「Winny事件」
Winny事件、逮捕と無罪判決
同じファイル共有ソフトであるWinMXを利用した公衆送信権(送信可能化権)の侵害が横行し、著作権法違反で逮捕者も続出していた中で、匿名性が強化されたWinnyへ移行する利用者が後を絶たず、2003年11月にはWinnyを利用して著作物を送信した人物が逮捕された。
WyAMYAI

これに影響される形で2004年5月10日、金子は著作権法違反幇助の疑いにより京都府警察に逮捕、5月31日に起訴された。裁判所での事件名は「著作権法違反幇助被告事件」。

弁護士の壇俊光ら「ウィニー弁護団」が、2ちゃんねるやサイトなどのネット上で呼びかけをすることで裁判費用を有志で募り、わずか3週間で1600万円を集めることに成功する。今でいう「クラウドファンディング」の先駆けであり、本件の問題が「イノベイターの活動を萎縮させ将来的に支障をきたす可能性がある」ことを、ネットユーザーらが懸念し本件に注目していた事が伺える。

2006年12月13日、京都地方裁判所(氷室眞裁判長)において罰金150万円(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡された。金子側は同日、大阪高等裁判所に控訴し、検察側も刑が軽すぎるとして控訴した。2009年10月8日に大阪高裁での控訴審(小倉正三裁判長)判決にて逆転無罪判決となり、21日に大阪高等検察庁は判決を不服として最高裁判所に上告。

2011年12月20日 最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は検察側の上告を棄却。無罪が確定した。

Winnyは元東京大学大学院情報理工学系研究科助手の金子勇によって2002年に開発が始まった。当時は既にNapsterやファイルローグなどのP2P型ファイル共有ソフトが存在していたが、多くはハイブリッド型であり、ファイル情報やノード情報を管理する中央サーバーが必要であった。
そして、ファイル共有ソフトを用いて不正なファイルが多くやりとりされていたことから、中央サーバーがたびたび著作権法違反で摘発されるという事件が起きていた。一方で、完全なP2Pネットワークとしては既にFreenetが存在したが性能が低く、広く使われるまでには至っていなかった。WinnyはこのFreenetのアイデアを元に実用的で、かつ中央サーバーを必要としない完全なP2Pネットワークを作ることを目的としていた。

金子は掲示板サイト2ちゃんねるのダウンロードソフト板に匿名で書き込みを行い、ユーザーとやりとりしながら開発を進めた。彼は最初の書き込み番号である「47」を名前として使用していたことから利用者からは「47氏」と呼ばれていた。当時の日本ではWinMXがP2Pファイル共有ソフトとして広く使われており、新しい共有ソフトはその後継を目指すという意味合いを込めて、MXの2文字をアルファベット順にそれぞれ1文字ずつ進めたWinNY(後にWinny)がソフトの名前として決まった。

2002年5月6日にベータ版が公開。以後、金子が著作権侵害行為幇助の疑いで逮捕されるまで開発が続いた。不正なファイルのやりとりをした使用者ではなく、技術の開発者を逮捕するという事件は世間の耳目を集めたが、後に裁判の結果、無罪が確定している(詳細は違法性の節を参照)。
なお、金子による最後のバージョンは逮捕前に公開された「Winny 2.0 Beta7.1」だが、第三者によるクラック版が開発・配布されている。金子は無罪が確定後もWinnyの開発に戻ることはなく、2013年に急性心筋梗塞にて死去。開発は事実上終了した。

ACCSの実態調査では、2006年6月調査でWinMXを初めて凌駕して国内最多の利用者率(主に利用している人が33.3%)となり、ネットエージェントの報道によると、2006年4月現在のユーザー数は44万人から53万人程度であるという。
(資料ウイキペディア)

