パナマ文書の行方???
いまさら「パナマ文書」である。はたして、この見出しにして、記事を読む読者がいるのだろうか、という不安がある。

というのも、この記事を探した当初、ブログメインにするかどうか迷ったからだった。

新聞記事見出しレイアウトみたいな、シビアな選択は必要としないが、自分で管理しているブログサイト5項目の、どこに入れるか、というのもその「記事」の力また世評の認知度など、考慮して入稿する必要がある。

昨日、天皇自身による「生前退位」会見のニュースが日本国中を席巻しており、その余波というか、1日経過しても余韻が残っているように思った。
というのも8月第一土曜日という日程は、家族を含めた「夏休み」休暇が広まっていて、避暑地以外は、ほとんど閑散としている。当然、ネット閲覧実績は普段の4割減で、そのことでも職場にひとがいない、ということが類推できる。
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そんな情況のなかで「パナマ文書」だから注目度からいったら、期待できない。それと世界のイベント「オリンピック」開催中だ。






***本記事の末尾で、そのわけを書いている。
今回のパナマ文書に関しては、情報元は内部告発者ではなく、ハッキングによるものだと言われているが、もしもこの情報が最初にもたらされていた『南ドイツ新聞』が単体で公表していたら、これまで同様の新聞社への圧力や記者への個人攻撃で、文書の公開が尻切れとんぼに終わっていた可能性は十分にある。
しかしながら今回はまず、ワシントンDCにある「国際調査報道ジャーナリスト連合」所属の、80カ国107の報道機関約400名の記者が協力して文書を精査した上で、情報が複数のメディアで、安全に、公開された。
漏洩された機密文書の公表を、当局や世間からの圧力・個人攻撃を避けて、いかにして安全に行うか。
その有効なモデルのひとつを、今回のパナマ文書公開は示したのである。(〆)
 
パナマ文書は、従来とはちがったカタチで公表された、という視点で記事は書かれていた。

著者作家が、そう指摘して、なるほど、とおもうがその但し書きがなければ、内部暴露とかハックとか国家間の諜報合戦だとか、そんなことは無頓着だ。

社会で起きている、この重大な事件を世間は「無頓着」に接しているということの証左であると逆説的に云えることではないだろうか。

数日前に指摘してあるが、わたしがことさら職業また、副次的にメディア界のそれにかかわっているわけでもないのに、ネットという新興媒体の恩恵で、意見を述べることができるのはあり難いことと思惟している。
その内容は政治までに及び政権与党の批判(ほとんど批判文になるという性質)をして、他からの賛同者を得ようとする。それが私に限ったことではなしに、著名な人でも大なり小なりそれはあまり変わらない。

社会の多様性というのは、そのことをいうのだろう。そして、その取り扱う話題、記事の重要性もまた人によって変質するが、まったく興味がなければ、関与もしくは場を避ける。
結果的に、そのことは選挙投票数の率パーセントとよくにていると思った。
選挙権利を行使するかしないかは、統計的にきっちり数としてあらわれ、ほぼ50パーセントを境に往ったり復たりして、状況に寄り添って変動する。それでも100ないし10の比率はありえない。その中ほどの多様性ということなんだろう。

そして世間は、100というキャパを有しながら50しか、その力を発揮しない。面倒な話に関与したくない。政治は政治家が嫌いだから投票しない、イデオロギー論戦ばかりの政治にまったく期待がもてない等、100の中の50に至るには相応の理由と、もっともらしい論理がある。そんなことより酷暑をさけて冷房完備の別天地パーラー でパチンコしてほうが楽だ、という選択論にだれも是非を告げる権利をもたない。結果として無頓着な安易な方向へと水の流れのように不可逆方向へ向かう。
(蛇足な話として芸人が都知事立候補した結果テレビ広告パトロンによる損害賠償問題が生じるというウソの噂に世間は騙される)


その間隙をぬって賢いタイプの人間が、そうした人間心理を読み解いて、その方法論を確立している。その中の一つが「パナマ文書」である。したがって後の99項目には、われわれ凡人がまったく知らない手練手管がびっしりと書き込まれ、ある場所に保管されている。

ある場所、とは人間の脳である。脳だからあらゆるタイプの思考が可能で、それは無尽蔵にある。それが有益か無益か、という区別の線引き50か100か、という決めはまったくない。かりに数値200というのがあったら人間は地球以外に住んでいるかもしれない。
その反対、マイナス300という数値は、どんな世界なんたろろうか。
(この記事、午後にはランクアップして「2010パラノイア」項目に引き上げる)

パナマ文書はなぜもみ消されなかったのか?
Exposing the Panama Papers 
gqjapan.jp2016-8-8 Tag: コラム 、 スキャンダル
国際調査報道ジャーナリスト連合が公開した、通称「パナマ文書」が世界を揺るがしている。今世紀最大級と言われるこの金融スキャンダルについて、作家で翻訳家の井上一馬は文書が公開に至った経緯に着目した。

