なぜアップルに負けたのか ソニー・ミュージック元社長
ソニー・ミュージック元社長が見た「サイロ」(前編)
『サイロ・エフェクト』 (ジリアン・テット 著/土方奈美 訳)(文藝春秋刊)
本の話WEB2016年04月28日 07:30
フィナンシャル・タイムズ紙の記者が、多くの企業・組織が悩まされる縦割りの弊害を分析した書籍『サイロ・エフェクト』。日本人読者にとって興味深いのはソニーに関する分析だ。元ソニー・ミュージック社長が本書の評価を語りつつ、内側から見たソニーグループの「サイロ」、プレステ開発秘話、音楽配信ビジネスの裏話を明かす。 

フィナンシャル・タイムズ紙の記者が、多くの企業・組織が悩まされる縦割りの弊害を分析した書籍『サイロ・エフェクト』。日本人読者にとって興味深いのはソニーに関する分析だ。元ソニー・ミュージック社長が本書の評価を語りつつ、内側から見たソニーグループの「サイロ」、プレステ開発秘話、音楽配信ビジネスの裏話を明かす。

『サイロ・エフェクト』 (ジリアン・テット 著/土方奈美 訳)(文藝春秋 刊)

――丸山さんはこの本を出版直後に手に取られたそうですが、どこに興味をお持ちになったのでしょうか。

 ソニーについて書いているからですよ。第2章に「ソニーのたこつぼ」とありますが、フィナンシャル・タイムズの記者がソニーをどう分析しているのか興味を持ちまして。

 読み始めると冒頭の文章から引きつけられました。

「なぜ現代の組織で働く人々はときとして、愚かとしか言いようのない集団行動をとるのか」(p.6)

 この一節は私の長年の問題意識そのものだったからです。私は太平洋戦争が始まった昭和16年の生まれですから、戦争の悲惨さや戦後の混乱を覚えています。だから「なぜ日本はあの勝ち目のない戦争へ突入したのか」という疑問を長い間、抱いていました。

 その疑問を解くべく、あの戦争に関する本を何冊も読んできましたが、たとえば「アメリカが日本への石油輸出を全面停止した」「経済封鎖された」といった事実関係は書いてあっても、その先の「では、なぜ?」という肝心な点は曖昧なものが少なくなかった。

 ところが、文化人類学の研究者からジャーナリストに転じた著者によるこの本を読んだことで、文化人類学がその「なぜ?」を解き明かす道具になることがわかった。これが『サイロ・エフェクト』を読んだ最大の収穫です。

 以前から学問としての文化人類学には関心があって、これまでにもレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』などを読んできました。しかし正直に言えば、ブラジルの少数民族を扱った本の内容がすんなりと頭に入ってきたわけではない。

 ところが『サイロ・エフェクト』は、ソニーや私が関心を抱いているマイクロソフト、アップル、フェイスブック、それにUBSといった同時代の企業の問題を取り上げて、文化人類学の手法で分析している。「これは分かりやすいわ」と非常に気持ちよく読めました。これが本書を大いに評価する理由です。

 著者のジリアン・テットは研究のためタジキスタンに3年間、暮らした経験もあるそうで、「人類学にどっぷりつかったことのある者は、生涯にわたってインサイダー兼アウトサイダーであることを宿命づけられる」(p.70)と書いています。

 身内でありながらよそ者である「インサイダー兼アウトサイダー」という立場は、まさにソニーにおける私の立ち位置そのもの。グループ会社の一員ですから、広くいえばソニーのインサイダーですが、本丸のソニー株式会社の人間ではない。アウトサイダーの視点で、「ご本社さまは、いったい何をしているのかね」と感じることもありました。だから著者の主張には大いに共感できました。

 ジャーナリストとしての著者の腕の冴えを感じたのは、第4章「経済学者たちはなぜ間違えたのか?」です。この章では「シャドーバンク」という言葉が生まれた経緯に注目している。世界中の金融市場が機能停止に陥ろうとしているのに、専門家たちは混乱の元凶をとらえることができない。ところが、ある金融機関の社員が「シャドーバンク」というインパクトのある言葉で混乱状態を表現した途端、みんなが理解できるようになった。たったワン・フレーズで複雑な事態の認識が可能になるのですから、言葉の選択がいかに重要かということです。金融危機という複雑な状況を描くとき、ひとつの言葉の誕生に注目したところは、さすがにジャーナリストだと唸りましたね。

