回、書かせていただければと思う。
(一部敬称略)

(記事引用)