新渡戸稲造の『武士道』について、林田明大の「夢酔独言」
 このブログは、一人の作家兼陽明学研究家として日々その体得に努めるプロセスを言葉にすることで、「良知」、ルドルフ・シュタイナーいうところの「高次の人間(内なる本性)」の自覚を深めようとするものである。
 あるいは、言葉にする、言い換えれば排泄することで、それらへのこだわりを無くすことを目指しているといってもいいかもしれない。
林田明大 2011年06月27日
●世界的名著『武士道』の現代語訳に問題あり!
■岬龍一郎・訳『武士道』は、残念ながら問題おおありであった

 このところ、ちょっと気になっていたのが新渡戸稲造の『武士道』である。
 これまでは、事あるごとに、奈良本辰也訳・解説の『武士道』(三笠書房)をずっと手にしてきたのだが、やはり訳がかたいのは気になっていたので、ためしに岬龍一郎・訳『武士道』(PHP文庫)を入手して、ざっとだが、目を通させていただいたのである。
 陽明学に関する個所に関してだが、気になる表現が目にとまった。
 そこで、『武士道』は、もともと英語で書かれたものなので、原文に当たろうと思い、英語版を入手して読んでみたのである。
 結果、岬龍一郎・訳『武士道』は、残念ながら問題おおありであった。
 ちょっと期待していただけに、落胆は大きかった(苦笑)。
 岬龍一郎・訳『武士道』の32ページ冒頭には、こうある。
「武士道は、知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である」
 そこは、「武士道は、そのような種類のたんなる知識を軽んじた」
 という訳でなければならないはずなのだ。
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 また、岬龍一郎・訳『武士道』の32ページのほぼ真ん中に「武士道におけるあらゆる知識は、人生における具体的な日々の行動と合致しなければならないものと考えられた。このソクラテス的教義は、中国の思想家・王陽明が最大の擁護者となり、彼は知識と行動とを一致させるという意味の〈知行合一〉なる言葉を生み出した」 

 とあるが、そこは、英文を読んでみると、「それゆえに、知識は、人生における実地への応用そのものであると理解された。このようなソクラテス的な教義の最大の説明者は、〔東洋においては〕飽きることなく、知と行は同一物であると〔いう意味の「知行合一」を〕唱えた中国の哲学者・王陽明である」と訳されなければならないはずなのだ。
 何が問題なのかといえば、岬龍一郎氏は、「知行合一」を「知識と行動とを一致させる」という意味に理解していることにある。

 それも、英語の原文は、
「To know and to act are one and the same.」
 とあり、つまり
「知と行は同一物である」
 とは書いてあるのだが、
「知識と行動とを一致させる」
 とは書いていないのだ。
 「知行合一」は、「言行一致」を意味しているのではない、と、これまで私も口を酸っぱくして言い続けて長いのだが、今後も、まだ同じことを言い続けなければならないようである(苦笑)。
 「知行合一」の真の理解に関しては、拙著を一読下されたし。

 
 以下、参考までに、上記個所を含む部分を訳させて頂いた。
 文中にハクスレーとあるが、これまた悲しいことに、今回、私が英文を参照させていただいた須知徳平・訳『武士道』(講談社インターナショナル)では、イギリスの文学者オルダス・ハクスリーと間違えているのである。

「孔子孟子の書物は、〔学問に志す〕青少年の第一の教科書であり、また、大人たちが議論し合う場合の最高の権威となるものであった。
 しかしながら、この二聖人が著わした古典を読み、その言葉を知っているだけの者は、世間から高い敬意は払われず、
〈論語読みの論語知らず〉
 ということわざがあるくらいで、そのような者はかえってあざけられた。
 典型的な一人の武士(西郷南洲)は、
〈文学の物知りは、書物の虫である〉
 と言い、またある人(江戸時代の学者・三浦梅園)は、
〈学問は臭い菜のようなものである。よくよくその臭みを洗い落さなければ食べることはできない。少し書物を読めば、少し臭くなり、よけい読めば、よけい臭くなる。困ったものである〉
 と言った。
 その意味するところは、知識がもし、それを学ぶ者の心に同化せず、その者の品性に表れることがないならば、本当の知識とはいえない、ということである。だから、たんに知識だけの人間は、それ専門の機械と同じだと思われた。知性は、道徳的な感情の下位におかれた。人間も宇宙も、霊的であり道徳的であると考えられた。
 それゆえに、
〈宇宙の運行と道徳とは関係がない〉
 と断言した〔イギリスの生物学者トマス・ヘンリー・〕ハクスレーを、武士道は認めることができなかったのである。
 武士道は、そのような種類のたんなる知識を軽んじた。知識は、目的ではなく、智恵を獲得するための手段である、とした。したがって、その域に到達できない者は、他人の求めに応じて、詩歌や格言を提供するだけの便利な機械にすぎないとされた。
 それゆえに、知識は、人生における実地への応用そのものであると理解された。このようなソクラテス的な教義の最大の説明者は、〔東洋においては〕飽きることなく、知と行は同一物であると〔いう意味の「知行合一」を〕唱えた中国の哲学者・王陽明である。
 
 ここで余談にはいることをお許しいただきたいのは、人格高潔な武士の中で、王陽明の教えから深い感化をうけた者は少なくないからである。
 西洋の読者は、王陽明の著書のなかに『新訳聖書』とよく似ている言葉の数々を、容易に見いだすことであろう。
 それぞれに固有な用語の相違にもかかわらず、
〈まず神の国と神の義を求めよ。そうすればすべてこれらのものは、汝らに加えられるであろう〉
 という言葉は、王陽明の書の中のどのページにも見ることができる思想である」(「第二章 武士道の淵源」)

陽明学(ようめいがく)は、中国の明代に、王陽明がおこした儒教の一派で、孟子の性善説の系譜に連なる。陽明学という呼び名は日本で明治以降広まったもので、それ以前は王学といっていた。また漢唐の訓詁学や清の考証学との違いを鮮明にするときは、宋明理学と呼び、同じ理学でも朱子学と区別する際には心学あるいは明学、陸王学ともいう。英語圏では朱子学とともに‘Neo-Confucianism’(新儒学)に分類される。形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた。心即理・知行合一・致良知の説を主要な思想とする。
(記事引用)