内田樹が語る貧困問題――貧困解決には「持ちだし覚悟」の中間共同体が必要だ ~「人口減少社会」を内田樹と考える#2~文春オンライン2018年05月02日 11:00
人口減少問題は、社会の貧困や格差を加速化させるのだろうか。思想家・内田樹氏は「持ち出し覚悟で、リターンなし」のマインドから立ち上がる相互支援の共同体こそが解決の鍵になるという。共同保育から合同墓まで、内田氏のまわりで実際に行われている相互扶助の実践から「人口減少社会」への処方箋を示すインタビュー第2弾。

前回「内田樹が語る高齢者問題」より続く

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分配がフェアであれば、貧困にも耐えられる
――内閣府の発表によると、日本の子どもの相対的貧困率はOECD加盟国34か国中10番目に高く、別の調査では、高齢者単独世帯における男性の相対的貧困率が29.3%、女性は44.6パーセントにも及びます。人口減少は貧困をより深刻化させるのでしょうか。
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内田 経済が右肩下がりになる中でこうした数字を聞くと、たしかに悲観的な気持ちになるのかも知れません。でも、経済指標の数値と人の幸不幸というのは完全な相関関係にあるわけじゃありません。問題は「分配方法」なんです。分配がフェアであれば、貧困にも耐えられる。分配がアンフェアだと、わずかな格差でも気に病むし、それによって傷つけられもする。そういうものです。

 僕たちの子どもの頃の日本の貧しさは、いまの若い世代には想像もつかないと思います。僕が小学校に入った年の夏休み前の校長先生の訓示は「いくらお腹が減っても、買い食い、拾い食いをしてはいけません」でしたからね(笑)。僕が子どもの頃、何か欲しいものがあって「買ってよ」というとほぼシステマティックに親に拒絶されました。「うちは貧乏だから」というのが母親の決まり文句でした。

「どうしてうちは貧乏なの?」と訊くと、ぴしゃりと「戦争に負けたから」で話が終わった。そう言われたら、それ以上ごねようがない。それでも何とかなっていた。それは1950年代の日本人の貧しさは、関川夏央さんが言うところの「共和的な貧しさ」だったからです。乏しい資源を地域共同体で均等に分かち合い、助け合って生きてくという心遣いがありました。

――『ALWAYS 三丁目の夕日』のような世界ですね(笑)。

共同体は簡単に成立し、簡単に消滅する
内田 僕が育ったのは東京の大田区の多摩川沿いの工場街です。僕の住んでいた町にはもともと地域共同体らしきものはなかった。川岸に軍需工場がたくさんあったので、その下請け孫請けの町工場がひしめき、そこで働く人たちが集住していたエリアです。空襲で工場はあらかた焼けてしまった。その廃墟に雑草が生い茂り、遠目に見ると野原のように見えるんだけれど、近くに行って見ると、焼け焦げた鉄骨や崩れたコンクリートの土台や、ガラス片が飛び散っていた。

そんなところにまともな地域共同体なんかあるはずがない。戦後、日本各地から仕事を求めて上京してきた人たちが、そこに安普請の家を建てて、肩寄せ合うように暮らしていた。だから、隣人たちと言っても、出身地が全員違います。方言も食文化も生活文化も違う。そういう隣人たちが、貧しいもの同士、互いに食べものを融通したり、質屋通いの仕方を教えあったり、子どもを預けたり、預かったりして、暮らしていた。

 でも、1964年の東京オリンピックの頃から、地域からそんな「共和的な貧しさ」が失われてゆきました。貧富の差が出てきたからです。ほんとうにあっという間に親しみに満ちた地域共同体が崩れていった。そのスピードには子どもながら驚きました。まず小金を手にした家がブロック塀を建てるんです(笑)。

他の家よりも早くテレビや電気冷蔵庫が入ったのだけれど、近隣からの嫉妬のまなざしを防ぐために、塀を立てて扉を閉ざした。別にたいした格差じゃないんですよ。いずれ、どの家にもテレビも電気冷蔵庫も入ったわけですから。でも、電化製品の導入のわずかな遅速だけで、そこに生じたわずかな嫉妬心の兆しだけで、地域社会の相互扶助的なマインドは簡単に無くなってしまった。共同体というのはずいぶん簡単に崩れるものだなということをその時に痛感しました。