歴史上最大の文書漏洩と言われる「パナマ文書」が、2016年4月に公表されて以来、これまで日本ではイギリス領ヴァージン諸島やバミューダ諸島など、いわゆるタックスヘイヴン(租税回避地)を使って節税(税金逃れ?)を行っている一部の資産家や企業の名前が公表されて話題になっている程度だが、世界的には、アイスランドの首相がタックスヘイヴンを使った資産隠しを疑われて辞任に追い込まれ、イギリスでは、亡父の名前が文書に記されていたキャメロン首相が、欧州連合離脱か残留かを問う、今後のイギリスの命運を決めると言っても決して過言ではない重大な国民投票を前歴にして、苦境に立たされている。

その一方で、アメリカではこれまでのところ、公表された文書の中に自国の政治家や著名人の名前がほとんど含まれていなかったことから、これは主に、親しい友人の名前が記載されていたプーチン大統領のロシアや、親族の名前があがった習近平国家主席の中国、あるいは、パキスタン、イラク、ウクライナなど、政治的な腐敗に冒された国の問題であり、アメリカにとってはむしろ、もう何年も前から問題視されている、グーグルやアマゾン、あるいはアップルといった、アメリカ生まれの巨大多国籍企業によるタックスヘイヴンを使った合法的な租税回避行為のほうがはるかに大きな問題だ、という見方が強い。

が、いずれにせよ、パナマ文書の公開後フランスの経済学者トマ・ピケティ氏ら世界の経済学者355人がタックスヘイヴンの存在を終わらせるべく出した書簡の中で表明したように、「タックスヘイヴンは一部の富裕層や多国籍企業を利し、貧しい人々の犠牲の上に不平等を拡大させている」だけであり、この文書の公表によって、今後タックスヘイヴンの問題が、世界経済が全体として取り組むべき大きな課題として改めて浮かび上がってきたことは間違いないだろう。
それほど大きなインパクトをもたらしたパナマ文書の暴露だが、この件で私がもうひとつ注目したのは、文書の公開方法だった。

パナマ文書が公表されたのとちょうど同じ頃、私はたまたま『シチズンフォー スノーデンの暴露』(第87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞受賞)という映画を観た。

エドワード・スノーデンは、アメリカのCIAとNSA(国家安全保障局)の元職員で、2013年6月、NSAが大手IT 企業の協力を得て、テロや犯罪への関与とは無関係にアメリカの一般国民や各国指導者の電話での会話やメールの内容など膨大な通信データを秘密裏に収集している事実を、機密文書の暴露を通じて内部告発し、世界に衝撃を与えた人物である。

この文書の暴露は主に、元々NSAの活動に対して批判的だった記者グレン・グリーンウォルドが当時在籍していたイギリスの新聞『ガーディアン』紙を通じて行われたのだが、映画『シチズンフォー スノーデンの暴露』では、2人が香港のホテルで初めて会ったところから、衝撃的な機密文書の公開が行われて世界に衝撃が走ったあと、国家権力を敵に回す緊迫した状況の中で、スノーデンが、香港の人権派弁護士やウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジの助けを借りてロシアに亡命するまでの過程がドキュメンタリーで記録されている。

機密文書の公開後、アメリカ政府は当然、スノーデンをスパイ容疑で告訴したが、文書の暴露が続く中、当局の圧力はひとりスノーデンのみならず、『ガーディアン』紙はもちろんのこと、記者のグリーンウォルドにまで及んだ。映画には、グリーンウォルドのパートナーが一時空港で拘束される様子も記録されている。

内部告発者やそれを公表した記者に対する当局や世間からの圧力・個人攻撃は、日本でも世界でも昔から繰り返されてきたことである(機密情報を公開するウェブサイト・ウィキリークスのジュリアン・アサンジも性的暴行容疑をかけられエクアドル大使館での幽閉状態が続いている)。それはとても一個人で受け止めきれるものではない。

今回のパナマ文書に関しては、情報元は内部告発者ではなく、ハッキングによるものだと言われているが、もしもこの情報が最初にもたらされていた『南ドイツ新聞』が単体で公表していたら、これまで同様の新聞社への圧力や記者への個人攻撃で、文書の公開が尻切れとんぼに終わっていた可能性は十分にある。

しかしながら今回はまず、ワシントンDCにある「国際調査報道ジャーナリスト連合」所属の、80カ国107の報道機関約400名の記者が協力して文書を精査した上で、情報が複数のメディアで、安全に、公開された。

漏洩された機密文書の公表を、当局や世間からの圧力・個人攻撃を避けて、いかにして安全に行うか。

その有効なモデルのひとつを、今回のパナマ文書公開は示したのである。

井上一馬
1956年生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。編集者として出版社勤務を経て、1984年に作家・翻訳家として独立。ウディ・アレン、ボブ・グリーンなどアメリカ文化の翻訳紹介、英語論、映画評論、エッセイ、小説など、多彩な執筆活動を続けている。上流社会をめぐるタキのコラム集『ハイ・ライフ』の翻訳でもおなじみ。日本文藝家協会会員。
(記事引用)

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