アベノミクスとリスク・オン経済
【講演レポート】教養講座「松元崇氏」講演要旨
崇城大学2015年06月29日 松元崇氏講演要旨2015年6月12日 
私は、13年前の熊本県の企画開発部長。昨年1月まで内閣府事務次官を務め、アベノミクス立ち上げの手伝いをした。
きょうは3つお話しする。①ベルリンの壁崩壊の1989年以降、世界は大きく変化した。それまでは資金不足、インフレを心配していたが、カネ余りでデフレを心配する時代になった。②リーマン・ショック後、他の国は金融緩和を行ったが、日本はやらなかった。それをやって、デフレから脱却し、景気をよくしようというのがアベノミクスの第1の矢。③企業が活動しにくくなっている現状を改め、経済を活性化して国民生活を向上させるのがアベノミクスの成長戦略の基本。
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まず、現在の経済状況を御覧いただくと、実質GDP(国内総生産)などいずれも大変に良くなっている。15年間、デフレが続いていた時代、日本の世界におけるGDPシェアは14%から8.2%に41.2%ポイントもダウンした。ヨーロッパが12.5%ポイントダウン、米国が19.6%ポイントダウンに比べて倍以上だ。Japan passing、Japan nothing、(日本経済の)空洞化といった言葉を聞かなくなったことが、アベノミクスが成功している証拠。

世界経済の変化の第一は、「南北問題」という言葉が聞かれなくなったこと。1961年にアメリカのケネディ大統領の提唱で「国連開発の10年」が始まり、1981年に「南北サミット」が開かれたが、世界の貧困人口は減らなかった。
それが1989年のベルリンの壁崩壊後、ブラジル、ロシア、インド、中国といった国々が台頭し、途上国は先進国より高い成長をはじめた。ハイテク製品まで途上国で生産されるようになった。そして、「南北問題」という言葉が聞かれなくなった。それは社会主義という成長にとっての軛(くびき)が外れ、革命の輸出のような不安定要因が取り除かれたから。最近話題のトマ・ピケティの『21世紀の資本』は格差問題についての本だが、南北問題は全く出てこない。

先進国は世界人口の15%しか占めておらず、それまで15%の人口による生産では供給不足でインフレを心配しなければならない世界だった。それが、人口の85%を占める途上国が成長しだして、そこで生産された製品が先進国に大量に流れ込み、デフレを心配しなければならなくなった。そういう中で、世界で唯一、実際にデフレに陥ったのが日本。

第二の変化は世界経済がカネ余りになったこと。かつて、GDPとほぼ同じだった世界の金融資産残高は2012年にはGDPの3.4倍。日本の金融資産残高が1700兆円でGDPの3倍以上といわれるのと同じ状況になっている。そこで登場したのがリスク・オン経済だ。かつて日銀の窓口規制というのがあった。
資金不足のときは日銀が規制を緩めると市中にカネが流れたが、今日のカネ余り状況では日銀が緩めても締めてもあまり変わりがないので規制そのものが廃止された。おカネは高い収益を求めてグローバルに流れるが、無制限ではない。リスクが高まるとカネの流れが止まり、リスクの低い安全資産の方に逆流する。リスクが低くなったと認識されるとまた流れ出す。
かつて窓口規制で行っていたことが、リスク・オン、リスク・オフというマーケットの認識で行われるようになったのがリスク・オン経済だ。ただし、そのような市場の認識はマーケットを不安定にしかねないので、各国の中央銀行はマーケットとの対話を重視しなければならなくなっている。

世界の変化の中で、日本は企業が活動しにくい国になってしまっている。リーマン・ショック後、日本だけ量的金融緩和をしなかったので、実力以上に円高が進んだ。一国だけ通貨高になるような国からは、企業が外に出て行くことになったのが空洞化。
それは、日本で仕事が失われ、付加価値も生まれなくなることを意味していた。GDPは一人ひとりが稼いだ付加価値の総額だから、付加価値が生まれなくなると日本経済は縮小する。その姿を抜本的に変えたのがアベノミクスの第一の矢だ。

ただ、それだけでは日本経済を力強く成長させていくことはできない。むかしケインズという経済学者がいて「どうしたら成長させられるか」と聞かれたのに対して「アニマル・スピリット」と答えている。企業がアニマル・スピリットを発揮しやすくするのがアベノミクスの成長戦略の柱。
今日は、そのうちの一つ、硬直的な労働慣行の見直しの話をする。コマツの坂根正弘相談役が日経新聞の『私の履歴書』に書いていた話。コマツ・アメリカのチャタヌガ工場が不況になった時、日本の慣行に従ってレイオフしなかったので地域から称賛された。ところが、その後、景気が回復したとき再度不況になったときのレイオフの心配から工場拡大に慎重になり、競争相手から大きく取り残されてしまったという。

日本企業のROE(総資産収益率)が低いといわれるが、競争力を失った分野があっても従業員を切れないので不採算部門が残るという要因が大きい。これまでは、それでやってこられたが、国際的な厳しい競争社会になった今日ではそうはいかない。
高い収益率を確保し成長を確保しようとすると、従業員を整理して柔軟な経営戦略が取れるような海外で工場を新設しなければならないということになってしまう。コマツのチャタヌガ工場の轍を踏まないためにというわけだ。そうなると、国内での雇用が伸びない。経済が伸びないと、少子化でヒトが減ってもヒト余りになりかねない。

アメリカではレイオフできるが、再雇用市場が充実していて困らない。ヨーロッパは一定のルールで解雇できるが、(失業者への)社会保障が充実しているので困らない。
日本の場合、そうはいかない。家族もろとも路頭に迷うことになる。柔軟な雇用の仕組みでうまくいっているのがスウェーデンとドイツだが、同様の仕組みにしようとすると、財政問題が登場してくる。
国民一人当たりの給付額は、日本では高齢者に238万円で非正規労働者の収入より70万円多い。夫婦二人なら476万円になり正規社員とほぼ同じだ。高齢化世代への給付は欧米では現役世代の1.2倍くらいだが、日本は3倍にもなる。
よく役所のムダを削れと言われるが、公務員の人件費はアメリカの約半分、スウェーデンの3分の1だし、公共投資もさほど大きくない。「ムダのあるうちは国民負担を求めない」と言うのは格好いいが、やるべき政策をやらない理由になってしまう。このままでは国の借金1000兆円は若い人の肩にかかってくることになる。

やるべき施策は何か。少子化対策や科学振興、イノベーションなどで潜在成長力を高めるのも大切だが、それだけで本当に日本の競争力を高めることはできない。
そういった危機意識がないことが最大の問題だ。
世界が変わってリスク・オン経済に変わってしまっているという認識を若い人に持ってもらいたい。ゆでガエルの話がある。水からぬるま湯にしていくと、ゆで上がってしまう。デフレの時代は、大多数の国民の実質所得が増える居心地の良いものだった。その延長で、危機意識のないままでは、ゆでガエル状態になってしまう。
だからといってアメリカの真似をしろというわけではない。アメリカの経営は収益の出ない部門を切り捨てたり、M&A(企業買収)で集約したりする、従業員のことをあまり考えない経営。それをそのまま日本に持ち込むことはできない。日本流のやり方を考えていく必要がある。

アニマル・スピリットは頑張って一生懸命が大事。私は、大学(注・東京大学)4年間、ボート部で漕いでいて留年した。5年目の一年間で一生懸命勉強して司法試験でトップになり、公務員試験にも受かって大蔵省に入った。「一漕入魂」が大事だ。
(文責・井芹)
(記事引用)