かつてのソニーにサイロはなかった
 
――ソニーに関する本書の分析については、どのように評価していますか。本書では、90年代末にソニーの社長へ就任した出井伸之氏が部門ごとのカンパニー制を採用したため部門間の壁が強固になり、サイロ(たこつぼ)にとらわれてしまったという見立てです。

 著者が分析したような面はあったでしょう。しかし著者自身が書いているように、「サイロの問題を分析することと、その呪縛から逃れる方法を見つけるのはまったく別の話だ」(p.109)ということ。

 経営者だった私からすれば、具体的な打開策を知りたかったのが正直なところです。とはいえ、それはジャーナリストの仕事ではありませんから、打開策まで踏み込んでいないことを理由に、この本を批判しようとは思いません。

 30年前のソニーにはサイロなどありませんでした。それはなぜか。創業者である井深大さんと盛田昭夫さんが健在だったからです。

 創業者が縦割りの弊害を意識していれば、サイロは出来ない。第6章「フェイスブックがソニーにならなかった理由」では、フェイスブックがサイロを作らないために様ざまな取り組みをしていることが紹介されています。しかし、あの会社は創業者のマーク・ザッカーバーグが社内を統率している。だからサイロが出来ないのです。

 サイロを壊せるのは創業者だけ。創業者は異論があっても、「うるせえ、バカ野郎」と一言で黙らせることができる。大株主でもあるから、「いやなら出て行け」と言えるわけですよ。

 ソニーでいえば、盛田さんの後をうけた大賀典雄さんがトップだった時代にもサイロはありませんでしたが、それも盛田さんがいたからです。盛田さんは経団連会長へ就任するべく経営のバトンを大賀さんに渡したけど、その背後でグループ全体に睨みをきかせていましたから。

 私はソニー・ミュージックの社長を務めましたが、前任者からバトンを渡されただけ。社内には「オレと丸さんは同格だから、言うこと聞く必要なんてないよ」と思っている連中もいました。だから創業者のようにはいかないのです。

 私に言わせると、企業にとってのサイロは、人間でいえば「がん」みたいなもの。私も8年前にがんになりましたが、がんは自分の細胞が変化するもので、老化のひとつのパターンですよ。だから人間、年を重ねれば、誰でもがんになる。会社もある種の生命体ですから、古くなればサイロができるのは避けられないと思いますね。

 著者は創業者スティーブ・ジョブズが復帰したあとのアップルや、フェイスブックをソニーと対比させていますが、両社は人間にたとえれば少年期や青年期ですから、がんは発生しようがない。サイロがないのも、そういう理由ではないでしょうか。

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――社内にサイロを作ったとされる出井氏ですが、社長に就任したとき、ソニーは創業から半世紀も経っていました。

 その出井氏が99年にラスヴェガスで開催された展示会で、同じ機能で互換性のない二つのデジタル音楽プレイヤーを発表した。その後、さらにもう一つ、競合する可能性のある製品を発表。『サイロ・エフェクト』では、それをサイロの弊害にとらわれたソニーを象徴するエピソードとして描いています。

 その3種類の端末のうち、ひとつに決めるのがトップの仕事です。商品を企画するのはトップではなく部下の仕事。部下が提案してきた多くの企画の中から、どれがヒットしそうなのか見極めて、ジャッジするのがトップの役割。

 だから実のところ、サイロはいくらあってもいいのです。部下はみんな功名心にかられているわけだから、技術や情報を囲い込んでサイロを作るもの。でも、いくつものサイロから挙がってきた、いくつもの企画をトップがジャッジすればいいだけで、ジャッジができないということは、経営者としての才能がないということです。

 選ぶ権利を持つ人間が、その権利を放棄してはいけません。そうした権利を最も持っているのがトップです。そのトップが権利を行使しないで市場にゆだね、「ユーザーの皆さん、お選びください」というのでは、ヒットはおぼつかないですよ。

 ユーザーが選ぶのは、ソニーか、松下か、アップルかというメーカーがせいぜいで、それぞれの社内でどの製品を推すのかを決めるのはトップです。 

 それを、よく分からないからと会議で決めようとすれば、今度はジャッジが遅くなって、他社に先を越されてしまう。先ほども言ったように、新しい企業では創業者が絶対的な権力を持っているからジャッジが早いのです。

 では、どのようにしてジャッジするのか。理論的に説明するのが難しいのですが、私たちは「鼻がきく」と表現していました。これは経営者にとって非常に重要な能力ですが、私の見るところ、ソニーのトップで鼻がきいたのは盛田、井深、大賀の3人だけ。その後の出井さん、ハワード・ストリンガーから現在の平井一夫さんにいたるまで全員だめ。鼻のきかないトップがいたらヒット商品は出ませんよ。

