「これも“かわいい”なの!?」
ぐでたまで日本のかわいい文化の深淵を知る海外
NewSphere 2017年04月15日 11:00
 海外では日本の「かわいい文化」が依然として注目を集めている。「ハローキティ」のグッズを身につけて街を歩く女子は、もはや日本だけでなく世界中で見られる風景となっている。この現象を社会学・人類学的な観点から分析する研究者まで存在するほどだ。
 最近、海外ニュースメディアでは、かわいい文化における新現象とされているキモかわ、あるいはゆるかわのキャラクターが関心を集めている。とりわけサンリオのキャラクター、「ぐでたま」と「かわいい」という概念の変化の関係に焦点が当てられているようだ。一体なぜ人生に疲れているこの卵が愛されているのだろうか?

◆かわいい文化が日本経済を支えている?


画像ハローキティ(クーグル検索より引用) 
ダウンロード 70年代にはじまったといわれているかわいい文化は、従来丸くて可愛らしいキャラクターから成り立っていた。キティちゃんやその友だちはもちろん、くまもんをはじめ、ゆるキャラの人気が日本においてかわいい文化がどれだけ広まっているかを如実に語っている。
 ガーディアン紙で指摘されているように、かわいい文化は依然として日本経済においても大きな役割を果している。つまり、かわいさを通じて消費者の興味を惹くことができている。人間は本来、小さくてか弱い、険悪ではない物に対して自然と「かわいい」と感じる性質がある。消費者にとって手頃な値段ではない物でもかわいい雰囲気を漂わせていればより手に取りやすくなるというのだ。とはいえ、市場が飽和状態になっているなかでかわいさを通じて消費者の関心を呼び起こすのは容易なことではない。そのため、「キモかわ」や「ゆるかわ」という新たな概念が作られたのだ。
 では、次々登場している新しいキャラクターのなかでなぜぐでたまが海外で注目を集めているのだろうか?
◆「人生ニガい」ぐでたまの声に思わず共感
 Web誌『クオーツ』は、ぐでたまが動物ではなく単なる卵である点が独特で、海外において関心を集めている理由だと指摘する。また、ハローキティをはじめ、従来かわいい文化を象徴してきたキャラクターと違って、ポジティブな側面だけを持っているわけではないアンチヒーローであることも人気の理由の一つだとしている。
 Web誌『Vox』は、人々がぐでたまに惹かれる理由はその見た目だけではなく、キャラクターの個性にあると述べる。つまり、現在不穏な社会変動に生きている人々は、「人生ニガい…」と悩んでいるぐでたまに対して共感を覚えるのだ。疲れているぐでたま、眠たいぐでたま、何もしたくないぐでたまの気持ちは、万国共通、誰でも理解して共有できる気持ちだといえよう。
◆ぐでたまが作った新たな「かわいい文化」
 ぐでたま現象がアメリカと日本のそれぞれのかわいい文化の相違点について考えさせるきっかけを作った、とVox誌は指摘する。アメリカをはじめ、欧米ではかわいいの概念が非常に単純だ。キャラクターの描き方からも理解できるように、善玉と悪玉がデザインによってはっきりと分けられており、かわいいキャラクターは善良さや優しさだけを象徴しているのだ。
 一方、日本では善玉と悪玉の間のグレーゾーンが存在する。キモかわやゆるかわの概念は、日本におけるかわいい文化が白黒ではなく非常に複雑であること、また常に変化していることを如実に語っているのだ。
◆見た目を超越した「かわいい」の概念
 LINEスタンプや動画など、ぐでたまが日常生活のあらゆるところに姿を現している。それらを友だちに共有する行為が、人生に疲れているぐでたまへの共感を表し、自分も人生に対して同じ気持ちを抱いていることを表現することになっている。ぐでたまがかわいさの概念だけではなく、かわいさに対する人々の反応をも変えたといえるのではないだろうか。
「かわいい」とは、もはや見た目を超越した概念となっている。ぐでたまをはじめ、新しいかわいい文化のキャラクターたちは我々の心を癒し、恐怖や挫折を乗り越える力を与えてくれるのだ。 
(グアリーニ・レティツィア) 
南イタリア出身で、2011年から日本に滞在。ナポリ東洋大学院で日本文化を勉強してから日本の大学院に入学。現在、博士後期課程で日本現代文学とジェンダーを研究しながら、Webライターとして海外旅行、異文化、難民などについて執筆。
(記事引用)