NHKスペシャル 平成史(8)情報革命
ふたりの軌跡~ネットは何を変えたか
2019年4月28日(日) 午後9時00分(50分) 
シリーズ「平成史スクープドキュメント」エピローグとなる第8回は、インターネットによって激変した日本社会の姿を2人の先駆者の足跡から描き出す。ヤフーを日本一のインターネットサービスに押し上げた井上雅博氏と画期的なファイル共有ソフト・ウィニーを開発した金子勇氏。これまで語られることが殆どなかった2人の夢と挫折を通して、情報空間がさらに拡大していく次の時代の姿を照射していく。

NHKスペシャル 平成史スクープドキュメント第8回「情報革命 
ふたりの軌跡~インターネットは何を変えたか~」
壇俊光2019年04月24日 11:46
https://blogos.com/article/373056/
NHKスペシャルでWinny事件が取り上げられるらしい。
ヤフーと対比というのは、私には、予想がつかないところであるが、私にも取材があり、金子さんやWinny事件を思い出す良い機会となった。

正直、当時の私の目には1人のプログラム馬鹿の為に闘うという小さなものしか写っていなかったので、平成という時代で振り返られるような大きな事件なんて思っていなかったし、NHKというと弁護妨害してくる人くらいの認識だったので、NHKスペシャルで取り上げられるのはとても意外である。
この番組を通じて、彼の名誉が幾ばくかでも回復することを願っている。
平成にはインターネットの出現とともにネットワークに対する無知や誤解から生じた悲しい事件がたくさんあった。
令和という時代に生まれた人達が、ネットワーク社会を明るいものに導いてくれることを願っている。

金子勇氏の死を悼む。
2013年07月09日 07:55
企業法務戦士(id:FJneo1994)
21世紀初頭に「Winny」開発者として一躍“時の人”となったプログラマー・金子勇氏が、急性心筋梗塞により42歳という短い生涯を終えた、ということが報じられている・・・。

自分が、金子氏のお名前を聞いて思い出すもの、と言えば、2004年5月に逮捕されて以降、被疑者・被告人として法廷で闘ってこられたお姿のみ。それも、あくまで報道や壇弁護士のブログ等を通じて、間接的に伝え聞いたものでしかない。
「47氏」として某巨大掲示板上で活躍されていた姿を、自分がリアルタイムで目撃することはなかったし、今まさにあちこちのサイトで称えられている金子氏のプログラマーとしての才能だとか、“天才”たるゆえん、といったことについては、筆者の浅学無知さゆえ、どれだけ説明されても、本当の意味で理解することはできないだろう、と思う。
ただ、一つだけ言えることは、金子氏が文字通り「当事者」となったあの著作権法違反幇助事件は、日本の刑事訴訟の歴史に刻まれるものである、ということ。

そして、一審の京都地裁で「罰金刑」のみ、という判断が下されてもなお、金子氏があくまで「無罪」を求めて戦われたことが、最終的には、ソフトウェア開発者にも一定程度配慮した、あの最高裁判決を導くことにつながった、ということ。
金子氏ご自身は、2004年から2011年まで、技術者として脂の乗り切った7年間という歳月の多くを、法廷での戦いに費やすことになり、無罪確定後も、それと同じ時間を新たな開発に捧げることができないまま、この世を去らなければならなくなってしまったわけで、これはある種の“悲劇”とすら言えるのかもしれない。
ただ、あの最高裁判決が、近い将来、世の中のコンテンツ流通の在り方を劇的に変えるようなソフトウェアや画期的なサービスが世に現れた時に、“坊主憎けりゃ袈裟まで・・・”的な風潮で、安易に開発者に刑事責任追及の矛先を向けるような事態に歯止めをかけるための一つの材料になりうるものであることは間違いないわけで、そういった観点からも、金子氏の技術開発の世界に向けられた功績は、長く語り続けられていくべきもの、だと思うのである。
<過去の主な関連エントリー>

□最高裁判決後 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20111222/1324751384

□高裁判決 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20091010/1255263662

□地裁判決前 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20061013/1160675462
今は、心よりご冥福をお祈りしたい。
(記事引用)