――鼻がきいた最後のトップ、大賀さんの功績はゲーム機「プレイステーション」の開発を後押ししたことだと本書にある。「ウォークマンのときと同じように、当初社内にはゲーム機に懐疑的な見方が強かった。そうした意見をねじ伏せたのが大賀だ」(p.84)と。ところが、丸山さんがいなければプレイステーションは世の中に出ていなかったとも聞きます。当時の経緯を教えてください。

 プレイステーションの開発を最終的に決断したのが大賀さんであることは間違いありません。大賀さんと私、そしてソニーの課長だった久夛良木健。この3人のラインでソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を設立し、ゲーム事業への参入を進めていきました。

 ただ正直いって、ここまでプレイステーションが巨大なビジネスになるとは思っていませんでした。

 プレイステーションの開発が始まる以前から、私はソニー・ミュージックで細々とゲームを制作していました。そこへ任天堂のスーパーファミコンへCD-ROMドライブを付ける企画を進めていた久夛良木が、ソフトの制作を依頼してきた。ソニーグループでゲームソフトを制作していたのは、私たちだけだったので。それが久夛良木との縁の始まりです。

 ところが久夛良木があまりに強引な交渉をしたものだから、任天堂との提携が決裂してしまった。そこで久夛良木は独自にゲーム機を開発するべきだと主張したのですが、反対ばかりでした。

 反対理由もおかしなもので、そのころのゲーム産業は任天堂の天下だったから、「松下電器が相手ならともかく、もとは京都の花札屋だった任天堂と勝負して、もし負けたらどうするんだ」という。

 足を引っ張る人があまりに多いので、私は会社に入って初めて社内政治をしましたよ。ソニー・ミュージックの役員だったので、ソニー・ミュージックの会長を兼務していた大賀さんと直接、話ができるルートがあった。それを使ったのです。課長だった久夛良木はトップと直接、話をすることはできません。彼の上には部長、役員と何層もありますから。

プレステ部門はサイロの象徴?

 じつはプレイステーションには、社内に競合企画が二つありました。どれもCD-ROMを使った端末です。当時、「ソニーの三悪人」と言われるほど口八丁手八丁で、政治的な手練手管もつかう人たちがいましたが、そのうち一人は久夛良木で、残りの二人も同時期に、同じようなコンセプトの端末をソニー・ミュージックへ売り込んできた。

 そのとき私は、いちばんプレゼンテーションが面白くて、ヒットの可能性を感じた久夛良木の案を選びました。

――久夛良木氏の率いていたプレイステーション部門ですが、『サイロ・エフェクト』では、ソニーのサイロの象徴のごとく描かれています。本社への統合を何度も拒否し、本社ビル内に移転してからも周囲をガラスの壁で囲ったというエピソードが紹介されています。

 SCEが本社ビルに移ったとき、私はSCEとソニー・ミュージックの役員を退任して、ソニーグループから完全に離れていましたので、事情は直接、知りません。ただ久夛良木はサイロの典型という面があったとは言える。私がSCEの役員をしていた時は、「久夛良木のマネージャー」だと称して、周囲との通訳をしていたほどです。

――この本の終章に、サイロ・シンドロームの弊害を緩和するためにはスペシャリストのサイロの間を行き来する「文化の翻訳家」が必要だ、とある。丸山さんが「通訳」をしていた時期は、サイロの弊害が表面化しなかったわけですね。

 ただ、「通訳」、あるいはマネージャーにも限界がありますよ。これはあらゆるミュージシャンに言えることですが、大成功をおさめると、ある時期からマネージャーの言葉を聞かなくなるものです。そうなるとサイロそのものになってしまう。

著者 丸山茂雄
1941年、東京都出身。68年、CBSソニーレコード創業と同時に入社。78年にEPICソニーの設立に参加。同社をロック専門レーベルとして成功させる。手がけたアーティストは佐野元春や小室哲哉、Dreams Come Trueなど多数。音楽業界では「ロックの丸さん」と呼ばれた伝説的な人物で、98~2000年にはソニー・ミュージックエンタテインメント社長を務める。また、ソニー・コンピュータエンタテインメント設立時の副社長として、久夛良木健氏とともにプレイステーションを世に送り出した。父はがん治験薬「丸山ワクチン」の開発者、丸山千里博士
(記事引用)