「ロボットタクシー」で話題のベンチャーZMP、谷口恒社長の思いとは
今、自動車の自動運転システムの開発によって、世界から注目を集めるベンチャー企業がある。ロボット専業企業の株式会社ZMP(ゼットエムピー=東京都文京区)は「Robot of everything」をミッションに掲げ、自社のロボット技術をさまざまな産業に活かしている。日本では珍しい“ロボットベンチャー”の同社。その始まりから未来への可能性までを創業者で代表取締役社長の谷口恒氏に聞いた。
15年前からロボット開発、自動運転カーにつなげる
ロボットが身近な存在へとなりつつあるなか、15年も前から開発に尽力してきたZMP。同社が開発を進める自動運転カー「RoboCar(ロボカー)」が熱い注目を集めている。
「自動運転技術とは、A地点からB地点まで自動で運転する技術のこと。まず最初に、障害物や標識などの道路状況をスキャニングする測量用の車を人が運転し、地図データを作ります。そのデータを自動運転システムに送信し、地図データと実際の道を照合しながら走行するのが一般的な自動運転カーの原理です。最近話題になっているグーグルやメルセデス・ベンツの“ドライバーレス(無人運転)カー”も、同じような技術の研究を進めているようです」と谷口社長は語る。
見えない線路を頼りに道を走る自動運転カー。この技術を開発するきっかけとなったのは、2007年に同社が開発した“自律移動”する音楽ロボ「miuro(ミューロ)」だ。
このmiuroは、一度リモコンでロボットを操作し、道のりを記録。時間を設定すれば、毎日同時刻に音楽を流してくれる。まさに、自動運転カーの元となる製品だった。
音楽ロボの技術が切り開いた自動運転への道
その2年後には、乗用車の1/10サイズのミニカーに自律移動技術を載せた「RoboCar1/10」の自動運転に成功。次に1人乗り自動車に搭載して販売した。「12年にはトヨタの乗用車プリウスをベースにした『RoboCarHV』を売り出しています」。
開発以来、自律移動はZMPのコア技術となり、さまざまなロボットに搭載されている。
「車以外でも、鉱山や農機メーカー、人手不足の物流業界など、自社の自動運転技術によって多くの仕事をラクにしたい、という思いがあります」。
技術者から営業職、そして起業家へと転身
もともと車好きだったという谷口社長。学生時代には、アルバイトで貯めたお金で2台のスポーツカーを購入して乗りこなしていたという。
「僕が大学生の頃は『いい車に乗ってるとモテる』という法則らしきものがあったんです(笑)。それから車が好きになって、卒業後には自動車の開発メーカーに就職しました」。
当初はエンジニアとして、ABS(アンチロックブレーキシステム)の開発をしていたが、その後技術系の商社に転職。「世界のハイテク機器を日本に持ってきて研究所やエンジニアに売る用途開拓や、技術営業職として7年働きました」。
谷口社長が商社で腕を磨いていた90年代後半、インターネットの可能性が、少しずつ世間に認められ始めた時期でもあった。
「ネットの登場で、将来は物流ではなくコンテンツの流通が必要になると感じた。ただ、社内でそれを言ってみても、みんなポカーンとしてたんですよね」。
ネットが広く知られていなかった90年代。既存企業で新しいネット事業を始めるのは至難の業だった。そこで同社長は、後輩を誘って1998年に写真や音楽などのコンテンツをネット上で販売する企業を立ち上げた。今では当たり前ともいえる事業だが、18年前には最新鋭のサービスだった。「ロボットもそうですが、なんでも最先端が好きなんですよね」と、笑う。
「米国を追いかけるのはもう嫌だ!」
しかし、順調に業績が伸びてきた矢先に“ネットバブル”が崩壊。手堅い経営をしていたため、痛手にはならなかったが、これを機にネットビジネス以外にも目を向け始めたという。
「ネット事業は、アメリカのビジネスモデルを追いかけているものばかり。ネットバブルが崩壊したと同時に『アメリカを追いかけるのはもう嫌だ!』なんて思っていた頃、ロボットに出会ったんですよ」。
知り合いのエンジニアが文科省のヒト型ロボット研究所に転職。そこを見学したことが、谷口社長とロボットの運命の出会いとなる。
「その頃、文科省が研究した技術を民間に渡して産業化するテクノロジー・トランスファー(技術移転)が流行していました。そのとき、ロボットならアメリカと競争する必要もないし、技術もある。日本が世界に発信できる産業だ!と感じて文科省に申請したのがロボット開発の始まり。勝算があったわけじゃない」。
その後、科学技術振興機構(JST)からヒト型ロボットの技術移転を受け、2001年にZMPを立ち上げた。
同年には、二足歩行やダンスを得意とするロボット「PINO(ピノ)」を発表。イベントやテレビコマーシャルにひっぱりだことなる。
「当時、ヒト型ロボットを扱っていたのはホンダさんとSONYさんとうちだけ。ほとんど競争はありませんでした。今の『自動運転カー』もうちしかやってない事業。競争がない市場を開拓することが多いんですよね」。
自動運転タクシーはすでに名古屋で実験中
同社が今進めるのは自動運転機能を搭載したタクシーが街を走る「ロボットタクシー」事業だ。先日、サービス実現に向けてネットサービス大手のディー・エヌ・エー(DeNA)と合弁会社を設立したばかり。
「ロボットタクシーはスマホアプリで目的地を選んで無人のタクシーを呼び出し、目的地まで自動運転で連れて行ってくれる仕組み。実は、昨年から名古屋の市街地では自動運転タクシーの実験が始まっています。法律の問題があるので今は運転手が乗っていますが、これから3年は安全性や利用者の反応など、さまざまなデータを集めて国に自動運転カー使用の許可を申請する予定です。2020年の東京オリンピックには、街を走る無人タクシーに乗れるかもしれません」。
法整備の前に実験を始める――、誰よりも早く先手を打つ姿勢こそ、ZMPの強みだ。
「自動運転カーや無人タクシーが実用化されれば、バスやタクシーが減少している地方で大活躍するはず。交通の不便さが理由で“田舎”には住めない人が増えています。困っている人たちがすごく喜んでくれることが、ロボットタクシーを開発するモチベーションにつながっています」。
ロボットタクシーが“未来”を乗せて私たちを迎えにくる日が待ち遠しい。
大貫 未来 株式会社清談社
2011年から東京IT新聞のインタビューコーナー「IT×新ビジネス 創造人」に携わる。書籍から雑誌まで幅広く担当する編集者・ライター。
(記事引用)