 でも、それが残した教訓は悲観的なものだけではありません。なるほど、共同体というのはけっこう簡単に成立し、けっこう簡単に消滅するのだということを子どもの時に学んだ。僕はこの経験から「出自も違う、職種も違う、学歴も違うという見知らぬ人たちでも、肩寄せ合って生きなければならないという事情があれば、ちゃんとそれなりの共同体を形成できる」ということを学びました。ものごとはダークサイドもあれば、サニーサイドもある。

 これから先、日本はゆるやかに定常経済に移行してゆくと僕は予測していますけれど、もう一度人々が「共和的な貧しさ」のうちに置かれるようになれば、相互扶助的な共同体はまた必ず再生すると思います。現に、僕が主宰する凱風館まわりでは、すでに数百人規模の相互支援共同体ができています。

凱風館まわりの共同体がうまく回っている理由とは
――どのような相互支援が行われているのですか。

内田 凱風館の活動は武道の稽古と寺子屋ゼミがメインですけれど、スピンオフで寄席をやったり、聖地巡礼したり、餅つき大会をやったり、BBQやったり、海の家をやったり、スキー旅行に行ったり、いろいろな「部活」を展開しています。それが楽しいので、そういう楽しい活動にフルエントリーしようとする門人たちが次々と凱風館の周りに部屋を借りて住み出した。

そしたら、いつの間にか地域共同体ができてしまった。門人たちは出身も性別も年齢も職業もばらばらですけれど、とりあえず全員が凱風館という道場共同体に属している。条件はそれだけです。僕の子ども時代の町内共同体とそれほど変わりません。

 相互扶助がうまく行っているように見えるのは育児ですね。子育てをお互いに支援している。子どもたちを集めて、共同保育をやりたいといってきた夫婦がいたので、僕が少し資金を出して、近くに三階建ての一軒家を借りて、「海運堂」という多目的スペースを立ち上げました。そこに4人家族が暮らしつつ、自宅をさまざまな活動のために開放している。そこで共同育児やこども食堂、子どもたちが粘土で陶器を作る教室や、着付け教室や囲碁教室を開いています。最近になって「憲法カフェ」という活動も始めました。いろいろなゲストを呼んできて、主婦たちが集まって憲法の勉強をしています。

 小さい子をもつ母親たちが集まって育児を共同的にやるというのは、ほんとうに良質な実践だと思います。子育てが終わった主婦たちも、今度は自分たちの手が空いたからと言って、そういう場に参加して、若い母親たちをサポートしてくれる。若い門人たちも、そういうところに行くと赤ちゃんと遊ぶことができるし、おしめ替えたりする手伝いもできる。

――それはすごくいい体験ですね。

若い人たちが赤ちゃんと接する機会がない
内田 今の若い女性って、子どもの頃に育児経験がない人が多いでしょう。ですから、生まれて初めて抱いた赤ちゃんが自分の子だったというようなことさえある。赤ちゃんがどういうものかぜんぜん知らないで、いきなり育児を始めるというのは大変ですよ。

うちの門人に小児科の先生もいるんですけれど、生後2カ月の検診の時にすでに乳児は身体が歪み出し、母親は赤ちゃんの抱き方が分からず、腱鞘炎になっているというようなケースが珍しくないそうです。でも、それは母親たちの責任じゃないんですよ。今の日本では、若い人たちが身近に赤ちゃんを見て、抱いたりあやしたりする機会そのものがなくなっているからです。

 凱風館まわりには、幸い子どもがたくさんいます。育児を共同的にできるという環境があるから、子どもを作ることに対するハードルは低い。凱風館は稽古もゼミも「子連れオッケー」ですから、乳飲み子を連れて稽古にくるお母さんたちもいます。そういう赤ちゃんたちは文字通り凱風館の畳をなめて育っているんです(笑)。