マネタイズで潤うPPAP
町村泰貴 2016年12月23日 15:24 
ネット上の動画や画像を無断で転用することは、引用の要件を満たさない限り著作権侵害。
引用の要件は難しいことではないが、基本的に二次的著作となるような翻案では引用にはならない。
ところが、著作権者がマネタイズにより収益を期待して公開している場合は、複製・公衆送信はもちろん、翻案すら許容される。インターネット時代に見合った著作権のあり方だ。
そんな収益モデルと方向性を如実に示したのがPPAPのピコ太郎である。下記の記事がそれを分かりやすく伝えている。
ピコ太郎 関連動画で潤う
これによれば、YouTubeが画像にコンテンツIDをつけて、この画像を無断で転載したり改変してアップロードしたりした画像を特定し、その画像に広告を付けて、広告収入は元の著作権者に入るという仕組みがとられている。

これで無断で著作物を利用されていた著作権者たちは、それを差し止めるのではなく、むしろ推奨する方向にインセンティブが働くというわけである。

こうなると、ネット上の動画を二次的著作物に仕立てて新たな価値を付与してアップすることが「悪いこと」から「良いこと」に180度転換し、ネットの特にCGM的表現がより豊かになることであろう。
(記事引用)
 
Media:有罪推定のメディア
2017/04/17 matimura.cocolog
またも繰り返される有罪決め付け報道である。
【千葉女児殺害】繰り返される有罪推定報道
詳しい内容は上記リンク先の記事を読んで欲しいが、この場合、結果的に逮捕された男性が真犯人かどうか、また裁判で有罪判決が確定するかどうかは関係がない。

もちろん、犯罪が行われ、その犯人であると名指しして断定することは、捜査機関や裁判所だけができることではない。私人でも、告発や告訴をする場合は犯人と決めつけている。
また使用者が従業員の刑事犯罪を理由に懲戒処分を下す場合だって、裁判所の有罪判決確定は要件ではない。
しかしマスメディアが警察発表を鵜呑みにして、時として熱狂的に犯人決めつけ報道をする場合は、読者の義憤感情に訴えかけて、営業的な利益を追求しているものである。
そしてその結果は、世間の人たちが報道を信じて被疑者を犯人と信じ込み、そうした刷り込みを受けた人の中から裁判員が選ばれるのである。いや、裁判員だけではなく、裁判官は決して認めないが、その影響は裁判官にも及ぶというべきである。
後に冤罪が判明することは、確率的には多くない。今回の被疑者が有罪と決め付けられないのと同様に傍観者には無実と決めつける材料もない。単純に確率的には、逮捕されれば有罪の可能性が高いことは否定しにくい。
しかし、それでも、過去の有罪決め付け報道が結果的に間違っていたという事例の被疑者に与えたダメージを思い起こすべきだ。
有罪決め付け報道は、結果的に有罪であった場合でも、その報道が正義の実現に寄与することはほとんどないのに対して、結果的に無罪であった場合には、その報道による被害は甚大なものがある。
いや、結果的に有罪だったとしても、被疑者の家族に対する不当な攻撃を自らも行ない、また世間の矛先も向けさせるという事態をもたらすのであるから、百害あって一利なしである。
ただし、疑惑の相手が権力者である場合、公人である場合、あるいは私人と閣議決定されても公的に活動し公的に影響力を発揮している人である場合には、遠慮はいらないのだが。そういう場合にこそメディアの真相究明機能に期待が集まるのだが、現実には、被疑者が一般私人の場合に、つまり弱い立場の人に限って、犯罪決め付け報道に走るきらいがある。
ともあれ、マスメディアは冷静さを失わず、また商売に走ることなく、淡々と事実を明らかにして欲しいものである。
(記事引用)










(♪ リボカクサン)
050324
















 





画像 氷の回廊 (厳冬のチベット、河が凍って、にわかバイパスとなる)

そろそろ、日本も春を越えて一気に初夏になりそうな季節柄・・・