子どもを育てるのは共同体の仕事
――いま核家族の家庭で、育児ノイローゼとかも多いですよね。共同保育のコミュニティが身近にあったらずいぶんと気が楽になると思います。

内田 基本的に育児は個人でできるものじゃないし、すべきでもないと思います。子どもを育てるのは共同体の仕事です。次世代を支える子どもたちを育てるのは集団全体の義務です。当たり前のことですよ。子育ては親だけに責任があるわけじゃない。その子どもをメンバーに迎え入れることになる集団全体が育児の責任を分かち合うべきなんです。

そういう認識があまりに欠けていると思う。電車でベビーカーが乗ってくると舌打ちする人とか、ベビーカーを蹴る人までいるそうですけれど、本当に共同体とは何かということが全く分かっていないと思う。そういうことをするから子どもの数が減るんじゃないですか。

「少子化は困ったことだ」と言っている人たちは山のようにいますけれど、そういう有識者たちの中で、「だから、とりあえず町中で妊婦や子連れの人を見たら、最大限の気遣いをしましょう」というような具体的提言をしている人を見たことがない。子どもが出来たら報奨金を配れとか、保育園を増やせとか税金の使い方についてはあれこれ提言していますけれど、たしかにそういうことも大事ですけれど、まず自分自身が身近にいる若い夫婦や小さな子どもたちのために何ができるのか、そこから考えるべきじゃないんですか。

「少子化を何とかせねばならない」というなら、集団で子育てを支援する仕組みを自分の周りに手作りするくらいのことをしても罰は当たらないと思いますよ。妊婦や子育て中の母親に対して冷たい社会になったのは、単に想像力が欠けているからだと思います。自分が育児をしたことがないから、わからないんですよ。少子化のペースを少しでも緩和したいと思うなら、まず地域共同体の再構築と育児支援から始めればいい。

「墓の心配を解決する」構想とは
――凱風館まわりで、この先の超高齢化社会のヒントになりそうなものはありますか。

内田 凱風館で計画している中で、僕が今一番関心を持っているのは「合同墓」構想です。数年前に独身の女性門人から、「墓のことが心配だ」という話を聞いたんです。自分は今家の墓を守っているけれど、自分が死んだ後、誰が両親や自分の墓を管理してくれるのか。それを考え出すと不安になるという。その話を聞いた時に、「じゃあ、お墓を作ろう」と(笑)。

凱風館門人なら誰でも入れる合同墓を作ることにしました。如来寺の釈徹宗先生に相談したら「実はうちも、お墓の守り手がいない人たちのために合同墓を建てようという話をしていたんです。ご一緒にやりましょう」と二つ返事で引き受けて頂いた。如来寺の近くの土地にお墓を建てて、ご住職に永代供養をして頂くというプランです。凱風館を設計した建築家の光嶋裕介くんには合同墓のデザインを依頼しました。

 人間が死期を考えるようになった時に気になるのは、自分が死んだ後にも人々は自分のことを思い出してくれるだろうか、供養の一つもしてくれるだろうか……ということだと思うんです。合同墓なら、結婚していない人も、子どもがいない人も、自分のお葬式のことも年忌のことももう心配しなくていい。年に一度、凱風館門人一同でぞろぞろと如来寺に出かけて法要を営むことになるから。法事の席で、そのつど、そのお墓に入っている人たちについて「この人はこれこれこんな人だったんだよ。この人たちのおかげでわれわれは凱風館道場で今も稽古ができているんだよ」と話してあげられる。道場が続く限り、供養できる。

――それはすごい仕組みですね。

相互扶助共同体とは弱者ベースで制度設計をするもの
内田 子育て支援と合同墓ですから、文字通り「ゆりかごから墓場まで」(笑)。凱風館では結婚式も2組やりました。釈先生に司式をしてもらって、仏前結婚式。結婚式もできるし、子育てもできるし、結婚式もできるし、墓も用意した。認知症になった時は「むつみ庵」という釈先生が(大阪府)池田でやっているグループホームがあるので、その時はお願いしますと予約してあります。

 人間は、始めと終わりが一番生き物として弱い時期なわけです。赤ちゃんの時と、老人になった時。その時についての備えをするのが相互支援の仕組みだと思うんです。それ以外でも、「共同体に属していてよかった」と思うのは、病気になった時とか、失業した時とか、要するに弱っている時ですよね。

相互扶助共同体というのは、そのためのものなんですよ。弱者ベースで制度設計をする。共同体は強者が集まって、効率よく何か価値ある仕事をするためのものじゃないんです。孤立した弱い人でも、ここにいれば穏やかな気持ちで生きていける。そういう仕組みしか共同体にならない。

 門人たちの中からも、これから失業する人とか、病気になる人とか、介護を必要とする人も出てくると思います。その人たちをどう集団的に支えてゆくか、それはそのつど手立てを考えるしかない。そういう仕組みはこれからみんなで知恵を出し合って、手作りするつもりです。

ネットワークのあるなしで格差が広がる
――先生は以前から「貨幣を介さない経済のなかで生きるネットワークを持っている人と、そうでない人は、貧困社会においてすごく差が出てくる」とおっしゃっていました。

内田 相互扶助的なネットワークに繋がってる人と孤立している人の生活の質の差はこれから大きく出てくると思います。確かに、家事でも育児でも介護でも、すべてのサービスは市場で商品として売り買いされている。だから、お金さえあれば、どんなサービスでも手に入れることができます。でも、そういうサービスを市場で買うとなると、かなり高額なんですよね。たとえば幼児を数時間預かってもらうサービスを市場で買おうとすると少なからぬ出費になる。

でも、子育てのネットワークに繋がっていれば、「今日はうちが見るから明日はあなたが預かって……」というようなことができる。ベビー服やベビーカーだってどんどん使い回せる。孤立した人は生きるために必要なものをすべて貨幣で調達するしかないけれど、相互支援ネットワークに属していれば、多くの場合にお金を出さなくても良質のサービスや商品を手に入れることができる。

 それに、どんなネットワークにも、それなりに手元に余裕のある人は必ずいるものです。そういう人がお金を出せばいい。凱風館のような設備をきちんと管理運営するには確かにそれなりの費用が要りますけれど、それはここでは僕が負担する。他の人には負担を求めない。手元に不要不急のお金があるなら、どんどん有効利用した方がいいんです。僕自身は別に欲しいものなんか特にないし。スピンオフの「部活」でみんなとスキーに行ったり、旅をしたり、温泉に入ったりしていれば、それだけで僕はほぼ満足なんです。

生きるために必要なものは「買うしかない」という思い込み
 昔は、立志伝中の人物というのがいたじゃないですか。故郷の村を出て、東京に行ってそれなりに功成り名遂げた人たちは必ず故郷の村に「錦を飾る」ということをした。故郷の村に橋を架けたり、学校を建てたりした。

それほどの資産家でなくても、前途有為の貧しい青年を「書生」として引き取り、学問をさせて世に送り出した。若い娘は「行儀見習い」として家で家事や作法を仕込んで、家から嫁がせた。そのくらいの弱者支援は、昭和30年代ぐらいまでは「自分はそこそこ暮らし向きのいい方だ」と思えた人は誰だってやっていたんです。

 お金がないなら、お金がなくても気分よく暮らせるシステムを作ればいい。あらゆるサービスを金で買うという仕組みに慣れ過ぎた人たちは、「とにかく金が要る」ということを言いますけれど、ほとんどの問題は金さえあれば解決するという信憑にいつまでもしがみついているのはあまりに芸がないですよ。実際には、金でなんとかなる問題のほとんどは共同体に属していればなんとかなるんです。

 生きるために必要なものはすべて市場で貨幣で買うしかないというのは間違った思い込みです。生きるためにほんとうに必要なものは、本来無償で手に入る仕組みでなければならないはずなんです。必要最低限の衣食住も、防災も防犯も公衆衛生も教育も医療も育児も介護も、そういう行政サービスは「税金を払っていない人間には利用させない」というようなことはないでしょう。人が生きてゆく上で必要不可欠のものは「金を出せば手に入るが、金がない人間には与えられない」ということであってはならないんです。

行政が地縁ネットワークをうまく作れない理由
――ここでお尋ねしたいのが、行政が主導して地域の地縁ネットワーク的なものを作ろうとしても苦戦する例が多いように思います。この点についてはどう思われますか。

内田 行政がやるとどうしても共同体の目的が「目に見える利便性の提供」ということに限定されてしまいます。行政が関与する場合、それなりの予算を投じた以上、外形的・数値的に表示できる「成果」を示さないといけない。予算を使った事業は、橋を作るでも、トンネルを掘るでも、かたちあるものがそこに残りますよね。

でも、相互支援の共同体を通じて弱者を支援し、その生活の質を保持するという事業は、数値的に「これが成果です」とお示しできるものが可視化できない。育児とか介護とか医療とか教育とか、そういう弱者支援事業は、長期にわたるし、その成果を単年度ごとに数値的に示すということができない。

例えば、教育の成果は「市民的成熟の達成」ですから、予算を投じてから結果が目に見えるまでほんとうは30年も50年もかかります。でも、そんな長いタイムスパンでしか成果を計測できない事業には税金を投じることを嫌がる人が多い。必ず「税金を投じる以上、目に見える成果を出せ。そうでないと議会に説明できない。納税者に申し開きが立たない」と言ってくる。それはわかるんです。

だから、行政から金を引き出すのがうまい人というのがいますけれど、そういう人は「これが税金を投じたことの眼に見える成果です」と言って、もっともらしい数値的なデータをどこからかひねり出してきて、役人を説得する技術に長けているんです。それはそれでたいせつなことだし、すばらしい才能だと思うけれど、僕はそういう面倒なことはできないんです。

 相互支援の中間共同体を立ち上げるというのは、基本的には行政の支援を当てにするのではなくて、私人が身銭を切って、自分で手作りする事業だと僕は思っています。「持ち出し」なんです。そうじゃなければできません。「これだけの価値あるものを自分は提供したのだから、それと等価のものを返して欲しい」というような消費者マインドでは無理なんです。贈与なんです。

――「持ち出し」覚悟の私人から共同体は立ち上がるというのは、目からウロコの視点です。

「公共の解体」を止めるためにできること
内田 メンバーが認知症になったり、失業したり、変な宗教に凝ったりという時にこそ、支援が必要なわけで、これこれこういう条件を満たした人であればこれこれのサービスを受けられますといった「等価交換」的な市場モデルでは共同体を立ち上げることはできません。パブリック・ドメインを作り出すのは実は政府や自治体のような「パブリック」ではなく、「私人」であるというのが僕の経験的確信です。

ロックやホッブズが説いた近代市民社会の成立と原理は一緒なんです。私利の追求を抑制し、私有財産の一部を差し出すことで、はじめてそこに「みんなで使えるもの」が生まれる。私人たちが持ち寄った「持ち出し」の総和から「公共」が立ち上がる。はじめから「公的なもの」が自存するわけではありません。公的なものは私人が作り出すのです。

 いまはそういう常識が逆転して、市民たちはどうやって「公的なもの」から私権・私物を取り出すことができるかを競っています。総理大臣自身が公共財と私有物の区別がつかなくなっている例を見ても、それは明らかです。政府が国民に対しては「私権を抑制しろ、私有財産を差し出せ」とうるさく命令している。

逆ですよ。国民が自発的に私権を抑制し、私有財産を贈与するときに、そこに公共が立ち上がる。私人の贈与によって成立した公共が、まるで自分が世界を創り出したかのような大きな顔をしている。公人に「公僕」という意識がまったくなくなりましたけれど、それが「公共の解体」ということなんです。この事態を根本的に批判するためには、「市民とはこういうものだ」ということを身を以て実践してみせるしかない。そういう人たちが一人でも多く登場してくれることを期待しています。

「内田樹が語る雇用問題」に続く
http://bunshun.jp/articles/-/7167


(記事引用)